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きっかけ(※主人公以外視点)
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――アイリスが暮らしていたのはウェインライト王国の端にある、小さな村だった。
アイリスはそこで両親とともに暮らしていた。
畑を耕し、わずかな家畜を育てる普通の家だ。貧しくはあったが、生活に困るほどではない。そんな一般的な農民の家庭で、過去のアイリスは穏やかに暮らしていた。
しかしそんな日々は、ある日突然破られることになる。
「……なんのおと?」
その日の夜、アイリスは騒がしい音によって目を覚ました。
「これは……悲鳴?」
「あなた、様子を見てきた方がいいかもしれないわ」
隣で寝ていたアイリスの両親も目を覚まして、そんなやり取りをする。
アイリスの父親が木造の小さな家の扉を開け、村の様子を見る。
すると。
「……燃えてる?」
そこには火の海が広がっていた。
畑も、家畜小屋も、民家も、真っ赤な炎に巻かれていた。村の端にあったアイリスの家は無事だったが、他の家はどれも炎の中にあるようだった。
炎の奥からは悲鳴がいくつも響いてくる。
人も燃えているのだ。
「何だ、これは……」
火の不始末ではあり得ない事態。
硬直するアイリスたち三人の前に、炎の壁を破って黒い影が歩み寄ってくる。
それは山のように大きなイノシシだった。しかし体には炎を纏っており、獰猛に鼻息を吐くたびにそこから火の粉が散っている。
魔物だ。
魔物は普通の動物とは違い、魔力を用いて特殊な能力を操ってくる。この大イノシシが炎を噴き、村を焼いたのだ。魔物など見たことのないアイリスにもそう確信させるほど、目の前の大イノシシは異質だった。
『ブルルァアアアアアア!!』
大イノシシは爪で数度地面を掻くと、勢いよく突進してきた。
「危ない!」
咄嗟に父親に突き飛ばされたアイリスは、母親を巻き込んで地面を転がった。
直後、ぐちゃり、と音が響く。
父親が真っ赤な肉の塊と化した。
「おとう、さん?」
大イノシシは高さだけで二メートル近くある。いくら農作業で鍛えていたところで、その巨体の突進を受けて無事でいられるわけがない。
アイリスを守り、育ててきた父親は吹き飛ばされ、家の壁に叩きつけられて即死した。
「あなた――ッ、……っっ、アイリス、こっちよ!」
悲鳴を飲み込み、母親がアイリスの手を引いた。
山の中に飛び込む。
「おかあさん、どうしてにげるの? おとうさんは?」
「いいから走りなさい!」
周囲には木々が密集し、まっすぐ走ることはできない。巨体の大イノシシがアイリスたちを追うのは難しいはずだが、その魔物には常識が通じない。
アイリスたちの後方で木々が発火した。
大イノシシが火を噴き、邪魔な木を燃やしたのだ。焦げてもろくなった幹を牙の一振りで排除しつつ、大イノシシが迫ってくる。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
立ち止まり、母親はかがんでアイリスと視線を合わせた。
「……アイリス、よく聞きなさい。このまままっすぐ行けば山道に出る。そこを下っていけばふもとの村に着くわ。そこでと大人に事情を説明して、助けてもらいなさい」
「え?」
「魔物は私がこの場にとどめるわ。絶対に振り返っては駄目よ」
「おかあさん……?」
「大丈夫、私は魔術が使えるもの。なんとかしてみせる」
母親はそう言ってから、アイリスを抱きしめた。
「あなたは私たちの宝物よ。これからもずっとずっと、幸せに生きてね」
そう告げて、母親は抱擁を解くと、大イノシシに向かって歩き出す。
「いや……いやだよ、おかあさん。いっしょにきてよ」
その場に残されたアイリスは必死に叫ぶが、母親はもう振り返らなかった。
「行きなさい」
「おかあさん!」
「早く行きなさい! 早く!」
「……っ」
母親の怒鳴り声に押されるように、アイリスはその場から走り出す。
途中で振り返ると、はるか後方で立ち止まる大イノシシの片方の牙に、何か人型のものが突き刺さっているのが見えた。
「ああ、ああ、あああああああ」
それが何であるかアイリスは咄嗟にわかってしまい、それでも母親の言葉の通りに死に物狂いで逃げ続けた。
結果から言うと、アイリスは助かった。
途中で魔物の情報を聞きつけてやってきた騎士たちに保護されたのだ。
彼らは大イノシシをその日のうちに討伐し、その死体はふもとに村へと運ばれた。
「……」
その死骸を無感情に見つめるアイリスに、騎士団の副団長だという黒髪の男性が言う。
「……君の両親の遺体も、見つけることができた。父親のほうは損傷がひどかったが……見ておくか?」
