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第5章 私はただ青い色が好きなだけなのに!

5 まな板の上

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 自信無く目を彷徨わせている私にジュリアーナが無言で微笑みかける。

 その微笑みには無言の圧力があり、私の言葉を否定していることがはっきりと理解できた。
 ジュリアーナの美しい微笑みは百の言葉よりも雄弁にジュリアーナの想いを伝えてくる。
 
 ジュリアーナが無言のため、私から何も発言できない。
 言い訳や言い逃れが一切封じられている。

 「ルリエラ、本日はこれからお時間ありますか?」

 笑顔で尋ねてくるジュリアーナに嘘は吐けなかった。

 「……本日は特に予定はありません」

 今日の予定はお茶会の後は学園に戻って研究室に籠って研究の続きをする予定だった。でも、それは急ぎの用事や変更不可能な予定ではない。
 ジュリアーナの言葉には言外に「どうしても今日中にやらなければならない用事や会議などの欠席不可能な予定はありますか?それらが無いのならば時間はありますよね」という意味が込められていると察せられた。

 私の正直な返答にジュリアーナの笑みが深まり私は逃げ道が完全に塞がれたことを悟る。


 
◇◇◇
 
 

 そうして私は庭から連行されるようにしてジュリアーナの侍女たちに連れ去られ、着いた場所はお風呂だった。

 銭湯のようにとても広いローマ風呂。
 タイル張りの洗い場があり、10人は余裕で足を伸ばして入れる真っ白な浴槽がある。

 「失礼いたします」 

 無表情でありながらとても仕事ができそうな優秀そうな年輩の侍女にそう言われて、気づけば服を脱がされて裸にされていた。

 その後は非常に大変だった。

 私は調理される食材の気持ちを初めて理解した。

 身体を石鹸を泡立てた柔らかいスポンジのようなもので洗われたり、筋肉を揉まれたり、ゴシゴシとタワシのような固いもので擦られたり、平べったくてしなる薄い木の板で気持ちの良い強さで全身をペチペチと叩かれたり、油のようなものをつけられて身体中をを撫でられたり、クリームのようなものを全身に擦りこまれたり、磨かれたり、剃られたり、塗られたり、揺すられたり、拭かれたりとありとあらゆることをされた。

 抵抗は一切不可能。

 最初は羞恥心があり、抵抗を試みたが、一切意に介されなかった。
 困ったものを見るように、「我が儘を言わないでください」と聞き分けのない幼い子供を相手にするような視線に晒されて、意識している自分がいたたまれなくなってしまった。
 私には羞恥心を捨てて、覚悟を決めて黙ってされるがままに身を委ねるという選択肢しかなかった。

 半分放心状態で、言われるがままに身体を最低限動かす。

 浴室に設置されている背もたれのない長椅子のような台に横になり、うつ伏せになったり仰向けになったり、何度かお風呂に浸かったりした。

 一体全体何がどうなっているのか、何をされているのか、自分の身に何が起こっているのかさっぱり分からない。

 まな板の上の肉や魚はこんなふうに訳も分からずに柔らかくするためにと木の棒で叩かれたり手で揉まれたり、調味料を擦りこまれたりソースを塗られたり、茹でたり焼かれたりするのだと遠い意識の中でそんなことを思ってしまった。

 どれだけの時間そうされていたのか自分では全く分からないが、侍女たちがやりきった表情で私に服を着させてくれたことでこの苦行が終了したことを察することができた。

 しかし、着させてもらった服は服と言っても下着のようなものだった。シンプルでゆったりとした袖無しの白いワンピース。

 それを着て浴室から別の部屋へ連れていかれた。

 この苦行はまだ終わりではないようだ。
 自分は特に何もしていないのに疲労困憊状態で、これから更に何をされるのかと気が遠くなりかけたが、侍女たちに導かれるままに何も考えずに足を動かす。

