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6話
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声を荒げるトバイアスに、キャニスは、ブランデーと蜂蜜酒の瓶を掲げて見せた。
トバイアスは迷わずブランデーの瓶を受け取り、紅茶のカップに、琥珀色の酒をなみなみと注いで、半分ほどをガブリと飲み込んだ。
「命を取られたわけじゃ無し、僕にとってはそんな事はどうでも良いことなんです。勿論、公爵家を軽んじた事に関しては、制裁が必要ですが。僕個人としては、あの殿下から自由になれた。それだけで充分なんです」
「キャスそれは、人が良すぎる!あいつらはお前の慈悲に値しない、クソどもなんだぞ?」
「別に、慈悲を掛けている訳ではありません。今回の賠償と違約金で、王家は破産します。お金の無い王家なんて、誰も支持しませんよね?お父様やお兄様が、手を汚す必要なんてないのです」
淡々と話すキャニスに、ティーカップ片手に、部屋の中をうろうろと歩き回っていたトバイアスも、ようやく足を止め、椅子に腰を下ろした。
「王家の財政は、そこまで酷いのか?」
「はい。両陛下には優しくして頂きましたが、あの金銭感覚の無さと、無責任さは私一人の力でどうにかなるものでは・・・・。王宮に通うようになってからは、本当に毎日苦労ばかりでした。ですがお陰で私は、他では受けられない、最高の教育を受ける事が出来たと思っているのです。今後王家からの賠償と違約金で、相応の財産と領地が手に入る筈です。王宮での経験が有れば、領民を飢えさせる事も無いでしょう。まあ、王家が本当に支払えれば。の話しなのですが」
「・・・はあ・・・どうしてお前は、昔からそうなのだ?」
「そう・・とは?」
「お前は昔から多くを望まない。それにお前は達観し過ぎて、自分を大切にしないだろ?」
「そう・・・なんでしょうか。僕には、よく分かりません」
俯いて紅茶を啜るキャニスの頭を、トバイアスはぐりぐりと乱暴に撫でまわした。
「お・・お兄様。目が回りそうです」
「お?おお、すまんすまん」
一度キャニスの頭から手を離したトバイアスは、悲し気な笑みを浮かべ、乱れた白金の髪を撫でつけて整えてやった。
「いいかキャス。お前は自分自身の事を蔑ろにし過ぎだ。俺はな、お前が産まれた時本当に嬉しかった。世界中どこを探しても、こんなに可愛らしい生き物は他には居ない、と感動したし、一生お前を守ってやると誓ったんだ。それは父上も母上も同じなんだぞ?」
「でも、僕にそんな価値はありませんよ?」
「ほら!そう云う処だ。良くないぞ!キャス、お前はもっと多くを望んでいいんだ。それに、お前はこの世界の誰よりも、幸せになる資格が有る。それは俺が保証してやる」
「お兄様・・・ありがとうございます」
キャニスの艶やかな口の端が微かに動き、微笑みの3歩手前の表情を形作った。
例えそれが10歩手前だったとしても、今のトバイアスには、それで十分だった。
「それで、キャス。お前は、今後どうしたい?」
「どうとは?」
「大した意味はないんだが、直ぐに社交を始めるのか、暫くのんびり過ごすのか、だな」
現実問題、王太子との婚約が破棄されたとなれば、明日の朝には、キャニス宛の大量の求婚状が届くだろう。
その全てに対応する必要はないが、その中にキャニスを理解し、寄り添ってくれる相手が、見つかる可能性も無くはない。
「俺としては騒ぎが落ち着くまで、家でのんびりがお勧めだな」
「・・・・家の仕事を手伝う、という選択肢は無いのですか?」
このキャニスの発言に、トバイアスは頭を抱えたくなった。
キャニスは、子供の頃から聞き訳の良い子供だった。貴族の子供に有り勝ちな、我儘を言った事も無く。公爵家の令息として必要な、教育の全てを嫌がったことが無い。
