氷の華を溶かしたら

こむぎダック

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70話

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その夜シェルビーが、キャニスの元を訪れたのは日付も変ろうかという時刻だった。

疲れた様子のシェルビーが、頬をこすると薄く伸びた無精髭がショリショリと音を立て、キャニスは意外に感じたが、シェルビー自身も驚いている様だった。

「なんだか、草臥れた格好ですまんな」

「遅くまでご苦労様でした。疲れのとれるハーブティーです。どうぞ召し上がって下さい」

「ありがとう。キャニスに茶を入れて貰えるなんて感激だ」

 この人はこう言う事はサラッと言えるのに。他の事になると、何故気が利かないのか、本当に不思議だ。

 こういう人の事を
 天然のタラシと言うのかな?

ベラとパトリックには、既に休むよう言いつけてあり、今キャニスの部屋には、シェルビーとキャニスの2人きりだ。

深夜に王太子がキャニスの元を訪れた事は、他の侍従や侍女たちから、直ぐに噂になるだろう。だが今の2人にはそんな事に構っている余裕はなかった。

「ナリウスは貴族用の牢に入れてある。道中は騒ぎ立てて大変だった、とサイラスが零していたよ」

「ナリウス殿下らしいですね。魔力封じの枷はそのままですか?」

「そのままだ。移送の途中で、馬車から降ろせ、と暴れたらしくてな、手だけではなく足にも枷を嵌めたそうだ」

「キャピレット卿には苦労をお掛けしてしまいました。後で何か労いの品を届けさせます」

「気を使うな。と言いたい処だが、今回ばかりはそうしてやってくれると助かる。ナリウスの態度にサイラスの奴も、相当腹が立ったようでな、ブツブツと文句を言われ通しだった」

「左様ですか・・・ナリウス殿下はお元気なようですね」

「どういう神経をしていたら、ああも元気でいられるのか、本当に不思議だ」

「シェルビー殿下は、ナリウス殿下に会われたのですか?」

一国の王子ではあるが、今はナリウスも囚人だ。王太子であるシェルビーが、わざわざ会う必要はない。

「カリストが一緒に着いて来ていたから、一応会ってはみたが、あれはが大分いかれてるとしか思えなかった」

シェルビーは、自分の頭を指で指して見せた。

「彼が何か失礼な事を言いましたか?」

「まあ、狂人の戯言と言ってしまえばそれまでだが、同じ王太子として考えれば、かなり失礼だったし、何か誤解もしている様だったな」

「誤解とは?」

「ん?まあ、色々だ。俺とキャニスが初めて出会った時の様子を、あいつはどこかから見て居た様でな。あの時の事もブーブー言っていたな。あれは相当執念深くて、ひねくれた男の様だ」

「彼は、あの時の事を見て居たのですか?あんな昔の事を今更言うなんて、信じられない。第一あの時は困っていた私を殿下が助けてくれただけで、文句を言われるようなことは何も無かったのに。本当にどうかしてる」

 キャニスにとっては、そうなんだろうな。
 俺にとっては、大事な思い出なんだがな。

だが、ナリウスは違う。
甘やかされ、我儘に育った王太子。
日ごとに膨らんでいく自尊心を、傷つけられたナリウスの怨みは深かった。

婚約者として紹介された美しい少年は、誰もが傅く王太子である自分に、愛想笑いの一つも浮かべなかった。キャニスからしたら、恐ろしいばかりでそれ処ではなかったのだが、相手は周囲に媚び諂われる事に慣れきった、我儘な王太子だ。

自分には愛想笑い一つしなかった婚約者が、他国の王子に笑いかけ、楽しそうにして居るのを許すことが出来なかった。

普通の子供なら、その後でも仲良くなる努力をするものだが、ナリウスは相手を虐げ、屈服させることを選んだ。

 子供の考える事では無い。
 ナリウスは、生まれついての異常者だったのだと俺は思う。

「それで、カリスト殿下はどうしてこちらに?」

「あぁ。ルセ王家は王位の継承と王家の存続を諦め、全ての権利を放棄するそうだ。カリストはこっちで側近の2人と、商会を立ち上げているから、今後の準備も含めて、一緒について来たと、言ってはいたな」

