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愛し子と樹海の王

銀狐の苦悩

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 頬を伝った涙に気付いたマークは、自分でも驚いているのか、慌てて手の平で頬を擦り、零した涙を誤魔化そうとしている。

「お見苦しいところを・・・申し訳ございません」

「なんのことだ?」

 白々しくとも、知らぬ振りも大事だ。

「お前の考えも聴かず、勝手な事をして申し訳なかった」

「そんな、やめて下さい。私だけでなく家門の事にまで気にかけて頂いて・・・・」

「うむ・・・・だがな決めるのはお前だぞ? 只な、噂が出始めている以上、暫くはロロシュと行動を共に似ない方が良いだろう、とは思う。あいつが今のままなら、傷つけられるのはお前だからな」

「はい・・・」

「ねえ? マークさん。アレクがロロシュさんに言った事は、最終手段なのよ?一番大事なのはマークさんがどうしたいかって事だからね?」

「私は・・・どうしたら良いのか分からないのです」

「うん」

「ロロシュは・・・ロロシュの求愛を受けて、暫くは優しかったように思います。ただ、何時まで経っても、私の両親や兄、閣下の様な愛情表現をされたことは無く・・・」

「そうだったのね」

「それでも、職場が同じ訳ですから、公私は分けるべきだと思っていたのです。触れようとした手を避けられても、職務中だから仕方がないと・・・・それに、ともに過ごす時間があるだけ、幸せなのだと、自分に言い聞かせても居ました」

「そう・・・なんだ」

「髪を梳いてくれた事があるのですが、一度やってみたかった。と言っていて、満足してしまったのか、それきりです。・・・春の夜会のとき、ロロシュは約束の時間に遅れてきました。一目で忘れていたのだと分かりましたが、それでも、仕事で遅れたのかもしれない。エスコートの為に急いで来てくれた。それで満足するべきなのだと、言い聞かせている自分が馬鹿みたいで」

「マークさん・・・・」

「私の兄は婚姻前、ウキウキと嬉しそうに、番のエスコートに出掛けていました。性格の違い、と言ってしまえば、それまでなのですが。その落差に、惨めな気分にもなったのです」

「それは当然だと思うわよ?」

「だから、夜会の席で、多くの人に声を掛けられる私を見たロロシュが、皇太子殿下に婚約を報告したときには、私に対する執着心があったのだと、嬉しかった。・・・ですが、あの日、私はロロシュからダンスを断られた」

「はあ?! ダンスを断っただと?!」

「ちょっと、アレク落ち着いて」

 ここまでの、マークの告白でも十分腹が立っていた。
 それが夜会に参加しておいて、パートナーと踊らないだと?!
 番云々以前に非常識すぎるだろ?!

「信じられませんよね? 私もなんの冗談かと思いました。閣下とレン様がホールに出られた時、他の騎士隊も一緒に踊りに出ていましたよね? 私もロロシュに踊ろうと誘ったのですが・・・私が断られるのを、大勢の人が見ていました。私達の噂が出まわり始めたのは、これが切っ掛けです」

 怒りの余り、奥歯がギリギリとなるのを止められない。
 そんな俺を、レンは心配そうに横目でちらりと見たが、今はマークに集中するべきだと思ったようだ。

 膝の上で握られたマークの拳を、レンの手が優しく包み込んでいる。

「ロロシュは何と言って、ダンスを断った?」

「気分じゃないと」

 “チッ! あの野郎”

 小さく溢したレンの呟きが、怒りの全てを物語っている。

 この場にロロシュがいれば、俺もロロシュを殴り倒していただろう。

「でも、夜会の後も、仲良くしているように見えたけど」

「表面上は・・・会話は普通にしていましたし、花や宝飾品を贈ってくれたこともあります。殿下に報告したことで、婚約もほぼ確定ですから・・・ただ、父が書類の提出は暫く待てと。公爵にも陛下の喪が明けるまで、書類は出さないと話したそうです」

