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71 九十九の時間
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しばらく天井の染みを見つめていたが、むくりと起き上がってタンスを開けた。
「風呂はいろ……」
つくも神はカーテンの向こう側を覗き込み、電気のついていない隣の部屋を見て言う。
「慧さんはまだ寝ているようですね」
「メッセージ入ったら、起きたって返事しといて」
「はい」
便利だ、つくも神。
階段を降りていくと、玄関に巨大な箱が置いてあるのに目を留める。縦はさほどでもないが、横が2メートルはありそうな、そんな大箱に緑と赤の包み紙が巻き付けてある。
「なんこれ!? またぱしょこん!?」
その娘の声を聞き、奥から鈴母がやってきた。
「やっと起きてきた」
「ねえ、これ何入ってんの?」
「鈴のクリスマスプレゼントよ。昨日こんな目立つように玄関に置いといたのに、全然気づかないで上に行っちゃうんだもの、お父さん寂しがってたよ」
「えっ……昨日から置いてあったん?」
今日は26日だ、丸一日ここに放置されていたのだろう。
「えーっ、マジ? 開けていいの?」
「鈴のよ」
「わーい、何だろう!」
とってつけたような継ぎはぎの箱を崩していくと、中からメタリックブルーの自転車が顔を出す。
「ぎゃあああ! しゅてきぃぃ!」
「学校行くの楽になるねえ」
「えーっ……でも困る。チャリだと2ケツできないし……慧がいるからやっぱ歩きで通学しかない」
鈴母はフフンと笑う。
「お母さんは抜かりないわよ。田辺さんのお母さんと結託して、慧ちゃんのクリスマスプレゼントも自転車にしてある」
「ママーッ!!」
できるママ。
「やったあ! じゃあバイトもこれで行けるじゃん! 荷物も載せられるから楽になるし、めっちゃ嬉しいーっ! ありがとうお母さん!」
「お父さん帰ってきたら、お父さんにもお礼言ってあげてね」
「うん!」
そう言えば、つくも神が壊れた時に鈴父に八つ当たりしてしまったなと思い、ちょっと反省の心を持った。
風呂から上がってくると、つくも神がモニタを前に何やら映し出しているようだった。
「先程慧さんからメッセージがありました。クリスマスプレゼントはもうもらったかと聞いてらっしゃったので、鈴さんは入浴中だとだけお伝えしてあります」
「もらったよ! 自転車! 慧ももらってるはず~」
「おお、それはよかった。自転車なら色々と便利に使えますね」
「うむ、オタクと自転車は相性が良い」
ベッドに腰掛け、冷蔵庫から持ってきた麦茶を一飲みしてから一息をつく。
「原稿は終わったが、コスプレあわせのパーツを作らないといかんのか……」
「その前に印刷代を振り込みに行かないと。入金確認がとれないと印刷してもらえません」
「ああ、そっか」
「自転車もありますし、お試しがてら慧さんとコンビニまで行ってきては如何ですか?」
「イイネ。じゃあ慧に連絡入れといて」
「はい」
便利だなつくも神。
外出用の普段着に着替えていた時だ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるつくも神に、鈴はふと妙な気持ちが湧いた。
「あのさ、ありがとね」
突然湧いた衝動的な感情ではなく、昨日見た覚えていない夢によって引き起こされたその言葉は、つくも神を大いに驚かせた。モニタを見ていた彼は思わず彼女に振り返ったが、予想していなかった発言に返す言葉が思いつかない。その顔を見て鈴はバツが悪そうにする。
「なんか……つくもが来てから、いいことばっかりだった気がする。悪いことと言えば、つくもが壊れたくらいだったかなーとか」
10代半ばで威勢のいい子が、この言葉を口にするのにどれだけ勇気がいったろう。つくも神はそれを思うと嬉しさ半分、いたたまれなさすら覚えた。だから微笑んで言ってやる。
「それすら、今となってはそう悪いことでもありますまい」
「ヘマの結果なのに?」
よく分からず、鈴は首を傾げている。
つくも神は、己が付喪神となった理由をずっと探し求めていた。生前の書生から転生したからには、何か重要な意味があるに違いないと思っていたのだ。
それが間違えていると気が付いたのは、自身が物事を弁えていても、物語に変化はないのだと分かった時。
それはそうかと思った。自分の生はもうここにないのだから、現を動かすことはできないのだと。
では? だったら? 目の前にいるのは、この子だ。この子たちだった。
そうして共に暮らすうち、長い長い時間をかけて、童の心に変化が訪れた。この子たちは、物の中に命を見いだすようになり、とうに亡い書生の命を物の中に見て、壊れて泣きもした。
付喪神はその時……呪縛を昇華をさせ、帰依したのだろう。童が心変わりしたように、付喪神もまた良い憑き物に変化をしたのだ。
嵐の中で繰り返し押し寄せる荒波のような試練はもはや、豊かな心を育成するべくして与えられた恩恵でしかない。
つくも神は、己がその『きっかけ』になるために遣わされた駒だったのだと悟った。
「つくも?」
物思いにふけるつくも神に、鈴は幼さを残す大きな目で問いかける。
若年の鈴には難しすぎる境地だ、説明しても理解はできまい。長い時間をかけて経験を積み、その末に自ら気づきを学んで開くしかない話だ。それまでは脳裏にこびり付いて離れない呪縛のようなものとなり、昇華される日をひたすら待つのみ……。
シュポッ。
「あ、慧さん、用意できたそうですよ」
話を切るようにつくも神がSNSのメッセージを伝えると、鈴は少し溜め息まじりに頷き、クロゼットからコートを引き出して給料と財布とスマホを手に取った。
