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1巻
1-1
しおりを挟む第一章
「あははっ! ティナお姉さまは本当にのろまなのね! ちゃんと避けないと大怪我するわよ?」
「……っ」
人の来ない倉庫の裏に甲高い声が響く。その声に、私――伯爵令嬢のティナ・クローズは恐怖で喉を引きつらせた。
精一杯縮こまって身を守る私の横を、【石弾】の魔術で生みだされた石つぶてがかすめていく。
「ティナお姉さま、そんなに丸まったらますます豚みたいだわ! あははははっ!」
馬鹿にするような笑い声を上げているのは、十歳になる妹のプラム。
薄桃色の髪と大きな瞳が特徴的な可愛らしい少女だ。
けれど性格は凶悪で、いつも私のことを『豚みたい』とか、『魔術が使えない落ちこぼれ』と蔑んでくる。
「や、やめて……」
「なんでわたしがティナお姉さまの言うことを聞かなきゃいけないの? 嫌なら魔術で防げばいいじゃない」
「……」
「まあ、それができるならだけど! 魔術の使えない『子豚令嬢』――それがティナお姉さまだものね! お父さまもお母さまもチェルシーお姉さまも言ってるわ! 『ティナはうちの面汚しだ』って!」
石つぶてをもてあそぶプラムがおそろしく、私は口を噤んでしまう。
それに、プラムの言葉は事実だった。
私は貴族の家に生まれながら、魔術の才能がまったくない。
そのせいで家でも貴族学院でもいじめられた。人と会うのが怖くなり、引きこもっているうちに不摂生がたたってぶくぶくと太ってしまった。
最終的についたあだ名は『子豚令嬢』。
もう十六歳になるのに縁談の一つもなく、行き遅れの不良債権として家族からも疎まれている。
こうして妹のプラムに魔術の的代わりにされるのも、もはや日常茶飯事だった。
「ほら、ぶうぶう鳴いてみてよ! 魔術が使えないなら芸くらいできないと!」
「で、でも……」
「やだって言ったらお仕置きするわよ?」
誇示するようにプラムが【石弾】を構えた。
プラムは私より六つも年下だけど、強い魔力を持っている。
あれが当たったらどんなに痛いか、私は身をもって知っている。
「……ぶ、ぶう、ぶう」
「あはははははっ! 本当にやった! あははははははははっ!」
私が豚の鳴きまねをすると、プラムは屋敷中に響くほどの大笑いをした。
こんな惨めな思いをしても、もう涙も出ない。とっくに慣れきってしまっているから。
これが私、ティナ・クローズの日常なのだ。
「あっ……⁉」
いつものように倉庫の裏に連れこまれ、プラムにいじめられていたときのことだ。
彼女の放った石の弾丸が私の額に直撃した。その瞬間、私の頭を大量の情報が満たす。
それは前世の記憶だ。
私は痛む頭を押さえながらゆっくりと立ち上がる。
(……思いだした。私は気弱な伯爵令嬢などではない)
姿勢を正してまっすぐ立つ。いつものように背中を丸めるのではなく、胸を張って堂々と。
「――プラム」
「な、なによ」
びくりと肩を跳ねさせるプラムに、私はあくまで冷静に言う。
「謝罪しなさい。人に魔術を向けるなと最初に教わったはずですよ」
「わたしに謝れっていうの⁉ ティナお姉さまなんかに!」
「悪いことをしたら謝るのは、人として当然のことです」
「……ッ、ティナお姉さまのくせに偉そうなのよ! 【石弾】!」
プラムは逆上して大量の石の弾丸を放ってきた。
私はそれを見切ってすべてかわし、走りだす。
プラムとの距離を一瞬で詰めた私は、その無防備な首に手を水平に添えた。
ピンと伸ばした私の手は、プラムにはほとんど刃のように感じられることだろう。
「な、なあっ……!」
普段と明らかに違う私の動きに、プラムは動くこともできないようだった。
「二度と魔術で他者を攻撃しないと誓いなさい。嫌と言うなら――姉としてあなたを躾ける必要がありますね」
「…………も、もう、しません」
「よろしい。よく言えましたね」
謝罪を聞き、私が首筋から手をどけてやると、
「うわぁあああん! お父さま、お母さま、チェルシーお姉さまぁ! ティナお姉さまにいじめられたぁあああああああ!」
