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メイナード家別邸にて
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「旦那様、お茶をお持ちいたしました!」
「……ああ、そこに置いておいてくれ」
メイナード家別邸。
メイド少女のサラ・エイベルが執務室にこもるウォルフに飲み物を届けると、届け先の人物から上の空の言葉が返ってきた。
なにやら落ち込んでいるようだった。
ウォルフのこんな様子は珍しい。普段はもっと泰然としているのに。
(……お仕事が忙しいんですかね?)
現在ウォルフは、別邸にいる間にと公爵としての務めを果たしている。
王城に提出する書類作成やら、王都に暮らす他の貴族との談合やら、こっちでしかできない仕事というのも多いのだ。もっとも、普段は家令であるアルバートに任せているようだが。
お仕事頑張ってくださいね、と思いながらサラが執務室を出ようとすると。
「……サラ。少しいいか」
「はい?」
「ティナは出かける前に何か言っていなかったか」
ウォルフの婚約者であるティナは、数日前から外出している。
なんでも『神隠しの森』という場所に行っているらしい。この話はデール王太子殿下から使者が来て教えてくれた。
「何かと言うと?」
「あー……その、俺のことが嫌いとか、愛想がつきたとか、そういう話だ。……ぐっ」
言いながらウォルフは暗い表情を浮かべる。どうやら自分で言った内容にダメージを受けているらしい。
「い、いやいやティナお嬢様はそんなこと仰ってませんよ! 何かあったんですか?」
「いや、それがだな」
ウォルフが話してくれたところによると。
原因は先日行った模擬戦にあるらしい。
ウォルフはそのときはじめてティナに勝ち、ティナの様子が少し変になったそうだ。
「まさかあんな無理をした笑顔で、『おめでとうございます、私も精進しなくてはなりませんね』と言われるとは……! あれは絶対に怒っている。それも大激怒だ」
頭を押さえて唸り声を上げるウォルフ。これは相当落ち込んでいそうだ。
(そういえば、確かにティナ様の様子も変でした)
思い出されるのはティナに膝に載せられ、抱き枕にされたときのことだ。
どうやらあれはウォルフに模擬戦を負けてしまったことが原因らしい。
……女性が男性に剣で負けるのはごく普通のことでは?
サラは素でそんなことを思ったが、すぐに振り払う。
ティナこそ彼女の生涯の主。ティナがそうなら世界はそうなのだ。
「……あんなつもりではなかったのだ」
ぽつりとウォルフは告げる。
「どういう意味ですか?」
「俺はティナに勝ち誇りたかったわけではない。ただ単に、あいつと対等になりたかっただけだ。あいつよりも弱いままでは、いつまでも守られる立場のままだ。……俺はあいつに頼られるようになりたかった」
だからアルバートに頼んで修行をした、とウォルフは続けた。
(……もしかして、旦那様の目的って)
サラはここでぴんと来た。
「旦那様、もしかしてティナお嬢様にプロポーズなさろうとしているとか」
「っ」
びきり、とウォルフが固まる。
しかしそこは公爵家当主の矜持か、無様に取り繕うようなことはしなかった。
「……悪いか」
どうやら当たりのようだ。サラは歓声を上げそうになった。――あのティナお嬢様にプロポーズが! ついに春が!
サラに見抜かれて観念したのか、ウォルフは椅子に背もたれに深く体重を預ける。
「あいつは俺の理想だった。強く、迷いがない。まさしく騎士の模範を現したような人間だ」
ぽつぽつと紡がれる言葉はほとんど独白のようだ。
「それだけなら単に尊敬できる相手としか思わなかっただろう。だが、たまに見せる笑顔だの、不安そうな様子だのが……どうもよくない。放っておけないし、誰にも見せたくないと思ってしまう。
今は婚約者でこそあるが、これは『お互いに破棄できる』程度の契約に過ぎない。あいつがその気になれば、この関係はそこで終わりだ」
だから少しでも早くあいつに自分を認めさせたかった、とウォルフは告げる。
それから視線を前方のサラに戻して、顔をしかめた。
「……サラ、なんだそのニヤニヤ顔は」
「へ!? あっ、すみません! 嬉しかったものでつい!」
サラからすればティナは長年仕えた大切な主である。
そんなティナがここまで手放しに褒められては嬉しくないわけがない。
「旦那様。先ほどのお話ですが、ティナお嬢様はきっと怒ってなんかいませんよ」
「……そうだろうか」
「はい。なのできちんとさっきのことを話して差し上げてください」
サラがそう言うと、「わかった」とウォルフは頷いた。
覚悟を決めた表情で。
「では、失礼します」
「ああ」
これ以上言うことはないとサラは執務室を後にする。
仕事に戻る途中、ふと考える。
(お嬢様は今頃どこで何をなさっているんでしょうか?)
少なくとも、まさか留守中にこんな話がされているとは思うまい。
ティナが屋敷に戻ってきた後のことを考えて、サラは足音を弾ませるのだった。
――同時刻。
「くっ……何ですかこれは! 力が……力が溢れてきます!」
「ふははは、そうだろうそうだろう! 我が寵愛を受けし者ならそのくらい当然! さあ力を解き放てティナ・クローズよ! 貴様にもはや斬れぬものなどない!」
「感謝します、リオ! これでもう私は誰にも負けません!」
「それでいい! 貴様が無類の強さを得ることは、すなわち我の加護の強さの証明となるのだからな! わはははは! わーっははははは!」
「なにこれ」
『神隠しの森』には二人分のややテンション高めな声が響いていた。
その声の主たちを少し離れたところで見ながら、ノアは心の中で再度思う。
なにこれ、と。
「……ああ、そこに置いておいてくれ」
メイナード家別邸。
メイド少女のサラ・エイベルが執務室にこもるウォルフに飲み物を届けると、届け先の人物から上の空の言葉が返ってきた。
なにやら落ち込んでいるようだった。
ウォルフのこんな様子は珍しい。普段はもっと泰然としているのに。
(……お仕事が忙しいんですかね?)
