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休日
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「今日は土曜だし、日頃のお礼になんかさせてよ」
土曜日、朝ごはんをひなたさんと食べながら、日頃の感謝を伝えたくて、そんなことを聞いててみた。ひなたさんはそれを聞いとたん、慌ててご飯を飲み込み、驚いたように口を開いた
「え、いいですよそんな」
「いいからいいから、なんか欲しいものとかある?」
「うーん、欲しいものは無いですね……」
うーんと考えた後に、少し俯いてぽつりと言った
「でも行きたいところはあります」
「お、どこに行きたいの?」
「その……ゆ、遊園地に、行きたいんです」
「ええっ!俺と?」
「はい……ダメですか?」
上目遣いになりながら、恥ずかしそうに俺の方を向いて聞いてくる
「俺は構わないけど、いいの?」
「はい!むしろ大輔さんとがいいんです」
「そっか、じゃあ行こっか」
「はい!」
嬉しそうにはにかむひなたさん。その表情に、不意にどきりとしてしまう。楽しみにしてくれている、そう思うと、緊張とも言えない胸を締め付けられるような気分になる。
次の日の朝、俺たちは2人で電車に乗って、全国的にも有名な遊園地に向かった
朝早く行ったのにも関わらず、家族連れ、カップル、学生など色々な人が既に並んでいる。
「来ましたね!大輔さん」
「そうだね、楽しもうね」
「はい!」
いつもの子供と大人の間のような人が、今日は思いっきり子供になっていて、昨日の大人っぽさを含んだ笑顔にも、子供のようにはしゃぐ姿にも魅力的に感じる。
早くも、今日は来れてよかったと密かに思う。
「まず何から乗る?」
「じゃあ、ジェットコースターがいいです!」
「おっけー、行こっか」
開園してすぐ、ここの一番人気のジェットコースターに乗ることにした。
のだが
「おえぇ……」
予想はしていたが、久しぶりに来て最初だったのと、歳のせいで、完全にダウンしてしまった。
ひなたさんは申し訳なさそうな顔で買ってきたお茶を渡しながら
「本当にごめんなさい、私が乗りたいって言っちゃったから……」
「いや、全然!……うっぷ」
「全然ダメじゃないですか!」
「うん……ごめんね……ちょっと座っていい?」
吐き気が納まってきて、しばらくしてひなたさんがいきなりふふっと吹き出す。
「どうしたの?」
「いや……初めてあった時と似てるなぁって思いまして」
「あぁ、確かに」
俺まで笑ってしまう。
「あの時も本当に助かったよ、ひなたさんいなかったら道に倒れてたし」
「結構酔っ払ってましたもんね」
「う……本当にありがとうございました」
「いえいえ」
2人で笑い合う。いつの間にか気分も元どうりになっていた
酔いが覚めたあとは、できるだけ激しくないアトラクションを回った。と言っても結果的に激しいのには乗ったが、もう体が慣れたからか、2回目以降は平気になっていた。
お昼ご飯を食べて、午後になった時には人が園内に溢れかえっていて、歩こうとするだけで精一杯になっていた。
「すごい人ですね」
「だね、離れないようにね」
「はい!……あの」
人混みの中、彼女の方を振り向くと、彼女は僕の方を見ないように、顔を近づけて、周りに聞こえないように俺に言う。
「はぐれないように、手を繋いでもいいですか?」
一瞬理解が追いつかなかった。
理解して、一瞬湧いてきた考えを即座に否定する。彼女は大学生で、俺はもう中年のおっさんだ。
「う、うん、いいよ」
「えへへ、ありがとうございます」
顔と顔を離して、彼女は俯いて、俺からもわかるくらい耳を赤くして俺の手を握る。彼女の手は冷たいのか、あるいは暖かいのか。そんなことすらわからなかった。
「じゃ、じゃあ行こうか」
「は、はい」
ぎごちない会話。まるでそれは、出来たてのカップルのようで。何年も忘れていたこんな気持ちに、どうしていいか戸惑ってしまう。
もしかしたら……
そこまで考えたけど、やっぱりわからなかった。
それからの会話もあまり覚えていない。
日が落ちて、園内の有名スポットがライトアップされ始める。昼ほど客はいなくて、客層もカップルに偏る。
「わぁ、綺麗ですね、お城」
「そうだね、やっぱり上から見ると違うね」
最後に観覧車に乗りましょうと、彼女に誘われて乗ってしまった。2人きりという状況に、今日何度経験したかわからない気持ちを感じていた。
「大輔さん、今日はありがとうございました。お土産まで」
「いいよ全然。これはひなたさんに対するお礼だから」
「そう……ですよね」
何かを考えるように、ゴンドラから覗く景色を眺める彼女の、今まで意識してこなかった、彼女の横顔や大人びた服装を、嫌でも意識してしまう。
「あの、大輔さん」
「ん?なに?」
「隣に座ってもいいですか?」
話しかけられたと思ったら、微笑みながらそんなことを言う。
「うん、いいよ」
「ありがとうございます」
彼女は席を立って、俺の隣に座る。ゴンドラが少し傾くのを感じて、それから、彼女の匂い、腕が触れ合っている感覚、彼女を近くで感じた。
もしかしたら、この緊張は彼女にバレているかもしれない。
誤魔化すように、明るい声で
「どうして遊園地に来たかったの?」
聞くと、彼女ははっとしたようにこちらを向き、少し間をあけて
「わからないです。けど、大輔さんと来たかったんです」
「なにそれ」
「わからないです」
ふふっと軽く笑う彼女。
「ねぇ、手を繋いでくれませんか?」
「え?」
「ダメですか……?」
夜景に照らされ、真っ赤になった彼女の顔が見える。手を繋ぐ理由がない。そんなのは分かっている。