「つくも、振込先転送しといて!」
「はい、いってらっしゃいませ」
つくも神、便利だわあ~。
「風呂はいろ……」
つくも神はカーテンの向こう側を覗き込み、電気のついていない隣の部屋を見て言う。
「慧さんはまだ寝ているようですね」
「メッセージ入ったら、起きたって返事しといて」
「はい」
便利だ、つくも神。
階段を降りていくと、玄関に巨大な箱が置いてあるのに目を留める。縦はさほどでもないが、横が2メートルはありそうな、そんな大箱に緑と赤の包み紙が巻き付けてある。
「なんこれ!? またぱしょこん!?」
その娘の声を聞き、奥から鈴母がやってきた。
「やっと起きてきた」
「ねえ、これ何入ってんの?」
「鈴のクリスマスプレゼントよ。昨日こんな目立つように玄関に置いといたのに、全然気づかないで上に行っちゃうんだもの、お父さん寂しがってたよ」
「えっ……昨日から置いてあったん?」
今日は26日だ、丸一日ここに放置されていたのだろう。
「えーっ、マジ? 開けていいの?」
「鈴のよ」
「わーい、何だろう!」
とってつけたような継ぎはぎの箱を崩していくと、中からメタリックブルーの自転車が顔を出す。
「ぎゃあああ! しゅてきぃぃ!」
「学校行くの楽になるねえ」
「えーっ……でも困る。チャリだと2ケツできないし……慧がいるからやっぱ歩きで通学しかない」
鈴母はフフンと笑う。
「お母さんは抜かりないわよ。田辺さんのお母さんと結託して、慧ちゃんのクリスマスプレゼントも自転車にしてある」
「ママーッ!!」
できるママ。
「やったあ! じゃあバイトもこれで行けるじゃん! 荷物も載せられるから楽になるし、めっちゃ嬉しいーっ! ありがとうお母さん!」
「お父さん帰ってきたら、お父さんにもお礼言ってあげてね」
「うん!」
そう言えば、つくも神が壊れた時に鈴父に八つ当たりしてしまったなと思い、ちょっと反省の心を持った。
風呂から上がってくると、つくも神がモニタを前に何やら映し出しているようだった。
「先程慧さんからメッセージがありました。クリスマスプレゼントはもうもらったかと聞いてらっしゃったので、鈴さんは入浴中だとだけお伝えしてあります」
「もらったよ! 自転車! 慧ももらってるはず~」
「おお、それはよかった。自転車なら色々と便利に使えますね」
「うむ、オタクと自転車は相性が良い」
ベッドに腰掛け、冷蔵庫から持ってきた麦茶を一飲みしてから一息をつく。
「原稿は終わったが、コスプレあわせのパーツを作らないといかんのか……」
「その前に印刷代を振り込みに行かないと。入金確認がとれないと印刷してもらえません」
「ああ、そっか」
「自転車もありますし、お試しがてら慧さんとコンビニまで行ってきては如何ですか?」
「イイネ。じゃあ慧に連絡入れといて」
「はい」
便利だなつくも神。
外出用の普段着に着替えていた時だ、甲斐甲斐しく世話を焼いてくれるつくも神に、鈴はふと妙な気持ちが湧いた。
「あのさ、ありがとね」
突然湧いた衝動的な感情ではなく、昨日見た覚えていない夢によって引き起こされたその言葉は、つくも神を大いに驚かせた。モニタを見ていた彼は思わず彼女に振り返ったが、予想していなかった発言に返す言葉が思いつかない。その顔を見て鈴はバツが悪そうにする。
「なんか……つくもが来てから、いいことばっかりだった気がする。悪いことと言えば、つくもが壊れたくらいだったかなーとか」
10代半ばで威勢のいい子が、この言葉を口にするのにどれだけ勇気がいったろう。つくも神はそれを思うと嬉しさ半分、いたたまれなさすら覚えた。だから微笑んで言ってやる。
「それすら、今となってはそう悪いことでもありますまい」
「ヘマの結果なのに?」
よく分からず、鈴は首を傾げている。
つくも神は、己が付喪神となった理由をずっと探し求めていた。生前の書生から転生したからには、何か重要な意味があるに違いないと思っていたのだ。
それが間違えていると気が付いたのは、自身が物事を弁えていても、物語に変化はないのだと分かった時。
それはそうかと思った。自分の生はもうここにないのだから、現を動かすことはできないのだと。
では? だったら? 目の前にいるのは、この子だ。この子たちだった。
そうして共に暮らすうち、長い長い時間をかけて、童の心に変化が訪れた。この子たちは、物の中に命を見いだすようになり、とうに亡い書生の命を物の中に見て、壊れて泣きもした。
付喪神はその時……呪縛を昇華をさせ、帰依したのだろう。童が心変わりしたように、付喪神もまた良い憑き物に変化をしたのだ。
嵐の中で繰り返し押し寄せる荒波のような試練はもはや、豊かな心を育成するべくして与えられた恩恵でしかない。
つくも神は、己がその『きっかけ』になるために遣わされた駒だったのだと悟った。
「つくも?」
物思いにふけるつくも神に、鈴は幼さを残す大きな目で問いかける。
若年の鈴には難しすぎる境地だ、説明しても理解はできまい。長い時間をかけて経験を積み、その末に自ら気づきを学んで開くしかない話だ。それまでは脳裏にこびり付いて離れない呪縛のようなものとなり、昇華される日をひたすら待つのみ……。
シュポッ。
「あ、慧さん、用意できたそうですよ」
話を切るようにつくも神がSNSのメッセージを伝えると、鈴は少し溜め息まじりに頷き、クロゼットからコートを引き出して給料と財布とスマホを手に取った。
「つくも、振込先転送しといて!」
「はい、いってらっしゃいませ」
つくも神、便利だわあ~。
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