いつまで私を気弱な『子豚令嬢』だと思っているんですか?~前世を思い出したので、私を虐めた家族を捨てて公爵様と幸せになります~

ヒツキノドカ

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1巻

1-2

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 もともと私の髪色は、姉のチェルシーに負けないほどに鮮やかな赤色だった。しかしチェルシーが、「豚のあんたと同じ色なんて冗談じゃないわ!」と私に髪を染めるよう命令したのである。
 そのため仕方なく染め粉で髪色を変えていたのだけれど、無理やり染めているだけなので以前から長持ちはしていなかった。
 まして今は日光が当たり放題の山籠もり生活中。染めた色なんて抜けて当たり前だ。
 山を下りる頃には、きっと私の髪は染める前の深紅に戻っていることだろう。

「……そろそろ負荷を上げても大丈夫そうですね」

 体の各所で変化が起きるのを実感し、私はやる気を新たにした。



「はっ、はっ……!」

 短く息を吐きつつ山の中をまっすぐ走る。最初の十日で体を運動に慣らすことができたため、私は徐々に負荷を上げてより過酷な訓練をおこなっていた。
 川に沿って山を登り、限界まで進んだら今度は駆け降りる。当然道なんてないので、ときには木々や大岩を足場にすることもある。常に傾斜を移動しているおかげで足腰の負担が平地の走り込みとは比べ物にならない。
 もちろん、きつい。けれど楽しい……! どんどん体が思い通りに動くようになっているのが実感できる。体が軽くなっているのだ。
 そんなトレーニングの途中に、私はあるものを見つけた。

「これは……グロリアの花? こんなところで見つかるなんて」

 木々の根本にささやかな花畑を作る白い花々。グロリアの花は空気中の魔力を吸って育つ稀少な植物で、その蜜にはある特別な効果がある。
 私はグロリアの花を摘んで拠点に持ち帰り、蜜を取り出して水筒の水と混ぜた。それを飲むと、ほのかな甘い味とともに私の体が淡く輝く。
 途端に私の全身を襲っていた疲れがなくなった。

「懐かしい味ですね……」

 グロリアの花の蜜は、強力な疲労回復効果があるのだ。前世では過酷な任務中に体力が尽きたときなど、私や私の部下たちはこのグロリアの花の蜜で疲れを取り除いていた。
 もっともこれには副作用があって、エネルギーを生み出すために飲んだ人間の脂肪を分解し、せさせてしまう。使い過ぎれば体を壊すこともある。けれど、きちんと用量を考えればこれほど減量の助けになるものもない。
 グロリアの花の蜜を手に入れた私は再度トレーニングを始めた。
 力尽きるまで走り、倒れ込むように(さすがに水浴びは毎日していたけれど)拠点で休む。
 そんな日々を過ごすうちに、だんだんと外見の変化が大きくなっていく。

「かなり体型が変わってきましたね」

 日課となっている小川に顔を映しての進捗確認をして、私はうんうんと頷いた。まだまだ理想体型とは言えないまでも、『子豚令嬢』から『ややぽっちゃりした令嬢』くらいにはなれていると思う。水面を鏡代わりにしているのでそこまで確かな確認はできないものの、明らかに変わっている。

(この調子なら、あと一息ですね――と)

 不意に、ガサガサ、という茂みをかき分ける音が聞こえた。
 私は素早く周囲を確認する。

『『『グルルルルル……』』』
「魔物……『グレイウルフ』ですか」

 現れたのは、灰色の毛並みを持つ狼型の魔物五体。
 ただの狼と違い、額に一本の角が生えているのが特徴だ。どうやら、私の食料か私自身を狙ってやってきたらしい。私は屋敷から持ちだした剣を握った。
 ……今の私に対処できるだろうか? いや、やるしかない。

『グルアアアアアッ!』

 一斉に飛びかかってきたグレイウルフに対して、私はまず位置取りを調整した。
 一対多の戦いでは、敵の一人を盾にするのが定石じょうせきだ。案の定グレイウルフたちは、仲間の陰に隠れる私を攻めあぐねている。

「剣を屋敷から持ちだしておいて正解でしたね」

 剣を振るい、グレイウルフたちを次々と倒していく。

「最後です!」
『ギャンッ!』

 最後のグレイウルフを倒し、戦闘が終わる。
 グレイウルフのような魔物は、普通の動物と違って死体が残らない。彼らの体は魔力でできているからだ。唯一残るのは、心臓部である『魔石』のみ。これは魔道具という、特別な効果を持つ道具を作る材料になる。そんな魔石を拾い上げて呟く。