どこか気の毒そうな声だったが、今のアイリスの耳には届かなかった。
(このまものが……おとうさんと、おかあさんを、ころした)
心の中に吹き荒れるのは真っ黒な感情だった。
それが何なのかアイリスにはまったくわからない。
ただ、今まで無意識のうちに抑えていたものがあふれ出そうとしているような気がした。
……と。
『ぶるぁ……アアアアアアアアアアアア!』
「……ッ!? こいつ、まだ生きているのか!?」
息を吹き返した大イノシシに、黒髪の副団長が目を見開き、咄嗟に剣を抜く。しかし彼が剣を振るう前にアイリスが前に出た。
(このまものさえ……このまものさえ、いなければ)
よくも両親を殺したな。
そんな恨みの思いが、それまで無意識に封じていたアイリスの力を解放した。赤い光が体の奥から溢れ、暴れようとしていた大イノシシを包み込み浄化する。
その光が収まったころには、大イノシシは完全に消滅していた。
死骸すら残さず、まるで最初からそこには何もなかったかのように。
「……え?」
呆然とするアイリス。
自分が一体何をしたのかわからなかった。
周囲の人間も同じように呆気に取られている。
「……今のは、“破魔”か? あんな威力のものは初めて見たが……」
黒髪の副団長が信じられないと言うような顔で尋ねてくる。
「“はま”?」
「聖女様の持つ力の一つだ。お前は……いいや、君は聖女の才能があるのかもしれない。一度教会に来てくれないか? その力があれば、多くの人の役に――」
そこまで言って、黒髪の副団長は首を横に振った。
「……いや、両親を亡くしたばかりの君に言うようなことではなかったな。すまない、忘れてくれ」
うやむやにしようとする黒髪の副団長に対し、アイリスは尋ねた。
「きょうかいにいけば、このちからを、ちゃんとつかえるようになりますか?」
「……そうだな。おそらくは」
「じゃあ、つれていってください」
「いいのか?」
「はい」
頷くアイリス。
今の白い光にはまったく覚えがないし、もう一度使えと言われてもできないだろう。だがあれを自由自在に操れるようになれば、たくさんの魔物を倒すことができる。
(……まもの。おとうさんと、おかあさんを、ころしたいきもの。ぜったいにゆるさない)
アイリスの頭の中には、そんなどす黒い考えしかなかった。
教会に行ってからのアイリスは必死に力の扱いを覚えようとした。
大イノシシに対して“破魔”を使った時まで一度も魔術なんて使ったことがなかったので、最初は随分苦戦した。あれ以降“破魔”は一度もできず、一番簡単な“治癒”がどうにかできる程度。
(こんなのじゃ、ぜんぜんたりない……もっと、がんばらないと)
アイリスは普通の訓練では物足りず、毎日過剰なまでの自主訓練を繰り返した。
何度も教師に叱られたが改めるつもりはなかった。
そんな時、新たな教師がつけられた。
ミリーリア・ノクトール。
自分と似た、淀んだ目をした若い女性だった。どうやら元はとても優秀な聖女だったようだが、事故で力の大半を失って聖女の座を追われたらしい。
その鬱憤を晴らすかのように、ミリーリアはアイリスに過酷な訓練を課した。
しかしアイリスは望むところだった。
つらくてもいい。早く聖女になって魔物を滅ぼしたい。
そんな気持ちに突き動かされ、アイリスはさらに訓練を続けた。
……のだが、しばらくしてミリーリアの様子がおかしくなった。
自分に対して妙に甘くなったのだ。
訓練もぬるくなった。
アイリスはがっかりした。そして同時に焦りが湧き上がった。
自分は本当に聖女になれるんだろうか? そんな不安がぬぐえない。
(のんびり、ねてなんて、いられない)
ミリーリアがぬるくなった分、アイリスは自主訓練を増やした。
それだけじゃない。
アイリスが睡眠時間を削ったのにはもう一つ理由がある。
夢を見るのだ。血まみれの両親がアイリスに語り掛けてくる夢を。
――どうしてお前だけが生きているんだ。
――痛い。苦しい。死にたくない。
――俺たちと同じ苦しみを魔物たちに味わわせてくれ。
両親の言葉は呪いのようだったが、アイリスは当然だと思った。二人を犠牲にして自分だけが生き残ったのだから、恨まれても仕方ない。
それを振り払うようにアイリスはさらに訓練に没頭した。
両親の無念を晴らす。
そのために魔物を根絶やしにする。
それだけが自分の生きている意味だと、そう思っていた。
けれど……
『あなたの両親がそんなふうになってしまったら……あなたはどう思う?』
ミリーリアの言葉にとてつもない恐怖を覚えた。
仮に自分と両親の立場が逆だったら。自分の仇を取るために、傷つきながら両親が魔物と戦い続けているとしたら。アイリスは耐えられない。
両親は自分を恨んでいる。魔物への復讐を果たせと言っている。
……本当にそうだろうか?