現在ウォルフは、別邸にいる間にと公爵としての務めを果たしている。
王城に提出する書類作成やら、王都に暮らす他の貴族との談合やら、こっちでしかできない仕事というのも多いのだ。もっとも、普段は家令であるアルバートに任せているようだが。
お仕事頑張ってくださいね、と思いながらサラが執務室を出ようとすると。
「……サラ。少しいいか」
「はい?」
「ティナは出かける前に何か言っていなかったか」
ウォルフの婚約者であるティナは、数日前から外出している。
なんでも『神隠しの森』という場所に行っているらしい。この話はデール王太子殿下から使者が来て教えてくれた。
「何かと言うと?」
「あー……その、俺のことが嫌いとか、愛想がつきたとか、そういう話だ。……ぐっ」
言いながらウォルフは暗い表情を浮かべる。どうやら自分で言った内容にダメージを受けているらしい。
「い、いやいやティナお嬢様はそんなこと仰ってませんよ! 何かあったんですか?」
「いや、それがだな」
ウォルフが話してくれたところによると。
原因は先日行った模擬戦にあるらしい。
ウォルフはそのときはじめてティナに勝ち、ティナの様子が少し変になったそうだ。
「まさかあんな無理をした笑顔で、『おめでとうございます、私も精進しなくてはなりませんね』と言われるとは……! あれは絶対に怒っている。それも大激怒だ」
頭を押さえて唸り声を上げるウォルフ。これは相当落ち込んでいそうだ。
(そういえば、確かにティナ様の様子も変でした)
思い出されるのはティナに膝に載せられ、抱き枕にされたときのことだ。
どうやらあれはウォルフに模擬戦を負けてしまったことが原因らしい。
……女性が男性に剣で負けるのはごく普通のことでは?
サラは素でそんなことを思ったが、すぐに振り払う。
ティナこそ彼女の生涯の主。ティナがそうなら世界はそうなのだ。
「……あんなつもりではなかったのだ」
ぽつりとウォルフは告げる。
「どういう意味ですか?」
「俺はティナに勝ち誇りたかったわけではない。ただ単に、あいつと対等になりたかっただけだ。あいつよりも弱いままでは、いつまでも守られる立場のままだ。……俺はあいつに頼られるようになりたかった」
だからアルバートに頼んで修行をした、とウォルフは続けた。
(……もしかして、旦那様の目的って)
サラはここでぴんと来た。
「旦那様、もしかしてティナお嬢様にプロポーズなさろうとしているとか」
「っ」
びきり、とウォルフが固まる。
しかしそこは公爵家当主の矜持か、無様に取り繕うようなことはしなかった。
「……悪いか」
どうやら当たりのようだ。サラは歓声を上げそうになった。――あのティナお嬢様にプロポーズが! ついに春が!
サラに見抜かれて観念したのか、ウォルフは椅子に背もたれに深く体重を預ける。
「あいつは俺の理想だった。強く、迷いがない。まさしく騎士の模範を現したような人間だ」
ぽつぽつと紡がれる言葉はほとんど独白のようだ。
「それだけなら単に尊敬できる相手としか思わなかっただろう。だが、たまに見せる笑顔だの、不安そうな様子だのが……どうもよくない。放っておけないし、誰にも見せたくないと思ってしまう。
今は婚約者でこそあるが、これは『お互いに破棄できる』程度の契約に過ぎない。あいつがその気になれば、この関係はそこで終わりだ」
だから少しでも早くあいつに自分を認めさせたかった、とウォルフは告げる。
それから視線を前方のサラに戻して、顔をしかめた。
「……サラ、なんだそのニヤニヤ顔は」
「へ!? あっ、すみません! 嬉しかったものでつい!」
サラからすればティナは長年仕えた大切な主である。
そんなティナがここまで手放しに褒められては嬉しくないわけがない。
「旦那様。先ほどのお話ですが、ティナお嬢様はきっと怒ってなんかいませんよ」
「……そうだろうか」
「はい。なのできちんとさっきのことを話して差し上げてください」
サラがそう言うと、「わかった」とウォルフは頷いた。
覚悟を決めた表情で。
「では、失礼します」
「ああ」
これ以上言うことはないとサラは執務室を後にする。
仕事に戻る途中、ふと考える。
(お嬢様は今頃どこで何をなさっているんでしょうか?)
少なくとも、まさか留守中にこんな話がされているとは思うまい。
ティナが屋敷に戻ってきた後のことを考えて、サラは足音を弾ませるのだった。
――同時刻。
「くっ……何ですかこれは! 力が……力が溢れてきます!」
「ふははは、そうだろうそうだろう! 我が寵愛を受けし者ならそのくらい当然! さあ力を解き放てティナ・クローズよ! 貴様にもはや斬れぬものなどない!」
「感謝します、リオ! これでもう私は誰にも負けません!」
「それでいい! 貴様が無類の強さを得ることは、すなわち我の加護の強さの証明となるのだからな! わはははは! わーっははははは!」
「なにこれ」
『神隠しの森』には二人分のややテンション高めな声が響いていた。
その声の主たちを少し離れたところで見ながら、ノアは心の中で再度思う。
なにこれ、と。
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