「予想以上の成果です。ここまで動けるようになっているとは……!」

 魔物退治ができたのはこれまでのトレーニングのおかげだ。だんだん感覚が前世のものに近付いている気がする。
 基礎体力も十分ついてきたことだし、ここからは剣の特訓も取り入れよう。


   ▼


 華やかな紅茶の香り。座り心地のいい白い椅子。
 可愛らしい小鳥のさえずりは、まるでフルートの音色のように心を安らがせる。
 そんな王城の中庭で、二人の男女がティータイムを楽しんでいた。
 女性の名前はチェルシー・クローズ伯爵令嬢。
 対する男性の名前は――ロイド・ユーグリア王太子。
 つまり、彼はこのユーグリア王国における次期国王の第一候補である。
 ロイドはチェルシーをなぐさめるように言った。

「……そうか。それは大変だったね、チェルシー。妹君がそんなことに……」
「申し訳ありません、ロイド様。こんなつまらない話をしてしまって」
「ああ、そんなことを言わないでくれチェルシー! 僕はきみの話ならどんなことだって聞きたいんだよ」
「ロイド様……!」

 ロイドの優しい言葉に、チェルシーは傷ついた心を隠すような健気けなげな表情を貼り付ける。
 ……その裏で、チェルシーは内心ニヤニヤ笑っていた。

(――やっぱりこの男はチョロいわ! あたしの言葉ならなんでも信じるんだから!)
「チェルシー、どうかしたのかい?」
「いえ、なんでもありませんわ」

 すまし顔で言ってのけるチェルシー。
 貴族学院時代から、チェルシーは同学年だったロイドに『アプローチ』をし続けてきた。
 もちろん、ロイドと結婚して王太子妃になるためだ。
 第一王子であるロイドには当然のように将来を誓い合った婚約者がいたが、そんなものチェルシーにとってはどうでもいいことだった。チェルシーはロイドの婚約者にいじめられているとあの手この手で悪評を流した。もちろん最初は信じられなかったが、ときには自分の顔を傷つけてまで被害者のふりを続けたことで周囲を味方につけられた。学院での生活に公務と多忙なロイドは婚約者と接する時間が減っており、つけいる隙はいくらでもあったのが追い風だった。いつしかロイドの婚約者は心を病み、学院どころか貴族社会から姿を消し、彼の隣はチェルシーのものとなった。
 当時チェルシーには他の婚約者がいたが、父にロイドとの関係がうまくいきそうだと話すと、あっさり婚約を破棄させてくれた。相手は優秀な青年だったが、実家がクローズ家に借りを作っていたため――もともとそれを理由に理不尽な条件つきで婚約していた――逆らうこともできなかったようだ。
 陰謀の甲斐あって、チェルシーは卒業後もたびたび王城に招かれ、こうしてロイドと中庭でお茶をする関係を続けている。

(未来の国母はこのあたし。ロイド様は正直まっっったく好みじゃないけど……ま、贅沢三昧ぜいたくざんまいな生活ができるならそれも我慢ね。適当に騎士でも掴まえてつまみ食いすればいいし!)
「チェルシー、なにを楽しそうにしているんだい?」
「いえいえ、なんでもありませんわロイド様」
「そうか。それならいいんだ」

 ロイドが知ったら卒倒するような考えを抱きながら、それを大嘘でごまかせる面の皮の厚さ。
 残念ながら、クローズ伯爵家の長女はまれに見る性悪女なのだった。

「しかし妹君のことは気になるね。大人しい性格だったのに、急にチェルシーやもう一人の妹君を怒鳴どなりつけるだなんて」

 ロイドは腕組みをして呟く。
 二人の話題は先日のティナについてだった。

「しかもただ怒鳴どなるだけではありません。お父様の剣まで持ちだしてきたのです」
「剣! それはただごとじゃないね。チェルシーは怪我けがをしなかったかい?」
「ええ、私は特に。しかしティナはしばらく屋敷に戻っていないのです。無事ならいいのですが……」

 普段とは異なるお淑やかな口調で、不安そうに言うチェルシー。一人称も「あたし」から「私」に変えている徹底ぶりだ。
 言っている内容ももうめちゃくちゃである。
 都合のいいように脚色した結果、ロイドの中ではチェルシーは『ティナの家庭内暴力に耐え、それでも妹の身を案じる健気けなげな姉』になっていた。
 ティナがこの場にいたら十回以上の訂正が入ったことだろう。

