上 下
20 / 42

第二十話 俺たちと暮らせ!

しおりを挟む
 朝から女衆がこんな賑やかなことはない。大体どいつも眠い眼でぼんやり朝飯の支度をし始めるか、寝起きで苛つきながら外に出てくる奴しかいないのだ。今何時なんどきかと不安になり、寿三郎は戸を開けて外を窺った。
 井戸の方を覗き込んで部屋の前から背を伸ばしていると、それに気づいた吉祥が扇を上げた。

「寿三郎ー!」

 呼ばれてがくりと気が滅入る。あの野郎め、また呼び捨てしおってからに。文句の一つも言ってやろうかと思ったが、吉祥の周囲を取り囲む女衆の色めきだった様子を見てその言葉も引っ込んだ。
 側にいた長次が頭を下げ、寿三郎に駆け寄ってくる。

「寿三郎様! 昨日はありがとうございました。寿三郎様が長屋まで連れて帰って下さったんですよね……? 本当にごめんなさい、おいら最後までちゃんとできなかった……」
「ん……いや、お主はよくやった。礼節も忘れず、どこぞの役者に爪の垢を煎じて飲ませたいくらいよくやった」
「聞こえてんでー」
「ここのところ、正太郎のことで難儀していたのだ、疲れも溜まっていただろう。気に病むな」
「おい寿三郎」
「うるさいな、なんだ」

 自分を無視して長次と会話しているのが気に食わなかったのだろう、吉祥は寿三郎の元にやってきた。

「冷たいなー。昨日一晩同じ布団で寝た仲だろうに、寂しいわ」
「起きたら布団は遥か遠くにあったぞ」
「煎餅すぎて飛んでいったんちゃう?」

 やはりこの男は話にならないと寿三郎は切り上げる。

「待て待て、あっこに御座す天女たちに惣菜もうたんや、米炊いて朝食にしようや」

 その手に持っている土鍋の蓋にてんこ盛りによそられている惣菜を目にし、寿三郎は大きく口を開けてしまう。

「おま……」
「野暮なことは言いっこ無しで行こうやー。さっさと食って掛け小屋に戻らんと、仕事に遅れてまう。長次も持ってけ、おとんにも滋養つけてもらわへんとなんないやろ?」

 ここで長次と寝込んでいる正太郎を出されると寿三郎としても何も言えない。初めこそ嫌な顔をしていたが、色気だっている女衆に渋々会釈をすると、ため息一つついて部屋に戻って行った。

「長次、鍋を持って部屋に来い。こうなったらありがたく頂戴しよう……」
「は、はい……助かります……」
「いや待て長次! 俺が行く」
「えっ、でも……」
「米を貸してくれ、何もないんだった……」

 それを聞いた吉祥が笑う。

「かっこ悪ぅ」
「お主の分は炊かなくていいんだな!?」
「冗談やってー。お惣菜もうてきてやったやろー」

 寿三郎は土鍋の蓋から鍋に惣菜を移し、水桶を吉祥に渡して言った。

「いいか吉祥……、今日も泊まりたかったら、長屋の連中に媚を売るような真似はするな」
「それが商売やねんもん、しゃあないやん」
「ここでは商売をするな! 俺たちと一緒に暮らせ!」

 その一言に吉祥は驚いた表情を見せた。寿三郎は疑問を覚えたが、訳が分からず眉を寄せる。それを察したのか、吉祥は口をへの字に結んで視線を逸らした。

「へいへい、お侍様はお堅くていらっしゃる」
「土鍋の蓋を女衆に返してこい。あと……」
「水汲むんやろ。へいへーい」

 戸を開けて出ていく吉祥を見送り、寿三郎は長次と視線を合わせて肩をすくめた。


 昨夜は何事もなかった。あの三人の男たちに長屋の場所は知られているだろうが、襲ってくる気配はない。今朝も長屋の周辺を見て回ったが、怪しい人影はない様子。
 その足で三人は両国まで行き、掛け小屋に入る。

「おはようさーん」

 吉祥の声で中にいた天道がこちらを振り返った。

「おう、おはようさん。どやった?」
「なんもなかったで」
「さよか……そら良かった。まあ、しばらくは寿三郎さんとこでお世話にならしてもろて、ちょっと様子見てようか」
「別にええけど……」

