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#82、 訪れた気づき
しおりを挟む奈々江が意識を取り戻したのは、エレンデュラ王国の暦で丸一か月たった日のことだった。
「ナナエ……、ナナエ!」
「お……かあさま……」
目覚めたというものの、体は重く、頭はかすみかかっていた。
(クレアがいるということは……、夢の中……。
魔法は成功したんだ……)
ほっと安心するとともに、奈々江はまた強い睡魔と疲労感が押し寄せる。
目が覚めたのは一瞬で、再び眠りに落ちるという日々が何日も続いた。
二週間ほど経って、ようやく少しずつ長く目覚めていられるようになると、奈々江はラリッサとメローナがいないことに気が付いた。
さらには、見舞いに来る顔ぶれに、セレンディアスがいないことも。
「なにも心配いらないのよ、ナナエ……。すべてもう済んだことよ」
クレアは言葉少なだったが、奈々江は少しずつクレアから何があったのかを聞き出した。
(セレンディアスとラリッサとメローナが罪に……。
こうなってしまった以上、まったくの無実というわけにいかないのね……)
「お母様、すべてわたしのせいなんです。三人は悪くないんです。だからどうか……」
「わかっているわ。あなたならそういうと思っていた。だから、処罰とはいっても、厳しいものではないの。
時期が来たら、呼び戻せるから安心なさい」
「よかった……」
「シュトラス殿下がすべて引き受けてくれたから」
「……え……?」
奈々江はそこではじめてシュトラスがグレナンデスを引き渡すと同時に自らも人質としてエレンデュラ王国に囚われの身になったということを知った。
(シュトラス……、責任を感じたのね、きっと……)
幸いグランティア王国には第三皇子がいて、跡継ぎには困らないという判断なのだろう。
だが、シュトラスにしたらとばっちりもいいところだ。
兄のためと思って兄の身代わりに皇太子妃選びに付き合い、水面下では奈々江と兄の仲を取り持とうと奔走したのに、これでは損な役回りを背負わされただけで、しかも最終的には人質にされるなんてひどすぎる。
「シュトラス殿下やセレンディアス、ラリッサやメローナの話から、あなたがどういう思いでどうしようとしていたかはおおよそわかっているわ。
あなたの気持ちもわかる。
だけど、あなたはよくなかったわ。わかるでしょ?」
「……はい……」
「でも、一番悪いのはグレナンデスね。あなたの初恋を汚して、こんな大事件を起こすなんて。
シュトラス殿下は優秀な方だと聞いていたのに、こんな形で尻拭いをさせられて不憫だわ、まだ若いのに」
「シュトラス殿下はどうしているの……?」
「王家直轄の辺境の地で幽閉されているわ。
亜空間魔法も大分明らかになったみたいだし、今はひとりで過ごしているんじゃないかしら」
「……会いたい……」
「えっ?」
「シュトラス殿下に会わなくちゃ……」
シュトラスにも振り切れない立場があったに違いない。
だけど、実際のところシュトラスがどこまでどう考えていたのかを知りたい。
それに、今回の件ではシュトラスだって被害者のようなものだ。
このままシュトラスの置かれた状況を見過ごしていいとは思えない。
とはいえ、すぐに会いに行けるだけの体力と気力が戻ったわけでもなく、自らの足で立ち上がれるにはそこからさらに二か月の時間が必要だった。
「本当に行くのか、ナナエ」
「はい……。直接会って話をしたいんです」
ブランシュが心配そうに奈々江の手をつかんで離さない。
その手首には、セレンディアスが新しく作ってくれたブレスレットがあった。
魔導士や医師の話では、奈々江の生命力は極めて低い位置で安定しているらしく、魔力が戻ったとはいえ魔力をためておく容量も同時に小さくなったために、以前よりももっと魔力が少なくなっているらしい。
セレンディアスの魔力と繋がっていなければ、日常生活もままならないだろうから、決して外すなと注意されるほどだった。
そこまで言われると多少不自由な気もするが、ブレスレットさえしていれば、体感的にはこれまでとほとんど変わらない。
ただ、魔法の研究はしばらくお預けということだ。
「セレンディアスのブレスレットのおかげで、大分楽になったんです。大丈夫ですわ」
「し、しかたない……」
ブランシュが視線で従者に命じた。
すると、隣の部屋からもはや駆け出す勢いで、三人が入ってきた。
「ラリッサ、メローナ、セレンディアス!」
「姫様!」
「ナナエ姫様ぁ!」
「ナナエ様!」
手を広げて互いにぎゅっと抱き合った。
ラリッサとメローナはもはや泣き声でなにを言っているかわからない。
セレンディアスが喉を詰まらせた。
「ご無事なお姿を見られて……、本当に、良かったです……!」
「セレンディアス、ラリッサ、メローナ、心配をかけたわね。みんなが元気でいてくれて、わたしもうれしいわ」
「三人とも二度はないと思えよ。
今度のことはナナエに免じて許すが、今後は決してエレンデュラ王国を裏切ることは許さないぞ」
「はい」
「承知しております」
「はい。でも僕はナナエ様のためならば、今後もどんなことでもいたします」
「だとしても、ナナエを危険にさらすことは許さない。わかっているな、セレンディアス」
「はい」
早速ファルコンの羽根でシュトラスがいるという別荘に向かった。
幽閉という恐ろし気な言葉から、どんな暗い建物かと思っていたが、実際は一階建ての田舎風の小さな屋敷だった。
兵士四人と使用人二人がいる他には、大した設備も所蔵物もない建物らしい。
兵士が敬礼するのを横目に、使用人の案内で中に入る。
廊下に入ったところで、ピアノの音が聞こえた。
(え……、アラ・ホーンパイプ?)