トバイアスなど、退屈な歴史やマナーの授業から何度逃げ出したか、分からない程だったのにだ。
子供らしい感情の起伏も無く、毎日をただ淡々と、それこそ生まれてしまったから、仕方がないとでも言う様に、公爵家の令息としての義務を果たして来たのだ。
王立学院に入学してからは、成績は常にトップの座を守り切り、生徒活動を取り仕切る、ローゼンクラウンにスカウトされ、プレジダンに就任してからは、全ての行事を取り仕切り、王立学院歴代最高の天才、逸材、と言われるほどだった。
そんなキャニスは、当然生徒たちの憧れの的だったが、本人はそれを鼻にかける事も無く、王子の様に遊興にふけり、色に溺れる事も無く。婚約者の王子から、花の一輪も贈られたことが無くとも。
只々、淡々と粛々と義務を果たし、王太子の婚約者としての品位を保ち続けた。
そんな弟の事を、異常だと思った事もある。
子供らしさも青春も、何もかもを犠牲にしても。貴族の臣下の義務だからと、文句ひとつ言わず、もう嫌だと投げ出すこともしない。
婚約者から蔑ろにされようが、気に留めた事も無い。弟には人としての大切な何かが欠落しているのではないか。と薄ら寒い気分になったものだ。
それでも、キャニスはこの世で一番大切な、可愛い弟だ。
可愛い弟の為に、何かしてあげられないか、人間らしい感情を持たせることは出来ないか、そんな想いを母に相談した事もある。
すると賢明な母は、キャニスの事を、心の声が小さくて、それを聞き取るのが下手な子なのだと言った。
感情が無い訳ではない。
家族や使用人に対する思い遣りもある。
ただ、自分の感情だけが分からない、自分を大切に思えないだけなのだと。
だったら、俺が大事にしてやれば良い。
この世界に、キャニスが必要だと言い続けてやれば良い。クズ野郎の王子など、いざとなったらどうにでも処理できる。
王子の素行の悪さが露呈した時から、破婚を願い出ていたが、ここ迄引き延ばされたのは、想定外だったし、こんな形で婚約が破棄されるとは思わなかった。
それでも、キャニスは漸く自由を手に入れた。
自由であることに慣れていない弟に、人生の楽しみ方を教えてやりたい。
滅多に笑わない弟が、笑顔で過ごせるようにしてやりたかった。
「その選択肢は無いな」
「どうしてですか?」
「俺の仕事が無くなるからだ」
「あ・・・・」
「まあ。お前が公爵家を継ぎたいと言うのであれば、俺はいつでもお前にこの席を譲るが、せっかく王子と王家の面倒を見なくて済むようになったのだ。暫くは遊んでいても良いだろう?」
「あそぶ?・・・ですがお兄様、僕は遊んだ事が無いので、どうしたらいいのか分かりません」
だろうな。
キャスはいつも義務を優先して、俺が誘わなければ、遊んでいる姿なんて見たことがなかったもんな。
「なら、先ずは友達を作るんだ」
「友達ですか」
「お前は、未来の王配としてだけじゃなく。あの腐れ王子の肩代わりで、毎日忙しく過ごして来たし、同年代の子供からも線引きをされて来た。未来の国母に恐れ多いってな。だがそれも今日で終わりだ、だったら気の合う連中と話をするだけでもいい。年の近い友人が出来れば、自ずと遊びに出掛ける様にもなるし。やりたい事も見つけられると、俺は思うぞ?」
「そんな簡単にいくでしょうか。自分で言うのも情けないですが、僕は面白い人間ではありません」
「そうか?面白くなくとも、お前は国一番、いや大陸一の美貌と、王家をしのぐ財力を持っているんだ。なによりお前は心根の優しい良い奴だ。男女問わず、お前と仲良くなりたい奴は腐るほどいる」
「お兄様。僕は優しくも、美しくなんかもありません。もし本当にそうだったら、殿下はあんなに浮気三昧の暮らしなんて、なさらなかった筈です」
