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第2話 箱を開けるまで分からない
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ここはかつて大戦が起きた飛龍の爪痕という名の渓谷。
ここを舞台にして書かれたおとぎ話がある。
『シュレーディンガーの戦い』
むちゃくちゃ有名。
ただ、ちょっと昔の話。
否、結構昔。
大体100年くらい前。
今この世界に生きている人間で、その話を知らない者はいない。
眼鏡をクイッと上げて食い気味に身を乗り出してくるタイプの学者もマニアも、そういう専門的な人達も、子供の頃からその話を聞かされて育った。
だが、おとぎ話として子供に話して聞かせる大人は多いが、あまり詳しく話したがらない。
何故なら、英雄譚の中に禁忌が組み込まれているから。
その日の夜、深い氷の谷を裂くように流れる川から、気泡が沸き始めた。それは次第に大きな音を重ね始め、内側から水を逆流させてゆく。立ち上がり始めた水流がはじけると、そこから氷の川を突き破り、黒い塊が浮き上がった。
「はあっ……はあっ……」
うっすらと赤い線が二つ、見開かれていく。目だ。
「ああ……まるで身体から全てが抜け落ちたようだ……力が入らぬ……」
それだけ言うと、浮いていた塊は重力に引かれ、ドボンと音を立てて川の中へ沈んでしまった。
それは再び浮かび上がることもなかったが、渓谷の景色は大いに動揺している。人々は忘れようとしていたかもしれないが、岩や木や精霊たちは覚えていた。忘れもしない、かつての大戦の魔王を。
こちら南国のヒューマランダム島。
月が山裾に顔を出した辺りで、孤児院は夕食時だ。
結局アメリアに拘束されたイーサンは夕食を食べて帰ることになり、神父の右隣に座らされていた。
「このパターン、食ったら泊まってけってやつだろ。絶対帰るからな」
「だめよ、暗くなってから外を歩き回るだなんて、危ないんだから」
「あのな、オレを誰だと思ってやがんだ? あ?」
給仕をしているアメリアに窘められている友達を横に、穏和な神父が笑う。
肩より長い銀髪に隠れた両耳は尖っており、彼が人間ではないのが分かる。品の良さそうな面持ちは知識の豊富な聖職者にぴったりで、かけた細身の眼鏡がそれを際立たせて見えた。かなりの長身で穏やかとくれば、種族としてはエルフあたりが妥当だろう。それにしては浮き世離れして見えないので、人間世界に馴染んで長いらしい。
「イーサン。我々はもう若くないのですから、若い人の手間をかけさせてはいけませんよ」
「お前ぇまでひよっこの味方か」
「そろそろミアも戻ってくる頃でしょうし、土産話も聞きたいのでは?」
「そういや遅ぇな? 戻ってくんのは今日のはずだろ?」
「あ~?」
そう言ってアメリアがイーサンを横目で見る。
「それで今日来たのね? 町の人達の寄付だなんて、それらしいことくっつけて。そんなことしなくたって会いに来ればいいじゃない」
「ちっげーよ!」
孤児達はアメリアの手伝いをし終わり、各々席に腰掛ける。神父が手をあわせ、感謝の言葉を口ずさみ始めると皆もそれに習った。
「さあ、食べましょう」
終わるや否や、子供達はまず肉にかぶりつき、お互い顔を見合わせて笑いあう。男の子達はまず腹を満たしたいのだろう、口に詰め込むだけ詰め込もうとしているのをアメリアに止められた。
「こぉら、がっつかない。喉に詰まらせる。大きい子たちは下の子ちゃんと見てやって」
女の子たちは大人しいものだ。苦手な野菜をフォークでつつきながら、ひっきりなしにイーサンに話かけている。
「イーサン、帰っちゃうの?」
「お泊まりしていって」
ひねくれジジイも子供には弱い。ジョッキに入ったおかしな風味のお茶を覗き込みながら、早く酒を飲みに帰りたいと思いつつ言ってやる。
「あー……仕方ねぇなー……」
「やったあ!」