「それは心配だね。捜索隊を出すこともできるから、遠慮なく言うんだよ」
「お心遣い痛み入ります、ロイド様」

 形だけの謝意を告げて、チェルシーは微笑んだ。
 そこでチェルシーはふと思いついた。

「ところでロイド様、もうすぐ王城でパーティーが開かれるのですよね」
「そうだね。東の国境での紛争を収めた公爵に、褒賞を与えることになったんだ。……ああ、もちろんチェルシーも招待するつもりだよ」
「ありがとうございます。そのパーティーの招待客リストに、ティナの名前も加えてやっていただけませんか?」
「妹君をかい?」

 チェルシーは頷く。

「妹があんな暴挙に出たのは、家に籠もりきりだからだと思います。華やかなパーティーに参加すればきっと気が晴れると思うのです」
「なるほど、それはいい考えだね。ではそのように取り計らうよ」
「ありがとうございます。きっと妹も喜びますわ」

 ……建前を口にしながら、当然チェルシーの狙いは別にある。

(あたしに逆らった罰として、パーティーで大恥をかかせてやるわ……! 似合わないドレス姿を披露して、みんなに馬鹿にされればいいのよ)

 ティナにあしらわれるという耐えがたい屈辱を受けたあと、チェルシーは本気で父にティナを勘当かんどうしてくれるよう頼んだ。しかし父は世間体を気にして受け入れてくれなかったのだ。どうにかして報復したいと考えていたところだったので、パーティーがおこなわれるのは都合がよかった。
 そんなチェルシーのドス黒い思考に気付かず、ロイドは笑みを浮かべる。

「妹君が早く家出から戻ってくるといいね」
「ええ、本当にそう思いますわ!」

 チェルシーとロイドはまったく逆の考えを抱きつつ、そんなふうに言い合うのだった。


   ▼


「ついに……ついにここまで……!」

 山籠もりを始めて一か月、私は小川に映った自分の姿に会心の笑みを浮かべた。
 そこにいるのはもう『子豚令嬢』ではない。
 太りすぎず、せすぎず、均整の取れた体つきの少女が、水面からこちらを見返していた。
 さすがに一か月では脂肪を落とすので精一杯で、あまり筋肉はつかなかった。
 というか、そもそも今世の体は筋肉がつきにくいようだ。
 騎士としては少し頼りない体つきではあるけど……十分変化したといえる。

「では、下山の準備をしましょうか」

 テントは分解して投棄。
 食料は仲よくなった野生動物たちに分け与える。
 グレイウルフなどの魔石は、仕留めた猪の毛皮にくるんで持っていく。魔道具の工房や商会に持ちこめば買い取ってくれるかもしれない。

「服もすっかりぶかぶかになってしまいましたね」

 なにしろ山に入ったときと今では体型が違いすぎる。服の裾を縛って脱げないようにはしているけれど、あまり見た目がいいとは言えない。……帰り道で知り合いに会わないことを祈るばかりだ。
 もろもろの準備を終えた私は、一か月を過ごした川辺をあとにするのだった。



「……なんでしょうか、この音」

 山道の出口に近づくと、ふと奇妙な音が聞こえてきた。
 金属同士がぶつかり合うような鋭い音だ。これはまさか――
 慌てて音のするほうに向かうと、そこでは予想通り、剣を持った複数人が戦っていた。

「お前さえ……お前さえいなくなれば!」
「大人しく命を差しだせ!」
「ちっ、帝国の尖兵がよくもこんな場所まで追ってきたものだな!」

 攻撃をしのぎながら、黒髪の男性が毒づく。
 覆面をつけた十人が、黒髪の男性一人を襲っている。しかし黒髪の男性は十人がかりの攻勢を一人でさばいていた。相当な手練てだれだ。
 けれど多勢に無勢、やがて黒髪の男性は剣を弾かれて追い詰められる。

「終わりだ、『八つ裂き公』。護衛もつけずに街を出た自分の迂闊うかつさを後悔するんだな!」
「くっ……」

 覆面男たちのリーダーが、黒髪の男性に剣を振り下ろそうとした、その寸前。


「――そこまでです。これ以上の乱暴は見過ごせません」



 私は黒髪の男性をかばうように割って入った。
 覆面男たちのリーダーが驚いたように叫ぶ。

「女……⁉ なぜこんな場所に!」
「私のことなどどうでもいいでしょう。それより、十人がかりで一人を襲うのはあまりに卑怯だと思いますが」
「黙れ! 見られたからには生かしておけん。死ね!」