「いや、さすがに……」
「私へのお礼なんですよね」
そう言って、無理やり彼女の手が俺の手の中に入り込んでくる。しかも、指を指の間に入れ込むように。
「どうしたの?いきなり」
「ごめんなさい、でも今日はこれがいいんです」
ゴンドラは観覧車のてっぺんに着き、降り始める。下ではパレードが始まったのだろうか、音楽が小さく耳に入る。だが下は見る余裕はなく、彼女から目が離せなくなってしまう。
どこまでも彼女を知りたいと思った。
ゴンドラがに下につくまで、着いてからも、手を解くことはなかった。
次の日の月曜日
朝起きて、いつものように支度をするが、いつもと同じじゃない俺の気持ちを体が知らせるように、朝にもかかわらず俺の鼓動は早い。部屋を出ようとする時も、意識しなくても分かるくらいには鼓動が早い。
ピンポーン
「お、おはようございます、大輔さん」
「う、うん、おはよう」
ひなたさんも目を合わせようとしない
「朝ごはん食べましょうか」
「うん」
いつもとさして変わらない会話も、新鮮なものに思える。
遊園地に行ったあの日から、ひなたさんとの距離のとり方が分からないでいる。
朝と夜は変わらずにご飯を一緒に食べるが、どうもお互いにそわそわして、会話がぎこちなくて、緊張する。
もっと近づきたい気持ちと、俺と彼女は年が離れているから、傷つけるかもしれないという恐れが入り交じって、前に踏み出せない。
「……おーい、大輔?」
「うわっ、って剛か」
「朝からそんなにぼーっとしてどうした?なんかあったのか?」
「いや、特に何も無いけど……」
「しっかりな」
どこから取り出したか分からない缶コーヒーを俺のデスクの上に置いて労ってくれる。剛は本当に良い奴だ。
「剛はさ」
「ん?」
「恋愛に年齢なんて関係あると思うか?」
それを聞いた剛は飲んでいたお茶を吹きそうになり、ギリギリの所でこらえて、笑いながら言う。
「やっぱりあの女子大生か!大輔がそんなこと言うのは珍しいよな」
「そうか……?」
「お前は自覚無さすぎなんだよ」
「そっか……」
「んで?何があったん?言ってみ?」
「あぁ、それがさ……」
遊園地に行ったこと、手を繋いだこと、さすがに観覧車の話はしなかったが、大体のことは話した。
「なるほどな……それで好きかもしれないと?」
「まぁ、そんな感じかな。俺にもよくわかんなくてさー」
「俺にもその年の差はわからん……あ、でも嫁は年上なら10くらいまでならありって言ってたような気がする」
「じゅ、じゅう……ですか」
そんなに年が離れていても好きになるのか。
「逆に俺は下なら何歳でもおっけー」
「それはロリコンだろ」
結局答えは出なかったが、口にするだけでだいぶモヤモヤしたものが解消できたような気がした。
昼休憩の時、一緒に食べましょうと榊原が誘ってきて、剛も社食で誰もいなかったため一緒に食べることにした。
「先輩!今日は定時にあがりますか?」
「おう、お前の残りがなかったらな」
「じゃあ、この間の約束今日でいいですか!」
「いいよ、お前が仕事残さなかったらな」
「はいっ!じゃあ頑張ります!」
自分の仕事を棚に上げるならと思ってしまったが能天気にえへへと笑う榊原は、午後の仕事量で言えば、面倒を見てたここ数年では考えられない程だった。
「お前……どうやってやったんだ?この量」
「まぁ、これが私の実力ですよ」
エッヘンと胸を張る榊原は大学生、いや高校生がテストでいい点をとった時の態度に似ている。
「いつもこのペースでやってくれよな……」
「じゃあ先輩が毎日私を飲みに連れていくことですね!」
「それは無理……」
大体の残業理由はこいつにあるのだ。
数ヶ月ぶりに定時で上がって、俺と榊原で居酒屋に来ていた。
「はい!じゃあ先輩!かんぱーい!」
「かんぱーい」
「やっぱり仕事終わりのビールは最高ですねー!」
「ははっ、おっさんか」
いつもの倍は元気な榊原に、俺もついついテンションが上がってしまう。
しばらくひなたさんの事を忘れて、榊原と会社の話で盛り上がる。
「あの部長マジで腹立ちません?!もうほんとにイラッときちゃいましたよ!」
「まぁあの人も色々あるからなぁ……カツラだし」
「ええっ!やっぱりあの人カツラなんですか!やっぱりちょっとズレてますよね」
「そうそう!指摘したら行けない雰囲気あるよね!」
そんな調子で会話が続き、酒に弱い俺は2杯目で止めて、彼女は俺の倍は飲んでいた。
「そう言えばあの大学生はどーなったんですか?」
「え?まぁ普通だよ」
「普通ってなんですかー……先輩はその子のこと好きなんですか?」
「いや、ないだろ」
即座に否定してしまったが、これは嘘かもしれない、と後で思った。
「へへっ、ですよね!」
「おいなんで嬉しそうなんだよ」
「べっつにー?先輩には私がいますから!」
少し酒が回って来たのだろうか、嘘か本当からないことを言い出す
ひなたさんよりは榊原の方が年上だが、榊原は恋愛対象と言うより、妹のような感じで、そんな気は全く起きなかったりする。
散々に飲んで、2人ですっかり酔っ払ってしまった。
「えっへへ、せんぱぁい」
「おい重いから離れろよ……」
榊原はべろべろになりながら、俺にもたれかかってくる
「家まで送ってやるから、案内してよ」
「はぁい、こっちです!」
ろれつが回っていないような声に案内されながら、2人で夜の街を歩く。夜にだけ賑わう飲み屋の看板が、きらきらと光っている。
「ここでーす!」
「おい、ここ違うじゃねーか」
家まで案内してくれたつもりが、彼女は俺をホテルまで連れてきていた。
「違わないですよ、今日は先輩とここで泊まるんです」
「冗談言うなよ……」
「冗談なんかじゃないです」
いきなりハッキリとした真剣な声と目でこちらを向く。