「今日アメリアがシュレーディンガーの戦いのお話をしてくれたのよ。物語の続きを教えて」
「あーっ、ずるいー、私も聞きたかったのにーっ!」
各々子供達の話が行き交う中、外のドアがドンドンドンと3回ノックされた。
「あ、戻ってきたみたい」
おそらくミアだろうと、アメリアが席を立って迎えに出ようとしたところを神父にとめられる。
「ああ、私が出ますよ。食事の支度をしてあげて下さい。きっと急いで戻ろうとして、何も食べていないでしょう。お腹を空かせているはず」
そう言ってから二手に分れ、神父がドアのかんぬきを外した瞬間、大きな鞄を何個も担いだ老女が飛び込んできた。
白髪を二つおさげにして、大きな帽子にマント、中に着込んだ派手な柄のドレスはこの老女によく似合っていて、嫌味なくコーディネートされた様子からかなりのおしゃれさんと見える。可愛らしいつぶらな瞳とツンとした口元は、かつて気品ある気高い娘であった若い頃を彷彿とさせていた。
「水! 水ちょうだい!!」
「おおお……? お帰りなさい。どうしました、そんなに慌てて……」
「ああっ、リジー……どうしましょう……」
「何だよ、どうしたってんだ?」
お茶の入ったジョッキ片手にイーサンが歩いてきたのを見るや、老婆ミアは顔を歪める。
「ちょっと! アナタ! 何のんきにご飯なんて食べて……!!」
目の前にジョッキを出され、ミアはそれを奪って一気に飲み干した。
「……落ち着きましたか?」
穏やかな神父の声に、ようやくミアは大きく息を吐き出す。
突然の騒動に、子供達は驚いて食事の手を止めている。
「ああ、みなさん。慌てず、よく噛み、しっかり食べて。私たちはちょっと席を外します。アメリア、頼みましたよ」
「う、うん……」
神父がミアとイーサンを連れて別の部屋に移動したのを見送りはしたが、胸騒ぎ収まらないアメリアであった。
神父の寝室のドアが閉まるや否や、ミアがイーサンに詰め寄った。
「何でアナタがここにいるの!」
「仕方ねぇだろ、アメリアが飯食ってけってうるせぇから、酒もねぇのにいてやってんだよ」
「この前のことがあったっていうのに、よくものこのこと来られたものね!」
「ちょっとちょっと、ミア! それは置いておいて、他に話すことがあるのでは?」
神父に宥められ、とりあえず怒りをむりやり鞘に収める。
「ごめんなさい、このクソジジイを見たらカッとなって……」
眼鏡の向こうで苦笑いしている神父に、ミアはことのあらましを喋り始める。まず、ちらりとイーサンを見てからベッドに腰掛けた。
「この数日、隣の大陸に渡ってたのは知ってるわよね?」
「ああ、教団から孤児院の運営資金の援助が届かねぇから、支部に『お伺い』に行ったんだろ?」
「ええ、そう。お金は支部に届いていたのだけど、一緒にとんでもない話も届いてて……」
「とんでもない話?」
ミアは、神父とイーサンの顔を交互に見つめる。
「クロウマークスワイバーンで、ドラゴンの死骸が見つかったらしいの……」
神父は肌を波立たせて息を呑んだが、イーサンは眉間に皺を寄せて少し首を傾げた。
「……ヤツが殺ったのか?」
「いいえ、そこまでは分からなかったみたいだけど……」
神父が緊張から襟のカラーを指で緩めた。
「イーサン……分からないのですか。だれがドラゴンを殺めたか、ドラゴンが自然の摂理で寿命を終えたか……は、今問題ではないのです……」
ミアの不安な表情がイーサンを見つめる。
「要するに……、クロウマークスワイバーンで、ドラゴンが死んだ……ってことが、マズイのか」
「そうです」
神父の肯定にミアがため息をつく。
「……若い世代の神父やシスターは何が起きているか分からない様子だったわ。位が上の者達は神妙な様子だったけれど、禁忌がどうなるかについて王宮の様子を窺っている感じだった……」
「それで、そっちにかかりっきりで、援助金の送付を忘れてたってやつか」
「そうみたい……」
