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2.可哀げ
しおりを挟む人間関係の構築には順序がある。まずは「出会い」。場所は学校でも、会社でも、公園でも、講演会でも、大学のサークルとかでもいい。何かをきっかけとして人と人は出会う。次に「探り合い」。お互いがどんな性格か、好き嫌い、踏み入って欲しくないラインなどを探り合うのだ。次に「葛藤」。いくら探り合ったとしても、妥協しかねる譲れないものがある。互いを思うが故に葛藤し、情はさらに深くなる。そして避けられぬ「闘争」を超えた後、「親愛」となる。「信頼」と言ってもいい。何となく一緒にいたくなったり、互いのお家にお邪魔し合ったり。気の置けない関係というのはそうやってつくられていくものだ。人と人が分かり合うためには必ずと言っていいほど長い時間が必要なのだ。そのはずなのだ。
……要するに、たったさっき夜道で出会ったばかりの不審者をおうちにお迎えしているこの状況はジョーシキ的に考えて極めて異例ということなのだ。特例だ。特別だ。特別警報だ。学校休みだ。わぁい。
「どうしてこうなったのよ……。」
私はため息混じりに呟く。何があったのか思い出してみよう。胸に手を当てて深呼吸。すぅーはぁーすぅ。その後に両方のこめかみに両人差し指を突き立てて瞑想する。ぽくぽくぽくぽく……ちーん——————————
人型の顔を見た。とても可愛かった。「美しい」ではないところがポイントである。すなわち美しさで人を魅惑する能力がある怪物という訳ではなくて、ただ単純に人間の容姿として私の好みだったのだ。呼吸を整えて、私は怪異に問いかける。
「あなた……おばけ?」
怪異は私の言葉を慎重に吟味し、咀嚼したのち、ゆったりと首を横に振る。
「……じゃああなたは人間?」
先程より少し短い沈黙のあと、怪異は今度は首を縦に振った。人間……なのか。私は少し冷静になって目の前の人間を観察する。確かにその五体は人間のそれだが、長い髪はボサボサ、服のような布切れはボロボロだ。
私は彼の首筋を見た。無骨だけど、どことなく艶かしい首だ。ふと私はその首の下の鎖骨周辺に擦り傷があるのを見つけた。痛々しい擦り傷。よく眺めると首だけではない。彼は身体中が擦り傷でいっぱいだった。多くの生傷を湛えた肢体は意図して傷を付けられたドールのように美しかった。くらくらしながらも私は聞いてみた。
「おうちはあるの?」
彼は黙って俯く。シャイな少年のように。
「行く宛は………あるの……?」
俯いたまま沈黙。私より遥かに大きな相手なのに、まるで小さな子供に語りかけるようだった。沈黙は肯定なのだろうか。
この時の私が何を思ったのか。よく覚えていない。いや、覚えていないという表現は適切でないのだろう。正しくは「よくわからない」。説明できないということだ。私は夜道に現れた不審者に、どことなく親しみを感じていた……のかな。無機質な顔の奥にどうしてか、懐かしい優しさや心地良さを感じた。何故だろう。根拠は無かった。でも、要するに放っておけなかったのだ。感情に任せて動く。理由などあとでいくらでも考えられた。私は控えめに口を切る。
「…………うちくる?」
彼はあどけない少年の目でこちらを見ている。私は一回目より明瞭な声で再び言う。
「わたしのいえにくる?」
彼の両目は一瞬見開いて、それから横に細くになった。右上に逸らし、左下に逸らし、そしてもう一度私を見た。ぱちっと閉じて、三秒ほど経ってそろりと開けた。もう細目ではなかった。決心したのか心得たのか、彼は間の抜けた顔のまま、控えめに頷いたのだった。