音のする部屋に入ると、シュトラスがピアノを弾いていた。
「シュトラス殿下」
使用人に声をかけられ、顔を上げたシュトラスが、はっと大きく目を見開いた。
シュトラスは以前より質の悪いドレスコートに身を包み、しばらくハサミの入っていない髪は後ろに束ねられていた。
しかも、最期に会ったときよりも、ひとまわり成長しているように見えた。
恐らくは、海辺の小屋で見たグレナンデスと同じくらいだ。
だが、その目の輝きも、立ち振る舞いも、まとう空気も、グレナンデスとは全く違っていた。
奈々江自身、自分でも驚いてしまった。
心臓が、今よみがえったのかと思う様に動き出したのがわかった。
「ナ、ナエ姫……」
シュトラスは立ち上がったかと思うと、急に顔をゆがめ、口に手をやった。
その場にいた誰もが驚くくらいに、突然むせび泣き始めた。
「……ナナエ姫、よくぞご無事で……」
その一瞬で奈々江には理解できた。
(シュトラス、わたしのことを心配してくれていたんだ、心から……)
「……うっ、うう……ひっく……」
「シュトラス殿下……」
シュトラスががくりとその場に膝をつき、頭を垂れた。
「も、申し訳ありませんでした……。良かれと思いしたことが裏目に……。
僕が兄を見誤ったせいで……」
思わず側により、その肩にそっと手をかけた。
「もう、もういいんです……。シュトラス殿下のせいじゃありません。
あなたがわたしを思っていてくれたことがわかったら、もうそれで。
わたしたちは、今までもこれからも、ずっと呪いの仲間ですわ」
「ナナエ、姫……」
シュトラスがぐしゃぐしゃに濡れた顔を上げて、無理やり笑って見せた。
「僕の呪いはもう解けました……」
(そうか、聖水のエレスチャルは、差し出してしまったのね……)
奈々江は振り向いて、ブランシュを見た。
「ブランシュお兄様、聖水のエレスチャルをシュトラス殿下に返してあげてください」
「な……?」
「あれはシュトラス殿下が王妃様のお体にいたときから授けられていたものです」
「だとしてもだな、人質であるシュトラスに持たせるわけにはいかない。
シュトラスがたった今もエレンデュラ王国が不利になるようなことを考えているかもしれない。
聖水のエレスチャルはそれを暴くためにも必要なのだ」
「この期に及んで、そんなことをすると思えません。それに、考えたとしても、幽閉されていたら実行に移せないのではありませんか?」
シュトラスが涙をぬぐって首をふった。
「ナナエ姫、もういいのです。僕は聖水のエレスチャルにこだわってはいません。
あなたが無事でいてくれたらそれでいいのです。それだけが僕の気がかりでした」
「シュトラス殿下、わたしもあなたが気がかりでした。
あなたは悪くないのに、全ての咎を一身に受けるようなことになってしまって。こんなの酷すぎる」
「ナナエ姫、どうか、シュトラスと呼んでください。
僕はもはやなんの力もない人質の身です。両国の友好を取り戻すためなら喜んでこの身を捧げます」
(ああ、シュトラス、こんなのないよ……)
「でも、もしもお許しいただけるのなら、僕はこれからエレンデュラ王国の魔法技術のために働きたいと思います。
祖国で研究を続けてきた魔法がいくつかありますし、ナナエ姫のお役に立つことができたらうれしく思います」
奈々江が口を開く前にブランシュが釘を刺した。
「それはできない。今は大人しく人質の身に納まっているからといって、シュトラスを全面的に信用するにはまだ早い」
「ブランシュお兄様……」
「さあ、そろそろ戻るぞ。お前の体が心配だ」
「は、はい……」
奈々江は振り返りながら、シュトラスのか細い笑みを見つめた。
(シュトラスのことを何とかしてあげたい。けど、どうしたらいいの?)