「しかもせんぱい……もう終電言っちゃいましたよ」
「ええ、じゃあタクシーを……」
スマホを取り出そうとした腕に、榊原が抱きついてくる。
「ここに泊まっていけばいいじゃないですかぁ……」
「いや、そりゃまずいだろ」
「なんでぇ?」
「いや、だって、後輩だし……」
「いいじゃないですかぁ」
だんだんと体を寄せてくる榊原。柑橘系の服の香りを、意識せざるを得ない。
「私、先輩ならいいと思います……」
「え?なんで?」
「先輩優しいから」
抱きついたまま目線を上げ、俺と目を合わせる。少し潤んだ目や唇。普段はないと思っていた弾力も、俺を刺激するには十分だった。
「だから行きましょ?ね?」
歩き出す榊原
ここでふと、ひなたさんのことが頭に浮かぶ
飲んでいた時は忘れていたが、朝はこんなにひなたさんのことで悩んでいたと、今になって思い出した。
「いや、やっぱりやめとこ。タクシー呼ぶよ」
「えっ……あ、はい……」
腕を離して、スマホを取り出す。榊原は後ろを向いていて表情が分からない。
タクシーに乗り、榊原の家の前までつく。
「今日はありがとね」
「はい……」
「また飲みに行こうな」
「はい」
酔いはさめないけど、どこか憂鬱な表情を浮かべていた。
ひなたさんと知り合っていなかったら……なんて考えて、もうそのことは考えないことにした。
榊原と飲んだ帰り、タクシーに乗ったまま、ひなたさんに何も伝えてないことを思い出した。そもそも連絡先知らなかったから、メッセージすら送れなかった。もう寝ているかもしれない。弁当は明日返そう。
そんなことを考え、アパートの前につく。すると、2回に登る階段の前でうずくまっている人影を見つけた。不思議に思って近づいたら、見慣れた人であることに気がつく
「ひなたさん?」
「あ、良かった帰ってきた!」
顔を上げたひなたさんは、ほっと安心したように笑った。
「どうしたのこんな所で!風邪ひくよ」
「こっちの台詞です、心配しました」
「え?」
「いつもなら帰って来る時間に帰らないし、終電の時間まで帰らないし……」
「あぁ、そうだよね、ごめん」
「許しません……」
顔を逸らして拗ねるように見せるひなたさんの姿は、とても愛おしくて
「本当にありがとう」
「……っ」
お礼を言ったら、顔を少し赤くして
「もう許します!ご飯置いてあるので食べてください!」
「はーい」
少しずつ、ひなたさんの距離が近づくのを感じる。それは心地よくて、暖かい。いつまでも浸っていたいこの気持ちを、もう少しだけ、温めておこうと思った。
「あ、そう言えばさ、今日みたいな日がないように、連絡先交換しとこうよ」
作り置きしてくれていたゴーヤチャンプルーを食べながら、なんでもないように、できるだけ装って提案した。
「そうですよね、私も賛成です」
「じゃあ俺やり方わからないから、よろしく」
ホーム画面にしておいたスマホをひなたさんに渡す
「了解です、……ってなんですかこれー」
あははと笑いながら俺のメッセージアプリのトップ画を見て笑う。
「『お祭り男』……って、ダメでしょ、これ」
「違う、それは剛……同僚に無理やり」
「なるほど」
よほどツボに入ったのか、少しの間くすくす笑い続けて、
「はい、終わりましたよ」
「ありがとう」
返されたスマホの画面を見ると、ひなたと名前の着いたアカウントが友達に追加されていた。
「これ同級生とのツーショット?」
「そうです!友達の子です」
「へぇ、友達かぁ……」
「今度紹介しますね!」
「あはは、なんて紹介するの」
「お隣さん?かな?」
気がついたら朝のようなぎこちなさは消え去っていて、残るのは暖かい日常だった。
「うわ、もうこんな時間、そろそろ帰るね」
「そうですか……」
何かを考え込む顔をしながら、動きを止める。その姿は観覧車で見た時に似ていて……
「……今日泊まっていきませんか?」
いきなり投げかけられた問に、鼓動が一気に早まる。彼女の顔は、覚悟を決めたような、しかし恥ずかしさで顔を真っ赤にしていて。
もしかしたら彼女は……
「俺もう28だよ?」
「今更ですよ……私は大輔さんがいいんです」
「おっさんだし」
「大輔さんはかっこいいです!優しいし」
「……」
考え込んでしまう。否定を肯定で返されて、5年そこらで仕事によって空いた心の穴が、幸せで胸が満たされていく。
「うん、わかった、じゃあそうするよ」
「……はい」
にっこりと微笑んで、彼女は頷いてくれる。
自分の底に沈んでる汚い欲望が、沸騰するように込み上げてくる。
「じゃあお風呂借りていい?」
「は、はいどうぞ!」
お風呂を借りて、シャワーを浴びる。
シャワーを浴びていると、だんだんと緊張感が俺を襲う。自分の気持ちの歯止めが効かなくなるのを感じる。
彼女はどう思っているのだろうか。
考えてさらに恥ずかしくなって、もどかしくなってしまう。
早くシャワーを浴び終わってしまいたい。
風呂から出て部屋の方を見るとひなたさんが布団を引いていた
「俺今日そっちで寝るから」
「いや、私がこっちで寝ますよ!大輔さんはベッドで」
「そう?じゃあそうしようかな」
布団も引き終わり、2人とも寝る準備が整って、2人で並んで座り、テレビを見ていた。
テレビは見ているものの、緊張のせいで内容が入ってこない。感じるのは隣に座り肩に頭を乗せる彼女の重さと、心臓の鼓動だけ。
しばらく無言でテレビを見ていて、いきなり、彼女は床に置いていた俺の手を弄り始めた。恋人繋ぎのように指を組み合わせたり、手の甲を見たり。
ゆっくりとなぞる彼女の指はくすぐったくて、もどかしさが増していく
「大輔さん」
「なに?」
手を触りながら、彼女は話し出す
「私、大輔さんのこと好きみたいです」
「うん」