プラムは大泣きしながら屋敷に向かって走り去っていった。
「……あんな子供に私は今までいいようにされていたのですか」
いろいろと複雑ではあるけれど、今はそれより脳内を整理するほうが重要だ。
私はその場で目をつぶり、脳内になだれこんだ記憶を反芻する。
……けれどやっぱり、間違いない。
「竜に襲われて死んだとき、すべて終わったと思っていましたが……私は騎士としての人生になにか未練でもあったのでしょうか」
私は苦笑しながら呟いた。
シルディア・ガードナー。それが私の前世の名前だ。
王国唯一の女騎士であり、おそれ多くも精鋭である『精霊騎士団』の長を任されていた。
そんな私はいろいろあって国を守って死亡し、今はティナ・クローズとして生まれ変わった――ということらしい。
(……ティナとしての記憶もありますし、完全に人格を乗っ取ったというわけでもないようですね)
それにしても、前世の記憶がよみがえる、なんてことが本当にあるとは。
謎の感慨に包まれていると、私は不意によろめいた。
「……っ、そういえば頭を怪我していたんでした」
私が前世の記憶を取り戻したのは、プラムの魔術で頭を打たれたからだ。
今も額からは血が流れている。
早めに処置したほうがいいだろう。
「サラに頼めば、包帯くらいは出してもらえるでしょうか……」
私はティナの記憶を頼りに、敷地の中を移動するのだった。
食堂の掃除をしていたメイドのサラに声をかけると、流血した私を見て急いで救急箱を持ってきてくれた。
私を椅子に座らせると、彼女はてきぱきと処置を始める。
「仕事を中断させてごめんなさい、サラ」
「そ、そんなことは気にしないでください! それよりお顔の怪我なんて一大事に、声をかけていただけないほうが困ります!」
「そう言ってくれると助かります」
ガーゼで止血しながら慌てるサラに、私は笑みを返す。
そんな私にサラは戸惑いの表情を浮かべる。
「その、お嬢様。いつもと話し方が違うような……? それに、雰囲気もなんだか……」
ああ、そうだ。
ティナは仮にも伯爵令嬢。平民のメイドであるサラに敬語で接するのは、お互いにとっていいことじゃない。ええと、ティナは普段どんな口調でサラに接していたっけ。
「あー……気にしないで、サラ。ちょっと頭がすっきりしているだけだから」
「頭がすっきりって、血が出てますよ⁉」
「それがよかったのよ」
「え、ええ……?」
私がうんうん頷くと、サラは治療の手を止めてぽかんと口を開けた。
彼女――サラ・エイベルは、ふわふわの茶髪が特徴的なメイドだ。年は十四。屋敷の中で唯一と言っていい私の味方である。
この屋敷の人間は家族はもちろん、使用人に至るまでほぼ全員が私のことを見下している。そのため以前の私は部屋の掃除や食事の用意といったことすら自分でやっていたのだけれど、あるときからサラは私の身の回りの世話を買って出てくれたのだ。おまけに父に直談判したうえで、私の侍女のようなことまで担ってくれている。
サラが私の味方をしてくれることには理由がある。
サラは新人だった頃、プラムが楽しみにしていたおやつの焼き菓子を、まとめてひっくり返して駄目にしてしまったことがある。
当然プラムは激怒し、サラの解雇を父に進言しようとした。
それを私は「自分が食べた」と言い張って庇ったのである。
それによってプラムの怒りの矛先は私に向き、サラはおとがめなしで済んだ。
(……プラムにいじめられるのは慣れっこでしたし、人助けになるならいいかと思ったんですよね)
そんなことがあってから、サラは私に懐いてくれるようになったのだった。
「はい、終わりましたよ」
「ええ。ありがとう、サラ」
「……えへへぇ」
私が頭を撫でると、サラは嬉しそうに頬を緩めた。
……とても可愛い。
プラムの代わりに私の妹になってくれないでしょうか。
「お嬢様、その傷はまたプラム様に……?」
頭を撫でられたまま、サラが心配そうに聞いてくる。
「そうね。でも、もう大丈夫よ。ちゃんと注意しておいたから」
