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#86、 白亜の新居

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 そこは島になっていて、南国風の木々が立ち極彩色の鳥が舞う。
 とはいえ、気候は暑すぎるわけでもなく、潮風の匂いもきつくはなく、穏やかな風が心地よく吹いているという具合だ。
 屋敷は森の中にあり、まさに白亜の豪邸だった。

「す、すごいわ……。亜空間魔法ってこんなにすごかったのね……。この島なんて、探検できそう」
「実はそうなのです。この島は僕とナナエ姫とのハネムーンのために作りました。
 よかったら、ゆっくりこの島めぐりをしませんか?」
「ハネムーン……!? 素敵だわ……!」

 ふたりで寄り添っていくと、屋敷の中は石灰色にエレンデュラ王国のブルーで彩られた豪華な階廊が続く。

「……誰も、いないの……?」

 きょろきょろと見渡す限り、出迎えもなければ衣擦れの音もしない。
 シュトラスがにわかに頬を染めた。

「あの……。今夜はその、ふたりだけです……」
「あ……」

 その意味が解って、奈々江は急にどぎまぎとした。

(そ、そうよね、結婚したんだから、そうなるわよね……)

 なんだか急に落ち着かない。
 触れている体と体が急に熱くなってきて、奈々江はシュトラスの顔を見れなかった。

「屋敷を案内しましょうか?」
「え、ええ」

 一階の大所の部屋を回ると、庭にはプールがあり、まるでここだけアメリカ映画の豪邸に来たような感覚だ。
 とはいえ、そこはやはり乙女ゲームらしくダンスホールがあったり、たくさんの楽器が並んだ遊戯室やたくさんの本を備えた図書室がある。
 シュトラスのための魔法研究する部屋もあった。

「ここで研究をするのね?」
「はい、ブランシュ殿下にいろいろと取り揃えていただきました」

 二階は寝室とゲストルームになっていて、その中の最も大きな部屋が二人の寝室だった。
 部屋には蝋燭や暖かい色のランプが灯されている。
 広い床には真新しい白と金の絨毯がしかれ、青い天蓋つきのベッドの上にはピンク色のバラの花びらが散らしてある。
 ベッドサイドには飲み物とチョコレートがおいてあった。

(な、なにこれ、映画みたい……)
「えいが?」

 シュトラスが不思議そうな顔をした。

(あ、そうか、シュトラスにはわからなかったわよね)
「映画っていうのは……、なんて説明すればいいのかしら……。以前Eボックスを見せたのを覚えている?」
「はい」

 録音と同じように映像を保存しておけるという概念から説明をし始めたが、シュトラスがじりっと一歩詰め寄ってきたので、奈々江は思わず言葉を失った。

「ナナエ姫……」
「あ……の……」

 シュトラスの手が優しく奈々江の頬に触れた。
 なにかを探すように、求めるように触れるその指に、いいようのない気持ちが高まる。
 婚約式でも結婚式でも、まだ二人はキスをしていない。
 ブランシュがなぜか目を皿のようにして見張っていて、どうにもその機会がなかったのだ。
 どちらともなくふたりは距離を縮め、ゆっくりと顔と顔を近づける。
 互いの吐息の湿度と温度を感じ、ふたりはそっと目を閉じる。

(ああ……、これで、なにもかも、終わるんだわ……)

 奈々江はそう思った。
 長かった。
 とても長い夢がようやく、このキスで終わるはずだ、と確信した。
 しかし、キスは振ってこなかった。
 代わりに、戸惑ったようなシュトラスの声が降ってきた。

「終わるとは……どういうことですか?」
「……え……」

 奈々江は、はっとして、シュトラスを見つめた。

(あっ、聖水のエレスチャル……! えっ、え……? なんで、えっ? ……えっ!?)