彼の顔を見る。私の住処は大学から近い1K。家元を離れてそこに下宿している。もはや床の一部のように馴染んだ布団の上に彼はちょこんと体育座りしている。彼は……彼?彼女?人型は中性的な顔をしていた。あどけないとはすなわち男性なのか女性なのかどちら付かずであるということでもあった。しかし骨張った手や、広めの肩を見て私は彼をどことなく男性的だと思っていた。でも改めて顔を眺めると、柔らかい輪郭の顔つきはなんだか女性的に見える。……そういえば初めて見た時この子の身長は二メートル程あったのではないか? うちの玄関はそこまで高くない。心なしか体が小さくなっているのか。骨張った手も少しばかり肉づいている。胸も少しばかり大きくなって……いなかった。最初見た時は暗がりだったから、雰囲気に呑まれて少しばかり細身で高身長なのを拒食症の巨人と見間違えたのだろうか。だがしかし、どんな身体であろうとボロボロの布切れだけでは隠しきれない。というか身体が女性的だとなんだか乱暴されたあとのようで見ていてしのびない。とりあえず何か着せてあげないと。私は彼から目を逸らしてラックやタンスを漁った。彼の身長が少し小さくなったとはいえ私の丈とは合わない。収納の奥の方をごそごそやっていると、私の背丈には明らかに合わないエルサイズのTシャツとジーンズがでてきた。Tシャツには達筆な字体で「天上天下唯我独尊」とプリントされている。暑苦しい。
『フフフ素敵じゃない?とても、尊大で』
————あぁ、これか。そういえばうちに置きっぱなしだったっけ。刹那、私の表情は曇る。顔を少し振り、大きくまばたきをして気持ちを修正する。よし。当面のところはこれを着てもらおう。私は体を彼の方へ向き直した。彼の服もとい布切れを眺める。大きめの布をマントとかではなく服だと称したのは、腕を通す穴があるから、そしてボロボロでもなお彼の身体にフィットしているからだ。しかしやはり前髪のせいであまりよく見えない。ほんとに長いなぁこの前髪…。着替えさせる前に髪を結ってあげようと思った。私は少し思案したのち、タオルをお湯で濡らし、ブラシとヘアゴムを取り出す。
「ちょっとごめんね。」
と言って彼の前髪に触れる。霧吹きはなかったので、代わりに軽くぬれタオルで拭く。タオルはすぐさま黒くなった。私は少し心を痛めながら丁寧にブラシで髪を解いていく。解き終わり彼の髪を持ち上げると、必然的に彼と目が合った。ネコのような大きな三白眼。睫毛も長い。その目に見つめられると顔面一センチ奥あたりがぽわぁとなって、私は一瞬動けなくなる。心地の悪い感覚ではないけど、そんな目でじっと凝視されるのだから堪らない。
「むっ……結ぶよぉ。」
私はその目線を避けるようにして前髪を彼の頭頂から後ろに回す。彼はとても大人しくて、抵抗しなかった。私がほっとしてさてどう括ろうと思案しようとした、その時である。
彼の後ろ髪を見た私は絶句する。後ろ髪と言いつつも、そこに髪はほとんど無かった。いや剃ってあるとか禿げかけているとかそういうことじゃない。抜け落ちているのだ。残りの髪は四方八方を向き、散り散りとなっていている。まるで無理やり引きちぎられたような…。そして他の身体と同じように、頭皮にも痛々しい擦り傷が何箇所かあった。そのグロテスクな姿を見て、私は少しばかり吐き気を催す。痛い―――頭が痛くなって、見るに堪えない。脳が思考を拒否している。私は胸のつかえを堪え目を瞑り、そのまま彼の長い前髪を掛けてその惨状を隠した。
ヘアゴム二つで括ってみたが、なにせ前髪なので上手く固定できない。考えた末、この前オシャレ好きな友人に無理やり買わされたヘアバンドを使って留めることにした。図々しい友人だが、思わぬ所で役に立つものだ。やはり持つべきものは友である。私は白々しくそう思っていた。
