上 下
2 / 73

第2話 箱を開けるまで分からない

しおりを挟む
 ここはかつて大戦が起きた飛龍の爪痕クロウマークスワイバーンという名の渓谷。
 ここを舞台にして書かれたおとぎ話がある。

 『シュレーディンガーの戦い』

 むちゃくちゃ有名。
 ただ、ちょっと昔の話。
 否、結構昔。
 大体100年くらい前。

 今この世界に生きている人間で、その話を知らない者はいない。
 眼鏡をクイッと上げて食い気味に身を乗り出してくるタイプの学者もマニアも、そういう専門的な人達も、子供の頃からその話を聞かされて育った。

 だが、おとぎ話として子供に話して聞かせる大人は多いが、あまり詳しく話したがらない。
 何故なら、英雄譚の中に禁忌タブーが組み込まれているから。


 その日の夜、深い氷の谷を裂くように流れる川から、気泡が沸き始めた。それは次第に大きな音を重ね始め、内側から水を逆流させてゆく。立ち上がり始めた水流がはじけると、そこから氷の川を突き破り、黒い塊が浮き上がった。

「はあっ……はあっ……」

 うっすらと赤い線が二つ、見開かれていく。目だ。

「ああ……まるで身体から全てが抜け落ちたようだ……力が入らぬ……」

 それだけ言うと、浮いていた塊は重力に引かれ、ドボンと音を立てて川の中へ沈んでしまった。
 それは再び浮かび上がることもなかったが、渓谷の景色は大いに動揺している。人々は忘れようとしていたかもしれないが、岩や木や精霊たちは覚えていた。忘れもしない、かつての大戦の魔王を。


 こちら南国のヒューマランダム島。
 月が山裾に顔を出した辺りで、孤児院は夕食時だ。
 結局アメリアに拘束されたイーサンは夕食を食べて帰ることになり、神父の右隣に座らされていた。

「このパターン、食ったら泊まってけってやつだろ。絶対帰るからな」
「だめよ、暗くなってから外を歩き回るだなんて、危ないんだから」
「あのな、オレを誰だと思ってやがんだ? あ?」

 給仕をしているアメリアに窘められている友達を横に、穏和な神父が笑う。
 肩より長い銀髪に隠れた両耳は尖っており、彼が人間ではないのが分かる。品の良さそうな面持ちは知識の豊富な聖職者にぴったりで、かけた細身の眼鏡がそれを際立たせて見えた。かなりの長身で穏やかとくれば、種族としてはエルフあたりが妥当だろう。それにしては浮き世離れして見えないので、人間世界に馴染んで長いらしい。

「イーサン。我々はもう若くないのですから、若い人の手間をかけさせてはいけませんよ」
「おぇまでひよっこの味方か」
「そろそろミアも戻ってくる頃でしょうし、土産話も聞きたいのでは?」
「そういや遅ぇな? 戻ってくんのは今日のはずだろ?」
「あ~?」

 そう言ってアメリアがイーサンを横目で見る。

「それで今日来たのね? 町の人達の寄付だなんて、それらしいことくっつけて。そんなことしなくたって会いに来ればいいじゃない」
「ちっげーよ!」

 孤児達はアメリアの手伝いをし終わり、各々席に腰掛ける。神父が手をあわせ、感謝の言葉を口ずさみ始めると皆もそれに習った。

「さあ、食べましょう」

 終わるや否や、子供達はまず肉にかぶりつき、お互い顔を見合わせて笑いあう。男の子達はまず腹を満たしたいのだろう、口に詰め込むだけ詰め込もうとしているのをアメリアに止められた。

「こぉら、がっつかない。喉に詰まらせる。大きい子たちは下の子ちゃんと見てやって」

 女の子たちは大人しいものだ。苦手な野菜をフォークでつつきながら、ひっきりなしにイーサンに話かけている。

「イーサン、帰っちゃうの?」
「お泊まりしていって」

 ひねくれジジイも子供には弱い。ジョッキに入ったおかしな風味のお茶を覗き込みながら、早く酒を飲みに帰りたいと思いつつ言ってやる。

「あー……仕方ねぇなー……」
「やったあ!」
「今日アメリアがシュレーディンガーの戦いのお話をしてくれたのよ。物語の続きを教えて」
「あーっ、ずるいー、私も聞きたかったのにーっ!」