 覆面の男たちが一斉に襲いかかってくる。

「ばっ、そこの女! 早く逃げ――」

 背後で黒髪の男性が慌てたように声を上げる。
 私はそれをあえて無視し、腰から剣を抜き放った。
 一対多のやり方はいつも変わらない。
 敵の一人を盾にかく乱し、隙を作って攻撃する。
 さすがに相手はグレイウルフよりは強かったけど、山籠もりダイエットを終えた私の敵ではない。

「な、なんという化け物だ! 撤退、撤退ぃ――――!」
「……逃げましたか」

 半数を倒したところで覆面男たちは仲間を抱えて逃げ去っていった。軽やかに自分の体が動くのがとても嬉しい……! って、そんなことを言っている場合じゃなかった。
 敵がいなくなったのでかばっていた相手のほうを向く。

怪我けがはありませんか?」

 黒髪の男性は唖然としたまま私を見て言った。

「――シルディア・ガードナー……?」
「え」

 唐突に呟かれた名前に私は硬直する。
 なぜこの人は私の前世の名前を⁉

「そ、それはどういう意味で……?」

 私がおそるおそる尋ねると、黒髪の男性ははっとしたように首を横に振った。

「……いや、忘れてくれ。お前の剣技があまりにすさまじかったから、伝説の女騎士を連想しただけだ。深い意味はない」
「そ、そうですか。それならいいのですが」

 どうやら私の前世に気付いたわけではないようだ。
 というか、伝説の女騎士……?
 ティナ・クローズが生きているのはユーグリア王国。
 かつての私、シルディアが生きていたのと同じ国だ。前世シルディアの記録が残っていても不思議ではない。

「お怪我けがはないですか?」
「問題ない。かすり傷程度だ」
「……小さな傷でも放っておけば化膿します。薬を塗りますので、怪我けがした箇所を見せてください」

 黒髪の男性が大人しく手を差しだすので、屋敷から持ちだした軟膏を塗っていく。
 改めて目の前の男性を見る。
 長めの黒髪と、意志の強そうな赤い瞳。
 顔立ちは整っていて、男性的な美形、と表現するのがしっくりくる。
 服装は街で買えるようなごく普通のものだけれど、おろしたてなのか真新しい。まるで普段は着ていないものを間に合わせで用意したかのようだ。唯一、腰の剣だけは見事な造りで、一般庶民は生涯触れられないような名剣だとひと目でわかった。

(……休暇中の騎士、などでしょうか。まあ詮索するつもりはありませんが)

 そう結論付けたところで、丁度薬を塗り終わった。

「これでいいでしょう。痛みはありますか?」
「いや、ほとんどない」
「それはよかった」

 安心させる意味を込めて笑みを向ける。
 すると、なぜか黒髪の男性が目を見開いて固まってしまった。
 ……まさかそんなに私の笑顔は見苦しいのだろうか。そうではないと思いたい。
 黒髪の男性はごまかすように咳ばらいをしてから、じっと私を見下ろした。

「……ところでずっと気になっていたのだが、その格好はなんだ?」
「あ」

 そういえば、どろどろでぶかぶかの服のままだった。
 客観的に考えてかなり見苦しい。水浴びは欠かさなかったので、体臭はそこまでひどくないと思いたいけれど……それ以前の問題が多すぎる。

「それにその赤い髪、どこかで見覚えがあるような……」

 鮮やかな赤い髪はクローズ伯爵家の女のトレードマークのようなものだ。
 染めていた私の髪は、すっかり母やチェルシーと同じ赤色に戻っている。
 このままでは素性がバレかねない……!

「無事なら結構です! では私はこれで!」
「あ、おい、待――」

 黒髪の男性をその場に残し、私は走ってその場をあとにする。
 仮にも伯爵令嬢なのに、浮浪者のような格好で山にいた、なんて噂が立ったら大変だ。
 さっきの覆面男たちは何者だ? とか、あなたはこんなところでなにを? とか、いろいろと聞きたいことはあったけど仕方ない。
 私は逃げるように山道を駆け抜けるのだった。


   ▼


「……なんという足の速さだ」

 赤髪の少女が去っていくのを呆然と眺めつつ、黒髪の男性は呟いた。
 妙な少女だった。
 こんな山の中に女一人でいるのもおかしいし、ただの旅人にしては言葉遣いが丁寧すぎる。
 なによりあの剣技――あんなすさまじい剣さばきは今まで見たことがない!
 かと思えば、最後は年相応の少女のように慌てて去っていった。
 それらを順番に思いだし、黒髪の男性はくっくっと笑みを漏らした。

