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首輪をつけて帰ったら

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 半月が紺色の空で淡く光る、時間は既に22時を回っていた。海星かいせいは気分良く自宅アパートの階段を登る。いつもより身体が軽い。

(まさかカンナ先輩と映画の話だけじゃなくて、恋愛相談までできるようになるなんて)

 今日は散々自分の話を聞いてもらったから、今度会った時は相談に乗ろうと考えていた──その時。

 海星の部屋の扉の前に人がいた。冷たいであろう地べたに三角座りをして、11月の寒空の中ろくに防寒もしていないその男性ひとは、

「ナオキ…!?」

 海星に気が付いた人影はのっそり立ち上がって、軽く手を挙げた。にへっと白い歯を見せながら言う。

「海星、お帰り~」

 海星は口をぱくぱくさせながら大慌てでナオキに近付き、手を触る。一体いつからここにいるのだろうか、手が冷えきっている。
 自分が着ていたパーカーを脱ぎ、ナオキに羽織らせた。

「馬鹿、今日は俺居ないって言ったよな?それにお前、お見合い……」

「その話をしに来たんだよ」

 ナオキはそう言いながら、手を広げた。
 手を広げられたら抱き締められに行くのは海星のルーティン。でも今日は、その胸に飛び込むのを躊躇ってしまう。

 食堂で聞いた、あの会話が蘇る。
 お見合いをするってことは、結婚を考えているのか。そんな事を聞きたくなる。

 海星が動かないでいると、ナオキは少しムッとして、海星を迎えに行った。
 半ば強引に腕の中に収める。

「捕まえた」

「……うん…」

「今日は食堂で変な会話聞かせてごめんね」

 海星には分からない。どうして謝るのか、どうして彼が、寒い思いをしてまで自分を待っていたのか。

「……別に、俺には関係無い話だろ。その、お見合いがどうとか。俺はお前の交流関係に口出すつもり一切ねぇぞ」

「寂しいこと言うなぁ。いつもこんな事してる仲なのに?」

 ナオキはそう言って、海星の額に口付ける。
 海星は「止めろよ」と言ってナオキから顔を背ける。勿論、照れ隠しだ。

 ───しかし、ナオキから笑顔が消えた。

(え?)

 抱かれていた腕が解かれ、ナオキの顔が近付いてくる。彼は真顔で海星の髪や首元をすんすんと嗅ぐ。徐々に険しくなるナオキの表情かお

「………海星って、今日どこで誰と何してた?」

 心なしか声のトーンがいつもより低い気がした。
 海星は質問の意図が掴めないまま、取り敢えず正直に答える。

「電話でも言ったけど、サークルの先輩と夕飯食べてた」

「何処で?」

「先輩の家で」

「家まで行ったの?」

「え……、だってカンナ先輩の家のテレビデカいから。て言うか、先輩に誘われたら、断れないし」

「そのカンナ先輩って、フルネーム何?」

「? 確か、間名かんな利幸としゆき……だった気がする」

 海星は意味の分からない質問をされながら家の鍵を開けた。ナオキが「オトコかよ」と呟くのに気が付くことなく、家に入るよう促した。

「ほら、入れよ」

 そう言った時、ナオキは海星をひょいと持ち上げ中に入った。海星を後ろから抱き込んで、何かを探すように首元に触れる。

「……はぁ!?いきなり何だよ……」

 ナオキは狭い玄関で海星の身体のあちこちを触り、遂にTシャツを脱がそうとしてきた。抵抗する海星の手を右手で乱暴に掴み、反対の手で胸の辺りまで服を捲る。

「やっ……、何?おいナオキ!止めろ、こんな所でシたくない……っ」

「………やっぱり」

 ナオキは、海星の鎖骨の下を指でなぞりながらそう言った。そこにはポツンとできた赤い印。
 海星はさあっと血の気が引いた。

(それ、カンナ先輩のやつじゃねーか!)

 酔っぱらいが、「プレゼント」とかかして付けたそれは、海星の白い肌の上でかなりの存在感を放っている。

「喧嘩売るみたいに大きく付けられてる。…ねぇ、海星?」

 ナオキの目が、笑っていない。
 海星が目を一瞬そらすと、顎を掴まれた。下顎を無理矢理引かれ、勝手に口が開く。

「んぅ……ん、ん……」

 いきなり深くキスをされて、呼吸が上手くできない。海星は高い声を漏らしながら乱暴なそれに対応する。

(怒って、る……?)

