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38話
しおりを挟む「今のキャニスは、殿下の事を恋愛経験が豊富で、殿下のお申し出も、自分に思いを寄せているからではなく、面倒な縁談を断るための、単なる風除けである、と誤解している。ここまではよろしくて?」
「うううう・・・はい」
「キャピレット卿のお話を聞く限り、更にあの子は、殿下には性的な関係のある人物が複数いらして、実は本命と言える方が、既にいらっしゃる。と考えている節がございますわね」
「は? 夫人。それは完全な誤解だ!私にはキャニス以外誰も」
身の潔白を証明しようと、躍起になるシェルビーの顔に、夫人は扇子で風を送り、黙らせた。
「ヘタレでへっぽこな殿下に、そんな器用な真似が出来るなんて、わたくしは思っておりませんわ。誤解しているのは、キャニスでしてよ?覚えがございますでしょ?」
「た、確かに、子が出来たと騒がれると困るから、閨係り以外のリストを出せと言われた事がある。まさか本気だったなんて・・・」
「キャニスも甘いこと。閨係りだって子ができることはありますのに」
「だから、私には、閨係りなどいないし。そんな相手は、これ迄一人もいません!」
息巻くシェルビーに、夫人は目を見開き、パチリと瞬いた。
「あらまあ」
その仕草を見たシェルビーは、キャニスと夫人は、紛れもなく親子なのだと再認識したが、自ら童貞申告をしてしまったことに耐えきれず、顔を赤くし横を向いてしまった。
真実か否か、答えを求め、婦人がサイラスに目を向けると、王太子の私生活を知り尽くした護衛騎士は、大きく頷いてみせた。
「うちの殿下は、本当に見かけ倒しなんですよ」
「余計なこと言うなよ。別に良いだろ?キャニスは妖精だぞ。キャニスに比べたら、他の連中なんて芋かカボチャじゃないか」
「芋、カボチャ。おほほほ!その通りですわ!」
一頻り楽しげな笑い声を上げた夫人は、笑いを収めると、きりりと表情を引き締め、シェルビーに向き直った。
「キャニスはへっぽこ殿下の事を、百戦錬磨の恋愛の達人だと誤解しております。これはわたくしが、手出し口出しを、し過ぎたせいでもありますわね」
「そんなにへっぽこですか?」
「へっぽこ過ぎて、おへそで茶が沸きそうですわよ?ですから、へっぽこ殿下には、これからはキャニスに、殿下の本当のお姿を、見せて頂きたいのです」
「本当の姿ですか?」
「見栄を張ったり、無駄に大人ぶって格好を付けたりするのではなく、殿下の素顔そのままをお見せくださいまし。そして殿下のお心にある、あの子への愛を素直に伝え、あの子の愛を請うてくださいましな」
「愛を請う?のですか?」
「元々恋愛とはそういう物でしてよ。私はあなたを愛しています。あなたが欲しい。愛しい人の瞳に、自分の姿を映して欲しい。生涯貴方の傍に居させて欲しい。その為ならどんなことでも、してみせましょう。とね?一度や二度断られても、直ぐに諦めてはいけませんわ。結局その程度の想いだったのか、と逆に軽蔑されてしまいますからね」
「なるほど、夫人の仰る通りだ」
「但し」
「但し?」
「キャニスが本気で嫌がるのなら、話は別ですわよ?嫌がる相手に付き纏うなど、身分に関係なく恥ずべき行為ですわ。もしキャニスが嫌だと言うのなら、潔く身を引いて、影ながらでも、あの子の幸せを願い続けて下さいまし」
「・・・・夫人。貴方はキャニスから、契約の詳しい内容を、聞いて居られるか?」
「いいえ?大まかな事しか聞いて居りませんわ」
「キャニスと結んだ契約は1年更新で、1年毎に内容と継続の見直しをする事になって居ます。ですが私は浮かれすぎて、この契約が解除、破棄される可能性があるのだという事を忘れて、1年後もその先も、キャニスが契約を継続してくれるものだと、自分は継続させられるのだと、勝手に思い込んでいました」
「まあ」
「本当は崖っぷちで、後が無い事を忘れるなんて、間抜けも良い処です。夫人にも情けない姿ばかりをお見せして、申し訳なかった」
