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#43、 百面相

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 奈々江はライスが泣き続けるのを見守った。
 これまでのことがなければ、背中でもさすってやるかと思わないでもないが、今はそんな気には全然なれない。
 そろそろ泣き止みそうな様子になってきたので、なにか拭くものを探した。
 しかし、目が慣れたとはいえハンカチひとつ見つけられない。
 メローナがいればすぐにでも持ってきてくれるのだが、今はメローナの無事も確認すらできていないのだ。

(しょうがない……)

 羽織り物を外して、ライスに差し出した。
 ライスがはっとして顔を上げた。
 その瞬間、奈々江は思わず吹き出してしまった。

(ライス、ぶ……っ、ぶさいくすぎる……)

 ライスがなぜだかわからないという顔を向けている。
 奈々江はごまかすために、羽織で乱暴にライスの顔を拭いた。
 笑ったらだめだろうと思いながらも、拭く手が震える。

(んんっ……、子どもでもこんなに大泣きしないでしょ……!
 てゆーか、ほっぺ腫れてるし、瞼もめっちゃ腫れてるし、鼻水だらだらだし……!
 美形が台無し……、くくっ、くふっ! 
 どころか、これが、あの極寒の、くくくっ、氷の王子とか……、くうっ!)

 世闇のせいで余計に酷く見えたのだろうか。
 ライスの悲壮さが割り増ししたのかもしれない。
 でも、仮にもここは乙女ゲームの世界。
 面白顔など必要ないはずなのに、今度はなんの補正や補完なのか、奈々江にはさっぱりわからない。
 奈々江は堪えきれずに、乱暴に羽織を投げつけて背中を向けた。

「その酷い顔を早く拭きなさいよ!」

 笑わずになんとかいえたが、ここで笑ったらライスを傷つける気がする。
 必死に息を殺して、心を整えた。
 しばらくすると、なんとか笑いが治まってきた。
 背後から布ずれの音と、毒気の抜けたライスの声がした。

「ラリッサは無事だ。ブレスレットも外したし、私の隠し部屋で休ませている。
 メローナにも何もしていない。
 ただ今は、もう少しだけ、このままここにいさせて欲しい」
「……そう……。別にいいけど」

 そっと振り返った。
 直視してはまた笑ってしまうかもしれないので、横目にライスの顔を見た。
 すると、ライスの顔がすっかり元にもどっている。

(え、なに……? あっ、回復魔法をかけたの!?
 ……なにそれ! あんなに強くつねってやったのに!)

 奈々江がむうっと睨むと、ライスが言い訳するようにいった。

「す、すまない、つい顔全体に回復魔法をかけてしまったのだ……。お前が酷い顔だというから。
 気にいらなかったら、もう一度つねってもらってもいい」
「気に食わない。けど……、……疲れるから、もういい。
 でも、ラリッサがどうしても腹に据えかねるっていったら、あと何回でもつねるから覚悟して」
「わかった」

 ライスがすべてのガードを下ろしたように笑った。
 まるで、すっかりこちらに気を許したかのような笑い方だ。

(な……、なんなの、急に……)

 ライスが改まって、膝をつき首を垂れた。

「この通りだ。本当にすまなかった、ナナエ。
 もはや自分がしたことをいい訳するつもりはない。
 すべての罪について、私は罰を負う覚悟だ」
「当然でしょ」
「私は王籍から外されるだろう」
「おうせき?」
「王族の籍から名前を消されるということだ。
 おそらく、一生どこかの塔につながれるか、それともさびれた地方で幽閉か……、どんな罰になるのかはわからないが、一生をとして罪を背負っていくつもりだ。
 お前には、ときどきでいいから、こんな愚かな兄がいたことを思い出して欲しい」
「え、ちょっ……、えっ? なにひとりで完結してるの?」
「なに、とは?」

 奈々江はぎゅっと眉をしかめた。

「ライス……、っていうか、もう呼び捨てるけど、文句いわないでね」
「構わない」
「なんか勝手にこれで自分のターンは終わりましたみたいな雰囲気出してるけど、違うよね?
 これで解決したつもりのなの?
 罰は当然受けると思うけど、どうしてあなたがこんなことをしでかしたのか、説明する気はないの?」

 ライスがにこっと笑い首を横にふった。

「私は、ナナエがわたしのことを理解してくれただけで充分だ。
 私の一生分の心はそれだけで満たされたのだ」
(ちょ……、なにをいってるの、この人は。にこっ、じゃないでしょ)

 奈々江は一旦息を整えて口を開いた。

「わたし、さっきもいったよね?
 あなたのこと、心から心配して、なにかあったに違いないって、きっとこの今も気の休まらない人がいるのよ?
 わたしなんかよりも、ずっと前から、生まれたときから、あなたのことを気にかけてきてくれた人がいるんだよ?
 その人たちに、なにも説明しないつもりなの?」

 ライスはにわかに視線を落とし、悲しな空気をまとった。

「私はもう誰に理解してもらえなくてもいい」
「どうしてよ」
「ナナエに受け入れてもらえたからだ」
「いや、だから!」
「それに、父上や、なにより兄上に理解してもらえるとは思えない」
(やっぱり、ブランシュのことが気がかりだったの……?)

