氷の華を溶かしたら

こむぎダック

文字の大きさ
上 下
52 / 78

52話

しおりを挟む
「さあ!ベラ達には、荷物を纏める様に言っておきました。急いでここを離れるのよ!」

勢いよく立ち上がった夫人は、キャニスの手を握り、グイグイと引っ張っている。

「お母様。何故ですか?」

 お母様の慌て振りは尋常じゃない。

 何かが有ったのは確かだし、相手が誰なのかは分からないけれど、逃げるにしてもお母様が用意できる場所より、僕が準備していた場所の方が見つかり難い筈だ。

 勝手に何処かに連れて行かれるのは困る。

「旦那様とトバイアスが、戦争の準備をしています。わたくし達の眼の黒い内は、あんな性悪に、わたくしの可愛い天使は絶対に渡しません!さあ!急いで!!」

これまで呆然と、取り乱す夫人を見て居たシェルビーとサイラスは、戦争と聞き椅子を蹴立て立ち上がった。

「戦争?!」

「誰と?!」

「お母様!何があったか話して下さい!!」

パニック状態の夫人は、キャニスやシェルビー達の困惑にも全く気付いていないらしく、只々キャニスの手を引き、急いで逃げるのだと言ってきかなかった。

「夫人。戦争とはどういうことですか?俺達は軍人です。サイラスは要人警護に慣れているし、人を見つけ出すのも隠すのも上手い。俺達が力になりますから。何があったのか説明して下さい」

「御夫人。無暗に動いては危険な事の方が多い。逃げるにしてもご夫人が知っているような所は、目立ちすぎて直ぐに見つかる可能性が高い。危険度によって警護の内容も変えなければならない。キャニス様に危険が迫っていると言うなら、本職の私達に任せてほしい」

「キャピレット卿の言う通りです。それにお父様とお兄様も、戦争を始めるなら、此処に今以上の護衛を送って来る筈です。今勝手に動いたら、混乱をきたしてしまいます。何があったのか、先ずは説明を。その上で、今後どうするか、逃げるにしてもどこに逃げるのか、じっくり考えましょう。ね?」

キャニスが夫人の手を両手で包み込み、水色の瞳を静かに覗き込むと、夫人の両目から、ボロボロと涙が零れ落ちた。

「キャス・・・キャニス!わたくしの天使!どうして、どうしてあなたばかりこんな目に合わなければならないの?」

「お母様?」

「全部・・・・ナリウスの所為よ。全部あのクズのせい!!、あのクズは、もっと早く始末しておくべきだったのよ!!」

そう叫んだ公爵夫人は、その場で泣き崩れてしまった。

こうなると、話しを聞く事は難しく、夫人を落ち着かせることが先決と、キャニスは侍女の手を借りて、夫人を自室へと連れて行った。

取り残される形になったシェルビーとサイラスは、執事の案内で応接間に通された。

「執事殿。貴殿の名を聞かせて貰いたい」

「私の名など聞いてどうされるのです?」

「長い付き合いになりそうなのでな。いつまでも執事殿では面倒だ」

「左様ですか。私の事はパトリックとお呼びください」

「・・・・パトリックか。では俺の事はサイラスと呼んでくれ」

「私のようなものが、王太子殿下の護衛騎士様をお名前で呼ぶなど、滅相もございません」

「・・・・まあ好きにしてくれ。ところで御夫人が、恐慌状態になった訳を知って居るか?」

「詳しい事は存じません。ただ旦那様より早駆けで、手紙が届きましてございます」

「・・・そうか。ありがとう」

「では、失礼いたします」

執事が出て行くのを見送ったサイラスは、自分をじっと見て居るシェルビーに気付いた。

「なんですか?」

「いや。この状況でロリコンから枯れ専に変節とは、忙しいなと思って」

「あんた、馬鹿でしょう」

「なんだよ。ただの冗談だろ?」

「まったく。そんなんじゃ、いつまでも片想いのままですよ?」

「お前に言われたくないな。花をプレゼントしまくりなんだろ?」

「明日から鍛錬を1時間延長するか?」

「その分お前も、この屋敷に来れなくなるが?」

「クッ・・・・くそ」

「フフン。今日は俺の勝ちだ」

いつもとは逆に、サイラスやり込めたシェルビーは上機嫌だ。

「さて。おふざけはここ迄だ。先の夫人の様子をどう思う?」

シェルビーはサイラスを揶揄っていたニヤケ顔を、一瞬で引き締め、険しい表情になった。

「夫人の話しを繋ぎ合わせただけでも、かなりヤバそうですね」

「だよな。事の現況はナリウス。夫人が言ってた性悪ってのは、恐らく帝国の第一皇女じゃないか?」

「でしょうね。あの夫人が警戒するような相手は、そうは居ないでしょうし。噂の皇女がキャニス様にご執心だったらどうします?」

帝国の第一皇女は、本当か噓か、目の覚める様な美女と言う話だが、色々と不穏な噂の絶えない人物だ。

シェルビーも一度だけ会った事があるが、二度と会いたく無い人物の筆頭だ。

「どうするもこうするも。相手が誰だろうと、キャニスは渡さない」

「そう言うと思った」

 当然だ。
 キャニスが望むのならともかく。
 そうでないなら、誰にも譲る気など無い。
 それがあの皇女なら尚更だ。
 俺の大事な人を、あんなあばずれの好きにさせて堪るか。

