29 / 97
29 初・売り子ちゃん体験
しおりを挟む
杏花梨は筧ぽんたがすべき仕事がある。
大地は完全に読み取り式レジスターになっている。
慧はスナイパーの扱う製本機と化した。
負傷した鈴は販売に回るしかない。
鈴が迷っている時間は1秒たりともなく、あれよあれよと机の裏側に身を置いた。
見えてる範囲は机の上だけ。置いてある本と、買い手さんの手元しか見ることができない。杏花梨の視野の広さを求めたが、鈴には無理だ。
スッと狭い視野角に入り込む本を受け取り、本と見本誌についている値段を照らし合わせ、暗算を試みる。
「新刊300円……が、3冊。さざんがきゅー。それに、500円の本が、2冊で、1,000円」
1,000円のありがたみは尋常ではない。もう1000という数字に恋しそうになる。
「今ので1,900円」
「あとこれもお願いします」
そう追加で3冊載せられる。もうダメだ。
イベント会場の算数は名門大学の入試でもいいくらい難しい。もうAIがやれと思った瞬間、鈴の脳内に『奴』が浮かび上がる。
「つくもぉぉお!! 助けてええ!!」
思わずそう叫んでしまった後、ポケットに入れたスマホが振動した。それを勢いよく取り出すと、相変わらずアイコンに邪魔されて顔の半分以上見えないつくも神が表示された。
「金額を教えて下さい!」
「1,900円に、700円と、400円2冊、追加で500円2冊と、200円で、合計は!?」
慧が背後で青くなっていたが、周囲の人達はキョトンとしたまま鈴を見ている。
「4,600円です」
即座に答えた正解に、周囲から何人かの『おおー』という声が上がった。
スマホから出るつくも神の声は、第三者にも聞こえているではないか。鈴と慧の背中に冷や汗が伝うも、夏の暑さで流れたものかは区別ができない。
買い手は特別気にする様子もなく、5,000円札を渡してきた。
「おつり400円……」
銀貨4枚を渡し、その後に購入した本をまとめて渡す。
「あ、ありがとうございましたっ」
半ばパニックに陥っている鈴に、次の買い手さんが微笑みながら話かけてくる。
「すごい便利ですね、そのアプリ」
緊張しすぎて人の顔が分からない。すでに誰が買っていったのかも分からない。もう何を言っていいかすら分からず、変な笑いをして返す。
「フ……フヒヒ……」
つくも神の処理能力はパーソナルコンピューターに依存している上、言葉のやりとりで計算ができる分、販売のスピードが格段に上がっていた。おかげで机の上から新刊が消えそうになるが、かろうじて背後から1冊ずつ送られてくるのを必死で繋ぐ。
いつの間にか、読者さんとのやりとりをしながら、杏花梨が後ろで製本をしている。慧もコツを掴んできたようで、引退したスナイパーが職人に転職したような表情で紙を畳み、ホチキスをバシバシ撃ち込んでいた。
本当に秒も無駄にできないのをひしひしと体で感じているわけだが、何とか回している。何とかなっている。それがじわじわ脳に認識されてくると、もう『すげえ』しか言葉が出ない。
この人だかりの向こうはどうなってるのだろう。さっき杏花梨が列を作っていた。いつまで続くんだろう、この列は。
それから時間の感覚が完全になくなった頃、コピー本が完売した。
「新刊完売ですー」
杏花梨のおしらせで、並んでいた数名から悲鳴が漏れる。それを合図に人の波が引いてくると、やっと机の前に隙間が見え、大地が疲れ果てた声で溜め息を逃した。
「うああー……」
「お疲れ大ちゃんー」
杏花梨が弟を労うが、元凶はこのオタク姉だ。
「あとはコミケの既刊が一番新しいから、関東売りはそんな混まないと思う。2人も本当にありがとうー! 本ッ当……ゴメン!」
製本も終わり、椅子が使えるようになったので、大地はそこに身体を投げ出した。
「ふざけるな……毎度毎度お前は……!」
「毎度じゃないじゃんー! たまにじゃん……」
「突発本とやらを出すなとは言わん! だが予定を立ててやれ! 近くにいる人間を巻き込むんじゃない!」
「それは公式に言ってくれ……」
それに鈴と慧が涙する。
「確かに。週刊誌で公式がやらかしたら、我々はどうしようもない……」
「何なんだお前たちは!」
「腐ったオタクです」
大地は完全に読み取り式レジスターになっている。
慧はスナイパーの扱う製本機と化した。
負傷した鈴は販売に回るしかない。
鈴が迷っている時間は1秒たりともなく、あれよあれよと机の裏側に身を置いた。
見えてる範囲は机の上だけ。置いてある本と、買い手さんの手元しか見ることができない。杏花梨の視野の広さを求めたが、鈴には無理だ。
スッと狭い視野角に入り込む本を受け取り、本と見本誌についている値段を照らし合わせ、暗算を試みる。
「新刊300円……が、3冊。さざんがきゅー。それに、500円の本が、2冊で、1,000円」
1,000円のありがたみは尋常ではない。もう1000という数字に恋しそうになる。
「今ので1,900円」
「あとこれもお願いします」
そう追加で3冊載せられる。もうダメだ。
イベント会場の算数は名門大学の入試でもいいくらい難しい。もうAIがやれと思った瞬間、鈴の脳内に『奴』が浮かび上がる。