そう言って、静かに紅茶のカップに唇を付けるキャニスより美しい人物を、トバイアスは知らない。
トバイアスは迷わずブランデーの瓶を受け取り、紅茶のカップに、琥珀色の酒をなみなみと注いで、半分ほどをガブリと飲み込んだ。
「命を取られたわけじゃ無し、僕にとってはそんな事はどうでも良いことなんです。勿論、公爵家を軽んじた事に関しては、制裁が必要ですが。僕個人としては、あの殿下から自由になれた。それだけで充分なんです」
「キャスそれは、人が良すぎる!あいつらはお前の慈悲に値しない、クソどもなんだぞ?」
「別に、慈悲を掛けている訳ではありません。今回の賠償と違約金で、王家は破産します。お金の無い王家なんて、誰も支持しませんよね?お父様やお兄様が、手を汚す必要なんてないのです」
淡々と話すキャニスに、ティーカップ片手に、部屋の中をうろうろと歩き回っていたトバイアスも、ようやく足を止め、椅子に腰を下ろした。
「王家の財政は、そこまで酷いのか?」
「はい。両陛下には優しくして頂きましたが、あの金銭感覚の無さと、無責任さは私一人の力でどうにかなるものでは・・・・。王宮に通うようになってからは、本当に毎日苦労ばかりでした。ですがお陰で私は、他では受けられない、最高の教育を受ける事が出来たと思っているのです。今後王家からの賠償と違約金で、相応の財産と領地が手に入る筈です。王宮での経験が有れば、領民を飢えさせる事も無いでしょう。まあ、王家が本当に支払えれば。の話しなのですが」
「・・・はあ・・・どうしてお前は、昔からそうなのだ?」
「そう・・とは?」
「お前は昔から多くを望まない。それにお前は達観し過ぎて、自分を大切にしないだろ?」
「そう・・・なんでしょうか。僕には、よく分かりません」
俯いて紅茶を啜るキャニスの頭を、トバイアスはぐりぐりと乱暴に撫でまわした。
「お・・お兄様。目が回りそうです」
「お?おお、すまんすまん」
一度キャニスの頭から手を離したトバイアスは、悲し気な笑みを浮かべ、乱れた白金の髪を撫でつけて整えてやった。
「いいかキャス。お前は自分自身の事を蔑ろにし過ぎだ。俺はな、お前が産まれた時本当に嬉しかった。世界中どこを探しても、こんなに可愛らしい生き物は他には居ない、と感動したし、一生お前を守ってやると誓ったんだ。それは父上も母上も同じなんだぞ?」
「でも、僕にそんな価値はありませんよ?」
「ほら!そう云う処だ。良くないぞ!キャス、お前はもっと多くを望んでいいんだ。それに、お前はこの世界の誰よりも、幸せになる資格が有る。それは俺が保証してやる」
「お兄様・・・ありがとうございます」
キャニスの艶やかな口の端が微かに動き、微笑みの3歩手前の表情を形作った。
例えそれが10歩手前だったとしても、今のトバイアスには、それで十分だった。
「それで、キャス。お前は、今後どうしたい?」
「どうとは?」
「大した意味はないんだが、直ぐに社交を始めるのか、暫くのんびり過ごすのか、だな」
現実問題、王太子との婚約が破棄されたとなれば、明日の朝には、キャニス宛の大量の求婚状が届くだろう。
その全てに対応する必要はないが、その中にキャニスを理解し、寄り添ってくれる相手が、見つかる可能性も無くはない。
「俺としては騒ぎが落ち着くまで、家でのんびりがお勧めだな」
「・・・・家の仕事を手伝う、という選択肢は無いのですか?」
このキャニスの発言に、トバイアスは頭を抱えたくなった。
キャニスは、子供の頃から聞き訳の良い子供だった。貴族の子供に有り勝ちな、我儘を言った事も無く。公爵家の令息として必要な、教育の全てを嫌がったことが無い。
トバイアスなど、退屈な歴史やマナーの授業から何度逃げ出したか、分からない程だったのにだ。