 ふうとため息を吐くと、ベッドに腰かけて聞く体勢を整えた。

「話して」
「いや、もういいのだ。私の心はもう決着がついた」
「決着? さんざん人のことを振り回しておいて、自分は決着したからハイ終わりっていうの?
 わたしには聞く権利があると思うけど」

 ライスが、うっと身を揺らした。

「そ、そうだな……」

 ライスが一呼吸区切りをつけて話し出した。

「私が自分が普通ではないと気がついたのは、十二歳の夏だ。
 そのころ、夏にはいつも高冷地の滝に、兄上と気の合う仲間とで遊びに行っていた。
 窮屈な城や魔法学校を飛び出して、ひとときの間子どもたちだけで川遊びするのは本当に楽しかった。
 自然の中で身も心も開放的になって、肌着一枚、ときにはなにも身につけずに川へ飛び込むのだ。
 幼い私もそれに倣ったし、特に疑問も持たなかった。
 だが、どういうわけか、皆の姿がまぶしく見えた。
 中でも、兄上は特別輝いて見えた」
(……え!? まさかの……ブランシュ……)
「初めはそれが当たり前だと思っていた。
 なにせ、兄上は私が生まれたときから、私を導く先達であり、良き相談者であり、心から頼れる唯一無二の存在だったからだ。
 そのときなぜか、水しぶきに濡れた兄上に私の心はいいようもなく引き付けられた。
 この思いは、特別な何かだと、私にははっきりわかったのだ」
(……初恋……だったんだね……)
「それから間もなくして、父上と母上、そして兄上と私の四人で地方の視察に行く機会があった。
 辺境伯にその土地の様々な場所を案内され、屋敷へ帰る途中、足休めに教会に立ち寄ることになった。
 珍しくもない田舎の教会だ。
 兄上と私は疲れていなかったので、ふたりで教会をうろついていた。
 お前は知っているかどうかわからないが、教会という場所は神に身を捧げた者たちの拠り所ではあるが、所詮は彼らも人間なのだ。
 私たちは知らずにドアを開けた。
 そこには……。
 いわなくてもわかるか?」
「……なんとなく……」
「兄上は私にまずいものを見せてしまったと責任を感じたのであろう。
 私の手を取ると一気に駆け出した。
 私たちは暗く古めかしい教会から外に出た。
 明るい日を浴びて、兄上は息を切らしていた。
 兄上はまぶしかった。
 どんな時も、私を導き常に正しく、日向の道を顔を上げて進んでいた。
 その兄上が、私にいった。
 忘れよう。あんな気味が悪いもの、俺達には関係ない、と」
(……それは……、きついね……)
「だから、私は自分の性癖について兄上に打ち明けるつもりはないのだ。
 兄上に面と向かって気味悪がられるのは耐えられない」
「……それは、わかるけど……。
 でも、ブランシュお兄様の気持ちはどうなるの?」
「兄上の……」
「ライスがブランシュお兄様のことを唯一無二と思っているように、ブランシュお兄様もライスのことを一番の兄弟だと思っていると思うよ? 
 心から信頼していたその弟が、いきなり暴走を始めて混乱してる。
 そのわけを知りたいと心から願ってる。
 ライスが自分の中では決着がつきました、さばいて下さいっていったところで、あのブランシュお兄様がそう簡単に納得すると思う?」
「……納得してもらう。してもらわねば困る」
「しないよ、ライス!」

 奈々江は断言した。
 思えば奇妙なものだが、"恋プレ"にちらりと登場するだけのブランシュが、今ではナナエにとっても大きな存在となっている。
 そのほとんどが、ナナエの記憶や願望とつじつま合わせの情報補完による産物だろう。
 だが、奈々江には確信に近いものがあった。

(ブランシュとライスは、多分、和左君と右今君だ)

 自分がどんなに願ってみても、仲に入れてもらえなかったふたりの絆。
 ここではBLという形で現れたが、初恋の相手がブランシュだという時点で、奈々江は直感していた。

(これは、わたしがうらやましかった絆、いわばブラザーフットなんだ)

 ライスのブラザーコンプレックスは、奈々江から見た和左と右今のあり様だったのかもしれない。
 ブランシュが気ちがいじみたシスコンキャラだったなのも、太陽のエレスチャル効果を借りた、奈々江の憧れだったのかもしれない。
 和左と右今の間柄は、奈々江にはそれくらい不可侵に見えたのだ。
 須山家に馴染み始めた右今が、結局馴染みきることはなく、和左に同調して寄り添ったこと。
 奈々江から見たら、素直に父母の世話になったほうが本人のために、将来のためになるのに、と愚かしく見えていた。
 でも、その反面、強くうらやましくもあったのだ。
 兄弟のいない奈々江は、確かに兄弟にあこがれを抱いていた。
 犬を欲しがったのも、自分のパートナーとなる存在が欲しかったからだ。
 奈々江の中では、ようやく答え合わせができたような気分だった。

(ここは夢の世界だし、わたしには太陽のエレスチャルがついている。
 ブランシュだって、わたしのいう通りにしてくれるはず。
 初めて自分の夢が思い通りになる気がしてきたよ)

 ライスが大きく瞳を揺らしている。
 決心がつかないというように、拳を握ったりほどいたりしている。

「ライス、あなたのお兄さんは、あなたのことを拒絶したりしないよ、絶対に」
「兄上は、私を気味悪がらないだろうか……」
「大丈夫。もしそんなこというようだったら、わたしがブランシュお兄様のほっぺをぎゅうぎゅうにつねってあげるから」

 ははっと声を上げてライスが笑った。
 初めて見る笑顔だった。
 今日はライスの百面相日和のようだ。


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