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第六話 道楽商売
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まさか拐かしにあっているのではなどと勘ぐり、一人で右往左往探していたところで、大勢の爆笑に振り向かされた。そこに天秤棒の先端が見え、息を呑んで飛び込む。
「長次! ここにいたのか……」
「あっ、寿三郎様」
「勝手に場所を離れるな、人さらいにあったかと肝を潰したぞ……」
「あれ? ごめんなさい。いつの間にここに来たんだろう……」
再びどっと笑いがこだました後、軽快な太鼓と三味線が鳴り始める。
「吉祥天女、軽業演舞ー!」
赤い幕が上がり、その向こうから役者が姿を現すと、数人の女衆が黄色い声を上げた。
「きゃああー! 吉祥様ぁー!」
聞き覚えのある名前。寿三郎は顔を上げ、掛け小屋の舞台に目を映す。そこには本所の土手で会った吉祥がおり、着飾った姿で舞を踊っていた。
「いた!」
思わず声が出て、視線がかち合う。吉祥は寿三郎に気がつくと、天女のように微笑んだ。それを見ていた周囲の男衆がため息を漏らす。
「さあさあ皆さん、ここから先はお題が必要やで。押さんとってなー、籠の中に銭を入れたらええ席取ってねー」
この声はてんとうだ。背伸びすると入り口で銭籠を持って仕事をしている姿が見えた。寿三郎の周囲が掛け小屋の中に吸い込まれていくと、子連れの男が呆然と立っているのにてんとうは気がつく。
「あっ! お侍さん、来てくれたの!」
「むっ……いや、たまたま」
またそう白を切る。
「入って入って! 丁度始まるところやから見ていって! そっちの子もお連れさんやろ? 一緒に見てってー」
突然舞い込んだ話に長次は目を丸くしている。
「えっ……」
「ええのええの、うちのツケやから気にせんとって!」
そうてんとうは長次の手を取り、掛け小屋の中へ引いていく。
「あっ……ちょっ……」
寿三郎は狼狽えたが、ここまで来て今更だ。親の手伝いばかりで子供らしいことをできていない長次に、芝居を見せてやりたいと思ったのは自分ではないか。またとない好機を手に入れたのを役立てろと腹の虫が怒っている。
長次の後を追って掛け小屋に入ると、大勢の熱気が場を茹でているようだった。
「いっちゃんええ席で見せたるからね」
てんとうはそう言って、最前列のど真ん中に二人を連れて行く。
「ごめんな。命の恩人さんなのこの人。真ん中座らせてあげて。そのかわりおまけするから堪忍してな」
両隣に分かれた客は生粋の江戸っ子である。当然こう言われたら気持ちよく引き下がってくれるわけだ。しかし、それを聞いていた長次は驚いて寿三郎に視線を移した。
「……命の、恩人?」
「うっ……いや、昨日ちょっと、あって。大したことじゃない」
てんとうは大急ぎで袖に入り、籠を持って出てきたかと思えば今度は物売りを始めた。
「お茶にー、お団子ー! お出汁が命ー堺のかんとだきー!」
そして、お茶にお団子、堺のかんとだきとやらを二人のところに持ってきて、それを置いていく。ついでに両隣の席を移動してくれた人らにもかんとだきをご提供。何とも性根たくましく、したたかで、それでいてお客さんの扱いは手厚い。
長次が大喜びしていたので、寿三郎としては突き返すわけもいかず、何より自分の中に巣食う腹の虫が大騒ぎをしているので返せない。朝から飲まず食わずで動き回っていたのだ、出汁の香りを嗅いでしまっては手が皿から放れてくれそうにない。
長次の小さな腹の音が耳に入る。この子もずっと働きっぱなしだ、客からもらった品は全部父親に持ち帰るつもりでいるし、何も口にしていない。
「これ、頂いてもいいのでしょうか?」
だめだと言えるはずもなく、寿三郎は目を瞑って頷いた。