抱えてきた大きな鞄から布袋を取り出し、腰掛けていたベッドの上に乗せる。ずっしり重い黄貨の音を耳にしながら、神父が考え込んだ。
「ドラゴンが峡谷で死んだことにより、川にビオコントラクトが大量に流れ出てしまったはず……。どのポイントに亡骸があったかにもよりますが、かつての戦場より下流であったことを祈るしかない……」
「100年以上前だぞ」
イーサンが確かめるように続ける。
「100年以上経って、まだ魔族の身体が消滅しないでその場に残ってるなんてことが、あり得んのか?」
神父はその問いに答えられず、視線を少し泳がせた。
ミアが口を開く。
「小物だったら、完全に消滅してたでしょうね……」
イーサンも、二人が何を言いたいか分かっている。身体の奥から滲み出てくる怒りはかつてと変わらず、けれど骨と皮だけになってしまった老いた拳を握り、唇を噛んだ。
「……『デプスランド』……」
それは、かつて世界の禁忌という禁忌を犯し、強大な力を得た魔物の名。
「イライジャ、教団に戦える聖職者はいんのか」
「……おそらくは……いても……」
皆まで言えないところを察するに、使い物にならないと予想している様子。
あれから、月日が経ちすぎている。人々は禁忌を封じて戦を忘れ去ろうとし、驚異への備えすら失ってしまった。長く続いた理想的な安寧が、逆に自分たちの首を絞めようと待ち構えているように思える。
その時、ドアの向こうで物音が聞こえた。ミアは素早くベッドから立ち上がり、ドアを開けて部屋の外を窺う。
「アメリア」
ミアと間近で目を合わせたアメリアは狼狽えており、数歩後ろに退いた。
「あ……ごめん、なさい。お茶淹れたから……と思って……」
「ありがとう、頂くわ」
ミアにお茶を渡しつつ、アメリアはどうしても聞きたい衝動が抑えられなくなると、部屋の中を覗いて口を開いた。
「どうして、リジー神父のことを……『イライジャ』と呼んだの……?」
老いた3人の表情が変わる。
「アメリア、中入れ」
「イーサン!?」
イライジャと呼ばれた神父に制止されたが、イーサンはアメリアを中へ迎え入れた。
「いいから」
さあ、ややこしいことになりそうだ。
ここを舞台にして書かれたおとぎ話がある。
『シュレーディンガーの戦い』
むちゃくちゃ有名。
ただ、ちょっと昔の話。
否、結構昔。
大体100年くらい前。
今この世界に生きている人間で、その話を知らない者はいない。
眼鏡をクイッと上げて食い気味に身を乗り出してくるタイプの学者もマニアも、そういう専門的な人達も、子供の頃からその話を聞かされて育った。
だが、おとぎ話として子供に話して聞かせる大人は多いが、あまり詳しく話したがらない。
何故なら、英雄譚の中に禁忌が組み込まれているから。
その日の夜、深い氷の谷を裂くように流れる川から、気泡が沸き始めた。それは次第に大きな音を重ね始め、内側から水を逆流させてゆく。立ち上がり始めた水流がはじけると、そこから氷の川を突き破り、黒い塊が浮き上がった。
「はあっ……はあっ……」
うっすらと赤い線が二つ、見開かれていく。目だ。
「ああ……まるで身体から全てが抜け落ちたようだ……力が入らぬ……」
それだけ言うと、浮いていた塊は重力に引かれ、ドボンと音を立てて川の中へ沈んでしまった。
それは再び浮かび上がることもなかったが、渓谷の景色は大いに動揺している。人々は忘れようとしていたかもしれないが、岩や木や精霊たちは覚えていた。忘れもしない、かつての大戦の魔王を。
こちら南国のヒューマランダム島。
月が山裾に顔を出した辺りで、孤児院は夕食時だ。
結局アメリアに拘束されたイーサンは夕食を食べて帰ることになり、神父の右隣に座らされていた。
「このパターン、食ったら泊まってけってやつだろ。絶対帰るからな」
「だめよ、暗くなってから外を歩き回るだなんて、危ないんだから」
「あのな、オレを誰だと思ってやがんだ? あ?」
給仕をしているアメリアに窘められている友達を横に、穏和な神父が笑う。