子供らしい感情の起伏も無く、毎日をただ淡々と、それこそ生まれてしまったから、仕方がないとでも言う様に、公爵家の令息としての義務を果たして来たのだ。
王立学院に入学してからは、成績は常にトップの座を守り切り、生徒活動を取り仕切る、ローゼンクラウンにスカウトされ、プレジダンに就任してからは、全ての行事を取り仕切り、王立学院歴代最高の天才、逸材、と言われるほどだった。
そんなキャニスは、当然生徒たちの憧れの的だったが、本人はそれを鼻にかける事も無く、王子の様に遊興にふけり、色に溺れる事も無く。婚約者の王子から、花の一輪も贈られたことが無くとも。
只々、淡々と粛々と義務を果たし、王太子の婚約者としての品位を保ち続けた。
そんな弟の事を、異常だと思った事もある。
子供らしさも青春も、何もかもを犠牲にしても。貴族の臣下の義務だからと、文句ひとつ言わず、もう嫌だと投げ出すこともしない。
婚約者から蔑ろにされようが、気に留めた事も無い。弟には人としての大切な何かが欠落しているのではないか。と薄ら寒い気分になったものだ。
それでも、キャニスはこの世で一番大切な、可愛い弟だ。
可愛い弟の為に、何かしてあげられないか、人間らしい感情を持たせることは出来ないか、そんな想いを母に相談した事もある。
すると賢明な母は、キャニスの事を、心の声が小さくて、それを聞き取るのが下手な子なのだと言った。
感情が無い訳ではない。
家族や使用人に対する思い遣りもある。
ただ、自分の感情だけが分からない、自分を大切に思えないだけなのだと。
だったら、俺が大事にしてやれば良い。
この世界に、キャニスが必要だと言い続けてやれば良い。クズ野郎の王子など、いざとなったらどうにでも処理できる。
王子の素行の悪さが露呈した時から、破婚を願い出ていたが、ここ迄引き延ばされたのは、想定外だったし、こんな形で婚約が破棄されるとは思わなかった。
それでも、キャニスは漸く自由を手に入れた。
自由であることに慣れていない弟に、人生の楽しみ方を教えてやりたい。
滅多に笑わない弟が、笑顔で過ごせるようにしてやりたかった。
「その選択肢は無いな」
「どうしてですか?」
「俺の仕事が無くなるからだ」
「あ・・・・」
「まあ。お前が公爵家を継ぎたいと言うのであれば、俺はいつでもお前にこの席を譲るが、せっかく王子と王家の面倒を見なくて済むようになったのだ。暫くは遊んでいても良いだろう?」
「あそぶ?・・・ですがお兄様、僕は遊んだ事が無いので、どうしたらいいのか分かりません」
だろうな。
キャスはいつも義務を優先して、俺が誘わなければ、遊んでいる姿なんて見たことがなかったもんな。
「なら、先ずは友達を作るんだ」
「友達ですか」
「お前は、未来の王配としてだけじゃなく。あの腐れ王子の肩代わりで、毎日忙しく過ごして来たし、同年代の子供からも線引きをされて来た。未来の国母に恐れ多いってな。だがそれも今日で終わりだ、だったら気の合う連中と話をするだけでもいい。年の近い友人が出来れば、自ずと遊びに出掛ける様にもなるし。やりたい事も見つけられると、俺は思うぞ?」
「そんな簡単にいくでしょうか。自分で言うのも情けないですが、僕は面白い人間ではありません」
「そうか?面白くなくとも、お前は国一番、いや大陸一の美貌と、王家をしのぐ財力を持っているんだ。なによりお前は心根の優しい良い奴だ。男女問わず、お前と仲良くなりたい奴は腐るほどいる」
「お兄様。僕は優しくも、美しくなんかもありません。もし本当にそうだったら、殿下はあんなに浮気三昧の暮らしなんて、なさらなかった筈です」
そう言って、静かに紅茶のカップに唇を付けるキャニスより美しい人物を、トバイアスは知らない。
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