吸血鬼と棘荊

弥架祇

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やめて

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ドアが開く音がした直後、金属製の何か硬いもので何かを殴ったような音がした。
それと同時に聞こえてきたのは「やめろ!」
普段は温厚なリュシュの怒鳴り声で…

初めて聞くリュシュの怒鳴り声に、アベルは体を震わせていた。

キツく目を瞑り、耳を両の手で塞ぐ。

"何か"から逃れるために。
目には見えない何かから身を守るために。

それなのにアベルの耳は音を拾い続ける。

けたたましい、パイプ椅子が倒れ、物が落ちる音。
聞いたことのある、重い音がした。
骨が折れる音とよく似ている音。

アベルが嫌いな音。

骨が…折れるのは痛いから。

リュシュのではない笑い声。
そして…リュシュの呻き声が聞こえた。

その刹那、アベルは目を見開いた。

ベッドと床のほんの微かな隙間から見える黒い革靴が、見慣れた白衣と思しきものを蹴っていた。

何度も、何度も。

どうにかしなくては。
アベルは焦った。

このままでは、リュシュが危ない。

非力な自分は何ができる?
この閉ざされた空間で。
自分とリュシュと敵しかいないこの部屋で。
本で得た知識をどう使えばいい。
この時ばかりは数式も異国の言語も、化学式も人々が歩んできた歴史も役に立たなかった。

不意に男の足が止まる。
「血の匂いがする。」
低い男の声だ。

アベルは自分の腕を見た。
点滴の針を引き抜いたせいで血が滴っている。

これか…。
痛みなど、最早どうでもよかった。

この状況をなんとか打開しなければ。
そればかりで忘れていた。

吸血鬼は血に敏感。
そう、古の書物に書かれていた。
迂闊だった。

男はベッドの真横で足を止める。
居場所も、バレているのだろう。

そしてすぐさま、手が伸びてきた。
その手を避ける間もなく、アベルはベッドの下から引きずり出された。

男はアベルを見て、心底くだらなそうな顔をした。

アベルは取り乱したり、泣き叫んだりしなかった。
頭の中では絶えず危険信号が鳴り響き続けているのに、心は何処までも冷静だった。
わずか5歳にして恐ろしい知能を持っていたアベルは、暴れても無駄だろうと抵抗せず男に腕を掴まれたままじっとしていた。

アベルは寸の間、男を見つめ口を開いた。
「この病院に来た目的は何?」

男は眉を顰めた。
到底、幼い少年が言った言葉とは思えなかった。
見た目の幼さに似つかわしくないほどの落ち着きっぷり。

男は何かが変だと感じていた。
吸血鬼を前にして、何故怖がらない?
何故、目的を知ろうなどという発想に至った?

答えない男に、アベルはなおも続ける。
「この病院は、ヴァンパイアハンターの組織の本部に近い場所にある。
helpのサインが出ればすぐヴァンパイアハンターが駆けつける。
リスクをおかしてまで、何故?
見せしめにするなら、こんな人里離れた病院ではなく普通は街に行くよね。
だから。何故?」
アベルはフランやリュシュに聞いた情報と本で得た知識を繋ぎ合わせ、疑問に思ったことを告げた。
吸血鬼についての書物も情報もあまり多いものではなく、考え方の違いなどもあるのかもしれない。
ただ、どうにもしっくりこなかった。

人の世に住んでいるのだから、人が1番嫌がること、恐れることなど知っているだろうに。

吸い込まれそうなほどの青い瞳が、じっと男を映していた。

男はアベルを壁に叩きつける。
「…っ……」
背中が痛むのか、アベルは微かに身を捩った。

「貴様、何者だ。
まだ幼い子供とは思えぬ聡明さ。
ただ者ではなかろう。
言え。殺されたくなければの話だが。」

アベルは目を伏せた。
人形のように長い睫毛がその澄んだ瞳に影を落とす。

アベルは寸の間考え込んだ。

自分の正体。
 
いまいち不自然な部分が多すぎる自分の素性。
アベルは顔を上げた。

覚悟は、もう決まっていた。


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