かんとだきと言われるおでんのような煮込み料理は、薄い色で物珍しい。濃い色の出汁が主流の江戸に比べ、醤油が薄いのに風味がしっかりあり、長次は不思議そうにその汁を口に入れていた。それを見たてんとうがすかさず言う。
「どう? 堺の料理もおいしいやろ?」
「美味しい!」
抜け目ない営業。確かに美味しいので素直に頷くことができたが、これが不味かったとしても首を横に振ることはできまい。それを聞いて興味が出たのか、客が自分も食べてみたいと何人も手を上げてきた。四杯身を切っただけで何倍も得をするとは、さすが堺生まれというだけある。
「長次! ここにいたのか……」
「あっ、寿三郎様」
「勝手に場所を離れるな、人さらいにあったかと肝を潰したぞ……」
「あれ? ごめんなさい。いつの間にここに来たんだろう……」
再びどっと笑いがこだました後、軽快な太鼓と三味線が鳴り始める。
「吉祥天女、軽業演舞ー!」
赤い幕が上がり、その向こうから役者が姿を現すと、数人の女衆が黄色い声を上げた。
「きゃああー! 吉祥様ぁー!」
聞き覚えのある名前。寿三郎は顔を上げ、掛け小屋の舞台に目を映す。そこには本所の土手で会った吉祥がおり、着飾った姿で舞を踊っていた。
「いた!」
思わず声が出て、視線がかち合う。吉祥は寿三郎に気がつくと、天女のように微笑んだ。それを見ていた周囲の男衆がため息を漏らす。
「さあさあ皆さん、ここから先はお題が必要やで。押さんとってなー、籠の中に銭を入れたらええ席取ってねー」
この声はてんとうだ。背伸びすると入り口で銭籠を持って仕事をしている姿が見えた。寿三郎の周囲が掛け小屋の中に吸い込まれていくと、子連れの男が呆然と立っているのにてんとうは気がつく。
「あっ! お侍さん、来てくれたの!」
「むっ……いや、たまたま」
またそう白を切る。
「入って入って! 丁度始まるところやから見ていって! そっちの子もお連れさんやろ? 一緒に見てってー」
突然舞い込んだ話に長次は目を丸くしている。
「えっ……」
「ええのええの、うちのツケやから気にせんとって!」
そうてんとうは長次の手を取り、掛け小屋の中へ引いていく。
「あっ……ちょっ……」
寿三郎は狼狽えたが、ここまで来て今更だ。親の手伝いばかりで子供らしいことをできていない長次に、芝居を見せてやりたいと思ったのは自分ではないか。またとない好機を手に入れたのを役立てろと腹の虫が怒っている。
長次の後を追って掛け小屋に入ると、大勢の熱気が場を茹でているようだった。
「いっちゃんええ席で見せたるからね」
てんとうはそう言って、最前列のど真ん中に二人を連れて行く。
「ごめんな。命の恩人さんなのこの人。真ん中座らせてあげて。そのかわりおまけするから堪忍してな」
両隣に分かれた客は生粋の江戸っ子である。当然こう言われたら気持ちよく引き下がってくれるわけだ。しかし、それを聞いていた長次は驚いて寿三郎に視線を移した。
「……命の、恩人?」
「うっ……いや、昨日ちょっと、あって。大したことじゃない」
てんとうは大急ぎで袖に入り、籠を持って出てきたかと思えば今度は物売りを始めた。
「お茶にー、お団子ー! お出汁が命ー堺のかんとだきー!」
そして、お茶にお団子、堺のかんとだきとやらを二人のところに持ってきて、それを置いていく。ついでに両隣の席を移動してくれた人らにもかんとだきをご提供。何とも性根たくましく、したたかで、それでいてお客さんの扱いは手厚い。
長次が大喜びしていたので、寿三郎としては突き返すわけもいかず、何より自分の中に巣食う腹の虫が大騒ぎをしているので返せない。朝から飲まず食わずで動き回っていたのだ、出汁の香りを嗅いでしまっては手が皿から放れてくれそうにない。
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