「へ? ティナ様が、プラム様に、注意……?」
「ええ」
信じられないというように、サラが目を見開く。
それも仕方ない。今まで私は、プラムにどんなにいじめられても反論一つできなかったのだから。
けれど前世の記憶が戻った以上、そんなのはもう過去のことだ。
これからはあのいじめっ子の妹のことも、きちんと注意していく所存である。
――と。
ぐううううう、と私のお腹から情けない音が鳴った。
「お嬢様、お腹が減ったんですか……?」
「………………そうみたいね」
時間帯はまだ夕方前。
こんな時間に空腹になるなんて、この体の燃費は一体どうなっているのか。
「な、なにか食べられるものを持ってきますね!」
「……ええ、お願い。なんだか急に力が入らなくなってきて……」
私が頼むとサラはすぐに厨房に向かっていった。
元気だ。まるで子犬のようである。
数分後、お菓子の入ったカゴを抱えて戻ってくる。
「持ってきました!」
「ありがとう、サラ」
「あ、でもその前に手だけ清めてくださいね。綺麗なお水も持ってきましたので」
「わかったわ」
用意がいいサラに感謝しながら、水を張った浅い金属製の器に手を伸ばす。
そして私は気付いてしまった。
水面に映る自分の姿に。
『子豚令嬢』とあだ名される、私の今の容姿に。
(これが……これが、私……?)
「あの、お嬢様……? どうかなさいましたか?」
サラの心配そうな声にも反応できず、私は食い入るように水面の自分を凝視する。
顔の輪郭は丸く、顎のラインは見事にたるんでいる。目は贅肉に押しつぶされて細くなっている。
くすんだ焦げ茶色の髪のせいもあるだろうけれど、心なしか顔色も悪く、いかにも不健康そうだ。
「……た、耐えられません! なんというだらしない顔なのですか私は! どれだけ自分を甘やかせばこんな外見になるというのですか⁉」
「わあああ落ち着いて! 落ち着いてくださいお嬢様!」
わかってはいたけれど、改めて見るとショックがひどい。
私の前世は騎士だ。
それも王国最強とまで謳われた誇り高き女騎士。
その称号に恥じないよう、かつての私は毎日鍛錬を欠かさなかった。体も引き締まり、余分な肉などまったくついていなかった。
それが騎士として当然のことだと思っていたのだ。
その私が、こんな情けない体型をさらしているだなんて……ッ!
「……サラ。悪いけれど焼き菓子はキャンセルするわ」
「えっ?」
「私は……痩せるわ。絶対に引き締まった体を取り戻すの……!」
困惑するサラをよそに、私は覚悟を決めて立ち上がった。
まずはこのたるみきった体型を改善させる。
すべてはそれからです!
この肥満体型を解消するには、生半可な運動や食事制限ではとても足りない。
となると選択肢は一つ。
山籠もりだ。
「この近くに誰でも入れる山があったはずですね」
ティナの記憶によれば、この屋敷があるのはユーグリア王国王都の貴族街。
ユーグリア王国といえば、前世で暮らしていた国と同じ名前だ。
同じ国に転生したのは、果たして偶然なのか運命なのか……いや、それは今はどうでもいい。
この王都のそばにはデイン山という山があるのだ。
王都が近いので整備はされているけど、それでもたまに魔物が出るらしい。
その山でしばらく過ごすのだ。
一人で行くので多少の危険はあるけれど……まあ、なまった体を叩き直すには丁度いいだろう。
「倉庫に置いてあった剣を持ってきましたし、あとは火打石と水筒とロープと……」
倉庫やら自室やらを漁って、山籠もりに必要なものを揃えていく。
運動に適した服はほとんど持っていない。唯一使えそうなのは貴族学院の体育着だろうか。授業で乗馬の練習もするため下がズボンになっている。丈夫そうだしこれでいいだろう。
準備を終えたあたりで、バン! と自室の扉が開いた。
……ノックくらいするのが普通でしょうに。
こんな礼儀知らずな人は、この家には二人しかいない。
部屋の入り口に立っていたのはその両方だった。
「プラム、それにチェルシー姉様まで……一体どうしたのですか?」