自分の母親は最後に何と言った?
『私はね、アイリス。あなたに幸せになってほしいわ。この世界には楽しいこともいっぱいあるのよ。美味しいものを食べて、楽しく遊んで、笑っているあなたを見たいわ』
そう言うミリーリアの表情は、アイリスを心配していた。
そんなミリーリアの姿が、最期に自分を抱きしめた時の母親にかぶる。
あの時母親は、自分に「幸せに生きてほしい」と言った。
これから魔物に勝ち目のない戦いを挑むというのに、穏やかな声色で。
(……どうしてわすれてたんだろう)
霧が晴れていくように、生前の両親とのやり取りが思い出される。
優しかった父親と母親。
あの二人が、自分に復讐なんてしてほしいと思うわけがない。
アイリスを駆り立てていたのは自分自身だ。両親を踏み台にして生き延びた自分が許せなくて、幻覚を見ていた。
自分を顧みない訓練を続けていれば、アイリスは遠からず倒れていたかもしれない。
それこそ両親への冒涜だ。
それをミリーリアは止めてくれた。
聖女の力の扱いを教えてくれるだけの関係のはずなのに、自分を救ってくれたのだ。家族のように。
(ありがとうございます、せんせい)
泣きじゃくる自分を抱きしめてくれるミリーリアに、アイリスは心から感謝した。
アイリスはそこで両親とともに暮らしていた。
畑を耕し、わずかな家畜を育てる普通の家だ。貧しくはあったが、生活に困るほどではない。そんな一般的な農民の家庭で、過去のアイリスは穏やかに暮らしていた。
しかしそんな日々は、ある日突然破られることになる。
「……なんのおと?」
その日の夜、アイリスは騒がしい音によって目を覚ました。
「これは……悲鳴?」
「あなた、様子を見てきた方がいいかもしれないわ」
隣で寝ていたアイリスの両親も目を覚まして、そんなやり取りをする。
アイリスの父親が木造の小さな家の扉を開け、村の様子を見る。
すると。
「……燃えてる?」
そこには火の海が広がっていた。
畑も、家畜小屋も、民家も、真っ赤な炎に巻かれていた。村の端にあったアイリスの家は無事だったが、他の家はどれも炎の中にあるようだった。
炎の奥からは悲鳴がいくつも響いてくる。
人も燃えているのだ。
「何だ、これは……」
火の不始末ではあり得ない事態。
硬直するアイリスたち三人の前に、炎の壁を破って黒い影が歩み寄ってくる。
それは山のように大きなイノシシだった。しかし体には炎を纏っており、獰猛に鼻息を吐くたびにそこから火の粉が散っている。
魔物だ。
魔物は普通の動物とは違い、魔力を用いて特殊な能力を操ってくる。この大イノシシが炎を噴き、村を焼いたのだ。魔物など見たことのないアイリスにもそう確信させるほど、目の前の大イノシシは異質だった。
『ブルルァアアアアアア!!』
大イノシシは爪で数度地面を掻くと、勢いよく突進してきた。
「危ない!」
咄嗟に父親に突き飛ばされたアイリスは、母親を巻き込んで地面を転がった。
直後、ぐちゃり、と音が響く。
父親が真っ赤な肉の塊と化した。
「おとう、さん?」
大イノシシは高さだけで二メートル近くある。いくら農作業で鍛えていたところで、その巨体の突進を受けて無事でいられるわけがない。
アイリスを守り、育ててきた父親は吹き飛ばされ、家の壁に叩きつけられて即死した。
「あなた――ッ、……っっ、アイリス、こっちよ!」
悲鳴を飲み込み、母親がアイリスの手を引いた。
山の中に飛び込む。
「おかあさん、どうしてにげるの? おとうさんは?」
「いいから走りなさい!」
周囲には木々が密集し、まっすぐ走ることはできない。巨体の大イノシシがアイリスたちを追うのは難しいはずだが、その魔物には常識が通じない。
アイリスたちの後方で木々が発火した。
大イノシシが火を噴き、邪魔な木を燃やしたのだ。焦げてもろくなった幹を牙の一振りで排除しつつ、大イノシシが迫ってくる。このままでは追いつかれるのも時間の問題だ。
