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悪女ミリーリア
しおりを挟む「……静かだな」
騎士団の詰所から屋敷に戻った俺――フォード・レオニスはそう呟いた。
ミリーリア・ノクトールと結婚して以降、昼間の屋敷は賑やかなことが多かった。
だが、今日は静まり返っている。
妙なものだな。以前はこの静けさが常だったというのに、今では違和感がある。
と。
「お帰りなさいませ、フォード様。お待ちしておりました」
「ミリーリア」
――誰だ、この女は。
俺は一瞬、目の前にいるのが誰かわからなかった。
通路をふさぐように立っているのはミリーリアだ。
見慣れつつある外見のはずなのに、気配が違う。
この屋敷に来て以降、彼女は常に明るい雰囲気だった。
しかし目の前にいるミリーリアは冷然とした気配をまとっている。表情はなく、外見の美しさもあいまって、氷の彫像か何かのように見えるほどだ。
「お話したいことがあります」
平坦な声でミリーリアが告げる。
「何だ」
「アイリスはノクトール家で引き取ります。また、今日から私も日中のみそちらで過ごすことにいたしました」
「……ほう?」
声が一気に温度を失ったのを自覚する。しかしミリーリアは気にした様子もない。
「すでにアイリスはノクトール家に移動させています。浄化結晶があれば、体調も問題ありませんから」
「理由は?」
一応聞くが、そんなものはわかりきっている。
ミリーリアはアイリスを溺愛していた。そのうえで、俺のアイリスへの態度を不満に思っていたようだった。だから俺からアイリスを隔離しようとしたのだろう。
だが、ミリーリアの反応は予想外のものだった。
「――アイリスが、期待外れの欠陥品だったからです」
「……何?」
「アイリスは素晴らしい才能を持っています。しかし彼女は甘い。北旅人区の一件で、住民を助けるために、爆発事故のあった場所に向かおうとしました。その甘さは聖女に必要ありません」
「それがアイリスをノクトール家に預けることにどう関係する?」
「彼女には“人を見捨てる”訓練をさせます」
無表情の女はそう言った。
「人を見捨てる訓練だと?」
「病の者の元に連れて行き、その者が命を落とすところをアイリスに見せます。あるいは災害のあった場所に連れて行き、助けを求める住民の声を無視させます。そうやってアイリスの人格を修正します」
「……」
「聖女の力は有限です。ある場所を助ければ他は見捨てることになる。その判断をできるように精神を作り変えます。そういった訓練をするには、この屋敷ではやりにくいですから」
誰だ。
この女は本当にミリーリアなのか?
アイリスの精神を作り変える? そんなことが許されると思っているのか?
「今すぐアイリスを屋敷に戻せ。レオニス家当主として見過ごせない」
「私はアイリスの教育係です。その教育方法は私に一任されています」
「お前はアイリスを可愛がっていたのではないのか?」
俺が言うと、ミリーリアの顔をした女は初めて笑みを浮かべた。
まさに悪女と呼ぶにふさわしい、嘲りの笑みだ。
「――あんなの、この屋敷の人間を信用させるための演技に決まっているでしょう?」
「……何だと?」
「アイリスは私にとってただの道具。アイリスを素晴らしい聖女に育てれば、私は“万能の聖女”だった頃のように脚光を浴びられることでしょう。そのためなら私は何だってします」
目の前の悪女はぬけぬけとそうのたまった。
▽
怖い! すごく怖い!
「何を意外そうな顔をしているんです? 当然でしょう。私は歴代聖女の中でも最も優れていると言われていたんですよ? それがたかが聖女の教育係にまで堕ちたんです。こんな不当な扱いを黙って受け入れるだけなんて有り得ませんわ」
「……そうか。俺はお前を誤解していたようだ」
声を荒げこそしないものの、私が喋るたびにフォードの殺気が増している。
フォードは剣術と魔術を使いこなす原作最強クラスの人物だ。彼がその気になれば私は一瞬で始末されてしまうだろう。
でも、今更やめるわけにはいかない。
今の私は悪女。
原作準拠ミリーリアよ。
原作において、現役時代のミリーリアは立派な聖女だった(この世界ではすでになぜか悪女扱いされているけど……何で?)。けど、聖女の座を失ってから彼女は過去の栄光にとらわれる。そしてアイリスを道具のように利用して、再びのし上がろうと画策する。
ただの演技ならボロが出るでしょうけど、元ネタがあるなら演じきれる……!
なぜか今の私は悪女だと噂が立っているので、一連の発言にも説得力が出る。
噂については昨日リタに確認してばっちり裏も取っているし。
私は以前、フォードの従者であるケビンの前で「待つ」と言った。フォードが本音を明かしてくれるまで待つと。
けれどフォードは私の前で三回アイリスに対して酷い態度を取った。
このまま待ち続けて、事態が好転するのはいつのことだろう?
アイリスが大人になっちゃうじゃない!
子どもの頃に父親代わりのフォードに無視され続けたら、アイリスの人格形成に悪影響を及ぼすだろう。
改善だ。家庭環境を改善するのだ。
そのためにも、今はフォードをひたすら煽るのよ……!