景朴の離宮に戻ると、すかさずブランシュが世話を焼いた。
「ナナエ、ここへ座って休め」
「……そんなに心配していただかなくても大丈夫ですわ。お兄様こそ休んで下さい」
ラリッサとメローナが早速お茶の準備をし始める。
「ブランシュお兄様、どうしても聖水のエレスチャルを返してあげられないんですか?
あれは、シュトラス殿下……シュトラス様の大切なものなんですよ」
「……それはわかっているが……」
そういうと、ブランシュは胸元から鎖を引き出した。
聖水のエレスチャルだった。
「持っていたんですか?」
「ああ、ナナエと会ったシュトラスがどんな嘘をつくかと思ってな」
「それで、嘘をついていましたか?」
「いや、ついていない。だが……」
「だが?……」
ブランシュがなにか意味ありげに奈々江を見た。
(ブランシュはなにを見たの……?)
すぐにブランシュは視線を外してしまった。
「だが、確かにあのまま大人しくしていれば、もう少し待遇を改めてやることはできるだろう。
グランティア王国では豊富な魔力と魔術で知られたシュトラスだ。使い道も多かろう」
「使い道って……。でも、あんなところでひとりきりなんてさみしすぎます。
それに、屋敷から出ることもできないんですよね?
閉じ込められるのって、本当に辛いんです。わたしの体感は十日位でしたけど、あれが一生だと思ったら気が狂いそうです……」
海辺の小屋での記憶を呼び覚まして、奈々江は顔を曇らせた。
(そうよ……。海辺の小屋ほどでないにしろ、幽閉なんてひどすぎる。
シュトラスが悪いわけじゃないのに、シュトラスだって実の兄に裏切られて傷ついているはずなのに……)
奈々江はぱっと顔を上げると、セレンディアスに指示した。
「シュトラス様にスモークグラムを焚いて。明日午後お伺いしますって」
「ナ、ナナエ、気持ちはわかるが……」
「セレンディアス、送って。それからEドミノを持って行きますから、一緒に楽しみましょうって」
「は、はい、ですが、シュトラス殿下は水晶玉をお持ちなのでしょうか……?」
「えっ、ブランシュお兄様、水晶玉までも取り上げたのですか?」
「当り前だ、シュトラスは人質なのだぞ」
「なんて酷いの……! お兄様がそんな人だとは知りませんでしたわ」
「なっ! ……ぐっ、普通人質とは、そういうものなのだ……っ」
「セレンディアス、シュトラス様に差し上げる水晶玉を手配してちょうだい」
「……は、承知いたしました」
「だめだ、許さんぞ! 水晶玉を持てば、グランティア王国からの連絡を受けれるようになってしまうではないか」
「魔法であやしいものは、はじかれるようになっているのですよね? だったら構わないじゃないですか」
「むう……」
ブランシュは奈々江が倒れてから強く言い返せなくなっているらしく、口をもごもごとやる一方でそれ以上の反論はしなかった。
翌日、Eドミノを持ってシュトラスを訪ねた。
ぶつぶついいながらも、結局ブランシュがついてきた。
「シュトラス様、これがEドミノですわ。こちらはシュトラス様の水晶玉。さあ、遊び方を教えて差し上げますわ。みんなも手伝って」
「俺はやらないぞ」
「ブランシュお兄様はティンパニーから始めてくださいな」
「だから、やらんぞ!」
「メローナは管楽器、ラリッサは弦楽器ね。セレンディアスは監督してね」
「はい、姫様!」
「わかりましたわ」
「承知しました」
「だから、俺はやらないぞ!」
奈々江はチェンバロの牌を手にシュトラスと向かい合った。
「ドミノの基本的な並べ方はこうですわ。縦に並べるとこうで、横だとこう……、斜めにすると……」
奈々江の手元を見ていたシュトラスがためらいがちに口を開いた。
「あ、あの、ナナエ姫、どうして……」
「シュトラス様を一人にはしませんわ。今はまだこのような状態ですけれど、待遇を改めるとブランシュお兄様が約束してくださいましたわ」
「俺は約束などしていない!」
「大丈夫ですわ、いざとなったら太陽のエレスチャルを使っていうことを聞かせますから」
「な……っ! お、お前というやつは!」
奈々江の言葉とブランシュの反応に、シュトラスが思わず口元を緩めた。
奈々江も微笑みを返す。
「お兄様、手が止まっていますわ」
