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第1章 私はただ平穏に暮らしたいだけなのに!

23 選択

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 私は微睡の中にいた。
 意識が浮上してきていたが、まだ目を開けることはできない。それでも、今自分がふかふかなベッドの上に横たわっていることは感じられる。
 いつもの木の板にほんの少し申し訳程度の布団を敷いている堅いベッドとは違うあまりのふかふか具合に、ここは前世で私は彼女の中にいる状態なのかと不安が込み上がってきた。

 その不安に駆られ、自分の意思を総動員して重たい瞼を開けて微睡から脱した。

 そこは自分の知らない場所だった。
 肉体の感覚や空気や匂い、調度品などからここは前世の彼女の世界ではなく、私が生まれ育った世界の立派なお屋敷の上質なベッドの上で自分が寝ていると辛うじて理解できた。

 なぜ私はこんな場所で寝ているのだろう?
 
 その疑問で頭がいっぱいになり、他には何も考えられない。部屋には私以外に誰もいない。何はともあれひとまず起き上がろうとするが、体に力が入らない。
 起き上がれずにベッドの上で一人格闘していると、扉を開ける音がした。
 そちらに顔を向けると、そこに私がこの世界で一番見慣れている人物であるシスターマリナが立っていた。
 シスターマリナも私が起きていることに気付き、安堵の表情を浮かべて私の真横まで来てくれた。
 
 「気が付きましたか?良かった。あなたは3日間眠り続けていたのですよ」
 「えっ!3日間も!」

 そう言われてやっと気を失う直前の状況を思い出した。思い出すまでは混乱状態でここが何処で何故ここにいるのかだけを気にしていたが、そんな些末な疑問は一瞬で吹き飛んだ。

 「孤児院長!ジョシュアは!?マリーは!?2人とも無事ですか!?」
 「落ち着きなさい。大丈夫、2人とも無事ですよ」

 孤児院長は取り乱した私を落ち着かせて、ジョシュアを助けて私が気を失った後に何があったかを丁寧に説明してくれた。

 私が気を失った後、村人達が崖の下まで救出に来てくれて、ジョシュアと私を村まで運んでくれた。
 ジョシュアは衰弱と擦り傷などの軽症だけで済み、マリーはジョシュアが採ってきたグゴの実をアンヌが煎じて与えて熱は下がり快方へ向かいだした。しかし、私の意識が一向に戻らない。
 どうしたものかと村人達が頭を悩ませていたところに孤児院長が馬車に乗って帰ってきた。領主が馬車を用立ててくれたおかげでマリーの薬を早く持って帰ることが出来た孤児院長に村人達がこれまでの経緯と私の現状を説明し、それを聞いた孤児院長は乗ってきた馬車に私を乗せて領主の館にとんぼ返りした。
 孤児院長が私を領主の館に連れていき、領主に事情を説明して私を医者に診てもらい、領主の館で私の看病をして今に至る。孤児院には代わりに子どもたちの面倒を見てくれる人を手配しているそうだ。

 今いる場所といる理由は分かったが、なぜ私なんかを領主の館に連れてきたのか、なぜ村人でしかない私を領主が館に受け入れてくれたのかが理解できない。
 そのことを孤児院長に質問しようとしたが、説明を終えた孤児院長の雰囲気がそれまでの優しいものからがらりと変わり空気が張り詰めて重たいものになった。私は質問ごと息をのんだ。

 「貴方は選ばなくてはいけません。このまま孤児院でシスターとして生きるか、孤児院から出て理術士として生きるか」
 「……選ぶ?なぜですか?」
 「孤児院のシスターは理術を使う必要はありません。むしろ、理術が使えるシスターという存在は孤児院にとっては厄介ごとでしかありません。シスターが理術を使えるといっても、それで誰かを救う事は出来ないでしょう。でも、村人は勘違いして何でもできると思って頼ってくるかもしれません。それをできないと断り続けると村人との関係は悪化するでしょう。村人は理術について全く何も知りません。なんでもできる万能の力と誤解している人も大勢いるでしょう。逆に、理解できない力を恐れ、排斥や迫害されるようになる危険もあります。そのような中であなたが孤児院でシスターとして働く事は孤児院にとっては不利益でしかありません。そのような人物を孤児院としてはシスターとして雇うわけにはまいりません」
 「はい。その通りだと思います」
 「それでも、貴方が孤児院でシスターとして生きていきたいと望むなら、これを腕に着けてもらいます」

