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80 いよいよ一般入場開始
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カイロと一緒に、小さな袋が入っているのを見つける。慧がそれを手に取って見ると、コスプレと同じ布で作った、片面がビニール仕上げのA5サイズ程度ある薄いケースのように思えた。
「なんだろう、かわゆいのが入っていたよ」
「本当だ、私のとこにも入ってる」
大地が横から口を開く。
「僕ももらった。余った布でちぇんじを入れるケースを作ったから、スマホや貴重品を入れておけと言っていた」
よく見れば、オーウェン様仕様で同じ形状のケースが大地の首に提げられ、中からちぇんじが顔を出して見える。
「さす杏花梨すぎる……確かに同じ布なら、異世界のアイテムを装着していても目立たない」
木を隠すのは森の中、コスプレの世界観にあわせるならソッチに寄せろということだ。
その時、館内に放送が響き渡った。
「あ。アーリー入場開始っぽい」
まだ冷たいおむすびを食べていた慧が、一気に押し寄せてきた緊張に震え上がる。
「ひええ……もう始まっちゃうの?」
周囲からまばらな拍手が聞こえ、大勢の人が通路を右へ左へ急ぎ足で行き交い始めた。
鈴がケースを首から提げ、その中につくも神ともどもスマホとちぇんじを放り込む。慌てたつくも神だが、前面はビニールになっているので、透明シートから状況がよく見えた。
いよいよ販売が開始される。
「はあはあ……始まっちゃう」
「待って~と思っていても、どんどん時間が過ぎていく……」
今まで自分たちが考えていた『コミックマーケットで憧れのオフセット本を出す』のイメージは、今のこの瞬間でしかなかった。だが実際は、ここに辿り着くまでが本番で、本を販売するのはラストのご褒美でしかない。買い手であった頃の鈴と慧は、サークルがどれほど大変な思いをしてここに立っているのか知らなかった。魔法のようにパッとそこに本を出して売ってるようなイメージしか持っていなかったのに、今それを経験してここに立つと、憤りのような高揚感のような焦燥感のような、そんな感情でおかしなテンションになる。
とは言え、島中のスペースで初参加のサークルに本を買いに来てくれる人は中々いない。オリジナルだと1冊も売れないことも多々ある。鈴と慧が出した本は、週刊連載中のクランケモーテルという人気作品の二次創作であるからそんなこともないだろうが、開始直前は大手や中堅大手が賑わうものだ。スペース前を素通りして壁に向かう人々を目で追いながら、周囲の賑わいに少々気後れもする。
「何冊売れるかな……」
「在庫は書店さんに置いてもらえばいいから……」
ふと隣のスペースが視界に入り、妙な違和感を覚えてサークルの中に視線が行く。5コ1のうち4人がどこかへ行っていなくなっており、サークル主であろう例のいじわる娘は別人のように大人しくなっていた。1人になるとこんなに変わるのかと鈴は感心したが、誰を攻撃することもなく自然にそこに座っているその子の方が全然素敵だなと思い、視線を戻した。
反対隣はというと、じわじわと人が集まってきている。
隣にいる机を殴る娘さんは可愛らしい絵で、表現も上手だ。固定の読み手さんがついてくれているらしく、ぱらぱらと流れがそこへ向かってくる。慧が横を見てみると、スペース内に何箱も重ねてあるのが見えたので、おそらく中堅大手さんに近いと思われる。読み手さんが差し入れを持ってきてくれたのを嬉しそうに受け取るその表情を見ていると、キラキラしていてとても可愛く見えた。本当にこれがあの机をバンバン叩いていた女子なのか?