 各々子供達の話が行き交う中、外のドアがドンドンドンと3回ノックされた。

「あ、戻ってきたみたい」

 おそらくミアだろうと、アメリアが席を立って迎えに出ようとしたところを神父にとめられる。

「ああ、私が出ますよ。食事の支度をしてあげて下さい。きっと急いで戻ろうとして、何も食べていないでしょう。お腹を空かせているはず」

 そう言ってから二手に分れ、神父がドアのかんぬきを外した瞬間、大きな鞄を何個も担いだ老女が飛び込んできた。
 白髪を二つおさげにして、大きな帽子にマント、中に着込んだ派手な柄のドレスはこの老女によく似合っていて、嫌味なくコーディネートされた様子からかなりのおしゃれさんと見える。可愛らしいつぶらな瞳とツンとした口元は、かつて気品ある気高い娘であった若い頃を彷彿とさせていた。

「水! 水ちょうだい!!」
「おおお……? お帰りなさい。どうしました、そんなに慌てて……」
「ああっ、リジー……どうしましょう……」
「何だよ、どうしたってんだ?」

 お茶の入ったジョッキ片手にイーサンが歩いてきたのを見るや、老婆ミアは顔を歪める。

「ちょっと! アナタ! 何のんきにご飯なんて食べて……!!」

 目の前にジョッキを出され、ミアはそれを奪って一気に飲み干した。

「……落ち着きましたか?」

 穏やかな神父の声に、ようやくミアは大きく息を吐き出す。
 突然の騒動に、子供達は驚いて食事の手を止めている。

「ああ、みなさん。慌てず、よく噛み、しっかり食べて。私たちはちょっと席を外します。アメリア、頼みましたよ」
「う、うん……」

 神父がミアとイーサンを連れて別の部屋に移動したのを見送りはしたが、胸騒ぎ収まらないアメリアであった。


 神父の寝室のドアが閉まるや否や、ミアがイーサンに詰め寄った。

「何でアナタがここにいるの!」
「仕方ねぇだろ、アメリアが飯食ってけってうるせぇから、酒もねぇのにいてやってんだよ」
「この前のことがあったっていうのに、よくものこのこと来られたものね!」
「ちょっとちょっと、ミア! それは置いておいて、他に話すことがあるのでは?」

 神父に宥められ、とりあえず怒りをむりやり鞘に収める。

「ごめんなさい、このクソジジイを見たらカッとなって……」

 眼鏡の向こうで苦笑いしている神父に、ミアはことのあらましを喋り始める。まず、ちらりとイーサンを見てからベッドに腰掛けた。

「この数日、隣の大陸に渡ってたのは知ってるわよね?」
「ああ、教団から孤児院の運営資金の援助が届かねぇから、支部に『お伺い』に行ったんだろ?」
「ええ、そう。お金は支部に届いていたのだけど、一緒にとんでもない話も届いてて……」
「とんでもない話?」

 ミアは、神父とイーサンの顔を交互に見つめる。

「クロウマークスワイバーンで、ドラゴンの死骸が見つかったらしいの……」

 神父は肌を波立たせて息を呑んだが、イーサンは眉間に皺を寄せて少し首を傾げた。

「……ヤツ・・ったのか?」
「いいえ、そこまでは分からなかったみたいだけど……」

 神父が緊張から襟のカラーを指で緩めた。

「イーサン……分からないのですか。だれ・・がドラゴンを殺めたか、ドラゴンが自然の摂理で寿命を終えたか……は、今問題ではないのです……」

 ミアの不安な表情がイーサンを見つめる。

「要するに……、クロウマークスワイバーンで・・・・・・・・・・・・・、ドラゴンが死んだ ・・・・・・・・……ってことが、マズイのか」
「そうです」

 神父の肯定にミアがため息をつく。

「……若い世代の神父やシスターは何が起きているか分からない様子だったわ。位が上の者達は神妙な様子だったけれど、禁忌がどうなるかについて王宮の様子を窺っている感じだった……」
「それで、そっちにかかりっきりで、援助金の送付を忘れてたってやつか」
「そうみたい……」