 そう言って孤児院長が懐から取り出したのは二個の銀色の腕輪だ。お洒落な宝飾品ではなく、まるで枷のように頑丈そうな無骨なものだ。
 その腕輪が一体何なのか見当もつかない私に孤児院長は重々しく告げる。

 「これは理力を抑える道具で理術士の犯罪者に着けるものです。これを終生着けて、二度と理術を使わないと誓うならば貴方はこれまで通り孤児院でシスターとして生きていけます」
 「……それは二度と理術は使えないということですか?」
 「そうです。二度と理術で空を飛ぶことはできないということです。『あの力は寿命を縮める。だから封印した。二度と力は使えない』と村人に周知して、これ以上騒ぎが大きくならないようにします」

 私は何も言えずに黙り込んでしまった。
 私は孤児で無一文で帰る場所も行く場所もない。村から出たことがないから何もわからない。買物すらしたことがない。孤児院から出て、村から出てどうやって生きていけるだろうか。いや、生きていけない。すぐに野垂れ死に決定だ。孤児で手に職もなく、美人でもない私には別の場所に働き口なんか見つけられない。保証人も用意できない。娼婦になるしかない。
 空は飛びたいけど、それは生きていることが大前提だ。空を飛べないくらいなら死を選ぶと言うほど狂信的ではない。私は空を自由に飛びたいだけだ。飛べないなら死ぬというのはただの思い通りにならないからという我儘でしかない。現実を見据えていない。夢や願いだけでは食べていけない。生きていけない。生きていないと飛べない。死んだら飛べない。
 自分の生死がかかっている。何も考えずに自分の夢を追いかけて飛び出すなんて現実が全く見えていないバカのすることだ。安易に返答は出来ない。

 「もう一つの選択肢は理術士として生きるというものです。理術士となるため、学園に行ってもらうことになります。そこで理術の勉強をしてもらいます」
 「学園?でも、学費とか生活費とかは?」
 「この領の領主が援助すると言っています」
 「……なぜ?」
 「空を飛ぶ、宙に浮くといった理術は今現在存在していないそうです。その理術を使える人間を援助することは領として大変な名誉と利益のあることらしいですよ。誰にも教わらず独学でそのような新しい理術を生み出した天才をぜひ支援したいそうです」

 顔が強張った。天才って誰?過剰な期待はやめてほしい。対価に何を求められるか分からなくて怖い。

 「貴方の将来に係る大事な決断です。時間はあまりありませんが、しっかり考えなさい。体が回復するまでに答えをだしてください」
 「……回復するまで?」
 「あなたは体内の理力を使いすぎて倒れたと医者が言っていました。気が付いたなら、あと1日寝ていたら完全に回復するそうです」
 「……つまり1日で答えを出さないといけないわけですね」
 「そういうことです。ルリエラ、今回は無事でしたが、無知のまま理術を使えば、そのまま死んでしまうこともあるそうです。今あなたが生きているのは単に運が良かったに過ぎません。そのことを肝に銘じておきなさい」
 「はい!ご心配お掛けして申し訳ありませんでした」

 シスターマリナがこれほどまでに怒っているのを初めて見た。怖くて泣きたくなったが、シスターマリナは私が危険なことをしたから、本気で心配して、本気で叱ってくれている。それが愛情だと分かるから嬉しい。この世に私をこれほどまでに思ってくれる人は他にはいない。
 孤児院でシスターとして生きていくなら、平穏で平和で平凡な、退屈で代わり映えの無い、毎日同じような、それでいてとても愛おしい日々が私を待っている。私のことを思ってくれているシスターマリナとだってずっと一緒にいられる。
 これまでと違うのはただ空が飛べなくなることだけだ。


 選択肢は二つ。平和で平穏で平凡な生活を続けるために趣味を諦めるか、平和で平穏で平凡な生活を捨てて趣味を取るか。
 私はただ自由に空が飛びたいだけなのに、なぜこんな二択を選ばなければならないのか。
 誰にも迷惑をかけていないし、お金も使っていない。使っているのは私の時間と理力と体力と頭脳だけだ。

 少し理不尽だと思う。だけど、仕方がないと納得もしている
 周囲と違う異質な存在は問題の元だ。放置はしておけない。適切な対処が必要になる。
 小さな共同体では他の人と違う、異質であるということは罪だ。異質なものは排除される。
 強制排除ではなく、同一化か旅立ちかを選ばせてくれる辺りはかなり良心的な対応と言える。
 私は選ぶ権利を与えられた。それがどれほどの恩恵か理解できる。だから、よく考えて選ばなくてはならない。
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