「年の差はありますけど、彼女にしてくれませんか?」
そう静かに、呟くように彼女は告白した。
答えはもう決まっていた
「俺も、ひなたさんのこと好きだよ」
「はい」
「だから付き合おうか」
「えへへ、はい」
手を握る力が強くなる。照れるように笑った彼女は俺の前に出て、目をつむる。
「大輔さん……んっ」
次の瞬間、俺は彼女を強く求めるように、唇を奪う。
いままで先延ばしにしてきた気持ちを、ぶちまけるように。
長いキスの後、彼女は甘えるような声で
「大輔さん……電気、消しますね」
「うん」
テレビを消して、電気を消す。
朝
寝ぼけながら時間を確認すると、朝の6時半を指していた。
昨日は色々なことがあって、ありすぎて、脳がまだ興奮している。その一つの理由は
「大輔さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう、ひなたさん」
隣で俺の顔を見つめる隣人のひなたさん。
昨日の夜、俺たちは付き合うことになった
俺に名前を呼ばれて、なにか不満そうに丸い目を細めて
「せっかくですし、呼び捨てで読んで欲しいです……なんて言ってみたり」
掛け布団を口元にあてながら、小さい声で呟くひなたさん。
朝なのにひなたさんの仕草にやられてしまう。本当に彼女になったんだと、最近感じてこなかった高揚感が湧いてくる
「わかったよ……ひなた」
「っ……はい」
名前を呼んで、お互いに顔を赤くする2人
だらだらと起きて、仕事に行く準備をする。朝ごはんを一緒に食べて、洗面台で顔を洗い歯を磨く。
付き合ってるというか結婚生活みたいで、ありきたりな一瞬でも心が幸せで、感じたことのない感動のような気持ちを感じる。
……剛はいつもこんな気持ちなのか
「それじゃあ行ってくるね」
「はい……あ、ちょっとしゃがんでください」
「うん?……はい」
ひなたと目が合うくらいの位置までしゃがむ、
「目を閉じてください!」
「わかった……?」
言われるままに目を閉じる。
次の瞬間、柔らかいものが口にあたって、すぐに離れる。
「はい、いってらっしゃい」
「う、うん、行ってきます」
赤い顔で見送る彼女と、部屋を出る俺。
扉を閉めた途端、俺は駅まで全力でダッシュした。
「えー!じゃあほんとにあの女子大生と付き合ったのかよ」
「うん……まぁな」
「すげーな、おめでとう!」
普通に話したらドン引きされるような内容でも、剛は引くどころか祝ってくれた
「大学生と付き合ってもいいのかな?」
「いいんじゃないか?お互い了承してるし」
「そっか……」
少しだけほっとしていたら、榊原が出勤してくる。榊原はこちらを見ると、顔を赤くしながらちょこちょことこちらによってきて
「あ、あの……」
「おう、おはよう」
「そうじゃなくて……昨日は……その、すいませんでした、私、お酒飲みすぎて……」
照れながら小声での謝罪に、一瞬なんのことか分からなかったが、ひなたと付き合う前の出来事を思い出して、大体のことを思い出した。
「あぁあれな、いいよまた飲みに行こうぜ 」
「あぁ……よかった、はい!行きましょう」
安心の色を浮かべて、だんだんと通常の榊原に戻っていき、こちらまで安心していた時。
「おーい、なんだ?大輔、もう浮気かー?」
へらへらと笑いながら冗談のつもりで声をかけたのだろうか、しかしそれを聞いた榊原は何の話か分からないから、自然と聞き返してしまう。
「え?浮気って、先輩彼女いないじゃないですか」
「それがさー、出来たんだってよ、この前の女子大生」
「おいそんな……」
言いふらすなよ。と返そうとして榊原の顔を見て、言葉を止めてしまう。
榊原は、泣きそうな顔をしていて、でもその涙には気が付かないまま、剛の言葉を理解しきれないという顔をしていた。
榊原は泣きそうな目をしながら、訴えてくる。
「え……嘘ですよね、先輩……?」
「あ、いや……」
「はーい、朝のミーティングはじめまーす」
泣いている理由すら分からないまま、朝の会話はそこで途切れてしまった。
なぜ泣いていたのか、それがわからなくて、お昼になって榊原とお昼を食べようと榊原のデスクに向かった。
「おーい、榊原!お昼食べよう」
「今日は外で食べてくるので、ごめんなさい」
俯いたまま目も合わせず、榊原は走って外に出ていってしまった。
そのまま榊原とは昼は話さずに、定時を迎えた。
「それじゃあ大輔、帰るわ」
「おう、じゃあな」
仕事を終えた人は少しずつ帰り支度を始めている。
俺はいつもこのタイミングで榊原のデスクに残りを手伝いに行くのだが、今日はいつもと違うことに気がつく。
榊原はデスクにいなくて、仕事はきちんと終わっていて。榊原はもう帰宅していた。
いつ帰ったのか分からないまま、ほかの後輩の仕事を確認し、モヤモヤと榊原のことを考えながら帰宅した。
今日は早く帰れたから、近所のスーパーでなにか買おうかななんて思いながら、最寄りの駅について自分のアパートを通りすぎたところで、こちらに向かって来る人が小走りをはじめて、それがひなただと気づいた時には俺の前に呼吸を荒くして止まっていた。
「えっ、ひなた!?」
「大輔さん!今日早いですね」
「うん、今日は定時だからね」
「じゃあ今から2人で買い物に行きませんか?」
「ちょうど俺が行くところだったよ、行こうか」
「はい!」
何年前かに最後に訪れたスーパーは、形はそのままで、何故か懐かしさが込み上げてくる。
「今日は何買うの?」
「今日は大輔さんもいるので、カレーとか作ってみたいです」
「じゃあ俺も手伝うよ、何入れよっか」
「うちはシーフードとか入ってましたよ!」
「いいね、それ、じゃあひなたのカレーにしよっか」
「えへへ、はい!」
ゆったりと流れる、幸せな時間。
