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第7章 私はただ自由に空が飛びたいだけなのに

57 選択⑤ 賭け

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 私とマルグリットの間に沈黙が落ちた。
 マルグリットは私の言葉の意味を必死に考えている。

 私としてはマルグリットが自分の答えを見つけるまで何もせず静かにゆっくりとマルグリットを見守っていたい。
 しかし、生憎とそれは状況が許してくれなかった。

 物置部屋の外から鍵の管理をしている見張り役の男が「時間だ。出ろ」とぶっきらぼうな声を掛けてきた。

 マルグリットはその声に飛び起きるかのように反応して、大慌てで食器を片付けて出て行こうとする。

 私は外にいる男に聞かれないようにすれ違う瞬間にマルグリットの耳元に囁いた。

 「──昼にあなたの答えを聞かせて」

 マルグリットは一瞬だけ私に視線を向けたが、何も言わないまま物置部屋から出ていった。

 これは賭けに近い。しかし、私がこの賭けに負けたとしても失うものは特にない。
 マルグリットがリース男爵夫妻に私が物置部屋から逃げ出そうとしていることを報告したとしても、現状は何も変わらないだろう。これ以上に私の状況が悪くなることは無いはずだ。

 閉じ込めている人間が逃げ出そうとすることくらい監禁前に織り込み済みだろう。
 それを想定した上で、逃げ出さないように鍵を掛けて管理を徹底している。

 最初は客室に軟禁していて、そこから逃げ出そうとしたら、この半地下の物置部屋に移して監禁して絶対に逃さないようにする予定だったに違いない。事前の準備から見てほぼ間違いはないだろう。

 だから、今更監禁している人間が逃げ出そうとしていることを彼等が知ったとしても、既に逃げ出せないように事前に用意周到に準備しているのだからこれ以上は何もできないはずだ。
 するとしたら、パンとスープの食事がパンだけになるとか、一日三食が一日一食になるとかそのくらいだと思う。
 わざわざ物置部屋の扉の前に人を置いて一日中監視するなどの監禁体制を強化したりはしないだろう。
 人を置いて監視するのなら、最初からそうしていたはずだ。
 この屋敷にはそれ程人がいないし、彼等の仲間もそれ程多くは無さそうだ。だから、私を1日監視するだけの人員がいるはずがないし、そんなに簡単に新たな人員を補充できるはずもない。

 だから、マルグリットの口から私に脱走の意思があることが漏れても私にとっては大した問題にはならない。

 マルグリットが私とのやり取りを漏らした場合はマルグリットはこの部屋には来なくなるだろう。
 純粋で単純で簡単に情に絆されて監禁している相手を逃がしてしまいそうなマルグリットをわざわざ逃げようとして籠絡を仕掛けている人間に近づけるほどリース男爵夫妻も愚かではないだろう。

 マルグリットから話を聞いた彼等は私が逃げ出そうとするが逃げる方法が無くてマルグリットに協力を求めた、と勘違いする。
 マルグリットさえ遠ざければ逃げ出せないと思い込ませて油断を誘える。
 実際はマルグリットの協力が無くても逃げ出すことは出来る。

 だから、マルグリットの口から私が逃げ出そうとしていることが漏れても私に大した影響は無いはずだ。

 ただ、マルグリットが他人に私とのやり取りを漏らしたのならば、私ではなくリース男爵夫妻を選んだということになる。
 そうなったら、別の人間が食事を運ぶ係に代わるはずだから、マルグリットの選択は自ずと知れる。
 その場合、私はマルグリットを諦める。
 完全に私の頭の中からも心の中からもマルグリットの存在を消し去る。
 マルグリットのことは何も考えない。配慮しない。考慮しない。
今後は自分のことだけを考えて行動する。もう決して振り返らない。同情も罪悪感も私の中から消し去る。完全に私の意識からマルグリットを排除する。