 アーチャー伯は、ロロシュの態度に気付いている。
 
 しかし、相手は腐っても侯爵家の後継だ。
 番として納得できずとも、侯爵相手に強くは出られんのだろう。

「マリカムで、ロロシュの物言いに閣下から苦言を頂いて、ロロシュも少しは反省した様子を見せたのですが、直ぐにもとに戻ってしまいました。あの時、閣下に婚約を考え直せと言われて、私は気が楽になったのです」

「どうして楽になったの?」

「それは・・・・それまで、ロロシュの態度の原因は、自分だと思っていたので・・・私に足りないところがあるから、番にあのような態度を取られるのだと、こんなことでクヨクヨする自分がおかしいのだと・・・ですが、閣下にはっきりと言われて、おかしいのはロロシュの方だと、認識できたのです」

「でも、別れよう、とは思わなかったのよね?」

「それは、あんなのでも番ですから・・・レン様には分かり難いと思いますが、獣人の番に対する思いは、そう簡単に割り切れるものではないのです」

「それは、なんとなく分かる」

 チラリと俺に目を向けた番が、今何を考えているのかは分からない。
 今レンから伝わって来るのは、マークに対する憐憫と、ロロシュに対する苛立ちだからだ。

「レン様はご存じないかもしれませんが、ロロシュは事あるごとに、閣下のレン様に対する愛情表現や、執着を揶揄ったり、否定する言動を繰り返しています」

 そうなの? と振り返る番に、俺は頷き返した。

「なるほどね・・・」

「ロロシュにとっては、本当に揶揄っているだけの、軽口のつもりなのかもしれません。確かに閣下は遣り過ぎなところも多いですから」

 そう言われて、俺とレンは苦笑いを浮かべるしかない。

「ですが、レン様は人族なので、人族の番を得た獣人は、どうしても過保護になりがちですし、閣下の取られる行動は、獣人なら理解できる範疇のものです。それに個人的な意見を言わせていただくなら、閣下の愛は、かなり重いですが、そこを受け入れられるなら、理想的な伴侶だと思います」

「うん。知ってる。でもあげないよ?」

「うふふ。知ってます」

 ほんの束の間、和やかに微笑み合った二人だが、マークはすぐに表情を曇らせた。

「私は、閣下の粘着質で激重な執着も、獣人なら常識の範囲内だと思っています。家族や同僚たちが見せる、番への愛も常識だと思っていました。だから私も番を得たら、当然そうなるものだろうと思っていたのです。ですが閣下の見せる執着と愛情に、ロロシュが否定的な事を言うたびに、自分が常識だと思っていた、愛情を与えられる事は無いのだと、思い知らされるようで・・・凄く惨めで・・・・こんな事なら、番など見つからない方が良かったと・・・・」

 握りしめた拳に添えられた、レンの手の甲にぽたぽたと雫が零れ、レンが差し出したハンカチを、マークは黙って受け取った。

「私はレン様の護衛として、一生を捧げようと誓いを立てました。それなのに、実際の私は、自分の恋愛ごとに振り回されて、このような為体で・・・本当にお恥ずかしい限りです」

「恥ずかしくなんてないのよ?マークさんは何も悪くないの」

「しかし戦さを前に、このような私事で、閣下やレン様のお手を煩わせてしまい、本当に申し訳ございません。このような情けない姿をお見せするのは、これで最後です」

「マークさん?」

「閣下の仰る通り、ロロシュとは距離を置きたいと思います。ご心配をお掛けしましたが、今後も誠心誠意レン様に仕えさせていただきますので、今日の事はご勘弁ください」

「そんな風に言わないで」

「ふふふ。レン様はお優しいですね」

「あ~。その事なんだがな。マークお前には暫く、レンの護衛を外れて貰う」

「何故ですか!? 今の私ではレン様の護衛として相応しくない、と仰るのですか?!」

 傷付いた顔で言い募るマークを、手で押し留めた。

「そうではない。俺はロロシュを追い出した。副団長の席が空席だ。暫定的だが、マークに復帰してもらいたい」

「ですが・・・・」

「マキシマス・アーチャー。お前以外に任せられるものなど居らん」

 逡巡する瞳を見詰め、言葉を重ねると、痛みを堪えるように瞼が閉ざされた。

「・・・拝命いたします」

 マークは唇を噛んで片膝をついた。
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