肩より長い銀髪に隠れた両耳は尖っており、彼が人間ではないのが分かる。品の良さそうな面持ちは知識の豊富な聖職者にぴったりで、かけた細身の眼鏡がそれを際立たせて見えた。かなりの長身で穏やかとくれば、種族としてはエルフあたりが妥当だろう。それにしては浮き世離れして見えないので、人間世界に馴染んで長いらしい。
「イーサン。我々はもう若くないのですから、若い人の手間をかけさせてはいけませんよ」
「お前ぇまでひよっこの味方か」
「そろそろミアも戻ってくる頃でしょうし、土産話も聞きたいのでは?」
「そういや遅ぇな? 戻ってくんのは今日のはずだろ?」
「あ~?」
そう言ってアメリアがイーサンを横目で見る。
「それで今日来たのね? 町の人達の寄付だなんて、それらしいことくっつけて。そんなことしなくたって会いに来ればいいじゃない」
「ちっげーよ!」
孤児達はアメリアの手伝いをし終わり、各々席に腰掛ける。神父が手をあわせ、感謝の言葉を口ずさみ始めると皆もそれに習った。
「さあ、食べましょう」
終わるや否や、子供達はまず肉にかぶりつき、お互い顔を見合わせて笑いあう。男の子達はまず腹を満たしたいのだろう、口に詰め込むだけ詰め込もうとしているのをアメリアに止められた。
「こぉら、がっつかない。喉に詰まらせる。大きい子たちは下の子ちゃんと見てやって」
女の子たちは大人しいものだ。苦手な野菜をフォークでつつきながら、ひっきりなしにイーサンに話かけている。
「イーサン、帰っちゃうの?」
「お泊まりしていって」
ひねくれジジイも子供には弱い。ジョッキに入ったおかしな風味のお茶を覗き込みながら、早く酒を飲みに帰りたいと思いつつ言ってやる。
「あー……仕方ねぇなー……」
「やったあ!」
「今日アメリアがシュレーディンガーの戦いのお話をしてくれたのよ。物語の続きを教えて」
「あーっ、ずるいー、私も聞きたかったのにーっ!」
各々子供達の話が行き交う中、外のドアがドンドンドンと3回ノックされた。
「あ、戻ってきたみたい」
おそらくミアだろうと、アメリアが席を立って迎えに出ようとしたところを神父にとめられる。
「ああ、私が出ますよ。食事の支度をしてあげて下さい。きっと急いで戻ろうとして、何も食べていないでしょう。お腹を空かせているはず」
そう言ってから二手に分れ、神父がドアのかんぬきを外した瞬間、大きな鞄を何個も担いだ老女が飛び込んできた。
白髪を二つおさげにして、大きな帽子にマント、中に着込んだ派手な柄のドレスはこの老女によく似合っていて、嫌味なくコーディネートされた様子からかなりのおしゃれさんと見える。可愛らしいつぶらな瞳とツンとした口元は、かつて気品ある気高い娘であった若い頃を彷彿とさせていた。
「水! 水ちょうだい!!」
「おおお……? お帰りなさい。どうしました、そんなに慌てて……」
「ああっ、リジー……どうしましょう……」
「何だよ、どうしたってんだ?」
お茶の入ったジョッキ片手にイーサンが歩いてきたのを見るや、老婆ミアは顔を歪める。
「ちょっと! アナタ! 何のんきにご飯なんて食べて……!!」
目の前にジョッキを出され、ミアはそれを奪って一気に飲み干した。
「……落ち着きましたか?」
穏やかな神父の声に、ようやくミアは大きく息を吐き出す。
突然の騒動に、子供達は驚いて食事の手を止めている。
「ああ、みなさん。慌てず、よく噛み、しっかり食べて。私たちはちょっと席を外します。アメリア、頼みましたよ」
「う、うん……」
神父がミアとイーサンを連れて別の部屋に移動したのを見送りはしたが、胸騒ぎ収まらないアメリアであった。
神父の寝室のドアが閉まるや否や、ミアがイーサンに詰め寄った。
「何でアナタがここにいるの!」
「仕方ねぇだろ、アメリアが飯食ってけってうるせぇから、酒もねぇのにいてやってんだよ」
「この前のことがあったっていうのに、よくものこのこと来られたものね!」
「ちょっとちょっと、ミア! それは置いておいて、他に話すことがあるのでは?」
