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84話
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「殿下・・・そのように見つめられては、顔に穴が開いてしまいそうです」
「それは大変だ」と言ったきり視線を外そうとしないシェルビーに、キャニスは非難の籠った溜息を吐いた。
「・・・・殿下。前を向かないと落馬なさいますよ」
「俺の馬はとても賢いから、俺を落としたり絶対にしない。だから安心していいぞ?」
「安心の前にそう見つめられては、落ち着きません」
「ん~~。でもなあ、キャニスはライアンばかり構って、俺はここ何日も、君の顔さえ見れなかったんだぞ?少しは堪能させてくれても良くないか?」
「私は彫像ではなく、生きた人間なので、ただ見つめられるというのは、居心地が悪いのですが」
「何度も面会を申し込んだのに、全然俺を構ってくれなかった、キャニスが悪い」
「あの日、私の意思はお伝えした筈ですが」
「確かに聞いた。でも君は、俺の返事を聞いてなかっただろ?」
「返事は必要ありません。私の意思が全てです」
「違うな」
「何がですか?契約には!」
ムキになって言い返そうとするキャニスに、シェルビーは唇の前へ指を立て黙らせた。
「本契約解除後、どちらか一方、または両者が新たな契約を希望する場合、その限りではない」
「それは・・・」
「忘れたのか?」
キャニスの商会と取引が無くなると困るから、と言って、シェルビーがごり押しで入れさせた一文だった。
キャニスを引き留めたい一心で、眠れぬ夜を考え抜いた。
後悔に塗れ乍ら、何度も読み返した契約書に、抜け道を見つけたのは、白々と夜が明ける頃だった。
窓から差し込む一条の朝日に、この一文が浮かび上がって見えたのだ。
”本契約解除後、どちらか一方、または両者が新たな契約を希望する場合、その限りではない”
万が一契約が解除された時、商談相手としてでも良いから、キャニスとの関係を切りたくないと、ごり押しで入れさせた一文だった。
「それは、商会の取引においての話しです」
契約を結ぶ際、商談相手として、とキャニスを説得し、キャニスも自分も、この条項をビジネスに限るものと考えていた。
しかし、契約書の文面には、商会との取引に限る、とは一言も記載されていない。
だったら、キャニスとの婚約に関わる契約にも、有効という事だ。
単なる揚げ足取りの屁理屈だが、契約は契約だ。
キャニスから白い目で見られようと、どれだけ見っともなかろうと、シェルビーにとっては、彼を逃がさない事が、最重要事項だ。
強引にキャニスを閉じ込めてしまう事も出来るが、それをやったとして、カラロウカとキャニスの力を持ってすれば、シェルビーから逃げ出す事は簡単だ。
それに監禁などしたら、一生キャニスに許しては貰えないだろう。
キャニスに信じて貰えなくても、自分を愛してくれなくても良い。
傍にさえ居てくれれば、信じて貰えるように努力し続ける事は出来るし、愛を乞い続ける事も出来る。
だがキャニスが逃げてしまえば、愛を伝える事すら、出来なくなってしまう。
それに外堀を埋めて、逃げられなくすることだってできる。
他人に心を開くことは出来なくても、キャニスは心の優しい男なんだ。でなければ、ライアンをあんなに可愛がれるはずが無い。
そう。
キャニスは優しい。
だからこそ、過去の人生で利用され。
裏切られ、切り捨てられた。
それは今世だって同じだ。
キャニス程の力があれば、ナリウスに復讐する事は、簡単だったろう。
しかし、キャニスはそれをせず、パトリックにナリウスと同じ場所に落ちるな。と諭すことが出来る、優しさを持っている。
キャニスは縋ってくる相手を、切り捨てる事など出来ないのだ、と俺は思う。
だから俺は、その優しさに縋り、傍に居てくれと懇願し続ける。
「契約書をよく確認したか?商会の取引に限るとは、一言も書かれて居ないぞ?」
「・・・・・そんな筈は」
「有るんだよ?」
俺の力でキャニスを閉じ込める事は出来ないが、魔法契約の縛りでキャニスを引き留める事が出来る。
汚い手を使いやがって、とか言うなよ?
あれだけ後悔しまくった、契約婚約に今は感謝したい気持ちでいっぱいなんだから。
"本契約解除後、どちらか一方、または両者が新たな契約を希望する場合、その限りではない”
この一文を、ごり押しで付け加えた俺は、もしかしたら天才だったのかもしれない。
それとも、野生の勘?
自分の危機回避能力を褒めてやりたい。
「契約については、戻ってから確かめてみれば良い。とにかく俺は、キャニスとの新しい契約を希望する」
「なんで・・・・」
「勝手に居なくなったり出来ないって事だぞ?契約内容は今考え中だから、内容がまとまってから改めて話をしよう。それまでは今まで通りでいいな?」
「だから、どうして?」
「君を愛しているから。ずっと傍に居たいから」
・・・って言っても、信じてはくれないんだろうな。
「愛なんて幻想です」
ほらな?
「君にはそうでも、俺にとっては違うんだよな。まあ時間は沢山ある。それに今は皇女を片付ける方が先決だ、話しの続きは城に帰ってからだ」
キャニスは、不満と悔しさの入り混じったような顔で、黙り込んでしまったが、シェルビーとしては、やり切った感で一杯だ。
ホッと胸を撫で下ろしたシェルビーは、後頭部に視線を感じ、馬の上で首を廻らせると。そこには、拳を突き出しニヤリと笑うサイラスと、苦笑をかみ殺すパトリックの顔が見えた。
それにシェルビーは、口の端を引き上げ、小さく拳を握って見せ、ご機嫌で馬を走らせたのだった。
その日の夜は、街道近くを領地とする、伯爵家の屋根を借りる事となって居たが、伯爵の余りの歓待ぶりに、シェルビーとキャニスは、恐縮を通り越してドン引きだった。
吟遊詩人に謳われる、悲恋の主人公2人を、城に迎える事となった伯爵は、凛々しく逞しい王太子と、美貌の貴公子が並び立つ姿に有頂天になった。
贅を尽くした晩餐と、希少で高価なワインをこれでもかと勧められ、本来の目的を忘れ、はしゃぎまくる伯爵に、シェルビーの機嫌は下降の一途を辿っていた。
如何に空気の読めない御仁だろうと、政治の中枢に居る人物である事に、変わりはない。
シェルビーは、怒鳴り付けたい衝動を、笑顔の下で必死で堪えていた。
そして、何杯目かも分からないワインを勧められた時、カチャンと何かが落ちた音に、皆の視線が集まった。
「あっ・・・無調法を、申し訳ございません」
音の正体は、キャニスがフォークを落とした音だった。
「キャニス?どうした?」
「すみません。ずっと手綱を握っていたので、手が震えてしまって」
「長く馬に乗るのは、久しぶりだったな。今日はもう休んだ方が良い」
「ですが・・・私だけ先に休ませて頂く訳には・・・」
「気にするな。国境まで先は長い。今無理をすると後に響く」
「殿下・・・・」
震えるキャニスの指先に、唇を寄せる王太子の姿を見た伯爵は、酒肴で染まった頬を更に赤らめた。
「これは私の気が利きませんで、大変申し訳ございません。殿下には大義が御座いましたのに、歳甲斐もなく、浮かれすぎてしまいましたな」
どうぞお休みください。と云う伯爵に謝辞を述べ、漸く二人は、長いばかりで退屈な晩餐から、解放されたのだった。
これでやっと休むことが出来る、とホッとしたのも束の間、寝室へと案内された二人は、頭を抱える事となった。
何故なら、二人が案内された寝室は、同じ部屋だったからだ。
「あ~。伯爵が、変に気を廻したみたいだな」
「・・・・そのようですね」
微妙な緊張感をはらんだ沈黙に、シェルビーの方が先に根を上げた。
「もう一つ、部屋を用意させて来る。キャニスは湯を使っててくれ」
「殿下。気にしなくても良いのでは?」
「えっ?」
「こういう事も想定内です。殿下が契約を守って下されば、問題ありません」
「でも。良いのか?」
「良くは有りませんが、今から部屋を用意させたら、遅くなってしまいますし、使用人達も迷惑でしょう」
良くは無いのか・・・。
まあ、仕方ないよな。