「しかし公爵も戦争とは、思い切った事をするもんですね」

「相手が帝国と決まった訳じゃないが。武力で戦うだけが戦争じゃないだろ?あの家の根っこが、どこまで広がっているかにもよるが、公爵は自信があるんだろう」

「それはそれで、おっかないな」

「キャニスは、カラロウカの人間は、利の無い行動はしないと言っていた。公爵は帝国相手の戦争でも、利があると考えているのかもな」

それから疲れ切った顔のキャニスが、応接室に顔を出したのは、2時間近くが過ぎた頃だった。

「お帰りにならなかったのですね」

キャニスの声は、居座っていた二人を咎めると言うより、戸惑いの方が大きい様だった。

「あの状態の夫人とキャニスを、放ってはおけんだろう?」

「お忙しいのに、申し訳ございません」

「水臭い事言うなよ。それで夫人の様子はどうだ?」

「興奮しすぎていましたので、医者を呼んで睡眠薬を飲ませて貰いました。今し方眠った所です」

「そうか。公爵から手紙が届いたと聞いたが、その手紙が原因か?」

「・・・はい。少々お待ちください」

一度席を立ち部屋を出て行ったキャニスは、一人の騎士を伴い戻って来た。

「殿下。彼はカラロウカの騎士で、デボラ卿と言います。手紙を届けてくれました。先にこの手紙をお読みいただき、詳しい事は彼に聞いて下さい」

封の切られた手紙を、シェルビーに渡したキャニスは、膝に肘をついた手で顔を覆ってしまった。

そんなキャニスに、痛々し気な視線を送ったシェルビーだったが、手紙を読み進める内に、ぎりぎりと奥歯を噛締め、読み終わった手紙を乱暴にサイラスに押し付けた。

怒りを露わにする王太子に、サイラスは急いで手紙を読んだのだが、その内容に呆れるとともに、主と同じ怒りを感じたのだ。
 
「・・・デボラ卿・・・公爵はナリウスの首を落としたのか?」

「残念ながら、私が出発する時はぴんぴんしていました」

「そうか・・・ならあいつの首は、俺が貰っても良いよな?」

しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

嫁側男子になんかなりたくない! 絶対に女性のお嫁さんを貰ってみせる!!

棚から現ナマ
BL
リュールが転生した世界は女性が少なく男性同士の結婚が当たりまえ。そのうえ全ての人間には魔力があり、魔力量が少ないと嫁側男子にされてしまう。10歳の誕生日に魔力検査をすると魔力量はレベル3。滅茶苦茶少ない! このままでは嫁側男子にされてしまう。家出してでも嫁側男子になんかなりたくない。それなのにリュールは公爵家の息子だから第2王子のお茶会に婚約者候補として呼ばれてしまう……どうする俺! 魔力量が少ないけど女性と結婚したいと頑張るリュールと、リュールが好きすぎて自分の婚約者にどうしてもしたい第1王子と第2王子のお話。頑張って長編予定。他にも投稿しています。

結婚式当日に「ちょっと待った」されたので、転生特典(執事)と旅に出たい

オオトリ
BL
とある教会で、今日一組の若い男女が結婚式を挙げようとしていた。 今、まさに新郎新婦が手を取り合おうとしたその時――― 「ちょっと待ったー!」 乱入者の声が響き渡った。 これは、とある事情で異世界転生した主人公が、結婚式当日に「ちょっと待った」されたので、 白米を求めて 俺TUEEEEせずに、執事TUEEEEな旅に出たい そんなお話 ※主人公は当初女性と婚約しています(タイトルの通り) ※主人公ではない部分で、男女の恋愛がお話に絡んでくることがあります ※BLは読むことも初心者の作者の初作品なので、タグ付けなど必要があれば教えてください ※完結しておりますが、今後番外編及び小話、続編をいずれ追加して参りたいと思っています ※小説家になろうさんでも同時公開中