神父に宥められ、とりあえず怒りをむりやり鞘に収める。
「ごめんなさい、このクソジジイを見たらカッとなって……」
眼鏡の向こうで苦笑いしている神父に、ミアはことのあらましを喋り始める。まず、ちらりとイーサンを見てからベッドに腰掛けた。
「この数日、隣の大陸に渡ってたのは知ってるわよね?」
「ああ、教団から孤児院の運営資金の援助が届かねぇから、支部に『お伺い』に行ったんだろ?」
「ええ、そう。お金は支部に届いていたのだけど、一緒にとんでもない話も届いてて……」
「とんでもない話?」
ミアは、神父とイーサンの顔を交互に見つめる。
「クロウマークスワイバーンで、ドラゴンの死骸が見つかったらしいの……」
神父は肌を波立たせて息を呑んだが、イーサンは眉間に皺を寄せて少し首を傾げた。
「……ヤツが殺ったのか?」
「いいえ、そこまでは分からなかったみたいだけど……」
神父が緊張から襟のカラーを指で緩めた。
「イーサン……分からないのですか。だれがドラゴンを殺めたか、ドラゴンが自然の摂理で寿命を終えたか……は、今問題ではないのです……」
ミアの不安な表情がイーサンを見つめる。
「要するに……、クロウマークスワイバーンで、ドラゴンが死んだ……ってことが、マズイのか」
「そうです」
神父の肯定にミアがため息をつく。
「……若い世代の神父やシスターは何が起きているか分からない様子だったわ。位が上の者達は神妙な様子だったけれど、禁忌がどうなるかについて王宮の様子を窺っている感じだった……」
「それで、そっちにかかりっきりで、援助金の送付を忘れてたってやつか」
「そうみたい……」
抱えてきた大きな鞄から布袋を取り出し、腰掛けていたベッドの上に乗せる。ずっしり重い黄貨の音を耳にしながら、神父が考え込んだ。
「ドラゴンが峡谷で死んだことにより、川にビオコントラクトが大量に流れ出てしまったはず……。どのポイントに亡骸があったかにもよりますが、かつての戦場より下流であったことを祈るしかない……」
「100年以上前だぞ」
イーサンが確かめるように続ける。
「100年以上経って、まだ魔族の身体が消滅しないでその場に残ってるなんてことが、あり得んのか?」
神父はその問いに答えられず、視線を少し泳がせた。
ミアが口を開く。
「小物だったら、完全に消滅してたでしょうね……」
イーサンも、二人が何を言いたいか分かっている。身体の奥から滲み出てくる怒りはかつてと変わらず、けれど骨と皮だけになってしまった老いた拳を握り、唇を噛んだ。
「……『デプスランド』……」
それは、かつて世界の禁忌という禁忌を犯し、強大な力を得た魔物の名。
「イライジャ、教団に戦える聖職者はいんのか」
「……おそらくは……いても……」
皆まで言えないところを察するに、使い物にならないと予想している様子。
あれから、月日が経ちすぎている。人々は禁忌を封じて戦を忘れ去ろうとし、驚異への備えすら失ってしまった。長く続いた理想的な安寧が、逆に自分たちの首を絞めようと待ち構えているように思える。
その時、ドアの向こうで物音が聞こえた。ミアは素早くベッドから立ち上がり、ドアを開けて部屋の外を窺う。
「アメリア」
ミアと間近で目を合わせたアメリアは狼狽えており、数歩後ろに退いた。
「あ……ごめん、なさい。お茶淹れたから……と思って……」
「ありがとう、頂くわ」
ミアにお茶を渡しつつ、アメリアはどうしても聞きたい衝動が抑えられなくなると、部屋の中を覗いて口を開いた。
「どうして、リジー神父のことを……『イライジャ』と呼んだの……?」
老いた3人の表情が変わる。
「アメリア、中入れ」
「イーサン!?」
イライジャと呼ばれた神父に制止されたが、イーサンはアメリアを中へ迎え入れた。
「いいから」
さあ、ややこしいことになりそうだ。
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