【占星術師の宇宙論】

荒雲ニンザ

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第5話 アーミラリスフィア

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 結果として、アズが家から逃げ出したのは良かったのだろう。
 今は彼らに落ち着いてもらうしかない。
 世の中は地動説に傾き、思うように天道説の人々が生きていけなくなっているのは確かなのだ。
 やれ金属はダメだ、やれ科学はダメだと言っても、ないものはない。彼らに引いてもらうしかないのだから。

 日が暮れてきた森の村は、星明かりが空に灯り始めた頃だ。
 どこに避難しようかと考えていたが、慌てて走っていたせいで暗くなってきた道に足をとられて躓き、アズは持っていたアストロラーベを落としてしまう。

「あっ!」

 キン、と高い音がしたので石に当たったのだろう。遠くに転がり飛んでいく音が耳についた。

「マズイマズイマズイ……!!」

 この先はなだらかな坂だ。そしてその先は泉がある。
 どうか途中で止まっていてくれと願いながら音の下方向へ進んでいくと、掻き分けた茂みの動きで蛍が一斉に宙に飛び立った。

「わあ……」

 思わず足を止めてしまうほどの光景。まるで近くに星屑が寄ってきたような輝きで周囲が満たされ、アズはため息をついて見惚れてしまう。
 するとどこからか数人の女性の笑い声が聞こえ、そちらに意識が引っ張られた。

「……こんな時間、こんな場所に誰がいるんだ……?」

 自分も人のことを言えたわけではないが、そちらの方に歩を進める。
 泉の近くまで行くと、そこに半透明な裸のニュンペーたちが水の上で踊りあっていた。

「妖精だ……」

 初めて見たのだろう、アズはぽかんと口を開けてそれを凝視する。そのうち何人かのニュンペーがそのアズに気がつき、こちらに近寄ってきた。

「あわわ……」

『大丈夫よアズ』
『嬉しいわ、私たちのことが見えるのね』
占星術師アストロジャーになる用意ができたってことだよ』

 彼女たちの一人がアストロラーベを手にしているのに気がついたアズは、それを指さして狼狽えてしまう。

「あのっ、それ、私が落としたやつ……」

『気をつけて。これを無くしたら大変』

 ずしりと手に、金属の感触が渡った。

「あ……あり、がとう」

『ジノヴィオスに呼ばれて来たのね』

 ニュンペーの言っている意味が分からず、アズは首を傾げた。

『世界が消えてしまう前に、アズに助けを求めたの』

「世界が消えてしまう……って?」

『バブロニアンたちの全てが地動説を信じてしまったら、私たちはみんな消えてしまう』
『不思議なもの、清い存在、こっそり手伝ってくれてる小さな者たち』
『木々の中にいる子、山を守る者、海で歌う人、風を好む獣』
『みんなみんな、消えてしまう』
『助けて、アズ』

「どういうこと? 科学が発展すると、あなた達ニュンペーは消えてしまうの?」

『ジノヴィオスを信じる者たちがいなくなれば、魔法を扱える人がいなくなってしまう』
『手遅れになる前に』
クレプシドラ水時計をひっくり返して』

 次第に周囲が暗くなっていく感覚に陥り、アズは焦り始める。
 ニュンペーたちの姿が薄れていくようで、懸命に目を凝らす。

「待って! クレプシドラって、この世界のことでしょう? ひっくり返すって?」

『選択して……アズ……』
『……星の導き……に……』
『……ジノヴィオスの……声……』

「待って! 行かないで! どういうことなの? 分からないよ!」

 泉に群れる蛍の光と、森の天井から見える星空だけが残り、アズは暗闇に一人取り残された。
 村はどっちの方向かそれも定かではなくなり、足がすくんでしまう。
 うっかりすれば泉に落ちてしまうかもしれない。そんな恐怖がアズの身動きを止めていた。
 ふと、手にしていた金属の円盤がうっすら黄金に輝いているのに気がつき、周囲から微かな光を集めているのだと悟る。

「……ジノヴィオスの声……」

 アズはアストロラーベを掌に乗せ、星を見せるようにそれを少し持ち上げた。

「私の声が聞こえますか」

 しばらくそのまま静寂が流れる。リーリーと羽虫が鳴いている音だけが響いていた。

「星よ、導きたまえ……女神ジノヴィオスの声を私に届けて」


 その瞬間、アズの両掌の上に乗せられた平たいアストロラーベに急激に光が引き寄せられ始め、ゆるりと回転しながら浮かび上がる。
 次第に装飾が一枚二枚と起立して剥がれ始めると、円盤は立体的に組み立てられてゆき、最後には球体のアーミラリスフィアとなってアズの手元に納まり落ちた。
 まるで星を中心に集めて閉じ込めてしまったような神々しさ。アズはあまりの美しさに言葉をなくしてそれを見つめ続けた。

「選択しなくては……」

 思い出したように世界の理を呟き、渾天儀を空に掲げる。

「……でもどうやって?」

 ニュンペーは助けを求めていたが、その方法が分からない。クレプシドラをひっくり返せと言っていたが、世界をひっくり返せという意味なのだろうか。そんなことどうやって?
 アズは掲げていた輝く渾天儀を胸元に下ろし、今は最善の方法をとることにした。

「家に帰ろう。おばあちゃんにこの話を伝えよう……」

 きっと、長く星を読んで生きてきた彼女なら何か分かるだろう。そう思った時、アーミラリスフィアの光が薄れて消えた。

「あ……」

 掌の球体が崩れていき、元の平たいアストロラーベに戻るのを見届けたあたりで、遠くから自分の名を呼ぶ声が聞こえた。

「アズー!」

 遠くでランプの光がチラついて見える。

「父さん!」

 アズはその方向に走り出すと、正しい道を見つけて安堵した。
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