「つくもぉぉお!! 助けてええ!!」
思わずそう叫んでしまった後、ポケットに入れたスマホが振動した。それを勢いよく取り出すと、相変わらずアイコンに邪魔されて顔の半分以上見えないつくも神が表示された。
「金額を教えて下さい!」
「1,900円に、700円と、400円2冊、追加で500円2冊と、200円で、合計は!?」
慧が背後で青くなっていたが、周囲の人達はキョトンとしたまま鈴を見ている。
「4,600円です」
即座に答えた正解に、周囲から何人かの『おおー』という声が上がった。
スマホから出るつくも神の声は、第三者にも聞こえているではないか。鈴と慧の背中に冷や汗が伝うも、夏の暑さで流れたものかは区別ができない。
買い手は特別気にする様子もなく、5,000円札を渡してきた。
「おつり400円……」
銀貨4枚を渡し、その後に購入した本をまとめて渡す。
「あ、ありがとうございましたっ」
半ばパニックに陥っている鈴に、次の買い手さんが微笑みながら話かけてくる。
「すごい便利ですね、そのアプリ」
緊張しすぎて人の顔が分からない。すでに誰が買っていったのかも分からない。もう何を言っていいかすら分からず、変な笑いをして返す。
「フ……フヒヒ……」
つくも神の処理能力はパーソナルコンピューターに依存している上、言葉のやりとりで計算ができる分、販売のスピードが格段に上がっていた。おかげで机の上から新刊が消えそうになるが、かろうじて背後から1冊ずつ送られてくるのを必死で繋ぐ。
いつの間にか、読者さんとのやりとりをしながら、杏花梨が後ろで製本をしている。慧もコツを掴んできたようで、引退したスナイパーが職人に転職したような表情で紙を畳み、ホチキスをバシバシ撃ち込んでいた。
本当に秒も無駄にできないのをひしひしと体で感じているわけだが、何とか回している。何とかなっている。それがじわじわ脳に認識されてくると、もう『すげえ』しか言葉が出ない。
この人だかりの向こうはどうなってるのだろう。さっき杏花梨が列を作っていた。いつまで続くんだろう、この列は。
それから時間の感覚が完全になくなった頃、コピー本が完売した。
「新刊完売ですー」
杏花梨のおしらせで、並んでいた数名から悲鳴が漏れる。それを合図に人の波が引いてくると、やっと机の前に隙間が見え、大地が疲れ果てた声で溜め息を逃した。
「うああー……」
「お疲れ大ちゃんー」
杏花梨が弟を労うが、元凶はこのオタク姉だ。
「あとはコミケの既刊が一番新しいから、関東売りはそんな混まないと思う。2人も本当にありがとうー! 本ッ当……ゴメン!」
製本も終わり、椅子が使えるようになったので、大地はそこに身体を投げ出した。
「ふざけるな……毎度毎度お前は……!」
「毎度じゃないじゃんー! たまにじゃん……」
「突発本とやらを出すなとは言わん! だが予定を立ててやれ! 近くにいる人間を巻き込むんじゃない!」
「それは公式に言ってくれ……」
それに鈴と慧が涙する。
「確かに。週刊誌で公式がやらかしたら、我々はどうしようもない……」
「何なんだお前たちは!」
「腐ったオタクです」
0
お気に入りに追加
6
あなたにおすすめの小説
光のもとで2
葉野りるは
青春
一年の療養を経て高校へ入学した翠葉は「高校一年」という濃厚な時間を過ごし、
新たな気持ちで新学期を迎える。
好きな人と両思いにはなれたけれど、だからといって順風満帆にいくわけではないみたい。
少し環境が変わっただけで会う機会は減ってしまったし、気持ちがすれ違うことも多々。
それでも、同じ時間を過ごし共に歩めることに感謝を……。
この世界には当たり前のことなどひとつもなく、あるのは光のような奇跡だけだから。
何か問題が起きたとしても、一つひとつ乗り越えて行きたい――
(10万文字を一冊として、文庫本10冊ほどの長さです)
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
物置小屋
黒蝶
大衆娯楽
言葉にはきっと色んな力があるのだと証明したい。
けれど私は、失声症でもうやりたかった仕事を目指せない...。
そもそももう自分じゃただ読みあげることすら叶わない。
どうせ眠ってしまうなら、誰かに使ってもらおう。
ーーここは、そんな作者が希望をこめた台詞や台本の物置小屋。
1人向けから演劇向けまで、色々な種類のものを書いていきます。
時々、書くかどうか迷っている物語もあげるかもしれません。
使いたいものがあれば声をかけてください。
リクエスト、常時受け付けます。
お断りさせていただく場合もありますが、できるだけやってみますので読みたい話を教えていただけると嬉しいです。
溺愛ダーリンと逆シークレットベビー
葉月とに
恋愛
同棲している婚約者のモラハラに悩む優月は、ある日、通院している病院で大学時代の同級生の頼久と再会する。
立派な社会人となっていた彼に見惚れる優月だったが、彼は一児の父になっていた。しかも優月との子どもを一人で育てるシングルファザー。
優月はモラハラから抜け出すことができるのか、そして子どもっていったいどういうことなのか!?