立ち止まり、母親はかがんでアイリスと視線を合わせた。
「……アイリス、よく聞きなさい。このまままっすぐ行けば山道に出る。そこを下っていけばふもとの村に着くわ。そこでと大人に事情を説明して、助けてもらいなさい」
「え?」
「魔物は私がこの場にとどめるわ。絶対に振り返っては駄目よ」
「おかあさん……?」
「大丈夫、私は魔術が使えるもの。なんとかしてみせる」
母親はそう言ってから、アイリスを抱きしめた。
「あなたは私たちの宝物よ。これからもずっとずっと、幸せに生きてね」
そう告げて、母親は抱擁を解くと、大イノシシに向かって歩き出す。
「いや……いやだよ、おかあさん。いっしょにきてよ」
その場に残されたアイリスは必死に叫ぶが、母親はもう振り返らなかった。
「行きなさい」
「おかあさん!」
「早く行きなさい! 早く!」
「……っ」
母親の怒鳴り声に押されるように、アイリスはその場から走り出す。
途中で振り返ると、はるか後方で立ち止まる大イノシシの片方の牙に、何か人型のものが突き刺さっているのが見えた。
「ああ、ああ、あああああああ」
それが何であるかアイリスは咄嗟にわかってしまい、それでも母親の言葉の通りに死に物狂いで逃げ続けた。
結果から言うと、アイリスは助かった。
途中で魔物の情報を聞きつけてやってきた騎士たちに保護されたのだ。
彼らは大イノシシをその日のうちに討伐し、その死体はふもとに村へと運ばれた。
「……」
その死骸を無感情に見つめるアイリスに、騎士団の副団長だという黒髪の男性が言う。
「……君の両親の遺体も、見つけることができた。父親のほうは損傷がひどかったが……見ておくか?」
どこか気の毒そうな声だったが、今のアイリスの耳には届かなかった。
(このまものが……おとうさんと、おかあさんを、ころした)
心の中に吹き荒れるのは真っ黒な感情だった。
それが何なのかアイリスにはまったくわからない。
ただ、今まで無意識のうちに抑えていたものがあふれ出そうとしているような気がした。
……と。
『ぶるぁ……アアアアアアアアアアアア!』
「……ッ!? こいつ、まだ生きているのか!?」
息を吹き返した大イノシシに、黒髪の副団長が目を見開き、咄嗟に剣を抜く。しかし彼が剣を振るう前にアイリスが前に出た。
(このまものさえ……このまものさえ、いなければ)
よくも両親を殺したな。
そんな恨みの思いが、それまで無意識に封じていたアイリスの力を解放した。赤い光が体の奥から溢れ、暴れようとしていた大イノシシを包み込み浄化する。
その光が収まったころには、大イノシシは完全に消滅していた。
死骸すら残さず、まるで最初からそこには何もなかったかのように。
「……え?」
呆然とするアイリス。
自分が一体何をしたのかわからなかった。
周囲の人間も同じように呆気に取られている。
「……今のは、“破魔”か? あんな威力のものは初めて見たが……」
黒髪の副団長が信じられないと言うような顔で尋ねてくる。
「“はま”?」
「聖女様の持つ力の一つだ。お前は……いいや、君は聖女の才能があるのかもしれない。一度教会に来てくれないか? その力があれば、多くの人の役に――」
そこまで言って、黒髪の副団長は首を横に振った。
「……いや、両親を亡くしたばかりの君に言うようなことではなかったな。すまない、忘れてくれ」
うやむやにしようとする黒髪の副団長に対し、アイリスは尋ねた。
「きょうかいにいけば、このちからを、ちゃんとつかえるようになりますか?」
「……そうだな。おそらくは」
「じゃあ、つれていってください」
「いいのか?」
「はい」
頷くアイリス。
今の白い光にはまったく覚えがないし、もう一度使えと言われてもできないだろう。だがあれを自由自在に操れるようになれば、たくさんの魔物を倒すことができる。
(……まもの。おとうさんと、おかあさんを、ころしたいきもの。ぜったいにゆるさない)