 考えてみたらわかりそうなものだったが、奈々江は今の今まで気がつかなかった。
 乙女ゲームのことは奈々江だけに関係することであり、シュトラスには関係がない。
 今までだって、誰にも話してこなかったし、理解をしてもらえるとも思っていなかった。
 だから、ゲームのことに関してはスルーされて行くものだと知らず知らずに思い込んでいたのだ。

「ゲーム? ゲームとはなんのことですか?」
「え……!?」

 奈々江がたった今考えたことが、聖水のエレスチャルを通じて、シュトラスにすべて伝わる。
 シュトラスの表情に戸惑いが濃くなっていく。
 その表情を見つめている間にも、奈々江の脳裏にはこれまでのことがまるで映画のように再生されていた。
 ゲーム、すなわち、この乙女ゲームという夢の世界。
 両想いになれなければ、ゲームクリアできないという制約。
 バグに気づきながらも寝落ちしてしまって以来、ほとんどどうなっているのかわからない現実世界。
 そして、シュトラスに素直に心を開けるようになれた、これまでのすべて。

「あ、あの、わたし……」

 口を開いたが、発せられる言葉よりも、奈々江の思考のほうがはるかに雄弁だった。
 シュトラスが一歩、二歩と後ろに下がった。
 頭に手を当てて、ベッドに座り込む。

「……」
「あのね、シュトラス……」

 初めて知る奈々江のすべてに、シュトラスは理解しようと必死に考える。
 だが、到底理解できようもない。
 シュトラスはしばらく銅像のように固まってしまった。

(え、え……、どうしよう……。どうすればいいの……?)

 黙ってシュトラスを見守るほかなかった。
 どれほどの時間が経っただろうか。
 シュトラスがふと奈々江を見た。

「あなたは、行ってしまうんですね……?」

 ぎくり、と心臓になにかが突き刺さった。
 とたんに、奈々江の中のシュトラスへの思いが溢れた。

「シュトラス……、わたし、あなたが好きよ」
「ナナエ姫……」
(だけど、わたしは現実に帰らないと……)

 シュトラスの顔がゆがんだ。
 その顔を隠すように、両の手がシュトラスを覆った。

「なぜ……!!」
「シュトラス……」

 思わずシュトラスの前にしゃがみ、彼を見上げた。
 しかし、すぐにシュトラスは立ち上がると奈々江から離れ、背を向けてしまった。

(シュ、シュトラス……)

 奈々江はその背中が震えているのを見て、ようやく気が付いた。

(わたし、ああ……。シュトラスを傷つけてしまったんだわ……)

 後悔しても遅かった。
 良かれと思って聖水のエレスチャルを返してもらったことが、まさかこんなことになるとは。

(大好きなのに……。シュトラスを傷つけたんだわ……。
 わたしなんてばかなの、なぜ気が付かなかったの……?)

 奈々江自身、たびたび現実と夢の世界を混同して、わからなくなってしまうことがあったくらいだ。
 ふたつの世界のはざまで、奈々江がうまく立ち回れなくても何ら不思議ではなかった。
 振り返れば、考えたこともなかった。
 この世界から奈々江がいなくなったらどうなるかと。
 "恋プレ"に影響を受けたこの世界は、奈々江の夢の中であるはずだ。
 夢を見ている本人が目覚めれば、夢は消える。
 すなわち、夢から覚めた後、この世界もキャラクターたちも、すっかり消えてなくなると思っていた。
 きっと、それは恐らくそうだろう。
 夢を見ているのは奈々江本人で、キャラクターたちはすべて奈々江の脳が作り出した産物なのだから。
 だが、そのキャラクターたちと過ごすうちに、奈々江は奈々江自身も気づいていなかったような記憶が呼び起こされ、心の再構築ともいうべき内省が起こった。
 その中で、現実では恋に怯えていた自分が、夢の中では自然と人のことを愛せるようになっていた。
 それがシュトラスだ。

(そう、この夢の世界があったから、わたしはシュトラスのことを好きになれた……。
 初めての両想いなのに……。
 でも、そうなんだわ。目が覚めるということは、シュトラスもこの世界も消えてなくなるっていうこと……)