欲しかった時間だったし、実際本当に幸せなのだけれども。
たまに頭に浮かぶ涙目の後輩の顔が、どうしても忘れられなかった。
土曜日、朝ごはんをひなたさんと食べながら、日頃の感謝を伝えたくて、そんなことを聞いててみた。ひなたさんはそれを聞いとたん、慌ててご飯を飲み込み、驚いたように口を開いた
「え、いいですよそんな」
「いいからいいから、なんか欲しいものとかある?」
「うーん、欲しいものは無いですね……」
うーんと考えた後に、少し俯いてぽつりと言った
「でも行きたいところはあります」
「お、どこに行きたいの?」
「その……ゆ、遊園地に、行きたいんです」
「ええっ!俺と?」
「はい……ダメですか?」
上目遣いになりながら、恥ずかしそうに俺の方を向いて聞いてくる
「俺は構わないけど、いいの?」
「はい!むしろ大輔さんとがいいんです」
「そっか、じゃあ行こっか」
「はい!」
嬉しそうにはにかむひなたさん。その表情に、不意にどきりとしてしまう。楽しみにしてくれている、そう思うと、緊張とも言えない胸を締め付けられるような気分になる。
次の日の朝、俺たちは2人で電車に乗って、全国的にも有名な遊園地に向かった
朝早く行ったのにも関わらず、家族連れ、カップル、学生など色々な人が既に並んでいる。
「来ましたね!大輔さん」
「そうだね、楽しもうね」
「はい!」
いつもの子供と大人の間のような人が、今日は思いっきり子供になっていて、昨日の大人っぽさを含んだ笑顔にも、子供のようにはしゃぐ姿にも魅力的に感じる。
早くも、今日は来れてよかったと密かに思う。
「まず何から乗る?」
「じゃあ、ジェットコースターがいいです!」
「おっけー、行こっか」
開園してすぐ、ここの一番人気のジェットコースターに乗ることにした。
のだが
「おえぇ……」
予想はしていたが、久しぶりに来て最初だったのと、歳のせいで、完全にダウンしてしまった。
ひなたさんは申し訳なさそうな顔で買ってきたお茶を渡しながら
「本当にごめんなさい、私が乗りたいって言っちゃったから……」
「いや、全然!……うっぷ」
「全然ダメじゃないですか!」
「うん……ごめんね……ちょっと座っていい?」
吐き気が納まってきて、しばらくしてひなたさんがいきなりふふっと吹き出す。
「どうしたの?」
「いや……初めてあった時と似てるなぁって思いまして」
「あぁ、確かに」
俺まで笑ってしまう。
「あの時も本当に助かったよ、ひなたさんいなかったら道に倒れてたし」
「結構酔っ払ってましたもんね」
「う……本当にありがとうございました」
「いえいえ」
2人で笑い合う。いつの間にか気分も元どうりになっていた
酔いが覚めたあとは、できるだけ激しくないアトラクションを回った。と言っても結果的に激しいのには乗ったが、もう体が慣れたからか、2回目以降は平気になっていた。
お昼ご飯を食べて、午後になった時には人が園内に溢れかえっていて、歩こうとするだけで精一杯になっていた。
「すごい人ですね」
「だね、離れないようにね」
「はい!……あの」
人混みの中、彼女の方を振り向くと、彼女は僕の方を見ないように、顔を近づけて、周りに聞こえないように俺に言う。
「はぐれないように、手を繋いでもいいですか?」
一瞬理解が追いつかなかった。
理解して、一瞬湧いてきた考えを即座に否定する。彼女は大学生で、俺はもう中年のおっさんだ。
「う、うん、いいよ」
「えへへ、ありがとうございます」
顔と顔を離して、彼女は俯いて、俺からもわかるくらい耳を赤くして俺の手を握る。彼女の手は冷たいのか、あるいは暖かいのか。そんなことすらわからなかった。
「じゃ、じゃあ行こうか」
「は、はい」
ぎごちない会話。まるでそれは、出来たてのカップルのようで。何年も忘れていたこんな気持ちに、どうしていいか戸惑ってしまう。
もしかしたら……
そこまで考えたけど、やっぱりわからなかった。
それからの会話もあまり覚えていない。
日が落ちて、園内の有名スポットがライトアップされ始める。昼ほど客はいなくて、客層もカップルに偏る。
「わぁ、綺麗ですね、お城」
「そうだね、やっぱり上から見ると違うね」
最後に観覧車に乗りましょうと、彼女に誘われて乗ってしまった。2人きりという状況に、今日何度経験したかわからない気持ちを感じていた。
「大輔さん、今日はありがとうございました。お土産まで」
「いいよ全然。これはひなたさんに対するお礼だから」
「そう……ですよね」
何かを考えるように、ゴンドラから覗く景色を眺める彼女の、今まで意識してこなかった、彼女の横顔や大人びた服装を、嫌でも意識してしまう。
「あの、大輔さん」
「ん?なに?」
「隣に座ってもいいですか?」
話しかけられたと思ったら、微笑みながらそんなことを言う。
「うん、いいよ」
「ありがとうございます」
彼女は席を立って、俺の隣に座る。ゴンドラが少し傾くのを感じて、それから、彼女の匂い、腕が触れ合っている感覚、彼女を近くで感じた。
もしかしたら、この緊張は彼女にバレているかもしれない。
誤魔化すように、明るい声で
「どうして遊園地に来たかったの?」
聞くと、彼女ははっとしたようにこちらを向き、少し間をあけて
「わからないです。けど、大輔さんと来たかったんです」
「なにそれ」
「わからないです」
ふふっと軽く笑う彼女。
「ねぇ、手を繋いでくれませんか?」
「え?」
「ダメですか……?」
夜景に照らされ、真っ赤になった彼女の顔が見える。手を繋ぐ理由がない。そんなのは分かっている。
「いや、さすがに……」
「私へのお礼なんですよね」
そう言って、無理やり彼女の手が俺の手の中に入り込んでくる。しかも、指を指の間に入れ込むように。
