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暗躍②
しおりを挟む「……」
セリアは夢遊病者のような雰囲気のまま突っ立っている。
彼女は自分のやっていることを記憶できない。ギルシュが術を解けば、自分がクゥを薬物によって昏倒させたことなどすっかり忘れているだろう。
そんなセリアを無視して、ギルシュは懐からマナ鉱石のついた腕輪を取り出した。
「本来は抑制薬で弱らせてから力づくで嵌めるつもりだったが――手間が省けた」
抑制薬と同じく、対象のマナの流れを阻害して、身体強化や精霊術を使えなくさせるアイテムだ。
本来は犯罪者用であるため頑丈に作られている。身体強化抜きに破壊することはまずできない。
これでクゥはほぼ完全に無力化された。
「さて、餌はこれでいいとして……」
ギルシュは意識を失ったままのクゥを片手で抱え上げて、隣のセリアに向き直った。
「――?」
「お前に最後の仕事を頼むとするか。」
そう言ってセリアに紙切れを差し出す。
そこにはごく短い文章が書かれていた。
「確かこいつらは屋根裏に泊っていると言っていたな。その紙に書かれた内容を、『一番わかりやすい方法で』で記しておけ」
「……はい」
「必要なものは裏口の前に置いてある」
そう告げると、ギルシュはクゥを抱えて立ち去った。
× × ×
シグはエイレンシアの部屋を出て、『眠り梟亭』に向かっていた。
人目につかないようにバルコニーの手すりから『朝陽の音色亭』の屋根に飛び、ちょうど来たときと真逆のルートである。
浮遊階段のステップに照準を合わせて跳躍し、そのまま何食わぬ顔で『朝陽の音色亭』から離れていく。
(情報はけっこう聞けたが……結局なんであいつはわざわざ俺を呼びだしたんだ?)
ギルシュについての話もカナエについての話も有意義ではあったが、別に隠すほどのものではないような気がする。
ギルシュにとって都合の悪い話はあったが、あれを聞かれたところでエイレンシア相手にギルシュが何かできるはずもない。
となるとシグが泥棒の真似事をする必要もなかったことになるのだが、
(……まあエレンの考えることがわかんねえのはいつものことか)
という結論でシグは思考を打ち切った。
去り際にも何か言いたげな雰囲気を発していたが、結局何か言い出す様子もなかったので出てきてしまった。無理に聞かずとも必要になればエイレンシアのほうから伝えに来るだろう。
そんなことを考えながら浮遊階段を進んで『眠り梟亭』の庭まで戻ってくる。
宿に入るとすぐのところにカウンターがあるのだが、普段ならそこに女将(最初にシグたちが助けた老婆がそうだった)やセリアがいるのに、今はいない。
そのことに首を傾げながらもシグは階段を上っていく。
(……クゥは宿の手伝いするっつってたが、終わったのか?)
進んでいくと、声が聞こえてきた。
『――、しっかり――――!』
何やら慌てているような、焦っているような、そんな声だ。しかも屋根裏のほうから聞こえてくる。
胸騒ぎがして、シグは残りの階段を駆け上った。
屋根裏部屋に到達する。
そこには。
「セリア、あんた何てことをしたんだい! お客様の部屋を汚しただけでなく、こんな落書きまで――」
声を上げる『眠り梟亭』の女将である老婆と。
「……え、あ。私、何を」
白昼夢からようやく醒めたようにぼんやりとした顔のセリアと。
――『お前の女は預かった。返してほしくば危険域H7地点に一人で来い』
血のような真っ赤な塗料で壁に殴り書きされた文字列。
「――――――っ」
同じだ。
あの時と、同じだ。
シグは食って掛かるように老婆に尋ねた。
「婆さん! クゥを見てねえか!?」
「い、いえ、儂は見ておりません。それよりシグ殿、セリアのことはどうか責めないでやっていただけませんか。何か事情が――」
老婆がこんなことを言うのは、セリアのいで立ちに理由がある。
セリアの手には掃除用のモップがあり、足元には塗料がたっぷり入ったバケツがあった。これを使って壁に脅迫文を書いたのだろう。
当のセリアは、まだ意識がはっきりしないようで、塗料を頬につけたまま立ち尽くしている。
では、セリアがこの状況の元凶なのか?
それは違う。
「セリアは悪くねえ。操られてたんだろ」
「操られて……? 何かお心あたりがあるのですか」
「……、ああ」
心当たりなどギルシュ・ガーデナー以外にあり得ない。
あの男がセリアを操り、何らかの手段でクゥを拉致したのだ。シグをおびき出すために。
当てつけのようにわざわざ『あの事件』を再現して。
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