 抱えてきた大きな鞄から布袋を取り出し、腰掛けていたベッドの上に乗せる。ずっしり重い黄貨の音を耳にしながら、神父が考え込んだ。

「ドラゴンが峡谷で死んだことにより、川にビオコントラクトが大量に流れ出てしまったはず……。どのポイントに亡骸があったかにもよりますが、かつての戦場より下流であったことを祈るしかない……」
「100年以上前だぞ」

 イーサンが確かめるように続ける。

「100年以上経って、まだ魔族の身体が消滅しないでその場に残ってるなんてことが、あり得んのか?」

 神父はその問いに答えられず、視線を少し泳がせた。
 ミアが口を開く。

小物・・だったら、完全に消滅してたでしょうね……」

 イーサンも、二人が何を言いたいか分かっている。身体の奥から滲み出てくる怒りはかつてと変わらず、けれど骨と皮だけになってしまった老いた拳を握り、唇を噛んだ。

「……『デプスランド』……」

 それは、かつて世界の禁忌という禁忌を犯し、強大な力を得た魔物の名。

「イライジャ、教団に戦える聖職者はいんのか」
「……おそらくは……いても……」

 皆まで言えないところを察するに、使い物にならないと予想している様子。
 あれから、月日が経ちすぎている。人々は禁忌を封じて戦を忘れ去ろうとし、驚異への備えすら失ってしまった。長く続いた理想的な安寧が、逆に自分たちの首を絞めようと待ち構えているように思える。


 その時、ドアの向こうで物音が聞こえた。ミアは素早くベッドから立ち上がり、ドアを開けて部屋の外を窺う。

「アメリア」

 ミアと間近で目を合わせたアメリアは狼狽えており、数歩後ろに退いた。

「あ……ごめん、なさい。お茶淹れたから……と思って……」
「ありがとう、頂くわ」

 ミアにお茶を渡しつつ、アメリアはどうしても聞きたい衝動が抑えられなくなると、部屋の中を覗いて口を開いた。

「どうして、リジー神父のことを……『イライジャ』と呼んだの……?」

 老いた3人の表情が変わる。

「アメリア、中入れ」
「イーサン!?」

 イライジャと呼ばれた神父に制止されたが、イーサンはアメリアを中へ迎え入れた。

「いいから」

 さあ、ややこしいことになりそうだ。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

蘇生魔法を授かった僕は戦闘不能の前衛(♀)を何度も復活させる

フルーツパフェ
大衆娯楽
 転移した異世界で唯一、蘇生魔法を授かった僕。  一緒にパーティーを組めば絶対に死ぬ(死んだままになる)ことがない。  そんな口コミがいつの間にか広まって、同じく異世界転移した同業者(多くは女子)から引っ張りだこに!  寛容な僕は彼女達の申し出に快諾するが条件が一つだけ。 ――実は僕、他の戦闘スキルは皆無なんです  そういうわけでパーティーメンバーが前衛に立って死ぬ気で僕を守ることになる。  大丈夫、一度死んでも蘇生魔法で復活させてあげるから。  相互利益はあるはずなのに、どこか鬼畜な匂いがするファンタジー、ここに開幕。      

