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53話
しおりを挟むキャニスとその母カラロウカ公爵夫人、エミリーは、オセニア国王夫妻の強い希望も有り、王宮内、王家のプライベートエリアである、蒼湖殿に匿われていた。
蒼湖殿は、俗に後宮と呼ばれる事も多いが、これは数代前の王の時代の名残なだけで、現在は王の側室や愛妾の住まいがある訳では無い。
そもそも現国王夫妻は、三男一女をもうける程、大変夫婦仲が良く、愛妾や側室など必要としていないのだ。
よって蒼湖殿は、シェルビーや王家の人々にとっては、家で有り、唯一の寛げる空間なのだった。
そんな王家のプライベートエリアに、国王自らに招かれたキャニスは、オセニアの貴族達からは、王族の仲間入りを果たしたも同然、と認識されていた。
カラロウカ家と帝国の緊張状態と、ラリスの王家と帝国の横暴な行いは噂になっているが、この噂に対し、オセニア国民は貴族平民に関係なく、皆キャニスとシェルビーに同情的だった。
巷でラリス王家は、臣下の息子を、勝手に売り飛ばそうと企む悪漢と言われ。
帝国の皇女は、キャニスに横恋慕した挙句、愛し合う二人の間を裂こうとする、極悪人と囁かれ、皇帝はそんな皇女を諌めることも出来ない,間抜けだと呆れられている。
一方で我が国の王太子殿下は、身を挺して愛する人を守護する、武人の鏡だと謳われているのだ。
この噂が人々の心を掴んだ最大の理由は、キャニスのたぐいまれな美貌と、愁いを含んだ静かな佇まいだった。
元々帝国の横暴に辟易していた人々は、武勇を誇る麗しい王太子と、美貌と才能に恵まれたキャニスの悲恋に熱狂した。
そしてこの熱狂は、オセニア国内に留まらなかった。
街の辻々で吟遊詩人が二人の悲恋を、哀愁漂う演奏で歌い上げ。とある歌劇団が二人を題材にした舞台を披露すると、連日の満員御礼。たちまちプレミアムチケットの争奪戦となった。
これは、オセニア王家とカラロウカ公爵家が、意図的に情報を漏らした結果だったが、予想以上の反応に、噂を流した当事者たちは、ニンマリとほくそ笑んでいた。
隆盛を誇る帝国は、その国力から傲慢ではあるが、何より面子を重んじる国でもある。
そんな帝国で第一皇女の特殊な嗜好と奇行は、元から有名で、皇帝の頭痛の種になって居た。
其処へ、シェルビーとキャニスの悲恋が取りざたされ、第一皇女が白い眼を向けられたている今。開戦も辞さない構えの皇帝が、どのように事を納めるのか、世の人々は鵜の目鷹の目で成り行きを注視しているのだ。
そんな中、王宮に身を寄せているキャニスは、日に一度、オセニア王家の唯一の王女、セリーヌの教師役を務めていた。
「キャニスお兄様。出来ました」
「拝見しますね」
キャニスに出された問題を解いたセリーヌは、麗しい教師にうっとりとしながら、採点が終わるのを待っている。
キャニスお兄様って本当に素敵。
シェルビーお兄様と違って博識だし。
私の事も揶揄ったり、馬鹿にしたりも全然なさらない。
紳士と言うのは、キャニスお兄様のような方の事を言うのね。
「大変素晴らしいです。セリーヌ殿下とても頑張りましたね」
「ありがとうございます。キャニスお兄様の教え方が上手だからですわ」
「この調子なら、ローナンへのお輿入れの際は、完璧にローナン語を操れるようになられるでしょう」
キャニスの口から輿入れの話しが出ると、セリーヌは顔を曇らせた。
「私はキャニスお兄様が羨ましい」
「私が?どうしてですか?」
「だって。シエルお兄様みたいな唐変木のどこが良かったのか、全然解りませんけど。それでも、お兄様たちは、ご自分で相手を選ぶことが出来たでしょう?」
「あぁ・・・そういう」
実際は殿下を受け入れてはいないし、婚約すら結んでいないのだけど。
「私も自分が相手を選べる立場じゃない、って分かってはいるのです。恋愛小説みたいな大恋愛には憧れるけれど、あれは本の中だけのお話で、実際にそんな事なんてないのも理解しています。でもちょっとだけ、恋をしてみたい」
