氷の華を溶かしたら

こむぎダック

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110話

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 どうしてこうなった?

 魔力封じの枷を手足に嵌められ、牢馬車に押し込められたナリウスは、寒さに凍え白い息を吐きながら、同じ箱に押し込められ反対側で蹲る女を、忌々しい気持ちで睨んでいた。

 これまで手紙のやり取りだけで、顔を見たことは無かったが、同じ馬車に押し込められている女が、帝国の第一皇女なのだという。

 そして自分は、この女と一緒に、帝国へ罪人として引き渡されるのだと、馬車に皇女を放り込んだ騎士の1人が言って居た。

 馬車の隅で蹲り、ブツブツと何かを呟いている惨めったらしい女が、帝国の第一皇女だなど、とてもではないが信じられない。

 帝国の第一皇女が接触して来たのは、学院に入学したての頃だった。

 その頃には王太子としての全ての責務にも、何かと婚約者のキャニスと比べられることにも、うんざりしていた。

 周りの者達は、信じられないほど美しく、優秀なキャニスを褒めそやし、キャニスのような婚約者を得た事に、感謝しなければならないと言った。

 おかしいだろ?
 どれだけ美しかろうと、頭が良かろうと。
 王太子であり、次代の王は自分なのに。
 キャニスの方が、王配となれる事に感謝すべきじゃないのか?

 そう。
 確かにキャニスは頭も良く、魔法に関してもずば抜けていた。

 だからなんだ?

 王になるのは私であって、キャニスは唯の婚約者。私の付属物でしかない。

どれだけ優秀だろうと、キャニスは所詮、他国の王子に、色目を使うような不実な男だぞ?

 皇女が提示してきた内容は魅力的だった。
 王族としての責務から解放され、自由気ままに生きて行くことが出来る。
 夢の様な申し出だった。

 だから二つ返事で、皇女の話しに乗ったのだ。
 それなのに・・・・。

 何時の頃からか、皇女もキャニスに興味を持ち始め、そしてキャニスを手に入れたいと言い出した。

 どいつもこいつも、キャニス、キャニス。
 煩いんだよ。
 そんなに欲しけりゃくれて遣る。

 こき使おうが、弄ぼうが好きにすればいい。

 その対価として、俺に自由と富を寄越せ。

 皇女に言われた通り、私の準備は万全だった。全ての事が、皇女の思惑通りに進んでいると、偉そうに言って来ていたじゃないか。

 それなのに。

 いや。
 皇女が失敗しようと、私には何の関係もない。
 帝国で皇女が何をしたのかは知らないが、私には関係ない事だからだ。

 このまま帝国に連れていかれようと、命までは取られはしないだろうし、他国の王族を、軟禁し続ける事など出来ない筈だ。
 暫くは収監されるかもしれないが、私には隠し資産がある。

 それを使い、解放された後は、悠々自適に暮らせば良いだけだ。

「なぁ。そのブツブツ言うの止めろよ。こっち迄気が滅入って来る」

「ヒッ!!ヒィィッ!!」

「なんだよ!何もしてないだろ?!」

 声を掛けられただけで、壁を向き縮こまる皇女に、ナリウスは驚き戸惑った。

 帝国の第一皇女は、傍若無人な事で有名だ。
 それが、こんなに怯えるなんて、聞いていた話とはまるで別人だ。

 コイツ本物の皇女か?
 影武者とかじゃなく?
 皇族の威厳もへったくれも無い、ただの派手なおばさんにしか見えないぞ?

「なんでもいいから、静かにしてろよ!」

「・・・・・な」

「は?だから黙れと言っているだろう!」

「・・・るな。私に・・・私に指図するなぁ!!」

「えっ?なっ!!」

 突然立ち上がったイングリットは、ナリウスへ飛び掛かった。
 それに驚いて目を見開くナリウスを、皇女は手枷の嵌められた腕の一撃で殴り倒してしまった。
 只々自堕落な暮らしをして来たナリウスが、物心ついた頃から、戦場を駆けまわっていたイングリットに適う筈も無く。
 呆気なく床に倒れたナリウスを見下ろしていたイングリットは、急に見えないなにかに怯えたように後退りした。

「やめろ・・・私は悪くない。弱いお前達が悪いんだ」

 ジリジリとナリウスから離れて行ったイングリットは、壁に突き当たると頭を抱えて蹲った。

「私は悪くない!!お前達が悪いんだ!!止めろ!!こっちへ来るなっ!!」

 虚空を払い除け、ガタガタと震える皇女の眼に、何が映っているのか。

 それを知るのは、キャニス唯一人。


 ・・・・・・・・・・


「殿下・・・・どうか目を覚まして」

 僕の人生は何度繰り返しても、後悔ばかりだ。僕なんかの為に、殿下が犠牲になる必要なんてなかった。

 どうしてこんな馬鹿の事したの?
 こんな風に僕を庇ったって、あと5年もしない内に、僕は死ぬことになるかも知れないのに。

「殿下。貴方は僕なんかとは違う。オセニアにとって、掛替えのない人なのですよ?」

 そして僕にとっても・・・・。
 
「殿下、知って居ましたか?僕がどんな気分で居るか、簡単に見抜いてしまうのは殿下だけだって事」

 僕は自分の考えや思いを、ずっと周りに悟られないようにして生きて来た。
 それに全てを諦めて、逃げる事ばかりを考えて、人との関りを避け、何事にも執着せずに来たのに。

 僕の心を揺らすものなんて、何も無かったのに。

 どうして貴方は、無理やり僕の心に入り込んで、揺らすようなことばかりするの?

 なのに、貴方を失うかも知れない事が、これ程辛いなんて。
 
 嗚呼。
 僕はこの人の事が好きなんだ。
 もう二度と、誰も信じず、愛さないと誓ったのに。

 いつの間にかこの人の存在が、僕の中でこんなにも大きくなってしまった。

 それなのに、この人に裏切られたら、失ってしまったら。
 僕はどうやって、生きて行けばいいんだ?
 
「殿下・・・シエル?僕はあなたに、文句を言いたいことが山ほどあるんだ。だから早く目を覚まして、僕の話しを聞いてくれよ」

 シェルビーの顔に巻かれた包帯を、優しく撫でたキャニスは、物言わぬ唇にそっと口付けを落とした。
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