「どうしたの?いきなり」
「ごめんなさい、でも今日はこれがいいんです」
ゴンドラは観覧車のてっぺんに着き、降り始める。下ではパレードが始まったのだろうか、音楽が小さく耳に入る。だが下は見る余裕はなく、彼女から目が離せなくなってしまう。
どこまでも彼女を知りたいと思った。
ゴンドラがに下につくまで、着いてからも、手を解くことはなかった。
次の日の月曜日
朝起きて、いつものように支度をするが、いつもと同じじゃない俺の気持ちを体が知らせるように、朝にもかかわらず俺の鼓動は早い。部屋を出ようとする時も、意識しなくても分かるくらいには鼓動が早い。
ピンポーン
「お、おはようございます、大輔さん」
「う、うん、おはよう」
ひなたさんも目を合わせようとしない
「朝ごはん食べましょうか」
「うん」
いつもとさして変わらない会話も、新鮮なものに思える。
遊園地に行ったあの日から、ひなたさんとの距離のとり方が分からないでいる。
朝と夜は変わらずにご飯を一緒に食べるが、どうもお互いにそわそわして、会話がぎこちなくて、緊張する。
もっと近づきたい気持ちと、俺と彼女は年が離れているから、傷つけるかもしれないという恐れが入り交じって、前に踏み出せない。
「……おーい、大輔?」
「うわっ、って剛か」
「朝からそんなにぼーっとしてどうした?なんかあったのか?」
「いや、特に何も無いけど……」
「しっかりな」
どこから取り出したか分からない缶コーヒーを俺のデスクの上に置いて労ってくれる。剛は本当に良い奴だ。
「剛はさ」
「ん?」
「恋愛に年齢なんて関係あると思うか?」
それを聞いた剛は飲んでいたお茶を吹きそうになり、ギリギリの所でこらえて、笑いながら言う。
「やっぱりあの女子大生か!大輔がそんなこと言うのは珍しいよな」
「そうか……?」
「お前は自覚無さすぎなんだよ」
「そっか……」
「んで?何があったん?言ってみ?」
「あぁ、それがさ……」
遊園地に行ったこと、手を繋いだこと、さすがに観覧車の話はしなかったが、大体のことは話した。
「なるほどな……それで好きかもしれないと?」
「まぁ、そんな感じかな。俺にもよくわかんなくてさー」
「俺にもその年の差はわからん……あ、でも嫁は年上なら10くらいまでならありって言ってたような気がする」
「じゅ、じゅう……ですか」
そんなに年が離れていても好きになるのか。
「逆に俺は下なら何歳でもおっけー」
「それはロリコンだろ」
結局答えは出なかったが、口にするだけでだいぶモヤモヤしたものが解消できたような気がした。
昼休憩の時、一緒に食べましょうと榊原が誘ってきて、剛も社食で誰もいなかったため一緒に食べることにした。
「先輩!今日は定時にあがりますか?」
「おう、お前の残りがなかったらな」
「じゃあ、この間の約束今日でいいですか!」
「いいよ、お前が仕事残さなかったらな」
「はいっ!じゃあ頑張ります!」
自分の仕事を棚に上げるならと思ってしまったが能天気にえへへと笑う榊原は、午後の仕事量で言えば、面倒を見てたここ数年では考えられない程だった。
「お前……どうやってやったんだ?この量」
「まぁ、これが私の実力ですよ」
エッヘンと胸を張る榊原は大学生、いや高校生がテストでいい点をとった時の態度に似ている。
「いつもこのペースでやってくれよな……」
「じゃあ先輩が毎日私を飲みに連れていくことですね!」
「それは無理……」
大体の残業理由はこいつにあるのだ。
数ヶ月ぶりに定時で上がって、俺と榊原で居酒屋に来ていた。
「はい!じゃあ先輩!かんぱーい!」
「かんぱーい」
「やっぱり仕事終わりのビールは最高ですねー!」
「ははっ、おっさんか」
いつもの倍は元気な榊原に、俺もついついテンションが上がってしまう。
しばらくひなたさんの事を忘れて、榊原と会社の話で盛り上がる。
「あの部長マジで腹立ちません?!もうほんとにイラッときちゃいましたよ!」
「まぁあの人も色々あるからなぁ……カツラだし」
「ええっ!やっぱりあの人カツラなんですか!やっぱりちょっとズレてますよね」
「そうそう!指摘したら行けない雰囲気あるよね!」
そんな調子で会話が続き、酒に弱い俺は2杯目で止めて、彼女は俺の倍は飲んでいた。
「そう言えばあの大学生はどーなったんですか?」
「え?まぁ普通だよ」
「普通ってなんですかー……先輩はその子のこと好きなんですか?」
「いや、ないだろ」
即座に否定してしまったが、これは嘘かもしれない、と後で思った。
「へへっ、ですよね!」
「おいなんで嬉しそうなんだよ」
「べっつにー?先輩には私がいますから!」
少し酒が回って来たのだろうか、嘘か本当からないことを言い出す
ひなたさんよりは榊原の方が年上だが、榊原は恋愛対象と言うより、妹のような感じで、そんな気は全く起きなかったりする。
散々に飲んで、2人ですっかり酔っ払ってしまった。
「えっへへ、せんぱぁい」
「おい重いから離れろよ……」
榊原はべろべろになりながら、俺にもたれかかってくる
「家まで送ってやるから、案内してよ」
「はぁい、こっちです!」
ろれつが回っていないような声に案内されながら、2人で夜の街を歩く。夜にだけ賑わう飲み屋の看板が、きらきらと光っている。
「ここでーす!」
「おい、ここ違うじゃねーか」
家まで案内してくれたつもりが、彼女は俺をホテルまで連れてきていた。
「違わないですよ、今日は先輩とここで泊まるんです」
「冗談言うなよ……」
「冗談なんかじゃないです」
いきなりハッキリとした真剣な声と目でこちらを向く。
「しかもせんぱい……もう終電言っちゃいましたよ」
「ええ、じゃあタクシーを……」
スマホを取り出そうとした腕に、榊原が抱きついてくる。
