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93話
しおりを挟む「命まで取る気は無かったのに」
項垂れる横顔は、本当に悲しそうだ。
「ここは戦地で、命のやり取りの場だ。戦が始まれば、刈り取った命の数で褒美が決まる。あの騎士達は盾持ちも連れず、敵陣の挑発に来た。ああなる事は承知の上だろう」
キャニスは戦場に慣れている、と言っていた。でも、優しい人だから、非情には成り切れないんだろうな。
「それは、重々分かって居ます。ですが私は、交渉の席で皇女に舐められない様、あの騎士を利用しただけですので」
あぁ。
キャニスは自分の都合で、命を奪ったと思っているのか。
「キャニスの警告で、オセニアの士気が上がり、相手が弱腰になってくれれば、決着は早く着く。その分、無駄に散る命を減らせるんだ、キャニスの遣った事は、間違ってない」
「殿下」
「あ~~~。そのなんだ、殿下呼びなんだが。まだ続ける気か?」
「はい?」
話の振り幅が大きすぎて、理解できてないな?
「シエルと呼んで欲しい、と頼んだのに。殿下呼びに、戻ってしまっただろ?」
「え・・・・そうでしたね」
「まだ怒ってる?」
「・・・・怒ってはいません」
でも、心を許したくない。
って感じかな?
俺にあんな、淫らな事をしておいて?
本当に心を許したくないなら。
俺を遠ざけたいなら。
あの夜、俺を見捨てればよかったんだ。
優しくしたりするから、俺みたいな男に執着されるんだぞ?
「無理強いはしない。でも、たまには名前で呼んで欲しい」
「・・・・」
シェルビーはキャニスの両手を掬いあげ、菫色の瞳をじっと見つめた。
晩秋の風が白金の髪を靡かせ、二人の間に、これまで無かった、そこはかとなく甘い空気が流れ、キャニスが口を開こうとした時、無遠慮な大声が邪魔をして来た。
「殿下!皇女の軍が動き出したぞ!」
クソッ。
もうちょっとだったのに!!
声の主を睨みつけたシェルビーだったが、当のラーソンは悪びれた様子もなく、戻って来たサイラスと一緒に、ニヤニヤと顎を撫でている。
「おッ?口説いてるところだったか?邪魔して悪いな!」
絶対、悪いなんて思ってないだろ。
「野暮な真似はしたくないが、続きは城に帰ってからにしてくれ」
後で覚えてろよ!
「陣形は、鶴翼で良いですか?」
「変更はない。後は手筈通りだ。各々配置につけ」
「あ~。一つ、殿下の耳に入れて置きたいのだが」
「なんだ?」
「魔法騎士団の連中が、キャニス様とご一緒したい、と騒いでいてな」
「ダ・メ・だ・!」
「やっぱりな。だと思ったよ」
「キャニスと話したかったら、戦果を上げて見せろと伝えろ」
「ここで太っ腹な所を見せた方が、士気が上がると思うぞ?あまりケチ臭い事言うなよ」
「褒美の前払いなど聞いたことが無い。ラーソンはあるのか?」
ギロリと睨まれたラーソンは、両手を上げて降参の姿勢を取った。
「はいはい、分かりました。ったく、子育て中の猫みたいだ。過敏すぎるだろ」
「初恋を、拗らせてますからね」
ニヤニヤと、王太子を揶揄って来る二人だった。
「サイラス。余計な事を言ってる暇があるのか?早く配置につけ!」
「何言ってんですか。俺は殿下の護衛ですよ?俺の持ち場はここです」
「サイラ・・・・あっ!!」
風を切る音に全員が目を上げると、皇女の軍が放った矢が、空を黒く染め、雨の様に振り落ちてくるところだった。
打ち出された矢の流れは、止まる事を知らず、魔法騎士団の張った結界に阻まれながらも、徐々に結界を超える矢が出て来た。
騎士達は歩兵も、騎乗兵も盾を頭上に構えて矢を防いでいるが、こうして居る間に、皇女の軍が距離を詰めて来ている。
「殿下がいつ迄も、キャニス様を口説いてるから、先手を取られたじゃないですか?!」
「煩い!想定内だろうが!!」
「へいへい。手筈通りではありますけどね」
この状況でも揶揄いモードのサイラスに、舌打ちをしたシェルビーは、隣にいた筈のキャニスが、前に出ていることに気が付いた。
「キャニス!危ないからこっちへ来い!」
「キャニス様!危ない、下がって!」
シェルビーとサイラスの叫びに振り向いたキャニスは、不思議そうに小首を傾げて見せた。
しかし振り向いたキャニスの背後は、無数の矢で空が黒く陰っている。
「キャニス!!」
無防備なキャニスに、結界を張ろうとしたシェルビーの眼の前で、黒い矢の雨がボウッと燃え上がり、消し炭となった燃えカスが、ばらばらと盾の表面に落ちて来た。
「えぇっ?」
「殿下。オセニアの魔法騎士団は、結界を張るのが仕事ですか?」
「は?」
「カラロウカのやり方とは、全く違いますね」
何を言ってるんだ?