 余計なことを考えて正気に戻ったら羞恥のあまりに大声で叫んでしまいそうだ。



◇◇◇


 連れて来られた部屋の中にはとても大きな鏡があった。
 私の身長と横幅の3倍はありそうなほど巨大で縁にとても細かな装飾が施された鏡の前に立たされる。

 私は鏡を見て、今の自分の姿を目の当たりにして息を呑む。

 まるで別人だ。
 
 この屋敷に来た時と同じ人間には見えない。
 今のこの姿の私を絶対に一目見ただけで私だと見抜ける人はいないだろう。

 自分ですらあまりの変わり様にこの鏡に映っている人間が自分自身だと確信が持てない。

 手を動かして顔に触れると、鏡の中の人間の身体も同じように動いた。鏡を見ながら頬に自分の手の感触を感じることができたことで別人ではなく間違いなくこれは自分自身なのだとやっと確信することができた。

 鏡に映っている私はキラキラしているように見える。

 身にこびりついた垢抜けない垢を削ぎ落とし、野暮ったさを洗い流し、田舎臭さが完全に消え去り、真っ白な状態になっている。
 生まれたての赤ん坊のように、まだ何にも染まっていない無垢でまっさらな状態。

 全身の肌がみずみずしさを湛え、潤いに満ち、肌にしっかりとした弾力があり、張りと艶を持ち、むくみや弛みなどが一切無い。

 くたびれているような疲労感を感じさせる腫れぼったいような目元は元の形を思い出したかのようにスッキリと収まって元の形を取り戻し、いつもよりも瞳が大きくなっている。

 目鼻立ちがくっきりとして、顔の輪郭がはっきりと見える。

 黒髪が頭のてっぺんから毛の先まで絹のように滑らかになっていて、艶が出て黒光りして輝いている。

 眉も形が変わっていて、綺麗に整えられて、顔全体のバランスが良くなっているように感じる。

 一つ一つのパーツが極限まで磨かれ、輝きに満ちている。

 整形などして無理矢理に形を変えているのではない。
 化粧で悪い部分を隠したり、誤魔化したりするのではない。
 そんな小手先の技術でその場しのぎをするのではない。

 余分なものは全て削ぎ落とし、肉体に備わっているその人の魅力を余すところ無く引き出し、魅力的な部分はより一層魅力的に見えるようにと強調しつつ全ての調和がとれるようにと、一部分だけ突出して全体のバランスを損なうようなことはしない。
 肉体に備わっているポテンシャル全てを極限まで高めて、それら全てを表に出している。

 自分が持っているものを最大限に活かすために、手間暇や労力や資金や時間などを惜しむこと無く使い、最大限に魅力を引き出し、最大限の威力を発揮できるように整え、最大限に輝かせている。

 だからジュリアーナはあれほど美しいのだと納得できた。

 並大抵の努力やお金ではあの美しさは手に入らないし、維持できない。
 本人の努力と資金力がなければ手に入れられない。

 侍女たちの技術、使用する美容のための特殊な道具などどれだけのお金がかかっているのか想像できない。
 
 本人も余計なもの、邪魔なもの、自分を損なうものが身体に付かないようにしなければならない。
 食べ過ぎや運動不足による贅肉や脂肪、老化によるシミや皺、疲労や寝不足による体調不良などと彼女は常に戦っているに違いない。

 ジュリアーナのように美しくなることは私には絶対に無理だと思い知らされた。

 私はそこまで美しさに労力も体力も時間もお金も注意も熱意もかけられない。

 私は夢と誓いを果たすことだけで精一杯だ。

 その夢と誓いを果たすために美しくなる必要があることは理解しているが、絶対にジュリアーナのようにはなれない。

 美しい人は何もしないでも自然のままで美しいのだと思っていたが、本人にやる気が無いと美しくいることはできないのだと初めて知った。
 
 何もしないでずっと美しくいられる人は神様だけだろう。

 そんなことを思いながら鏡を見つめていると扉が開いてジュリアーナが現れた。

 大きな鏡にはジュリアーナも映り込み、私の背後の右斜め後ろにいるジュリアーナが鏡に私と並んで映った。
 
 鏡越しにジュリアーナと目が合う。

 ジュリアーナは親しげに穏やかな微笑みを鏡越しに向けてくれるが、私はその微笑みに何も返せない。

 私は固まっていた。鏡に映るジュリアーナの瞳から目が離せない。

 その瞳の色は鏡に映る私の瞳の色と全く同じ色だった。
 




    
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