「セリーヌ殿下が、恋に憧れる気持ちは分かります」
「本当?やっぱりキャニスお兄様って優しいわ。シエルお兄様なんて、お前を貰ってくれる奇特な人なんて、二度と現れないのだから。ローナンの王子には感謝しろ。だなんていうんですのよ?」
「それは・・・色々失礼ですね」
「そう思うでしょ?キャニスお兄様は、とっても綺麗だし、お人柄も良いのに。本当にシエルお兄様で良いの?」
「シェルビー殿下は、誠実な方ですよ?」
「まあね。お兄様は嘘をついたり、狡い事をなさらないのは本当ね。でも朴念仁の唐変木でしょ?」
「それに関しては、私も気の利く方ではないので、なんとも言えませんね」
「まあ!キャニスお兄様が、気が利かないなら、シエルお兄様は唯のぼんくらだわ」
「ぼんくら・・・散々な言われようですね」
セリーヌの歯に衣着せぬ物言いにキャニスは、世の中の兄と妹とは、みんなこんな物なのだろうかと、首を傾げた。
僕には弟妹が居ないし、今のお兄様は過保護な所があるから、よく分からないな。
「誰が、ぼんくらだって?」
「殿下」
礼を取る為に立ち上がったキャニスに、シェルビーは、気を使う必要はないと言い、キャニスを椅子に座らせた。
「お兄様以外に、誰が居るのかしら?」
「お前なぁ。そんなんじゃローナンのペドロ王子に、山猿と間違えられるぞ?」
「やッ山猿ですって?!」
「ほらそう云う処が、山猿そっくりだ?」
「殿下」
「うん?なんだキャニス」
「殿下は今、大変お忙しい筈ですよね?それを押して、わざわざセリーヌ殿下を揶揄う為に、お戻りになったのですか?」
「えっ?いや、違うが」
「私は母から、魅力的なレディーは男が作るものだ。と教えられて育ってきました。ですが殿下の仰りようは、いくら兄弟の気安さからとは言え、セリーヌ殿下に失礼すぎると思います
「へ?あ・・・」
「王宮の事務官が自分の妻の事を、昔は可愛かったのに。などとふざけた事を言っているのをよく耳にしましたが。可愛かったお嫁さんを、可愛くない妻にしたのは自分だと、何故気が付かないのでしょうか?」
「え・・・なんでだろうな?」
「いいですか殿下。嫁であれ婿であれ、人間である以上、段々老いて劣化して行くものです。けれど美容に気を付ければ、それを遅らせる事は出来ます。しかし美容にはお金が掛かる。先程の事務官の様に、奥さんの事を悪く言っている者に限って、自分の遊ぶ金は湯水のように使うのに、奥さんの為には出し渋る。それでどうやって、劣化を防ぐのですか?」
「それは・・無理だろうな」
その通り。とキャニスは頷いた。
「本当にお金が無くて、奥さんの美容品を買えない場合もあるでしょう。ですが奥さんを可愛く綺麗にし続けるのは、何も美容だけではありません。毎日奥さんに綺麗だ。可愛い。と言い続けている事務官の奥さんは、本当に若々しくてお綺麗でした。心ない言葉は、簡単に可愛かった嫁と婿と、疲れたおじさんとおばさんに変えてしまいます。魅力的なレディーを育てるのも同じ事です。相手を尊重する態度と、思い遣りの有る言葉がレディーを育てるのです」
「は、はい」
なんか普段よりメチャクチャ語ってるぞ?
流石、美容品を売っているだけの事はあるな。
「お解り頂けたなら、今後セリーヌ殿下への態度を改めて頂きたい。セリーヌ殿下は将来、ローナンの国母になられる方です。兄妹であろうと、殿下への敬意を払うべきだと思います」
「あ・・・うん。気を付けるよ」
ご理解頂けて良かった。と言うキャニスに、セリーヌは尊敬のまなざしを送りながら、パチパチと手を叩いている。
なんだかなぁ。
キャニスはセリーヌの昔の姿を、知らないんだよなぁ。
ドレスが邪魔だからって、下着姿で走り回る様な奴が、レディーねぇ。
やっぱり俺には、山猿にしか見えないんだけどなぁ。
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