アーリーの30分は鼻息で消し飛ぶ程度の体感しかなく、あっという間に一般入場開始。
「えっ!? もう30分経ったの!?」
そんな驚きの後、慌ててコスプレの道具を身に纏う。装着している短い間に、妙な振動とざわめきが迫ってくるのを身体で感じた。
地震ではないが、大勢の人間が一斉に迫ってくる重圧な震え。人口密度が増えたことにより、衣服に吸収される音を上回ろうとして人々は大きな声で喋り始める。増える喧騒が波のように押し寄せ、相対して増えた人の数が通路に行き交い目の前を塞いだ。
「ひえええ……しゅごい人……」
「机が動いちゃうよぉ」
立っていた大地が人の流れの行く方を見て言った。
「杏花梨のスペースじゃないか? 僕をこっちによこして、大丈夫かあいつ」
その瞬間、机を叩く音に周囲の視線が集まった。見ればやはり、慧の隣で拳を握ったバンバンが新刊を上からタコ殴りしている。
視界の悪い大地が不審な表情をしていたので、慧が慌ててそれを手で塞いだ。
「藤原クン! スマホに連絡入ってないよね?」
「ああ」
「だったら大丈夫と思う~」
バンバンのNGワードを口にしてはならないが、NGワードを口にしそうな大地がいなくなっても困るのだ。
そもそも眼鏡のない大地を杏花梨は戦力と思っていないのだろう。ジャンル最大手とうっかり友達になってしまった10代半ばで初参加のサークルが、両隣の怖いサークルに潰されないよう、鈴と慧を守る騎士としてここに配置されているのだから。
「なんだろう、かわゆいのが入っていたよ」
「本当だ、私のとこにも入ってる」
大地が横から口を開く。
「僕ももらった。余った布でちぇんじを入れるケースを作ったから、スマホや貴重品を入れておけと言っていた」
よく見れば、オーウェン様仕様で同じ形状のケースが大地の首に提げられ、中からちぇんじが顔を出して見える。
「さす杏花梨すぎる……確かに同じ布なら、異世界のアイテムを装着していても目立たない」
木を隠すのは森の中、コスプレの世界観にあわせるならソッチに寄せろということだ。
その時、館内に放送が響き渡った。
「あ。アーリー入場開始っぽい」
まだ冷たいおむすびを食べていた慧が、一気に押し寄せてきた緊張に震え上がる。
「ひええ……もう始まっちゃうの?」
周囲からまばらな拍手が聞こえ、大勢の人が通路を右へ左へ急ぎ足で行き交い始めた。
鈴がケースを首から提げ、その中につくも神ともどもスマホとちぇんじを放り込む。慌てたつくも神だが、前面はビニールになっているので、透明シートから状況がよく見えた。
いよいよ販売が開始される。
「はあはあ……始まっちゃう」
「待って~と思っていても、どんどん時間が過ぎていく……」
今まで自分たちが考えていた『コミックマーケットで憧れのオフセット本を出す』のイメージは、今のこの瞬間でしかなかった。だが実際は、ここに辿り着くまでが本番で、本を販売するのはラストのご褒美でしかない。買い手であった頃の鈴と慧は、サークルがどれほど大変な思いをしてここに立っているのか知らなかった。魔法のようにパッとそこに本を出して売ってるようなイメージしか持っていなかったのに、今それを経験してここに立つと、憤りのような高揚感のような焦燥感のような、そんな感情でおかしなテンションになる。
とは言え、島中のスペースで初参加のサークルに本を買いに来てくれる人は中々いない。オリジナルだと1冊も売れないことも多々ある。鈴と慧が出した本は、週刊連載中のクランケモーテルという人気作品の二次創作であるからそんなこともないだろうが、開始直前は大手や中堅大手が賑わうものだ。スペース前を素通りして壁に向かう人々を目で追いながら、周囲の賑わいに少々気後れもする。
「何冊売れるかな……」
「在庫は書店さんに置いてもらえばいいから……」
ふと隣のスペースが視界に入り、妙な違和感を覚えてサークルの中に視線が行く。5コ1のうち4人がどこかへ行っていなくなっており、サークル主であろう例のいじわる娘は別人のように大人しくなっていた。1人になるとこんなに変わるのかと鈴は感心したが、誰を攻撃することもなく自然にそこに座っているその子の方が全然素敵だなと思い、視線を戻した。
反対隣はというと、じわじわと人が集まってきている。
隣にいる机を殴る娘さんは可愛らしい絵で、表現も上手だ。固定の読み手さんがついてくれているらしく、ぱらぱらと流れがそこへ向かってくる。慧が横を見てみると、スペース内に何箱も重ねてあるのが見えたので、おそらく中堅大手さんに近いと思われる。読み手さんが差し入れを持ってきてくれたのを嬉しそうに受け取るその表情を見ていると、キラキラしていてとても可愛く見えた。本当にこれがあの机をバンバン叩いていた女子なのか?
アーリーの30分は鼻息で消し飛ぶ程度の体感しかなく、あっという間に一般入場開始。
「えっ!? もう30分経ったの!?」
そんな驚きの後、慌ててコスプレの道具を身に纏う。装着している短い間に、妙な振動とざわめきが迫ってくるのを身体で感じた。
地震ではないが、大勢の人間が一斉に迫ってくる重圧な震え。人口密度が増えたことにより、衣服に吸収される音を上回ろうとして人々は大きな声で喋り始める。増える喧騒が波のように押し寄せ、相対して増えた人の数が通路に行き交い目の前を塞いだ。
「ひえええ……しゅごい人……」
「机が動いちゃうよぉ」
立っていた大地が人の流れの行く方を見て言った。
「杏花梨のスペースじゃないか? 僕をこっちによこして、大丈夫かあいつ」
その瞬間、机を叩く音に周囲の視線が集まった。見ればやはり、慧の隣で拳を握ったバンバンが新刊を上からタコ殴りしている。
視界の悪い大地が不審な表情をしていたので、慧が慌ててそれを手で塞いだ。
「藤原クン! スマホに連絡入ってないよね?」
「ああ」
「だったら大丈夫と思う~」
バンバンのNGワードを口にしてはならないが、NGワードを口にしそうな大地がいなくなっても困るのだ。
そもそも眼鏡のない大地を杏花梨は戦力と思っていないのだろう。ジャンル最大手とうっかり友達になってしまった10代半ばで初参加のサークルが、両隣の怖いサークルに潰されないよう、鈴と慧を守る騎士としてここに配置されているのだから。
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