 そう決心して、私はドキドキしながら昼食の時間を待つ。

 食事が運ばれてくる時間は朝食から昼食の間が一番短い。
 だから、朝食の時に話をした。

 マルグリットが来るか、別の人間が来るか。

 私はマルグリットが来た場合と来なかった場合の両方を想定して、今後の行動を考えながら時間を潰した。

 そして、昼になり扉が開く。

 私は息を止めて扉を凝視する。
 
 開いた扉の向こうにはマルグリットが立っていた。

 賭けに勝った。

 私は安堵の息を吐いた。

 分の悪い賭けではなかったし、勝算は高いと思っていた。賭けに負けたとしても失うものは無かったが、やはり物凄く不安に苛まれて緊張していたようだ。

 私は完全に気を緩めてマルグリットの顔を見た。

 しかし、マルグリットの顔は強張っている。朝食時に考え込んでいた時と同じ顔をしている。

 私は賭けに勝ったと早とちりしたのかもしれない。

 再び私は気を引き締め直した。
 
 扉が閉まり、外から鍵を掛けられると、マルグリットは食事をテーブルに置くよりも前に口を開いた。

 「──もし、このまま何もしなければ、お父様とお母様はどうなるの?お兄様はどうなるの?ルリエラ、教えて!」

 私が思っていたよりもマルグリットは思い悩んでいたようで、切羽詰まった様子で私に頼み込んできた。

 私はマルグリットへ分かりやすく端的に説明してあげる。

 リース男爵夫妻が私を誘拐して監禁して暴行と強要をした事実は決して無かったことにはならない。この犯罪行為は消えない。
 このままだと私の支援者の貴族がここに来てリース男爵夫妻を犯罪者として捕まえる。
 リース男爵夫妻は私との戸籍上の家族関係が無いので、赤の他人である未成年者の誘拐犯として裁かれて罰される。
 その場合、良くて爵位返上、悪くて爵位剥奪された上で御家取り潰しになり、リース男爵夫妻は貴族から平民に身分が落ちる。
 リース男爵夫妻の長男はどちらにせよ爵位は継げなくなり、平民として生きることになる。

 これは私にとっての最善の未来だ。
 私の希望的観測と楽観的な思考によって導き出された私に都合のいいシナリオでしかない。

 現実はそんなに私に都合よくはいかないだろう。
 
 そう簡単に南部辺境伯やジュリアーナが誘拐された私を見つけることができるとは思えない。
 誘拐があまりにも用意周到で手際が良かったので現場には何の証拠も残ってはいないだろう。
 ここで待っているだけで助けがここまで勝手に辿り着いて私を助け出してくれるとは信じていない。

 私にとって最悪の事態になる可能性も勿論考えている。
 それは私にとっては最低最悪で、リース男爵夫妻にとっては最初から思い描いている最高のシナリオ通りだろう。
 彼等はそうなるように行動しているはずだ。

 私に親子関係証明書にサインをさせて、私との親子関係を法的に復活させる。
 誘拐や監禁や暴行は家族内のこととして有耶無耶にして無かったことにしてしまう。
 私を北部辺境伯の次男のヨルデンの息子と結婚させて、リース男爵夫妻は結納金と息子を侯爵家へ婿入りさせる後ろ盾を得る。
 私はヨルデンが北部辺境伯の当主に就くために、私の飛行の理術が利用される。
 二度と自由に空を飛ぶという夢を見ることも誓いを果たすこともできなくなるという最低最悪の未来が想定される。

 しかし、私はそんな未来は一切語らず、自分にとって都合の良い、リース男爵夫妻にとって最低最悪の結末だけをマルグリットへ説明した。
 
 自分の未来がかかっているのに、リース男爵夫妻の幸せのために自分が犠牲になることを受け入れた仮定の話をするなど、そんなお人好しには流石になれない。

 私のリース男爵夫妻にとっての最低最悪の仮定の話を確定された未来だと信じて聞いているマルグリットの顔色はどんどん悪くなっていった。


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