小悪魔系世界征服計画 ~ちょっと美少年に生まれただけだと思っていたら、異世界の救世主でした~

朱童章絵
BL
「僕はリスでもウサギでもないし、ましてやプリンセスなんかじゃ絶対にない!」 普通よりちょっと可愛くて、人に好かれやすいという以外、まったく普通の男子高校生・瑠佳(ルカ)には、秘密がある。小さな頃からずっと、別な世界で日々を送り、成長していく夢を見続けているのだ。 史上最強の呼び声も高い、大魔法使いである祖母・ベリンダ。 その弟子であり、物腰柔らか、ルカのトラウマを刺激しまくる、超絶美形・ユージーン。 外見も内面も、強くて男らしくて頼りになる、寡黙で優しい、薬屋の跡取り・ジェイク。 いつも笑顔で温厚だけど、ルカ以外にまったく価値を見出さない、ヤンデレ系神父・ネイト。 領主の息子なのに気さくで誠実、親友のイケメン貴公子・フィンレー。 彼らの過剰なスキンシップに狼狽えながらも、ルカは日々を楽しく過ごしていたが、ある時を境に、現実世界での急激な体力の衰えを感じ始める。夢から覚めるたびに強まる倦怠感に加えて、祖母や仲間達の言動にも不可解な点が。更には魔王の復活も重なって、瑠佳は次第に世界全体に疑問を感じるようになっていく。 やがて現実の自分の不調の原因が夢にあるのではないかと考えた瑠佳は、「夢の世界」そのものを否定するようになるが――。 無自覚小悪魔ちゃん、総受系愛され主人公による、保護者同伴RPG(?)。 (この作品は、小説家になろう、カクヨムにも掲載しています)

悪役令息に転生して絶望していたら王国至宝のエルフ様にヨシヨシしてもらえるので、頑張って生きたいと思います!

梻メギ
BL
「あ…もう、駄目だ」プツリと糸が切れるように限界を迎え死に至ったブラック企業に勤める主人公は、目覚めると悪役令息になっていた。どのルートを辿っても断罪確定な悪役令息に生まれ変わったことに絶望した主人公は、頑張る意欲そして生きる気力を失い床に伏してしまう。そんな、人生の何もかもに絶望した主人公の元へ王国お抱えのエルフ様がやってきて───!? 【王国至宝のエルフ様×元社畜のお疲れ悪役令息】 ▼この作品と出会ってくださり、ありがとうございます!初投稿になります、どうか温かい目で見守っていただけますと幸いです。 ▼こちらの作品はムーンライトノベルズ様にも投稿しております。 ▼毎日18時投稿予定

聖女の兄で、すみません!

たっぷりチョコ
BL
聖女として呼ばれた妹の代わりに異世界に召喚されてしまった、古河大矢(こがだいや)。 三ヶ月経たないと元の場所に還れないと言われ、素直に待つことに。 そんな暇してる大矢に興味を持った次期国王となる第一王子が話しかけてきて・・・。 BL。ラブコメ異世界ファンタジー。

無能の騎士~退職させられたいので典型的な無能で最低最悪な騎士を演じます~

紫鶴
BL
早く退職させられたい!! 俺は労働が嫌いだ。玉の輿で稼ぎの良い婚約者をゲットできたのに、家族に俺には勿体なさ過ぎる!というので騎士団に入団させられて働いている。くそう、ヴィがいるから楽できると思ったのになんでだよ!!でも家族の圧力が怖いから自主退職できない! はっ!そうだ!退職させた方が良いと思わせればいいんだ!! なので俺は無能で最悪最低な悪徳貴族(騎士)を演じることにした。 「ベルちゃん、大好き」 「まっ!準備してないから!!ちょっとヴィ!服脱がせないでよ!!」 でろでろに主人公を溺愛している婚約者と早く退職させられたい主人公のらぶあまな話。 ーーー ムーンライトノベルズでも連載中。

愛を知らない少年たちの番物語。

あゆみん
BL
親から愛されることなく育った不憫な三兄弟が異世界で番に待ち焦がれた獣たちから愛を注がれ、一途な愛に戸惑いながらも幸せになる物語。 *触れ合いシーンは★マークをつけます。

秘匿された第十王子は悪態をつく

なこ
BL
ユーリアス帝国には十人の王子が存在する。 第一、第二、第三と王子が産まれるたびに国は湧いたが、第五、六と続くにつれ存在感は薄れ、第十までくるとその興味関心を得られることはほとんどなくなっていた。 第十王子の姿を知る者はほとんどいない。 後宮の奥深く、ひっそりと囲われていることを知る者はほんの一握り。 秘匿された第十王子のノア。黒髪、薄紫色の瞳、いわゆる綺麗可愛(きれかわ)。 ノアの護衛ユリウス。黒みかがった茶色の短髪、寡黙で堅物。塩顔。 少しずつユリウスへ想いを募らせるノアと、頑なにそれを否定するユリウス。 ノアが秘匿される理由。 十人の妃。 ユリウスを知る渡り人のマホ。 二人が想いを通じ合わせるまでの、長い話しです。

処理中です...