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第二十話 俺たちと暮らせ!
しおりを挟む 朝から女衆がこんな賑やかなことはない。大体どいつも眠い眼でぼんやり朝飯の支度をし始めるか、寝起きで苛つきながら外に出てくる奴しかいないのだ。今何時かと不安になり、寿三郎は戸を開けて外を窺った。
井戸の方を覗き込んで部屋の前から背を伸ばしていると、それに気づいた吉祥が扇を上げた。
「寿三郎ー!」
呼ばれてがくりと気が滅入る。あの野郎め、また呼び捨てしおってからに。文句の一つも言ってやろうかと思ったが、吉祥の周囲を取り囲む女衆の色めきだった様子を見てその言葉も引っ込んだ。
側にいた長次が頭を下げ、寿三郎に駆け寄ってくる。
「寿三郎様! 昨日はありがとうございました。寿三郎様が長屋まで連れて帰って下さったんですよね……? 本当にごめんなさい、おいら最後までちゃんとできなかった……」
「ん……いや、お主はよくやった。礼節も忘れず、どこぞの役者に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいよくやった」
「聞こえてんでー」
「ここのところ、正太郎のことで難儀していたのだ、疲れも溜まっていただろう。気に病むな」
「おい寿三郎」
「うるさいな、なんだ」
自分を無視して長次と会話しているのが気に食わなかったのだろう、吉祥は寿三郎の元にやってきた。
「冷たいなー。昨日一晩同じ布団で寝た仲だろうに、寂しいわ」
「起きたら布団は遥か遠くにあったぞ」
「煎餅すぎて飛んでいったんちゃう?」
やはりこの男は話にならないと寿三郎は切り上げる。
「待て待て、あっこに御座す天女たちに惣菜もうたんや、米炊いて朝食にしようや」
その手に持っている土鍋の蓋にてんこ盛りによそられている惣菜を目にし、寿三郎は大きく口を開けてしまう。
「おま……」
「野暮なことは言いっこ無しで行こうやー。さっさと食って掛け小屋に戻らんと、仕事に遅れてまう。長次も持ってけ、おとんにも滋養つけてもらわへんとなんないやろ?」
ここで長次と寝込んでいる正太郎を出されると寿三郎としても何も言えない。初めこそ嫌な顔をしていたが、色気だっている女衆に渋々会釈をすると、ため息一つついて部屋に戻って行った。
「長次、鍋を持って部屋に来い。こうなったらありがたく頂戴しよう……」
「は、はい……助かります……」
「いや待て長次! 俺が行く」
「えっ、でも……」
「米を貸してくれ、何もないんだった……」
それを聞いた吉祥が笑う。
「かっこ悪ぅ」
「お主の分は炊かなくていいんだな!?」
「冗談やってー。お惣菜もうてきてやったやろー」
寿三郎は土鍋の蓋から鍋に惣菜を移し、水桶を吉祥に渡して言った。
「いいか吉祥……、今日も泊まりたかったら、長屋の連中に媚を売るような真似はするな」
「それが商売やねんもん、しゃあないやん」
「ここでは商売をするな! 俺たちと一緒に暮らせ!」
その一言に吉祥は驚いた表情を見せた。寿三郎は疑問を覚えたが、訳が分からず眉を寄せる。それを察したのか、吉祥は口をへの字に結んで視線を逸らした。
「へいへい、お侍様はお堅くていらっしゃる」
「土鍋の蓋を女衆に返してこい。あと……」
「水汲むんやろ。へいへーい」
戸を開けて出ていく吉祥を見送り、寿三郎は長次と視線を合わせて肩をすくめた。
昨夜は何事もなかった。あの三人の男たちに長屋の場所は知られているだろうが、襲ってくる気配はない。今朝も長屋の周辺を見て回ったが、怪しい人影はない様子。
その足で三人は両国まで行き、掛け小屋に入る。
「おはようさーん」
吉祥の声で中にいた天道がこちらを振り返った。
「おう、おはようさん。どやった?」
「なんもなかったで」
「さよか……そら良かった。まあ、しばらくは寿三郎さんとこでお世話にならしてもろて、ちょっと様子見てようか」
「別にええけど……」
それから天道は寿三郎に頭を下げる。
「そういうことで、よろしゅう頼みます」
何やかんやと天道は筋を通す。寿三郎の性格を知ってか知らぬか、弱いことばかりされて断りきれない。押しが強い、無茶をしてくる、かと思えば助けに回り、本当に油断ならないくせ者だ。