 海星とナオキの唾液が混ざり合って、口の中に流し込まれる。苦しくて離れようとするが、ナオキがそれを許さない。

「飲んで」

 とんでもないお願いを恥ずかしげもなくしてくるナオキ。馬鹿、変態、などと頭の中では悪態をつくが、身体は素直に従ってしまう。
 海星はごくん、と口に溜まった唾液を飲み込む。
 呼吸が楽になったのはその一瞬だけで、また強引に唇を奪われた。

「はぁ……っも、もう良いだろ。なお………んぅ」

 何度も何度も、ナオキはキスをした。まるで食事にがっつく時のような、そんなキス。

(何か、変だ。こいついつもより頭おかし……)

 いつもの、まるで恋人同士のようなキスをしてくれるナオキとは違う。勝手に怒り出して勝手に乱暴なキスをするナオキに、海星は怒りが湧いてきた。

(無理矢理なんて、最低だ!)

 海星は小柄だがちゃんと男の子。素直にキスに応じたように見せ掛け、ナオキの肩を思い切り押す。ナオキは油断していたようで、あっさりと突き飛ばされて後ろに倒れた。
 脅威の反射神経で上手く手を付きながら倒れてから、不機嫌顔で言った。

「その変な香水の匂いは何?キスマークは何?………その先輩とシたってこと?」

 すっかり怒っているナオキ。
 しかし海星は、理解が追いつかない。

「………え?香水……は、カンナ先輩に勝手につけられただけだし。このキスマーク?も酔っ払って面白半分でつけられただけだよ」

 ナオキは疑いの目を向けるのを止めない。海星は続けて言った。

「何をそんなに怒るんだよ?なんで俺が怒られなきゃいけねぇんだよ……」

「海星が俺との約束破ってカンナ先輩って人のとこ行くからでしょ?まんまとマーキングされてさ。チョロいよね、ほんと」

「違う、カンナ先輩は……」

「海星騙されてるんじゃない?いつも俺に流されて簡単にヤッちゃうし、素直なとこがつけ込みやすいよね」

 ナオキは立ち上がりながら言う。しかし言い終わってから、海星が傷付いたような表情かおをしたのに気が付いて我に返る。
 謝ろうとしたが、海星はその隙を与えない。

「もし俺がナオキ以外のヤツとどうなろうが勝手だろ」

 海星はヤケになって言った。
 いつもなら、ナオキが「じゃあ勝手にしろ」と言ったらと考えると言えなかった。惚れた側は、嫌われたら終わりだから立場が弱いのだと思っていた。

(だけどもう、俺たちの関係は終わりに向かってる)

「………か、カンナ先輩に教えて貰って、バーだって行くんだ。そこで彼氏作って、お前とはもう会わない」

「は?海星、ちょっと待って。どうしてそうなるの!?彼氏とか、俺認めないし」

「うるさい、お前には一切口出す権利なんて無いんだよ。俺の事なんてほっとけ。どうせ俺は流され体質のチョロい男だよ!」

 珍しく大きな声をたてる海星に、ナオキは狼狽える。先程と立場は逆転して、怒りで冷静さを失ったのは海星だ。
 普段言わないような本音が次々と零れる。

「中学の頃から好きなんて、馬鹿みたいだよな」

(止まれ)

「だからさっさと、諦めておけば良かったんだ」

(聞くな)

「お前は、どうせ」

 海星の瞳には涙が溜まっていた。

「俺を置いて結婚しちゃうんだからな」

 これまでのナオキは女性と付き合ってもせいぜい2、3ヶ月で友達に戻っていた。だから海星は目を瞑って、何も言わなかった。
 とことん都合の良いセフレでいることが、ナオキに触れてもらえる1番良い席だったからだ。

 しかし、結婚となるとそうはいかない。

 結婚式があって、子どもも産まれるかもしれない。そうしたら、海星はどうすれば良いのだろう。
 考えるまでもなく、ナオキは海星を相手にしなくなる。

「…………その寂しさを慰めてくれる人を見つけに行くくらい、勝手にさせてくれよぉ……」

 それほどに「好きな人の結婚」という事実は、重くて苦しくて───海星は、初めてナオキから離れたいと思った。






 
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