喜べって方が、無理があるもんな。
「それは大変だ」と言ったきり視線を外そうとしないシェルビーに、キャニスは非難の籠った溜息を吐いた。
「・・・・殿下。前を向かないと落馬なさいますよ」
「俺の馬はとても賢いから、俺を落としたり絶対にしない。だから安心していいぞ?」
「安心の前にそう見つめられては、落ち着きません」
「ん~~。でもなあ、キャニスはライアンばかり構って、俺はここ何日も、君の顔さえ見れなかったんだぞ?少しは堪能させてくれても良くないか?」
「私は彫像ではなく、生きた人間なので、ただ見つめられるというのは、居心地が悪いのですが」
「何度も面会を申し込んだのに、全然俺を構ってくれなかった、キャニスが悪い」
「あの日、私の意思はお伝えした筈ですが」
「確かに聞いた。でも君は、俺の返事を聞いてなかっただろ?」
「返事は必要ありません。私の意思が全てです」
「違うな」
「何がですか?契約には!」
ムキになって言い返そうとするキャニスに、シェルビーは唇の前へ指を立て黙らせた。
「本契約解除後、どちらか一方、または両者が新たな契約を希望する場合、その限りではない」
「それは・・・」
「忘れたのか?」
キャニスの商会と取引が無くなると困るから、と言って、シェルビーがごり押しで入れさせた一文だった。
キャニスを引き留めたい一心で、眠れぬ夜を考え抜いた。
後悔に塗れ乍ら、何度も読み返した契約書に、抜け道を見つけたのは、白々と夜が明ける頃だった。
窓から差し込む一条の朝日に、この一文が浮かび上がって見えたのだ。
”本契約解除後、どちらか一方、または両者が新たな契約を希望する場合、その限りではない”
万が一契約が解除された時、商談相手としてでも良いから、キャニスとの関係を切りたくないと、ごり押しで入れさせた一文だった。
「それは、商会の取引においての話しです」
契約を結ぶ際、商談相手として、とキャニスを説得し、キャニスも自分も、この条項をビジネスに限るものと考えていた。
しかし、契約書の文面には、商会との取引に限る、とは一言も記載されていない。
だったら、キャニスとの婚約に関わる契約にも、有効という事だ。
単なる揚げ足取りの屁理屈だが、契約は契約だ。
キャニスから白い目で見られようと、どれだけ見っともなかろうと、シェルビーにとっては、彼を逃がさない事が、最重要事項だ。
強引にキャニスを閉じ込めてしまう事も出来るが、それをやったとして、カラロウカとキャニスの力を持ってすれば、シェルビーから逃げ出す事は簡単だ。
それに監禁などしたら、一生キャニスに許しては貰えないだろう。
キャニスに信じて貰えなくても、自分を愛してくれなくても良い。
傍にさえ居てくれれば、信じて貰えるように努力し続ける事は出来るし、愛を乞い続ける事も出来る。
だがキャニスが逃げてしまえば、愛を伝える事すら、出来なくなってしまう。
それに外堀を埋めて、逃げられなくすることだってできる。
他人に心を開くことは出来なくても、キャニスは心の優しい男なんだ。でなければ、ライアンをあんなに可愛がれるはずが無い。
そう。
キャニスは優しい。
だからこそ、過去の人生で利用され。
裏切られ、切り捨てられた。
それは今世だって同じだ。
キャニス程の力があれば、ナリウスに復讐する事は、簡単だったろう。
しかし、キャニスはそれをせず、パトリックにナリウスと同じ場所に落ちるな。と諭すことが出来る、優しさを持っている。
キャニスは縋ってくる相手を、切り捨てる事など出来ないのだ、と俺は思う。
だから俺は、その優しさに縋り、傍に居てくれと懇願し続ける。
「契約書をよく確認したか?商会の取引に限るとは、一言も書かれて居ないぞ?」
「・・・・・そんな筈は」
「有るんだよ?」
俺の力でキャニスを閉じ込める事は出来ないが、魔法契約の縛りでキャニスを引き留める事が出来る。
汚い手を使いやがって、とか言うなよ?