折り目正しいシェルビーの礼に、夫人は目を細めた。
「殿下。王族たるもの、簡単に頭を下げるものでは無くてよ」
「人生の師となる、賢夫人への礼儀です」
「まあまあ」
この方が、誠実な方なのは確かだわ。
「これから、どうされる御積り?」
「そうですね。一旦頭を冷やして考えてみます。ですが、今までの事を無かった事には出来ませんが、出来れば最初からやり直したいと思っています」
「告白からですの?」
「はい。告白からです」
あらあら、良い顔になっているわ。
こうやってシャンとしたお姿を見ると
、キャニスの横に並んでも見劣りしない方だわね。
あの子が誤解するのも、無理はないわ。
「殿下。幼い頃から良くも悪くも、あの子の横には、ナリウス殿下しか居りませんでした」
「そうですね」
なんて痛々しい顔をされるのかしら。
この方、へっぽこだけれど。
本当にわたくしの天使を、愛して下さっているのね。
「あの子はとても賢い子ですから、世の中の人間全てが、ナリウスのように異常だとは思ってはいないでしょう」
「はい・・・」
「けれど、王家の仕打ちや、度重なるナリウスの裏切りと異常な行動に、あの子が傷つき疲れ切っていることは確かですわ」
「・・・・・」
「あの子が殿下を受け入れるかどうかは別として。殿下には、傷ついたあの子に寄り添い、支えとなって頂きたいの。これが、母としての、わたくしの願いなのです」
「私もそう有りたい,と考えています」
「殿下。わたくしの天使。キャニスを苦しみから救ってやってくださいまし」
「はい。母君の信頼に応え、願いを叶えるべく尽力すると誓います」
シェルビーの真摯な眼差しに、夫人は満足げに頷いた。
「今日の作戦会議は時間が掛かってしまいましたわね。殿下もおばあさんの相手は、飽きたでしょう?」
「おばあさん?夫人はキャニスの母君ですよ?今でも十分若くお美しい」
「まあ!その無駄なリップサービスが、キャニスの誤解の元かも知れなくてよ?」
「あっいや。その、困ったな」
困惑し頭を掻く物慣れない青年を、命より大事な息子の元に送りだした夫人は、開け放たれた窓から、手入れの行き届いた庭を眺めた。
母君ですって。
可愛らしいこと。
彼の方なら、キャニスが心に抱えた鬱屈を晴らして下さることが出来るかしら。
あの子が幼い頃の様に、もう一度心を開いてくれたなら。
わたくしの可愛い天使。
もう一度、あなたの笑顔が見たいわ。
******
「キャス」
「殿下。お母様とのお話しは済んだのですか?」
「あぁ。今日も為になる話しを聞かせていただいた。キャニスが言っていた通り、君の母君は賢明な方だな」
シェルビーの褒め言葉に、キャニスの目がうっすらと細められた。
「母は,私の唯一の自慢ですから」
唯一?
公爵とトバイアスは、自慢じゃ無いのか?
俺が知る限り、二人ともキャニスを溺愛してた筈だが・・・・。
「殿下?」
「ん?」
「お時間は大丈夫ですか?今日は視察があると仰っていましたよね?」
「しまった。母君との話が長引いて、君との時間が無くなってしまった」
「私のことはお気になさらず。視察へ向かわれて下さい」
淡々とした話し方が、まるで突き放されたようで、シェルビーの胸がズキズキと痛んだ。
「なあ、キャニス。私にとって君は、掛け替えのない大切な存在なのだと、理解しているか?」
「えぇ。まあ。こんな契約をする人間はそうは居ないでしょうから」
「そうじゃなくて!」
一瞬気色ばんだシェルビーだが、キャニスの感情が映らない静かな瞳と目が合うと、肩を落とした。
「まあいい。今日は時間が無い。だが次に会う時は、君に大切な話がある。だからキャスも、時間を空けておいてくれ」
次回の約束を取り付けたシェルビーだったが、この短い会話の中で、キャニスの誤解の深さを、改めて思い知らされたのだった。
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