 それから天道は寿三郎に頭を下げる。

「そういうことで、よろしゅう頼みます」

 何やかんやと天道は筋を通す。寿三郎の性格を知ってか知らぬか、弱いことばかりされて断りきれない。押しが強い、無茶をしてくる、かと思えば助けに回り、本当に油断ならないくせ者だ。

「むう……まあやむなし……。それはそうと、今日の仕事だ」
「ああ、それなんやけどね」
しおりを挟む
ニンスピの里
感想 0

あなたにおすすめの小説

【完結】月よりきれい

悠井すみれ
歴史・時代
 職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。  清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。  純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。 嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。 第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。 表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。

腐れ外道の城

詠野ごりら
歴史・時代
戦国時代初期、険しい山脈に囲まれた国。樋野(ひの)でも狭い土地をめぐって争いがはじまっていた。 黒田三郎兵衛は反乱者、井藤十兵衛の鎮圧に向かっていた。

藤と涙の後宮 〜愛しの女御様〜

蒼キるり
歴史・時代
藤は帝からの覚えが悪い女御に仕えている。長い間外を眺めている自分の主人の女御に勇気を出して声をかけると、女御は自分が帝に好かれていないことを嘆き始めて──

春雷のあと

紫乃森統子
歴史・時代
番頭の赤沢太兵衛に嫁して八年。初(はつ)には子が出来ず、婚家で冷遇されていた。夫に愛妾を迎えるよう説得するも、太兵衛は一向に頷かず、自ら離縁を申し出るべきか悩んでいた。 その矢先、領内で野盗による被害が頻発し、藩では太兵衛を筆頭として派兵することを決定する。 太兵衛の不在中、実家の八巻家を訪れた初は、昔馴染みで近習頭取を勤める宗方政之丞と再会するが……

平治の乱が初陣だった落武者

竜造寺ネイン
歴史・時代
平治の乱。それは朝廷で台頭していた平氏と源氏が武力衝突した戦いだった。朝廷に謀反を起こした源氏側には、あわよくば立身出世を狙った農民『十郎』が与していた。 なお、散々に打ち破られてしまい行く当てがない模様。

来し方、行く末

紫乃森統子
歴史・時代
月尾藩家中島崎与十郎は、身内の不義から気を病んだ父を抱えて、二十八の歳まで嫁の来手もなく梲(うだつ)の上がらない暮らしを送っていた。 年の瀬を迎えたある日、道場主から隔年行事の御前試合に出るよう乞われ、致し方なく引き受けることになるが…… 【第9回歴史・時代小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます!】

愛を伝えたいんだ

el1981
歴史・時代
戦国のIloveyou #1 愛を伝えたいんだ 12,297文字24分 愛を伝えたいんだは戦国のl loveyouのプロローグ作品です。本編の主人公は石田三成と茶々様ですが、この作品の主人公は於次丸秀勝こと信長の四男で秀吉の養子になった人です。秀勝の母はここでは織田信長の正室濃姫ということになっています。織田信長と濃姫も回想で登場するので二人が好きな方もおすすめです。秀勝の青春と自立の物語です。

富嶽を駆けよ

有馬桓次郎
歴史・時代
★☆★ 第10回歴史・時代小説大賞〈あの時代の名脇役賞〉受賞作 ★☆★ https://www.alphapolis.co.jp/prize/result/853000200  天保三年。  尾張藩江戸屋敷の奥女中を勤めていた辰は、身長五尺七寸の大女。  嫁入りが決まって奉公も明けていたが、女人禁足の山・富士の山頂に立つという夢のため、養父と衝突しつつもなお深川で一人暮らしを続けている。  許婚の万次郎の口利きで富士講の大先達・小谷三志と面会した辰は、小谷翁の手引きで遂に富士山への登拝を決行する。  しかし人目を避けるために選ばれたその日程は、閉山から一ヶ月が経った長月二十六日。人跡の絶えた富士山は、五合目から上が完全に真冬となっていた。  逆巻く暴風、身を切る寒気、そして高山病……数多の試練を乗り越え、無事に富士山頂へ辿りつくことができた辰であったが──。  江戸後期、史上初の富士山女性登頂者「高山たつ」の挑戦を描く冒険記。

処理中です...