あれだけ後悔しまくった、契約婚約に今は感謝したい気持ちでいっぱいなんだから。
"本契約解除後、どちらか一方、または両者が新たな契約を希望する場合、その限りではない”
この一文を、ごり押しで付け加えた俺は、もしかしたら天才だったのかもしれない。
それとも、野生の勘?
自分の危機回避能力を褒めてやりたい。
「契約については、戻ってから確かめてみれば良い。とにかく俺は、キャニスとの新しい契約を希望する」
「なんで・・・・」
「勝手に居なくなったり出来ないって事だぞ?契約内容は今考え中だから、内容がまとまってから改めて話をしよう。それまでは今まで通りでいいな?」
「だから、どうして?」
「君を愛しているから。ずっと傍に居たいから」
・・・って言っても、信じてはくれないんだろうな。
「愛なんて幻想です」
ほらな?
「君にはそうでも、俺にとっては違うんだよな。まあ時間は沢山ある。それに今は皇女を片付ける方が先決だ、話しの続きは城に帰ってからだ」
キャニスは、不満と悔しさの入り混じったような顔で、黙り込んでしまったが、シェルビーとしては、やり切った感で一杯だ。
ホッと胸を撫で下ろしたシェルビーは、後頭部に視線を感じ、馬の上で首を廻らせると。そこには、拳を突き出しニヤリと笑うサイラスと、苦笑をかみ殺すパトリックの顔が見えた。
それにシェルビーは、口の端を引き上げ、小さく拳を握って見せ、ご機嫌で馬を走らせたのだった。
その日の夜は、街道近くを領地とする、伯爵家の屋根を借りる事となって居たが、伯爵の余りの歓待ぶりに、シェルビーとキャニスは、恐縮を通り越してドン引きだった。
吟遊詩人に謳われる、悲恋の主人公2人を、城に迎える事となった伯爵は、凛々しく逞しい王太子と、美貌の貴公子が並び立つ姿に有頂天になった。
贅を尽くした晩餐と、希少で高価なワインをこれでもかと勧められ、本来の目的を忘れ、はしゃぎまくる伯爵に、シェルビーの機嫌は下降の一途を辿っていた。
如何に空気の読めない御仁だろうと、政治の中枢に居る人物である事に、変わりはない。
シェルビーは、怒鳴り付けたい衝動を、笑顔の下で必死で堪えていた。
そして、何杯目かも分からないワインを勧められた時、カチャンと何かが落ちた音に、皆の視線が集まった。
「あっ・・・無調法を、申し訳ございません」
音の正体は、キャニスがフォークを落とした音だった。
「キャニス?どうした?」
「すみません。ずっと手綱を握っていたので、手が震えてしまって」
「長く馬に乗るのは、久しぶりだったな。今日はもう休んだ方が良い」
「ですが・・・私だけ先に休ませて頂く訳には・・・」
「気にするな。国境まで先は長い。今無理をすると後に響く」
「殿下・・・・」
震えるキャニスの指先に、唇を寄せる王太子の姿を見た伯爵は、酒肴で染まった頬を更に赤らめた。
「これは私の気が利きませんで、大変申し訳ございません。殿下には大義が御座いましたのに、歳甲斐もなく、浮かれすぎてしまいましたな」
どうぞお休みください。と云う伯爵に謝辞を述べ、漸く二人は、長いばかりで退屈な晩餐から、解放されたのだった。
これでやっと休むことが出来る、とホッとしたのも束の間、寝室へと案内された二人は、頭を抱える事となった。
何故なら、二人が案内された寝室は、同じ部屋だったからだ。
「あ~。伯爵が、変に気を廻したみたいだな」
「・・・・そのようですね」
微妙な緊張感をはらんだ沈黙に、シェルビーの方が先に根を上げた。
「もう一つ、部屋を用意させて来る。キャニスは湯を使っててくれ」
「殿下。気にしなくても良いのでは?」
「えっ?」
「こういう事も想定内です。殿下が契約を守って下されば、問題ありません」
「でも。良いのか?」
「良くは有りませんが、今から部屋を用意させたら、遅くなってしまいますし、使用人達も迷惑でしょう」
良くは無いのか・・・。
まあ、仕方ないよな。
喜べって方が、無理があるもんな。
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