「ここに泊まっていけばいいじゃないですかぁ……」
「いや、そりゃまずいだろ」
「なんでぇ?」
「いや、だって、後輩だし……」
「いいじゃないですかぁ」
だんだんと体を寄せてくる榊原。柑橘系の服の香りを、意識せざるを得ない。
「私、先輩ならいいと思います……」
「え?なんで?」
「先輩優しいから」
抱きついたまま目線を上げ、俺と目を合わせる。少し潤んだ目や唇。普段はないと思っていた弾力も、俺を刺激するには十分だった。
「だから行きましょ?ね?」
歩き出す榊原
ここでふと、ひなたさんのことが頭に浮かぶ
飲んでいた時は忘れていたが、朝はこんなにひなたさんのことで悩んでいたと、今になって思い出した。
「いや、やっぱりやめとこ。タクシー呼ぶよ」
「えっ……あ、はい……」
腕を離して、スマホを取り出す。榊原は後ろを向いていて表情が分からない。
タクシーに乗り、榊原の家の前までつく。
「今日はありがとね」
「はい……」
「また飲みに行こうな」
「はい」
酔いはさめないけど、どこか憂鬱な表情を浮かべていた。
ひなたさんと知り合っていなかったら……なんて考えて、もうそのことは考えないことにした。
榊原と飲んだ帰り、タクシーに乗ったまま、ひなたさんに何も伝えてないことを思い出した。そもそも連絡先知らなかったから、メッセージすら送れなかった。もう寝ているかもしれない。弁当は明日返そう。
そんなことを考え、アパートの前につく。すると、2回に登る階段の前でうずくまっている人影を見つけた。不思議に思って近づいたら、見慣れた人であることに気がつく
「ひなたさん?」
「あ、良かった帰ってきた!」
顔を上げたひなたさんは、ほっと安心したように笑った。
「どうしたのこんな所で!風邪ひくよ」
「こっちの台詞です、心配しました」
「え?」
「いつもなら帰って来る時間に帰らないし、終電の時間まで帰らないし……」
「あぁ、そうだよね、ごめん」
「許しません……」
顔を逸らして拗ねるように見せるひなたさんの姿は、とても愛おしくて
「本当にありがとう」
「……っ」
お礼を言ったら、顔を少し赤くして
「もう許します!ご飯置いてあるので食べてください!」
「はーい」
少しずつ、ひなたさんの距離が近づくのを感じる。それは心地よくて、暖かい。いつまでも浸っていたいこの気持ちを、もう少しだけ、温めておこうと思った。
「あ、そう言えばさ、今日みたいな日がないように、連絡先交換しとこうよ」
作り置きしてくれていたゴーヤチャンプルーを食べながら、なんでもないように、できるだけ装って提案した。
「そうですよね、私も賛成です」
「じゃあ俺やり方わからないから、よろしく」
ホーム画面にしておいたスマホをひなたさんに渡す
「了解です、……ってなんですかこれー」
あははと笑いながら俺のメッセージアプリのトップ画を見て笑う。
「『お祭り男』……って、ダメでしょ、これ」
「違う、それは剛……同僚に無理やり」
「なるほど」
よほどツボに入ったのか、少しの間くすくす笑い続けて、
「はい、終わりましたよ」
「ありがとう」
返されたスマホの画面を見ると、ひなたと名前の着いたアカウントが友達に追加されていた。
「これ同級生とのツーショット?」
「そうです!友達の子です」
「へぇ、友達かぁ……」
「今度紹介しますね!」
「あはは、なんて紹介するの」
「お隣さん?かな?」
気がついたら朝のようなぎこちなさは消え去っていて、残るのは暖かい日常だった。
「うわ、もうこんな時間、そろそろ帰るね」
「そうですか……」
何かを考え込む顔をしながら、動きを止める。その姿は観覧車で見た時に似ていて……
「……今日泊まっていきませんか?」
いきなり投げかけられた問に、鼓動が一気に早まる。彼女の顔は、覚悟を決めたような、しかし恥ずかしさで顔を真っ赤にしていて。
もしかしたら彼女は……
「俺もう28だよ?」
「今更ですよ……私は大輔さんがいいんです」
「おっさんだし」
「大輔さんはかっこいいです!優しいし」
「……」
考え込んでしまう。否定を肯定で返されて、5年そこらで仕事によって空いた心の穴が、幸せで胸が満たされていく。
「うん、わかった、じゃあそうするよ」
「……はい」
にっこりと微笑んで、彼女は頷いてくれる。
自分の底に沈んでる汚い欲望が、沸騰するように込み上げてくる。
「じゃあお風呂借りていい?」
「は、はいどうぞ!」
お風呂を借りて、シャワーを浴びる。
シャワーを浴びていると、だんだんと緊張感が俺を襲う。自分の気持ちの歯止めが効かなくなるのを感じる。
彼女はどう思っているのだろうか。
考えてさらに恥ずかしくなって、もどかしくなってしまう。
早くシャワーを浴び終わってしまいたい。
風呂から出て部屋の方を見るとひなたさんが布団を引いていた
「俺今日そっちで寝るから」
「いや、私がこっちで寝ますよ!大輔さんはベッドで」
「そう?じゃあそうしようかな」
布団も引き終わり、2人とも寝る準備が整って、2人で並んで座り、テレビを見ていた。
テレビは見ているものの、緊張のせいで内容が入ってこない。感じるのは隣に座り肩に頭を乗せる彼女の重さと、心臓の鼓動だけ。
しばらく無言でテレビを見ていて、いきなり、彼女は床に置いていた俺の手を弄り始めた。恋人繋ぎのように指を組み合わせたり、手の甲を見たり。
ゆっくりとなぞる彼女の指はくすぐったくて、もどかしさが増していく
「大輔さん」
「なに?」
手を触りながら、彼女は話し出す
「私、大輔さんのこと好きみたいです」
「うん」
「年の差はありますけど、彼女にしてくれませんか?」
そう静かに、呟くように彼女は告白した。
答えはもう決まっていた
「俺も、ひなたさんのこと好きだよ」
「はい」