「だから、俺はやらないといっている!」
「困りましたわ。私ひとりではティンパニーを並び終えられるか……。疲れて倒れてしまうかもしれませんわ」
「……。ティンパニーだけだぞ……」
「ありがとうございます、ブランシュお兄様」
なんだかんだぶつくつと始まったドミノではあったが、やり始めるとそれぞれに集中と相応の努力が相まって、花歌が一曲並ぶと皆に達成感と一体感が生まれていた。
「さあ、シュトラス様、ドミノを倒してみてください」
「なんだか、せっかく並べたのにもったいないような……」
「でも倒すために並べたんですもの。それにこのドミノが本領を発揮するのは倒したときですわ」
「そうでしたね。それでは、いきますよ……、それっ!」
最初の牌をつついたのと同時に、ドミノから音楽が鳴り出す。
光の演出とともに、ドミノが奏でるオーケストラが交換に響き渡る。
一か所、そしてまた一か所、メロディが崩れたところがあった。
「あっ、僕が並べたところだ!」
「初めてのときはよく間違えますわ」
「あっ、俺のティンパニーも!」
「このように、なんども遊んでいるのにまだ間違える人もいるのですわ」
シュトラスがあはは、と声を立てて笑った。
(シュトラスが笑った……。よかった……)
それから奈々江は毎日シュトラスを訪ねた。
Eドミノやトランプタワーで遊んだり、本を読んだりピアノを弾いたり、魔法の研究はできないが魔法陣や立体魔法陣の話をしたりもした。
これまで、亜空間で限られた時間過ごしていたのと違って、好きなだけ時間が使えるのはなかなか楽しいものだった。
時には、ライスとフェリペに来てもらい、この別荘で音楽の記譜をすることもあった。
ブランシュは予定が許す限り、ナナエに付き添っていたが、次第にシュトラスへの態度が和らいでいった。
ブランシュとて、グレナンデスの悪行のしわ寄せをくったシュトラスをいつまでも憎み続けることにエネルギーを燃やすことは無意味だとわかっているのだ。
あるいは、聖水のエレスチャルによって、シュトラスに反抗心のかけらもないということ確認できたためかもしれない。
奈々江はこれまでにかつてないほど安らいだ気持ちになっていた。
自分でも不思議に思うくらいに。
ゲームクリアのためにグレナンデスと会うことだけをあれほど願い続けていたはずなのに、いざグレナンデスに会ったら、予想は明後日の方向に覆され、今となってはもはやグレナンデスになんの思いも感じない。
むしろ、折々に話を聞いてくれ、共に笑ってくれたシュトラスの存在が、急激に大きなものに感じられる。
こうしてたわいもない話を気兼ねなく、いつまででもしている。
それも、信じられないくらい自然体でいられるのだ。
「今度はどんな玩具を作るつもりなのですか?」
「まだなにも考えていませんわ。実は、魔法陣を書くだけでも以前よりすごく疲れてしまって。
魔法陣を書かずに魔法陣を書ける方法がないかと考えているところですわ」
シュトラスが目を見開いた。
「なるほど……。ドミノを並べて魔法陣を作るように、魔力を使わないで物理的な方法を組み合わせて魔法陣を作れないかということですね?」
「ええ、シュトラス様はなにかいいアイデアをお持ちですか?」
「いえ、考えたことがありませんでした。でも、僕なりに方法がないかどうか考えてみましょう」
「ええ、ぜひお願いします。あ、それからもしも初歩的なことであっても有効な方法であれば教えていただきたいですわ。
わたし、魔法の勉強が遅れていて、当たり前のようなことも知らないことがあるんです。
血で魔法陣を書いてはいけないということも、その時まで知らなかったくらいなんです」
なんの気なしに言った言葉に、シュトラスが瞳を揺らして動揺した。
「……そうでしたね……。亜空間から逃げ出すために、禁忌魔法を行わざるを得なかったのですよね」
「でも、命が助かって幸いでしたわ」
(あのまま死んでいたら現実に戻れたのかもしれないけど、今となっては確かめようもないわね……)
ややあって、シュトラスが口を開く。
「ちなみに、どのような魔法陣を書いたか覚えていらっしゃいますか?」
「ええ、ペンと紙を貸してくださいますか?」
「ナナエ、無理をしなくてもよいぞ」