そうされている間も彼は始終大人しく座っていた。借りてきた猫と言うよりはむしろ従順な犬のようだった。少し動揺していた私はとりあえずTシャツとジーンズを持って、戦々恐々としながら彼に「着る?」と訊いて差し出す。彼は私を見るのと同じような目でTシャツとジーンズをそれぞれ一瞥し、瞼を数回ぱちくりさせた後、それらを受け取った。
彼は布切れを脱ぎ出す。予備動作なしで脱ぎ出したので、私は慌てて後ろを向いた。後ろであの艶めかしい肌がさらけ出されていると思うとどぎまぎする。私は男子高校生か。
服を着るガサゴソといった音が止んだので、私は恐る恐る振り返った。するとそこには先程よりも少しパンクになった彼が座っていた。オールバックにヘアバンドと長いお下げ。Tシャツには「天上天下唯我独尊」。そして長い脚にダメージジーンズ。相変わらず首筋や手は艶めかしい。うわぁやけに似合ってるなぁ……。私は感心する。
「そういえば…」
私はふと思った疑問を口にする。
「あなた名前はなんて言うの?」
彼は首を傾げる。あれ、聞こえなかったかな。私はもう一度
「あなたの名前を教えて?」
と優しく言った。彼はそれでもなお首を傾げていたが、数秒後心得たような顔になった。すると彼は後ろを向いた。何をするつもりだろうと興味深く見ていると。なんと彼はたった今着たTシャツに両手をかけ、捲り出した。
「わわわっ!」
私は慌てた。しかしTシャツを脇まで上げたところで彼の手は止まった。彼は結った後ろ髪もとい前髪を横にずらす。よく見ると彼のすらっとした背中には紺色の刺青のような痣がある。
Thomas Woodpecker
背中のくぼみに沿ったそれはどうやらアルファベット文字のようだ。私は首を傾けて読んでみる。てぃーえいちおーえむえーえす、だぶりゅーおーおーでぃーぴーいーしーけーいーあーる?どう読むのだろう。手元のスマホで検索してみた。
「トーマス……ウッドペッカー」
私がそう口に出すと、彼は服を元に戻しこちらに向き直った。私をじっと見つめる。
「それがあなたの名前?」
沈黙の瞳はやはり肯定を示しているようだ。
トーマス・ウッドペッカー……変わった名前。トーマスというのは海外の人ならポピュラーな名前かもしれないけれど、それは多分男性の名前だ。今の彼はどちらかと言えば女性っぽい。だからなんだか不釣り合いに感じたのだ。そして何より、
「あんまり可愛くないなぁ。」
イマドキ女子の私にとって重要なのはそこだ。
私は彼に付けたヘアバンドを見る。私の持っていたヘアバンドはどちらかと言えばバンダナのような形をしている。そこには沢山の桜がプリントされている。桜。私は桜が好きだ。夏に咲く大輪の向日葵よりも、夏の前に散りゆく儚げな桜が私は好きだ。サクラか…良いけど少し語呂が悪いな……サクラ……女の子……サクラの子……。
「サクラコ!」
よし。これだ。桜の子と書いてサクラコ。我ながら素敵な名前を思いついた。シンプルイズベスト。可憐だけど飾らない彼にぴったりの名前だ。
「今日からあなたはサクラコ!」
そんな突拍子もないことを高らかに宣言されて、当然のごとく彼はぽかんとしていた。
「サクラコ!……さぁ~く~らこ?」
ここぞとばかり私は彼に近づいて、彼を見つめた。存分にかわいこぶってみたつもりだったがサクラコは反応が薄いので肩透かしだ。なんだか恥ずかしくなってきた私は少し彼から離れて照れ隠しのように笑って宣誓した。
「……よろしく!サクラコ!」
随分と強引な決定である。時として自分本位なのは私の悪い癖かもしれない。しかし彼は満更でもないようだ。大きな目を更に大きくして、コクリと頷いた。心なしか、彼の透き通るように白い頬が淡い紅を帯びている気がした。
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