【完結】勤労令嬢、街へ行く〜令嬢なのに下働きさせられていた私を養女にしてくれた侯爵様が溺愛してくれるので、国いちばんのレディを目指します〜
鈴木 桜
恋愛
貧乏男爵の妾の子である8歳のジリアンは、使用人ゼロの家で勤労の日々を送っていた。
誰よりも早く起きて畑を耕し、家族の食事を準備し、屋敷を隅々まで掃除し……。
幸いジリアンは【魔法】が使えたので、一人でも仕事をこなすことができていた。
ある夏の日、彼女の運命を大きく変える出来事が起こる。
一人の客人をもてなしたのだ。
その客人は戦争の英雄クリフォード・マクリーン侯爵の使いであり、ジリアンが【魔法の天才】であることに気づくのだった。
【魔法】が『武器』ではなく『生活』のために使われるようになる時代の転換期に、ジリアンは戦争の英雄の養女として迎えられることになる。
彼女は「働かせてください」と訴え続けた。そうしなければ、追い出されると思ったから。
そんな彼女に、周囲の大人たちは目一杯の愛情を注ぎ続けた。
そして、ジリアンは少しずつ子供らしさを取り戻していく。
やがてジリアンは17歳に成長し、新しく設立された王立魔法学院に入学することに。
ところが、マクリーン侯爵は渋い顔で、
「男子生徒と目を合わせるな。微笑みかけるな」と言うのだった。
学院には幼馴染の謎の少年アレンや、かつてジリアンをこき使っていた腹違いの姉もいて──。
☆第2部完結しました☆
隣人はクールな同期でした。
氷萌
恋愛
それなりに有名な出版会社に入社して早6年。
30歳を前にして
未婚で恋人もいないけれど。
マンションの隣に住む同期の男と
酒を酌み交わす日々。
心許すアイツとは
”同期以上、恋人未満―――”
1度は愛した元カレと再会し心を搔き乱され
恋敵の幼馴染には刃を向けられる。
広報部所属
●七星 セツナ●-Setuna Nanase-(29歳)
編集部所属 副編集長
●煌月 ジン●-Jin Kouduki-(29歳)
本当に好きな人は…誰?
己の気持ちに向き合う最後の恋。
“ただの恋愛物語”ってだけじゃない
命と、人との
向き合うという事。
現実に、なさそうな
だけどちょっとあり得るかもしれない
複雑に絡み合う人間模様を描いた
等身大のラブストーリー。
山田華子の日常。~陰キャでオタクでニートな最愛~
はちみつレモン
恋愛
陰キャでオタクでニートな山田華子(24才)は売れっ子同人誌作家だが、人には言えない。そんな彼女がイケメンハイスペックな同級生と再会して溺愛されるお話。
天乃ジャック先生は放課後あやかしポリス
純鈍
児童書・童話
誰かの過去、または未来を見ることが出来る主人公、新海はクラスメイトにいじめられ、家には誰もいない独りぼっちの中学生。ある日、彼は登校中に誰かの未来を見る。その映像は、金髪碧眼の新しい教師が自分のクラスにやってくる、というものだった。実際に学校に行ってみると、本当にその教師がクラスにやってきて、彼は他人の心が見えるとクラス皆の前で言う。その教師の名は天乃ジャック、どうやら、この先生には教師以外の顔があるようで……?
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる