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第五話 盛り場で人探し
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吾妻橋の手前に辿り着くと、見慣れた子供がこちらに走ってくるのが見えた。
「長次、待ってたのか」
「行きに道順を聞いていたので、長屋に戻らないで直接こちらに回ってきました」
機転が利く子供だ。おそらくそれを見越して北側の配達を後回しにしていたのだろう。
合流して橋を渡ろうと歩き始めると、長次の足が止まる。
「どうした?」
「いえ……橋を渡るのは初めてで」
確かに。橋の向こうはほとんどが武家屋敷で、川沿いに盛り場だ、長次には無縁の世界なのだろう。通行料を払ってまで大川を渡って表通りに行こうとする子供は見かけない。急に長次が子供らしくなったような気分に、寿三郎は奇妙な感覚を覚える。
「物見に夢中になっている者が多くなる。逸れぬよう、紐を握っておれ」
「はい」
通りは賑やかで、色とりどりの旗がはためいている。食べ処からはじまり、見世物小屋から芝居小屋、大道芸まで所狭しと賑わっていた。
人の流れを押し合いへし合い、鍋を運んで裏長屋へと入り込んでは、持ち主に渡して銭と交換して歩く。この辺りは比較的余裕のある者が住んでいるのか、子供の長次が仕事の手伝いをしているのを見ると、何かしら手間賃のようなものをつけてくれる者が多かった。仕事を引き受けるのに鍋を持ち帰ると伝えた時、鋳掛屋本人が病で伏して回れない代わりをしていると訳を話してあったので、それが理由だろう。
「お芋を頂きました」
「正太郎に土産ができたな」
行く場所が行く場所の上、子供には少々遠出になるので心配をしていたが、結果として長次を連れてきて正解であったようだ。
粗方渡し終えたあたりで息をつく余裕が出てきた。天秤棒はもういらぬと取り外し、鍋を脇に抱えて持ち運ぶ。すると、半着の袖を握る長次の様子が少し違うのに気がついた。
何やら遠くを見ている視線の先を追うと、芝居小屋や見世物小屋あたりを気にしている。それは年相応の好奇心であり、貧しい者の憧れでもあった。
寿三郎は昨日襟裏に差し込んだまま忘れていた引札を思い出し、その上に手を置く。
「少し野暮用がある。急ごう。あと二件だ」
「はい」
そこから早足になり、両国橋に近い裏長屋に入り込む。
最後は手分けして返しに行ったので、手間も半分。時も半分となり、大通りで落ち合うと二人でほっと息をついた。
「夕食に間に合いましたね。幾分余裕もあるくらいです。良かった。本当に助かりました」
汗で滲む髪の毛を手のひらで撫で付けながら、長次が続ける。
「実は、家賃を払うのに食費が足りず、どうしようかと思っていたところだったのです……。材料が買えなくては仕事もできませんから、どれを削ればいいのかと頭を悩ませておりました。寿三郎様に来ていただけて父上もほっとしていると思います」
「そうか。まあこちらも仕事がもらえて助かった」
「明日もお頼みしていいのでしょうか?」
「うむ。よろしく頼む」
長次は安堵の表情を浮かべ、寿三郎の持っていた天秤棒に手をかけた。
「寿三郎様は、この後ご用ですよね。おいら先に戻ってますから、お戻りの際はうちにお声をかけていただけますでしょうか」
「待て」
「はい?」
寿三郎の仏頂面が長次を上から見下ろす。
「一緒に来い」
「え? 寿三郎様のご用においらがですか?」
「用と言うか……野暮用だ」
何と説明していいものか、寿三郎はこういう話をする性分ではない。得て不得手で言えば不得手だ。というかど下手だ。不器用そのもので、言い出した本人が子供相手に狼狽えているくらいだ。
「いいから、来い」
「はあ」
表長屋を吾妻橋方面へと上がっていきながら、寿三郎は四方に目をやって何かを探している。
「なにをお探しで?」
「う……人、だな」
「この賑わいの中から人を探しているのですか? それは少々無茶なのでは……」
「いや、店を出している……らしい」
「ああ、ではどなたかに聞いてみてはどうでしょう? 近所のお店の方ならご存知かもしれませんよ」
「む。そうか。そうだな」
「おいらが聞いてきて差し上げます。なんというお店でしょう?」
「いやっ! いい。俺が行く。ここで待っていろ」
そう言い、長次に天秤棒を持たせて自分は近くの水茶屋へ駆け込んでいく。寿三郎が店の者と何やら話しているのを遠目で見ていると、長次の耳に小気味よい口上が聞こえてきた。自然とそちらに視線が向き、その声の主を探す。
「さあーっ! 次の演目はうっとこで一番人気! そこにおるお客さんなんて、連日通い詰めしてるよ! え? 初めて? いやいやいやいや、口ばっかやないて!」
やたらと人々が笑っている空間が、華やかと言うより賑やかで、長次はその場から目が離せなくなる。無意識のうちに一歩二歩と足が動いてしまい、寿三郎にそこにいろと言われたにもかかわらず、気がつけばその集団の後ろに混じり込んでいた。
掛け小屋の前で大年増の女性が大きな口を開け、遠慮なく客に絡んでいる姿はこのあたりでは珍しく、周囲の人々はそれが楽しくて前へ前へと進んでいく。
「うっとこにな、道頓堀一のべっぴんさんがおんねん。江戸にも大勢べっぴんさんはおるけどね、そこの娘さんみたいに。なん……隣のあんたなんで笑っとりますん?」
「ふふっ」
その軽口に長次も小さく吹き出していたが、一方その頃の寿三郎はというと、先程まで長次がいた場所にその姿が見えず、蒼白となっていた。
「長次、待ってたのか」
「行きに道順を聞いていたので、長屋に戻らないで直接こちらに回ってきました」
機転が利く子供だ。おそらくそれを見越して北側の配達を後回しにしていたのだろう。
合流して橋を渡ろうと歩き始めると、長次の足が止まる。
「どうした?」
「いえ……橋を渡るのは初めてで」
確かに。橋の向こうはほとんどが武家屋敷で、川沿いに盛り場だ、長次には無縁の世界なのだろう。通行料を払ってまで大川を渡って表通りに行こうとする子供は見かけない。急に長次が子供らしくなったような気分に、寿三郎は奇妙な感覚を覚える。
「物見に夢中になっている者が多くなる。逸れぬよう、紐を握っておれ」
「はい」
通りは賑やかで、色とりどりの旗がはためいている。食べ処からはじまり、見世物小屋から芝居小屋、大道芸まで所狭しと賑わっていた。
人の流れを押し合いへし合い、鍋を運んで裏長屋へと入り込んでは、持ち主に渡して銭と交換して歩く。この辺りは比較的余裕のある者が住んでいるのか、子供の長次が仕事の手伝いをしているのを見ると、何かしら手間賃のようなものをつけてくれる者が多かった。仕事を引き受けるのに鍋を持ち帰ると伝えた時、鋳掛屋本人が病で伏して回れない代わりをしていると訳を話してあったので、それが理由だろう。
「お芋を頂きました」
「正太郎に土産ができたな」
行く場所が行く場所の上、子供には少々遠出になるので心配をしていたが、結果として長次を連れてきて正解であったようだ。
粗方渡し終えたあたりで息をつく余裕が出てきた。天秤棒はもういらぬと取り外し、鍋を脇に抱えて持ち運ぶ。すると、半着の袖を握る長次の様子が少し違うのに気がついた。
何やら遠くを見ている視線の先を追うと、芝居小屋や見世物小屋あたりを気にしている。それは年相応の好奇心であり、貧しい者の憧れでもあった。
寿三郎は昨日襟裏に差し込んだまま忘れていた引札を思い出し、その上に手を置く。
「少し野暮用がある。急ごう。あと二件だ」
「はい」
そこから早足になり、両国橋に近い裏長屋に入り込む。
最後は手分けして返しに行ったので、手間も半分。時も半分となり、大通りで落ち合うと二人でほっと息をついた。
「夕食に間に合いましたね。幾分余裕もあるくらいです。良かった。本当に助かりました」
汗で滲む髪の毛を手のひらで撫で付けながら、長次が続ける。
「実は、家賃を払うのに食費が足りず、どうしようかと思っていたところだったのです……。材料が買えなくては仕事もできませんから、どれを削ればいいのかと頭を悩ませておりました。寿三郎様に来ていただけて父上もほっとしていると思います」
「そうか。まあこちらも仕事がもらえて助かった」
「明日もお頼みしていいのでしょうか?」
「うむ。よろしく頼む」
長次は安堵の表情を浮かべ、寿三郎の持っていた天秤棒に手をかけた。
「寿三郎様は、この後ご用ですよね。おいら先に戻ってますから、お戻りの際はうちにお声をかけていただけますでしょうか」
「待て」
「はい?」
寿三郎の仏頂面が長次を上から見下ろす。
「一緒に来い」
「え? 寿三郎様のご用においらがですか?」
「用と言うか……野暮用だ」
何と説明していいものか、寿三郎はこういう話をする性分ではない。得て不得手で言えば不得手だ。というかど下手だ。不器用そのもので、言い出した本人が子供相手に狼狽えているくらいだ。
「いいから、来い」
「はあ」
表長屋を吾妻橋方面へと上がっていきながら、寿三郎は四方に目をやって何かを探している。
「なにをお探しで?」
「う……人、だな」
「この賑わいの中から人を探しているのですか? それは少々無茶なのでは……」
「いや、店を出している……らしい」
「ああ、ではどなたかに聞いてみてはどうでしょう? 近所のお店の方ならご存知かもしれませんよ」
「む。そうか。そうだな」
「おいらが聞いてきて差し上げます。なんというお店でしょう?」
「いやっ! いい。俺が行く。ここで待っていろ」
そう言い、長次に天秤棒を持たせて自分は近くの水茶屋へ駆け込んでいく。寿三郎が店の者と何やら話しているのを遠目で見ていると、長次の耳に小気味よい口上が聞こえてきた。自然とそちらに視線が向き、その声の主を探す。
「さあーっ! 次の演目はうっとこで一番人気! そこにおるお客さんなんて、連日通い詰めしてるよ! え? 初めて? いやいやいやいや、口ばっかやないて!」
やたらと人々が笑っている空間が、華やかと言うより賑やかで、長次はその場から目が離せなくなる。無意識のうちに一歩二歩と足が動いてしまい、寿三郎にそこにいろと言われたにもかかわらず、気がつけばその集団の後ろに混じり込んでいた。
掛け小屋の前で大年増の女性が大きな口を開け、遠慮なく客に絡んでいる姿はこのあたりでは珍しく、周囲の人々はそれが楽しくて前へ前へと進んでいく。
「うっとこにな、道頓堀一のべっぴんさんがおんねん。江戸にも大勢べっぴんさんはおるけどね、そこの娘さんみたいに。なん……隣のあんたなんで笑っとりますん?」
「ふふっ」
その軽口に長次も小さく吹き出していたが、一方その頃の寿三郎はというと、先程まで長次がいた場所にその姿が見えず、蒼白となっていた。
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