桃色の髪の妹、プラムを従えて立っているのは真っ赤な髪の女性。
この家の長女であるチェルシー・クローズだ。
チェルシーはきつい吊り目で私を睨んでいる。
「どうしたのか、ですって! 聞いたわよ。あんたプラムをいじめたそうじゃない!」
「誤解です。私はプラムの間違いを注意しただけで……」
「豚が口答えするんじゃないわよ!」
「そうよ! チェルシーお姉さまの言う通りよ!」
「……」
訂正しようとすると即座に怒鳴られた。
それに乗っかるプラムが微妙に腹立たしい。
どうやらプラムが倉庫裏での一件をチェルシーに報告したらしい。おそらくは私だけが悪者になるよう脚色して。
まともに相手をするのは大変なので、私は再び話の先を促した。
「……それで、チェルシー姉様。用件はなんですか?」
「決まってるじゃない! あんたを躾けるのよ! 落ちこぼれにふさわしい振る舞いを、もう一度叩きこんであげるわ!」
チェルシーはずんずんと私のもとに歩いてくる。
大きな声。威圧的な態度。
今までの私は、このチェルシーがおそろしくてたまらなかった。
けれど今の私は――
「――お断りします。あなたに躾けられるほど、悪いおこないをした覚えはありませんので」
「なっ……⁉」
いつものように平手打ちしようとしたチェルシーの手を受け止める。
令嬢の細腕なんて、騎士の記憶を取り戻した私には脅威ではない。
むしろどうやったら相手を傷つけずに防御できるか考える必要があるくらいだ。
「は、放しなさいよ!」
「わかりました」
「きゃあっ!」
チェルシーの言う通りにする。
すると、慌てて手を引っこめようとしたチェルシーは、勢い余って後ろに倒れこんだ。
「あ、あんた、こんなことしてどうなるかわかってるんでしょうね⁉」
「さあ? どうなるのですか?」
尻餅をつき、私を下から睨みながらチェルシーは喚き続ける。
「お父様に言いつけてやる! あんたは勘当よ!」
「はあ」
「あたしは本気よ⁉ あたしはロイド王太子殿下とも親しい、この家の宝だもの! 絶対にお父様はあたしの言い分を信じるわ! それが嫌なら這いつくばって謝罪しなさいよ!」
ヒステリックに叫び続けるチェルシー。
……勘当、と言われても。
正直なところ、この家にはいい思い出がまったくない。
姉のチェルシーや妹のプラムはこんな感じだし、両親は私のことなんてほったらかし。
無力な令嬢だった頃の私ならともかく、今の私なら別に家を追いだされても生きていけるだろう。自由気ままな旅人になるもよし、前世と同じく騎士を目指すもよし。
「お好きにどうぞ。では、私は行くところがありますのでこれで」
「は? って、ちょっとあんたそっちは窓――!」
これ以上話していると頭が痛くなりそうだったので、私は荷物を抱えると手近な窓を開けて飛び降りた。
幸いにもここは二階だ。このくらいの高さなら飛び降りても問題ない。私は部屋で固まったままのプラムとチェルシーを放置し、山籠もりのために屋敷を出ていくのだった。
「このあたりでいいでしょうか」
王都を出た私はデイン山へと向かった。
歩き回るうちに小川の流れる場所に辿り着いたので、拠点をそこに決める。
ここで何日過ごすかわからない以上、水場は近いに越したことはない。
痩せるまでは山を下りないつもりだ。絶対に……!
枝を組み合わせて骨組みを作り、その上から葉っぱつきの枝で覆って野宿用のテントを作る。さらにたきぎを集めて火の準備を済ませ、簡易的なろ過装置作りに取りかかる。屋敷から持ちだした水筒に丁寧に洗った小石、砂利、砂、布を詰めてから底に穴を空ければ完成だ。前世では野営なんて日常茶飯事だったので、もはや無意識に準備を進められる。
「次は食料ですね」
小川の下流に向かうと川幅がだんだん広くなっていく。綺麗な水の下には、何匹もの川魚が見えた。私は靴を脱ぎ、下衣の裾をまくって静かに川の中に入る。
思いだされるのは前世の騎士時代の修行。気配を消すのは、剣の軌道を相手に読ませないことにつながる。私は気配を消したまま水の中に向かって手刀を振るう。
「ふっ!」
バシッ!