 聖水のエレスチャルを取り戻さなければ、シュトラスを傷つけることなくゲームを終わらせられたはず。
 それなのに、奈々江は最後の最後で、こんなミスを犯してしまった。
 まさか、シュトラスにそこまでの理解ができるだろうか。
 奈々江の夢や願望や、眠っていた記憶の数々がゲームのキャラクターを借りて姿を現したこの世界。
 この世界は、ゲームであり夢。
 奈々江には戻らなければならない本当の世界がある。
 それだけで衝撃だということは間違いない。
 そればかりか、シュトラスにとっては自分も自分のいる世界も、消えてなくなるというのだ。
 青天の霹靂というには、あまりにも突然で激しすぎる衝撃だ。

 シュトラスの後ろ姿を見つめ続ける奈々江には、ひとつの不安がよぎる。
 もしも、シュトラスが拒めば、ひょっとすればこのままではゲームがクリアできないのではないか。
 告白も、婚約も、結婚式でもクリアできなかった。
 奈々江はおそらく、キスがゲームのクリアになるのではと感じていた。
 乙女ゲームとしてはクリアとなってエンディングロールが流れてもおかしくないはずなのに、いまだにシナリオが続いている。
 両思いだということは確かめられたはずなのに、おかしいと言えばおかしい。
 やはり、きっかけが必要なのではないだろうか。
 それがキスなのだとすれば、今のままでは、とてもではないが達成できそうにない。
 奈々江には、困惑し傷ついているシュトラスにかける言葉が見つからない。

(今のシュトラスに、キスしてなんていえるわけがない……)

 しばらく立ち尽くしていた奈々江も、ベッドに腰かけて下を向いた。

(なんなの、この状況……。
 ゲームというにはゲームからかけ離れれすぎて、夢というにはリアルすぎる……。
 もしかして、わたしはもう一生、ここから出られないっていうこと……?)

 目覚めたら、今度こそは向き合おうと思っていた従兄弟たち。
 母と一緒にまた歌いたいと思った歌。
 今まで自分には変えられないと思っていた過去の記憶は、上書きすることで前へ進めるということ。
 目が覚めた暁にはきっと、前よりももっと自分の人生に自信をもって生きられると思っていた。
 でも、目が覚めないのであれば、それはまさに夢のまた夢。

「ナナエ姫」

 はっとして顔を上げた。
 シュトラスが目を腫らして、見つめていた。

「あなたにキスをしなければ、あなたはここにいてくださるのですか?」
「そ、それは……」
「……だとしたら!」

 シュトラスがぐっとこぶしを握った。
 空間がゆがみ、エアリアルポケットのひずみが現れた。
 その中からシュトラスが小さな金属のような球体を取り出した。

(……なに? 初めて見るわ……)
「これはこの場所作るために作った亜空間の核です」
「核……?」
「ここに強力な妨害魔法を付与すれば、あなたはここから出られません……」
「え……?」

 シュトラスがなにやら早口に唱えると、球体がピカッと一瞬光った。

「ナナエ姫にはここにいてもらいます。
 僕はしばらく考えたいので、ひとりにしてください」
「シュ、シュトラス……!?」

 シュトラスが速足に部屋を出て行った。
 慌てて追いかけたが、部屋を出ると同時にすでにシュトラスの姿はなかった。

(妨害魔法って、つまりこの亜空間から出られないっていうこと……?
 でも、シュトラスの混乱はよくわかる……。
 どうしたらいいのか、きっとまだ考えがまとまっていないんだわ……。
 それどころか、こんなにすごい亜空間をわたしたちのために作ってくれたのに、それなのに、キスをしたらわたしがいなくなるなんて……。
 それどころか、この空間も世界も、自分も消えるなんて簡単に納得できるはずがないよね……)

 ひとりになってよくよく考えを巡らせてみる。
 この夢の世界はきっと目が覚めたら消えるはず。
 だが、奈々江は目覚めたとしてこの長い夢のすべてをすっかり忘れてしまうとは思えなかった。
 この夢から現実に持ち帰りたいものがたくさんあるからだ。

(そうよ、だから、そういう意味では、シュトラスも、この世界も、何もかもが消えるわけではないんだわ。
 この世界はわたしが作り出したんだもの。わたしの中に永遠に残り続けるのよ……)

 シュトラスが戻ったら、そう話をして、きっと理解してもらおう。
 奈々江は広いベッドに座って、ひとりでうなづいた。

(シュトラならきっとわかってくれるはず)


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