「彼の行動を、無責任に感じるのは、私の性格が悪いからでしょうか」

「いや。俺も思ったよ。攘夷に同意する契約書にサインと玉璽を押したからと言って、直ぐに責任が無くなる訳では無いからな。公爵から邪魔になるから、戴冠式までは大人しくしていろ、と言われたらしいが、それとこれとは話が別だろ?」

「結局あの方も、ルセ王家の人間だったという事でしょうか」

「ルセ王家の名前が通じる内に、キャニスに会いたかった。と言うのも本音だろうな」

「会ってどうするつもりなのか、理解できません」

「本人は謝罪したいと言っていたが?」

「求婚状を贈られたのは迷惑でしたが、彼は私を虐げた事も有りませんし、子供の時に、ナリウス殿下と一緒に3人で遊んだことが有るくらいで、殿下がこちらに留学されてからの5年間は、全く接点が無かったのです。それを謝罪と言われても・・・」

「そうだな。彼は何もしなかった。王家の都合で君を振り回そうとはしたが、それ以外は何もしていない。君を助ける事も、慰める事も。ナリウスの行いも知らず、諫める事も、君の為になる事を何もしなかった。その事をカリストは謝りたいのだと思う」

「彼は自分自身を、騙したいのでしょうか?」

「俺はそう思う。彼は君に謝罪する事で、許されたと思いたいのじゃないか?」」

「欺瞞ですね」

「そうだな。欺瞞だと俺も思う」

そう言ってキャニスが入れたお茶を飲んだシェルビーは「これ旨いな」と目元を綻ばせた。

「彼とはアカデミーに通っている時と、こちらの行事に参加してくれた時に、話をしたことが有るんだ。真っ直ぐで真面目。おおらかで人当たりも良くてな、王族にしては、良い奴だと思ったよ」

 いきなりカリスト殿下を褒めたりして、僕に謝罪を受け入れさせたいのかな?

「それにな。自分はナリウスのスペアで良い、アカデミーを卒業したら、ナリウスを支えて行くのだ、と語っていたんだ」

「そうでしたか」

「だから、ちぐはぐな事を言う奴だと思ったよ」

「ちぐはぐ・・・ですか?」

キャニスが首を傾げると、白金の髪が肩からサラリと流れ落ち、シェルビーは揺れる髪を眼で追いながら、話を続けた。

「スペアだって子供の頃から、後継者教育は受ける必要があるし、兄弟のサポートに回るなら、その教育も受けなければならない。

話を区切ったシェルビーは、「ここまではいいか?」とキャニスの返事をまった。

「しかしだ、話している内に分かったんだがカリストは、後継者教育を受けた様子が無かった。それどころか王子が他国に居るなら、子供だろうが、外交に使うものだろ?しかし、そんな様子も無くてな。蚊帳の外に置かれている様にしか見えなかった」

「王家の色を持たない、カリスト殿下の継承の可能性など、陛下は全く考えて居られなかった。オセニアへの留学は、王子としての見分を広げると言うより、厄介払いの意味合いが強かったように思います」

「髪や瞳の色で、王を決めるとか、俺には理解できない」

「ルセ王家の始まりに関する伝統ですからね。大きな声では言えませんが、臣下の私でも納得できないのに、他国の方に理解できないのも無理は有りません」

「キャニスは不満だったんだな」

 そりゃあ、不満に決まってる。
 僕の命を握っている相手なんだ。
 
 王太子の婚約者として、僕を欲するなら。
 相手は、少しでも真面な人が良いに
決まってるでしょ。
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