「だから付き合おうか」
「えへへ、はい」
手を握る力が強くなる。照れるように笑った彼女は俺の前に出て、目をつむる。
「大輔さん……んっ」
次の瞬間、俺は彼女を強く求めるように、唇を奪う。
いままで先延ばしにしてきた気持ちを、ぶちまけるように。
長いキスの後、彼女は甘えるような声で
「大輔さん……電気、消しますね」
「うん」
テレビを消して、電気を消す。
朝
寝ぼけながら時間を確認すると、朝の6時半を指していた。
昨日は色々なことがあって、ありすぎて、脳がまだ興奮している。その一つの理由は
「大輔さん、おはようございます」
「あぁ、おはよう、ひなたさん」
隣で俺の顔を見つめる隣人のひなたさん。
昨日の夜、俺たちは付き合うことになった
俺に名前を呼ばれて、なにか不満そうに丸い目を細めて
「せっかくですし、呼び捨てで読んで欲しいです……なんて言ってみたり」
掛け布団を口元にあてながら、小さい声で呟くひなたさん。
朝なのにひなたさんの仕草にやられてしまう。本当に彼女になったんだと、最近感じてこなかった高揚感が湧いてくる
「わかったよ……ひなた」
「っ……はい」
名前を呼んで、お互いに顔を赤くする2人
だらだらと起きて、仕事に行く準備をする。朝ごはんを一緒に食べて、洗面台で顔を洗い歯を磨く。
付き合ってるというか結婚生活みたいで、ありきたりな一瞬でも心が幸せで、感じたことのない感動のような気持ちを感じる。
……剛はいつもこんな気持ちなのか
「それじゃあ行ってくるね」
「はい……あ、ちょっとしゃがんでください」
「うん?……はい」
ひなたと目が合うくらいの位置までしゃがむ、
「目を閉じてください!」
「わかった……?」
言われるままに目を閉じる。
次の瞬間、柔らかいものが口にあたって、すぐに離れる。
「はい、いってらっしゃい」
「う、うん、行ってきます」
赤い顔で見送る彼女と、部屋を出る俺。
扉を閉めた途端、俺は駅まで全力でダッシュした。
「えー!じゃあほんとにあの女子大生と付き合ったのかよ」
「うん……まぁな」
「すげーな、おめでとう!」
普通に話したらドン引きされるような内容でも、剛は引くどころか祝ってくれた
「大学生と付き合ってもいいのかな?」
「いいんじゃないか?お互い了承してるし」
「そっか……」
少しだけほっとしていたら、榊原が出勤してくる。榊原はこちらを見ると、顔を赤くしながらちょこちょことこちらによってきて
「あ、あの……」
「おう、おはよう」
「そうじゃなくて……昨日は……その、すいませんでした、私、お酒飲みすぎて……」
照れながら小声での謝罪に、一瞬なんのことか分からなかったが、ひなたと付き合う前の出来事を思い出して、大体のことを思い出した。
「あぁあれな、いいよまた飲みに行こうぜ 」
「あぁ……よかった、はい!行きましょう」
安心の色を浮かべて、だんだんと通常の榊原に戻っていき、こちらまで安心していた時。
「おーい、なんだ?大輔、もう浮気かー?」
へらへらと笑いながら冗談のつもりで声をかけたのだろうか、しかしそれを聞いた榊原は何の話か分からないから、自然と聞き返してしまう。
「え?浮気って、先輩彼女いないじゃないですか」
「それがさー、出来たんだってよ、この前の女子大生」
「おいそんな……」
言いふらすなよ。と返そうとして榊原の顔を見て、言葉を止めてしまう。
榊原は、泣きそうな顔をしていて、でもその涙には気が付かないまま、剛の言葉を理解しきれないという顔をしていた。
榊原は泣きそうな目をしながら、訴えてくる。
「え……嘘ですよね、先輩……?」
「あ、いや……」
「はーい、朝のミーティングはじめまーす」
泣いている理由すら分からないまま、朝の会話はそこで途切れてしまった。
なぜ泣いていたのか、それがわからなくて、お昼になって榊原とお昼を食べようと榊原のデスクに向かった。
「おーい、榊原!お昼食べよう」
「今日は外で食べてくるので、ごめんなさい」
俯いたまま目も合わせず、榊原は走って外に出ていってしまった。
そのまま榊原とは昼は話さずに、定時を迎えた。
「それじゃあ大輔、帰るわ」
「おう、じゃあな」
仕事を終えた人は少しずつ帰り支度を始めている。
俺はいつもこのタイミングで榊原のデスクに残りを手伝いに行くのだが、今日はいつもと違うことに気がつく。
榊原はデスクにいなくて、仕事はきちんと終わっていて。榊原はもう帰宅していた。
いつ帰ったのか分からないまま、ほかの後輩の仕事を確認し、モヤモヤと榊原のことを考えながら帰宅した。
今日は早く帰れたから、近所のスーパーでなにか買おうかななんて思いながら、最寄りの駅について自分のアパートを通りすぎたところで、こちらに向かって来る人が小走りをはじめて、それがひなただと気づいた時には俺の前に呼吸を荒くして止まっていた。
「えっ、ひなた!?」
「大輔さん!今日早いですね」
「うん、今日は定時だからね」
「じゃあ今から2人で買い物に行きませんか?」
「ちょうど俺が行くところだったよ、行こうか」
「はい!」
何年前かに最後に訪れたスーパーは、形はそのままで、何故か懐かしさが込み上げてくる。
「今日は何買うの?」
「今日は大輔さんもいるので、カレーとか作ってみたいです」
「じゃあ俺も手伝うよ、何入れよっか」
「うちはシーフードとか入ってましたよ!」
「いいね、それ、じゃあひなたのカレーにしよっか」
「えへへ、はい!」
ゆったりと流れる、幸せな時間。
欲しかった時間だったし、実際本当に幸せなのだけれども。
たまに頭に浮かぶ涙目の後輩の顔が、どうしても忘れられなかった。
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