水面を打つ音とともに川の中にいた魚が岸に打ち上げられる。
同じやり方で十匹ほど確保しておく。雨が降れば川の水は濁り、魚を獲るのが難しくなる。ここは多めにキープしておくのが正解だ。食べきれないぶんは干物や燻製にしておけばいい。
獲れたのはマスやイワナなど食用向きな魚ばかりだった。なんと山籠もりに適した環境だろうか。
ピチピチと跳ねる魚を抱えて拠点に戻り、持ってきたナイフでそれをさばく。
その後、屋敷から持ちだした塩を振り、大きめの葉でくるんでテントの中へ。
こうして塩漬けにしてから干すなり燻すなりして、保存が利きやすくするのだ。
そんな作業をしながら私はふと思う。
「……自分でやっておいてなんですが、サバイバルをする伯爵令嬢とは奇妙すぎますね」
誰にも見られないような場所でよかった。こんな姿を見られたら『子豚令嬢がついに野生に還った』なんて不名誉な噂が広まってしまうことだろう。
なにはともあれ、これで準備は完了だ。
明日からは本腰を入れて山籠もりダイエットに取り組むとしよう。
「……ん?」
そう考えたとき、ふと私は体に違和感を覚えた。体がなにやら重いような……?
翌日、私はテントの中で悲鳴を上げた。
「い、痛い……! 体が千切れそうです……!」
昨日の違和感は気のせいではなかった。山登りに加えてたきぎ拾いで歩き回り、川で魚を獲ったことで全身が筋肉痛になったのだ。体のどこを動かしても痛い。これではダイエットどころじゃない……っ!
私は痛みに耐えながら思った。……特訓のメニューを一から考え直す必要がありそうだと。
二日目にして出鼻をくじかれつつも、私の山籠もり生活がスタートした。
最初はそもそもまともな運動ができなかったので、軽いジョギングや手頃な岩の段差を上り下りすることから始めた。やりすぎると体を痛めてしまうのであくまで慎重に。それだけでも息が切れるくらいには負荷がかかる。休憩時間にはストレッチをおこないガチガチに固まった体をほぐす。
二日ほどかけてゆっくり体を運動に慣らし、走りこみをメニューに追加する。
同じタイミングで筋力トレーニングもやってみた。……腕立て伏せをやろうとしたら、そもそも姿勢が維持できなかった。仕方ないので膝をついてやってみると、数回で腕が上がらなくなった。腹筋に至っては、お腹周りの肉が邪魔でろくに体が上がらないのが悲しい。
痩せるためには適切な食事も必要だ。前世で体型に苦心していた同僚いわく、「食事を減らしすぎると筋肉が減って痩せにくい体になるのよ……!」とのこと。魚や鳥、兎などを獲って調理する。幸い山菜や果物も豊富だったので、栄養が偏ることはなかった。
そんな日々を続けること十日。
わずかあるけれど、見た目に変化が出てきた。
「少しだけ首回りがすっきりしてきた……でしょうか?」
小川に映る自分の姿を見て私は呟く。
まだまだ全体的に体のシルエットは丸いままだ。過剰にむっちりとした太ももや二の腕は、相変わらず悲しいほどにぷにぷにしている。けれどその一方で、太く短く見えていた首が、ほんの少しほっそりとしてきている。
きっと運動の習慣をつけたことで、体を支える筋肉が戻ってきたのだ。姿勢がよくなり、猫背や巻き肩が改善されている。
他人から見ればほとんどわからないような違いだろう。けれど確実に前進している。
そしてもう一つ、私の見た目で変わっているところがある。
「髪の色も戻ってきましたか。染め粉で無理やり変えていただけですし、当然ですね」
そう、今まで焦げ茶色だった髪にだんだん赤い髪が交じりだしたのだ。
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