罪悪感がすごいけど! 本当にごめんねアイリス! 後でたくさん甘やかすから許して……!
騎士団の詰所から屋敷に戻った俺――フォード・レオニスはそう呟いた。
ミリーリア・ノクトールと結婚して以降、昼間の屋敷は賑やかなことが多かった。
だが、今日は静まり返っている。
妙なものだな。以前はこの静けさが常だったというのに、今では違和感がある。
と。
「お帰りなさいませ、フォード様。お待ちしておりました」
「ミリーリア」
――誰だ、この女は。
俺は一瞬、目の前にいるのが誰かわからなかった。
通路をふさぐように立っているのはミリーリアだ。
見慣れつつある外見のはずなのに、気配が違う。
この屋敷に来て以降、彼女は常に明るい雰囲気だった。
しかし目の前にいるミリーリアは冷然とした気配をまとっている。表情はなく、外見の美しさもあいまって、氷の彫像か何かのように見えるほどだ。
「お話したいことがあります」
平坦な声でミリーリアが告げる。
「何だ」
「アイリスはノクトール家で引き取ります。また、今日から私も日中のみそちらで過ごすことにいたしました」
「……ほう?」
声が一気に温度を失ったのを自覚する。しかしミリーリアは気にした様子もない。
「すでにアイリスはノクトール家に移動させています。浄化結晶があれば、体調も問題ありませんから」
「理由は?」
一応聞くが、そんなものはわかりきっている。
ミリーリアはアイリスを溺愛していた。そのうえで、俺のアイリスへの態度を不満に思っていたようだった。だから俺からアイリスを隔離しようとしたのだろう。
だが、ミリーリアの反応は予想外のものだった。
「――アイリスが、期待外れの欠陥品だったからです」
「……何?」
「アイリスは素晴らしい才能を持っています。しかし彼女は甘い。北旅人区の一件で、住民を助けるために、爆発事故のあった場所に向かおうとしました。その甘さは聖女に必要ありません」
「それがアイリスをノクトール家に預けることにどう関係する?」
「彼女には“人を見捨てる”訓練をさせます」
無表情の女はそう言った。
「人を見捨てる訓練だと?」
「病の者の元に連れて行き、その者が命を落とすところをアイリスに見せます。あるいは災害のあった場所に連れて行き、助けを求める住民の声を無視させます。そうやってアイリスの人格を修正します」
「……」
「聖女の力は有限です。ある場所を助ければ他は見捨てることになる。その判断をできるように精神を作り変えます。そういった訓練をするには、この屋敷ではやりにくいですから」
誰だ。
この女は本当にミリーリアなのか?
アイリスの精神を作り変える? そんなことが許されると思っているのか?
「今すぐアイリスを屋敷に戻せ。レオニス家当主として見過ごせない」
「私はアイリスの教育係です。その教育方法は私に一任されています」
「お前はアイリスを可愛がっていたのではないのか?」
俺が言うと、ミリーリアの顔をした女は初めて笑みを浮かべた。
まさに悪女と呼ぶにふさわしい、嘲りの笑みだ。
「――あんなの、この屋敷の人間を信用させるための演技に決まっているでしょう?」
「……何だと?」
「アイリスは私にとってただの道具。アイリスを素晴らしい聖女に育てれば、私は“万能の聖女”だった頃のように脚光を浴びられることでしょう。そのためなら私は何だってします」
目の前の悪女はぬけぬけとそうのたまった。
▽
怖い! すごく怖い!
「何を意外そうな顔をしているんです? 当然でしょう。私は歴代聖女の中でも最も優れていると言われていたんですよ? それがたかが聖女の教育係にまで堕ちたんです。こんな不当な扱いを黙って受け入れるだけなんて有り得ませんわ」
「……そうか。俺はお前を誤解していたようだ」
声を荒げこそしないものの、私が喋るたびにフォードの殺気が増している。
フォードは剣術と魔術を使いこなす原作最強クラスの人物だ。彼がその気になれば私は一瞬で始末されてしまうだろう。
でも、今更やめるわけにはいかない。
今の私は悪女。
原作準拠ミリーリアよ。
原作において、現役時代のミリーリアは立派な聖女だった(この世界ではすでになぜか悪女扱いされているけど……何で?)。けど、聖女の座を失ってから彼女は過去の栄光にとらわれる。そしてアイリスを道具のように利用して、再びのし上がろうと画策する。
ただの演技ならボロが出るでしょうけど、元ネタがあるなら演じきれる……!
なぜか今の私は悪女だと噂が立っているので、一連の発言にも説得力が出る。
噂については昨日リタに確認してばっちり裏も取っているし。
私は以前、フォードの従者であるケビンの前で「待つ」と言った。フォードが本音を明かしてくれるまで待つと。
けれどフォードは私の前で三回アイリスに対して酷い態度を取った。
このまま待ち続けて、事態が好転するのはいつのことだろう?
アイリスが大人になっちゃうじゃない!
子どもの頃に父親代わりのフォードに無視され続けたら、アイリスの人格形成に悪影響を及ぼすだろう。
改善だ。家庭環境を改善するのだ。
そのためにも、今はフォードをひたすら煽るのよ……!
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