「面白いやつだ。あんな女は見たことがない」

 黒髪の男性は街に戻るため、さっきの少女が駆けていったのと同じ山道を下っていく。
 覆面男たちはまだ山に潜伏しているだろう。こんな短時間で二度も襲われるのは御免だった。どうせそのうち飽きるほど『やつら』とは戦う羽目になるのだから、今はゆっくりしたい。
 黒髪の男性は唇を吊り上げて言う。

「わざわざ面倒な催しのために王都まで来た甲斐があった。領地に戻るまでに、あの女にはもう一度くらい会っておきたいものだ」

 そんな彼の言葉に同意でもするように。
 彼の差した剣のさやで、『メイナード公爵家』の紋章がきらりと輝くのだった。



   第二章


「素性のわからない人間を屋敷に入れるわけにはいかん。帰るがいい」
「いえ、ですから私は不審者ではありません。ティナ・クローズです、ガイルさん」
「軽々しく名前を呼ぶな、怪しい女め! だいたいお前とティナ様は外見が違いすぎるだろう!」

 警戒の眼差しを収めてくれない門番のガイルさんに、私は溜め息を吐いた。
 ここはクローズ伯爵家の屋敷の前。
 しばらくぶりに戻ってきたところ、私は門番によって門前払いを食らっていた。

(……まあ、確かに外見は前とは随分変わりましたからね……)

 山籠もりダイエットの思わぬデメリットを見つけてしまった。

「あれ? どうかしたんですか?」

 押し問答していると、敷地の中から声がした。
 そこにいたのはふわふわ茶髪のメイド、サラだ。
 彼女なら私だとわかってくれるかもしれない!

「サラ、私! ティナよ! ガイルを説得するのを手伝ってほしいの!」
「ティナ、様……? でもお姿が、でもでも声はティナ様そっくりで……」

 困惑しているサラ。
 そしてサラはなにを思ったのか私のそばまでやってきて、私の手を掴んでくる。

「……さ、サラ? なにをしているの?」
「くんくん……あっ! ティナ様です! 間違いなくティナお嬢様ですよ!」
「ちょっと待ってサラ。あなた今、匂いで私だと判断しなかった?」

 こんな特殊な方法で識別されたのは初めてだ。

「ふふ、実はわたし結構鼻が利くんです!」
「そんな次元ではないように思うけど……」

 前々から子犬みたいだと思っていたけれど、まさか嗅覚まで犬並みだったりするんだろうか。そんな子に嗅がせるには、今の私はあまり綺麗ではないのだけれど。
 そんなことを考えていると、ガイルさんが頭を下げてくる。

「す、すみません。まさか本当にティナ様だとは思わず……」
「いえ、気にしないで。私も外見が変わった自覚はあるから」
「そ、そうですよお嬢様! 一体どうしてしまったんですか⁉ それに一か月もお戻りにならなくて、わたし、わたし……! 心配したんですよぉ……ぐすっ……」

 ああ、サラが泣き始めてしまった。
 私はサラの頭を撫でつつ、苦笑を浮かべた。

「そのあたりはあとで説明するわ。とりあえず、屋敷に入れてもらえる? ……一か月も出ていたから、そろそろ温かいお風呂が恋しいの」
「すぐに準備してきます!」

 サラは勢いよく屋敷の中に走っていった。



「ふう、いいお湯だったわ。サラ、わがままを言ってごめんなさいね」
「いえいえ! あ、お嬢様こちらに座ってください! おぐしを整えますので!」

 大浴場で体を清めたあと、サラはそのまま私の髪の手入れに取り掛かった。一か月もまともな手入れができていなかったので、日光を浴び過ぎて傷んでしまった箇所もある。サラは手際よくそういった部分を切り落としてから、補修成分のあるヘアオイルをつけ、手櫛、目の粗いブラシを使い分けて丁寧に浸透させていく。

「……お嬢様、一体どこでなにをなさっていたんですか? おぐしが見たことのない傷み方をしていますよ……?」

 う、と言葉に詰まる私。あまりにたるんだ自分の状態に耐えられなかったとはいえ、貴族令嬢としてあるまじきことをした自覚はある。魔物の出る山でダイエットのため過酷な運動に明け暮れていたなんて言ったら、典型的な貴族である両親など卒倒するかもしれない。

「……ちゃんと話すわ。サラも私が家を空けていた間のことを教えてくれる?」
「はい!」


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