「むう……まあやむなし……。それはそうと、今日の仕事だ」
「ああ、それなんやけどね」
井戸の方を覗き込んで部屋の前から背を伸ばしていると、それに気づいた吉祥が扇を上げた。
「寿三郎ー!」
呼ばれてがくりと気が滅入る。あの野郎め、また呼び捨てしおってからに。文句の一つも言ってやろうかと思ったが、吉祥の周囲を取り囲む女衆の色めきだった様子を見てその言葉も引っ込んだ。
側にいた長次が頭を下げ、寿三郎に駆け寄ってくる。
「寿三郎様! 昨日はありがとうございました。寿三郎様が長屋まで連れて帰って下さったんですよね……? 本当にごめんなさい、おいら最後までちゃんとできなかった……」
「ん……いや、お主はよくやった。礼節も忘れず、どこぞの役者に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいよくやった」
「聞こえてんでー」
「ここのところ、正太郎のことで難儀していたのだ、疲れも溜まっていただろう。気に病むな」
「おい寿三郎」
「うるさいな、なんだ」
自分を無視して長次と会話しているのが気に食わなかったのだろう、吉祥は寿三郎の元にやってきた。
「冷たいなー。昨日一晩同じ布団で寝た仲だろうに、寂しいわ」
「起きたら布団は遥か遠くにあったぞ」
「煎餅すぎて飛んでいったんちゃう?」
やはりこの男は話にならないと寿三郎は切り上げる。
「待て待て、あっこに御座す天女たちに惣菜もうたんや、米炊いて朝食にしようや」
その手に持っている土鍋の蓋にてんこ盛りによそられている惣菜を目にし、寿三郎は大きく口を開けてしまう。
「おま……」
「野暮なことは言いっこ無しで行こうやー。さっさと食って掛け小屋に戻らんと、仕事に遅れてまう。長次も持ってけ、おとんにも滋養つけてもらわへんとなんないやろ?」
ここで長次と寝込んでいる正太郎を出されると寿三郎としても何も言えない。初めこそ嫌な顔をしていたが、色気だっている女衆に渋々会釈をすると、ため息一つついて部屋に戻って行った。
「長次、鍋を持って部屋に来い。こうなったらありがたく頂戴しよう……」
「は、はい……助かります……」
「いや待て長次! 俺が行く」
「えっ、でも……」
「米を貸してくれ、何もないんだった……」
それを聞いた吉祥が笑う。
「かっこ悪ぅ」
「お主の分は炊かなくていいんだな!?」
「冗談やってー。お惣菜もうてきてやったやろー」
寿三郎は土鍋の蓋から鍋に惣菜を移し、水桶を吉祥に渡して言った。
「いいか吉祥……、今日も泊まりたかったら、長屋の連中に媚を売るような真似はするな」
「それが商売やねんもん、しゃあないやん」
「ここでは商売をするな! 俺たちと一緒に暮らせ!」
その一言に吉祥は驚いた表情を見せた。寿三郎は疑問を覚えたが、訳が分からず眉を寄せる。それを察したのか、吉祥は口をへの字に結んで視線を逸らした。
「へいへい、お侍様はお堅くていらっしゃる」
「土鍋の蓋を女衆に返してこい。あと……」
「水汲むんやろ。へいへーい」
戸を開けて出ていく吉祥を見送り、寿三郎は長次と視線を合わせて肩をすくめた。
昨夜は何事もなかった。あの三人の男たちに長屋の場所は知られているだろうが、襲ってくる気配はない。今朝も長屋の周辺を見て回ったが、怪しい人影はない様子。
その足で三人は両国まで行き、掛け小屋に入る。
「おはようさーん」
吉祥の声で中にいた天道がこちらを振り返った。
「おう、おはようさん。どやった?」
「なんもなかったで」
「さよか……そら良かった。まあ、しばらくは寿三郎さんとこでお世話にならしてもろて、ちょっと様子見てようか」
「別にええけど……」
それから天道は寿三郎に頭を下げる。
「そういうことで、よろしゅう頼みます」
何やかんやと天道は筋を通す。寿三郎の性格を知ってか知らぬか、弱いことばかりされて断りきれない。押しが強い、無茶をしてくる、かと思えば助けに回り、本当に油断ならないくせ者だ。
「むう……まあやむなし……。それはそうと、今日の仕事だ」
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