アイリスの頭の中には、そんなどす黒い考えしかなかった。
教会に行ってからのアイリスは必死に力の扱いを覚えようとした。
大イノシシに対して“破魔”を使った時まで一度も魔術なんて使ったことがなかったので、最初は随分苦戦した。あれ以降“破魔”は一度もできず、一番簡単な“治癒”がどうにかできる程度。
(こんなのじゃ、ぜんぜんたりない……もっと、がんばらないと)
アイリスは普通の訓練では物足りず、毎日過剰なまでの自主訓練を繰り返した。
何度も教師に叱られたが改めるつもりはなかった。
そんな時、新たな教師がつけられた。
ミリーリア・ノクトール。
自分と似た、淀んだ目をした若い女性だった。どうやら元はとても優秀な聖女だったようだが、事故で力の大半を失って聖女の座を追われたらしい。
その鬱憤を晴らすかのように、ミリーリアはアイリスに過酷な訓練を課した。
しかしアイリスは望むところだった。
つらくてもいい。早く聖女になって魔物を滅ぼしたい。
そんな気持ちに突き動かされ、アイリスはさらに訓練を続けた。
……のだが、しばらくしてミリーリアの様子がおかしくなった。
自分に対して妙に甘くなったのだ。
訓練もぬるくなった。
アイリスはがっかりした。そして同時に焦りが湧き上がった。
自分は本当に聖女になれるんだろうか? そんな不安がぬぐえない。
(のんびり、ねてなんて、いられない)
ミリーリアがぬるくなった分、アイリスは自主訓練を増やした。
それだけじゃない。
アイリスが睡眠時間を削ったのにはもう一つ理由がある。
夢を見るのだ。血まみれの両親がアイリスに語り掛けてくる夢を。
――どうしてお前だけが生きているんだ。
――痛い。苦しい。死にたくない。
――俺たちと同じ苦しみを魔物たちに味わわせてくれ。
両親の言葉は呪いのようだったが、アイリスは当然だと思った。二人を犠牲にして自分だけが生き残ったのだから、恨まれても仕方ない。
それを振り払うようにアイリスはさらに訓練に没頭した。
両親の無念を晴らす。
そのために魔物を根絶やしにする。
それだけが自分の生きている意味だと、そう思っていた。
けれど……
『あなたの両親がそんなふうになってしまったら……あなたはどう思う?』
ミリーリアの言葉にとてつもない恐怖を覚えた。
仮に自分と両親の立場が逆だったら。自分の仇を取るために、傷つきながら両親が魔物と戦い続けているとしたら。アイリスは耐えられない。
両親は自分を恨んでいる。魔物への復讐を果たせと言っている。
……本当にそうだろうか?
自分の母親は最後に何と言った?
『私はね、アイリス。あなたに幸せになってほしいわ。この世界には楽しいこともいっぱいあるのよ。美味しいものを食べて、楽しく遊んで、笑っているあなたを見たいわ』
そう言うミリーリアの表情は、アイリスを心配していた。
そんなミリーリアの姿が、最期に自分を抱きしめた時の母親にかぶる。
あの時母親は、自分に「幸せに生きてほしい」と言った。
これから魔物に勝ち目のない戦いを挑むというのに、穏やかな声色で。
(……どうしてわすれてたんだろう)
霧が晴れていくように、生前の両親とのやり取りが思い出される。
優しかった父親と母親。
あの二人が、自分に復讐なんてしてほしいと思うわけがない。
アイリスを駆り立てていたのは自分自身だ。両親を踏み台にして生き延びた自分が許せなくて、幻覚を見ていた。
自分を顧みない訓練を続けていれば、アイリスは遠からず倒れていたかもしれない。
それこそ両親への冒涜だ。
それをミリーリアは止めてくれた。
聖女の力の扱いを教えてくれるだけの関係のはずなのに、自分を救ってくれたのだ。家族のように。
(ありがとうございます、せんせい)
泣きじゃくる自分を抱きしめてくれるミリーリアに、アイリスは心から感謝した。
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