「大丈夫ですわ、お兄様」
ペンを受け取り、紙に書きつけていく。
「成功すれば、景朴の離宮にたどり着くはずだったんですけれど、わたしの魔力では足りなかったんですわ。
でも、中継点の旧イェクレール聖堂にまでたどり着けて良かったです。
小船の上だったら、ゾーイはともかくわたしは助かっていなかったかもしれませんわね」
余談だが、ゾーイのお腹の子は、ゾーイの一家で育てられることになった。
血縁としてはいうまでもなくグランティア王国王家の血筋ではあるが、平民のゾーイが罪人であるグレナンデスの子を連れてグランティアの王宮に入ることを王家もゾーイも望んでいなかったためである。
また、王家の血という意味では、子どもには人質という意味合いが残された。
万が一にもグランティア王国の第三皇子が擁立できなかったり、子孫に男児が生まれ続けなかった場合は、この子どものためにグランティア王国は多額の支払いをエレンデュラ王国にすることになるであろうが、恐らく現実的ではない。
ゾーイの家族として、普通の平民の子どもとして育てられ生きていくことになるだろうということだ。
魔法陣を書きあげて、顔を上げると、奈々江は驚いた。
シュトラスが目元に手を当てて泣いていたからだ。
「シュトラス様……」
「……申し訳ありません……ナナエ姫……。
本当に、あなたの身に起こったことを思うと、今更ながら身震いがして、胸が締め付けられます……。
あなたが本当に生きていてよかった……。
あなたがもし亡くなっていら、僕はもうどうしたらいいかわかりませんでした……。
ほんとうに、あなたが無事でよかった……」
(シュトラス……、そこまで思ってくれていたのね……)
そっと手を差し伸べて、シュトラスの手に触れようとすると、がしっとその手をブランシュに捕まれた。
「無事ではない。禁忌魔法のせいで、ナナエの生命力や魔力は極端に目減りしたのだぞ」
「お、お兄様……」
シュトラスが涙を拭いてうなづいた。
「そうでした……。決して無事ではありませんでした。
そうです、それで僕は禁忌魔法がどういうものなのか、興味が出てきたのです。
つまり、禁忌魔法で失った命を取り戻す方法がないのかと」
「なに?」
「それで、この魔法陣を?」
「はい、なにかのヒントがないかと思って」
シュトラスが何度か頬をぬぐって、目を開いた。
「禁忌魔法は禁忌とされている手前、ほとんど書物にも残されていません。
ですが、はっきりと行ってはならないとされる以前には、それなりの検証や研究がなされていたのではないかと思います。
きっと研究することは困難を伴うと思いますが、ナナエ姫のためならば僕はその研究に人生をかけてもいいと思っています」
「そのようなことができるはずがない。そもそも、人質に魔法の研究を許すはずがない」
ブランシュは一蹴したが、シュトラスは本気の目をしていた。
「シュトラス様、その気持ちだけでもうれしいですわ」
「ナナエ姫、僕は残りの人生をすべてあなたに差し上げるつもりでいます。本当です」
その瞳があまりに真剣で、奈々江はふいにときめきに胸を揺らした。
(え……、あれ……?
今のって、シュトラスルートの最後の言葉……)
急に思い出した"恋プレ"のシナリオだったが、確かにシュトラスの思いを確かめる台詞だった。
突然のように、奈々江は自分の状況を思い出した。
(そうか、グレナンデスルートがだめになって、しばらく意識がなくて、忘れかけていたけど、これって、シュトラスルートに入っているっていうこと……?)
「あ、あの、シュトラス様……」
「さあ、ナナエ帰るぞ」
「えっ!」
まさかのタイミングでブランシュの邪魔が入る。
「ちょ、ちょっと待って……」
「いや、だめだ。それだけ魔法陣を書いたのだから、あとは景朴の離宮に戻ってすぐ休むのだ」
「え、ちょ……!」
有無をいわさず、景朴の離宮に帰らされた。
ブランシュに無理やりベッドに押し込まれてしまったが、そのベッドの中で奈々江は思い返してみる。
(そうか……。わたし、シュトラスルートなら、クリアできるかもしれない……)
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