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

ポリゴンスキルは超絶チートでした~発現したスキルをクズと言われて、路地裏に捨てられた俺は、ポリゴンスキルでざまぁする事にした~

喰寝丸太
ファンタジー
ポリゴンスキルに目覚めた貴族庶子6歳のディザは使い方が分からずに、役に立たないと捨てられた。 路地裏で暮らしていて、靴底を食っている時に前世の記憶が蘇る。 俺はパチンコの大当たりアニメーションをプログラムしていたはずだ。 くそう、浮浪児スタートとはナイトメアハードも良い所だ。 だがしかし、俺にはスキルがあった。 ポリゴンスキルか勝手知ったる能力だな。 まずは石の板だ。 こんなの簡単に作れる。 よし、売ってしまえ。 俺のスキルはレベルアップして、アニメーション、ショップ、作成依頼と次々に開放されて行く。 俺はこれを駆使して成り上がってやるぞ。 路地裏から成りあがった俺は冒険者になり、商人になり、貴族になる。 そして王に。 超絶チートになるのは13話辺りからです。

遺跡に置き去りにされた奴隷、最強SSS級冒険者へ至る

柚木
ファンタジー
 幼い頃から奴隷として伯爵家に仕える、心優しい青年レイン。神獣の世話や、毒味役、与えられる日々の仕事を懸命にこなしていた。  ある時、伯爵家の息子と護衛の冒険者と共に遺跡へ魔物討伐に出掛ける。  そこで待ち受ける裏切り、絶望ーー。遺跡へ置き去りにされたレインが死に物狂いで辿り着いたのは、古びた洋館だった。  虐げられ無力だった青年が美しくも残酷な世界で最強の頂へ登る、異世界ダークファンタジー。  ※最強は20話以降・それまで胸糞、鬱注意  !6月3日に新四章の差し込みと、以降のお話の微修正のため工事を行いました。ご迷惑をお掛け致しました。おおよそのあらすじに変更はありません。  

異世界で買った奴隷が強すぎるので説明求む!

夜間救急事務受付
ファンタジー
仕事中、気がつくと知らない世界にいた 佐藤 惣一郎(サトウ ソウイチロウ) 安く買った、視力の悪い奴隷の少女に、瓶の底の様な分厚いメガネを与えると めちゃめちゃ強かった! 気軽に読めるので、暇つぶしに是非! 涙あり、笑いあり シリアスなおとぼけ冒険譚! 異世界ラブ冒険ファンタジー!

私がいなくなった部屋を見て、あなた様はその心に何を思われるのでしょうね…?

新野乃花(大舟)
恋愛
貴族であるファーラ伯爵との婚約を結んでいたセイラ。しかし伯爵はセイラの事をほったらかしにして、幼馴染であるレリアの方にばかり愛情をかけていた。それは溺愛と呼んでもいいほどのもので、そんな行動の果てにファーラ伯爵は婚約破棄まで持ち出してしまう。しかしそれと時を同じくして、セイラはその姿を伯爵の前からこつぜんと消してしまう。弱気なセイラが自分に逆らう事など絶対に無いと思い上がっていた伯爵は、誰もいなくなってしまったセイラの部屋を見て…。 ※カクヨム、小説家になろうにも投稿しています!

傭兵稼業の日常と冒険 life & adventure @ RORO & labyrinth

和泉茉樹
ファンタジー
 人間と悪魔が争う世界。  人間と独立派悪魔の戦闘の最前線であるバークレー島。  ここには地下迷宮への出入り口があり、傭兵たちは日夜、これを攻略せんと戦っていた。  伝説的なパーティー「弓取」のリーダーで武勲を立てて名を馳せたものの、今は一人で自堕落な生活を送る傭兵、エドマ・シンギュラ。  彼の元を訪れる、特別な改造人間の少女、マギ。  第一部の物語は二人の出会いから始まる。  そして第二部は、それより少し前の時代の、英雄の話。  黄金のアルス、白銀のサーヴァ。  伝説の実態とは如何に?  さらに第三部は、大陸から逃げてきた魔法使いのセイルと、両親を失った悪魔の少女エッタは傭兵になろうとし、たまたまセイルと出会うところから始まる話。

いきなり異世界って理不尽だ!

みーか
ファンタジー
 三田 陽菜25歳。会社に行こうと家を出たら、足元が消えて、気付けば異世界へ。   自称神様の作った機械のシステムエラーで地球には帰れない。地球の物は何でも魔力と交換できるようにしてもらい、異世界で居心地良く暮らしていきます!

処理中です...