「次の矢が来る!キャニス戻れっ!!」
キャニスを連れ戻そうと、立ち上がったシェルビーだが、それを邪魔する様にキャニスの使用人達がキャニスの後ろに陣取り、カラロウカ家の騎士達までが、キャニスとシェルビーの間に並び立った。
「お前達、何をしている?!」
「殿下。坊ちゃんの邪魔はしないで頂きたい」
「はあ?!なぜ騎士がキャニスの後ろに居る?!主を守る気は無いのか?!パトリック!いいから退けよ!!」
「今から坊ちゃんが、カラロウカの流儀をお見せ下さいます」
「退けっ!!パトリック!!」
「殿下。これがカラロウカの遣り方です」
淡々と空を見上げ、手を伸ばしたキャニスが呟いた瞬間。空を埋め尽くすほどの矢の雨が一斉に炎に包まれ、黒く染まっていた空が、今度は緋色に染め上げられた。
そして主に倣い、カラロウカの者達が、天へと手を伸ばすと、空を赤く染めた炎が矢の川を遡り、皇女の陣へ襲い掛かった。
皇女の攻撃的な性格そのままの、テルシオ陣形で突撃してきた皇女軍だったが、両翼で火の手が上がり、中央の重騎兵だけが突出する形になった。
「殿下!今です!!」
カラロウカの手際の良さと、容赦のない攻撃に呆気に取られ、燃え上がる炎をポカンと眺めていたシェルビーは、キャニスの声にハッと我に返った。
「両翼を閉じろ!!」
角笛と合図の太鼓が鳴り響き、オセニア軍の両翼が意思を持つ生き物の如く、孤立した皇女が率いる重騎兵隊を取り囲んだ。
皇女の軍との戦闘は、開始早々から、オセニア軍の圧倒的有利のまま進んで行った。
行軍中に、トラブルの相次いだ皇女軍の士気は、最低まで落ち込んでいた。
もしシェルビーが皇女の立場なら、最終的に戦う事になるとしても、移動で疲れている騎士達を休ませるために、喜んで対話の席に着いただろう。
しかし皇女は、到着早々兵を休ませる事も無く、戦闘を開始した。
シェルビーからの、話し合いの打診にも応じず。挑発に対する、キャニスの警告も無視した強引な戦闘に、騎士や歩兵たちが不満を抱かぬはずが無い。
冷静な指揮官が居れば、皇女を取り囲んだ陣形は、敵の両翼が全滅していない限り、挟み撃ちにする、絶好の機会だと気が付いたはずだった。
しかし、究極のトップダウン組織である皇女軍は、意思決定の全てが皇女に頼りきりだ。
頼みの皇女と切り離された両翼の投射隊は、キャニスとカラロウカの攻撃を受け、完全に戦意を喪失。
皇女を見捨て敗走を始めた。
それに気付いた、重騎兵隊もまた、戦意を喪失。
最後まで、抗い続けたのは、皇女直属の親衛隊のみだった。
「窮鼠猫を噛むと言います。この辺りで包囲を解いた方が良いでしょう」
ラーソンや他の団長達の意見は、シェルビーのそれと同じだった。
「やり過ぎて、皇帝に出張られたら、目も当てられないですからね」
サイラスの言葉にシェルビーは頷き、包囲を緩めるよう命じ、這う這うの体で退却する、皇女軍を見送った。
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