幸福な死体【完結】

米派

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本編

後日談2

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「人とは変わるものだな」

数十年前に顔を合わせたきりの男は、俺を見てそう笑った。

ハンス=フォン=フェルステル。上に立つには未だ若いとされる歳ではあるが、急死した王に変わり実権を手にしたらしい。若い故に口出ししてくる連中が多いようで、その片付けの片棒を担がされたのは記憶に新しい。直接手を掛けたわけではなくても、結果を知っていてハンスに毒を渡した俺も同罪だ。そのことに関して、言い訳をするつもりは無かった。

「お前は個人に興味がない人間だと思っていたが、まさか一人の為に大多数を捨てる時がくるとはな」

ハンスと最後に会ったのは何時だったか。いつか仕えるかもしれない一人として紹介され、それから多少の言葉は交わしたが、あの頃は次期候補が多すぎて殆ど記憶にない。

「俺も貴方が王になられるとは……正直なところ意外でした」

記憶に残らない程度の印象で、あの頃は別の人物が持て囃されていた。ハンスの顔は朧気で、つまりは目立っていなかったのである。それが王権をもぎ取る為の計算であったのなら、あの幼さでと感心してしまう。あの頃に目立つような振る舞いをしていたら、恐らくハンスは今ここに居なかっただろう。

ハンスは微かに口許を緩めると、頬杖をついた。

「お前がいない間に色々あったんだ」

苦く笑う顔に、どことなく懐かしむような色が混じる。それを探ろうとする前に、彼は僅かに俯けた視線を此方へと向けた。そうして、俺の方へと身を乗り出してくる。

「そんなことより、お前が好きになった者を一目くらい見てみたかったんだが……まさか既に他人の物だとは。お前も報われないな」

好奇心に満ち満ちた視線が不快で、思わず眉を顰める。けれど、ハンスは気にした様子もなく、俺に向かって手を差し出してきた。悪童のような笑みに、嫌な予感しかしない。

「欲しいのなら協力してやろうか?」
「結構です」

その笑みから面白がるような気配を感じて即答する。ハンスのことだ、ディルク様のことを玩具にするに決まっている。それは例え一国の王であっても、許せることではなかった。彼は漸く穏やかな日々を手に入れたのだ。その邪魔をする者は、自分であろうと許せない。

差し出された手を無視して、感情を表に出さないようにハンスを見た。それでも、自然と視線が尖ってしまうのが抑えられない。

「話しがそれだけなら失礼しても宜しいですか」
「まあ、待て。少しからかっただけだ。そんなに怒るな」

ニヤニヤとした笑みで良くも言えたものだな。と思うものの、王であるハンスの言葉を無視するわけにもいかない。椅子を勧められたが、退屈しのぎに遊ばれるのは御免だ。断りを入れて直立したまま見据えると、彼は溜息をついた。

「最近、ある貴族の動きが目に余ってな。利用価値もなくなってきたから、そろそろ退場してもらいたいんだよ。そうだな……できれば遅効性のものがいい」
「数日ほど頂ければ、ご期待に添えるものをお作り致します」
「そう、お前が戻って来てくれて良かったよ。丁度、お前の父も死んだから代わりが欲しかったんだ。多少の無茶もした甲斐がある」
「……その節はありがとうございます」

胸に手を当てて礼をすると、つまらないと言わんばかりにハンスは唇を歪めた。

「少しくらい表情を動かせないのか?」
「会話を楽しみたいのでしたら、別の者を呼んでは如何でしょうか」
「……もういい。褒美は何がいい。余程のものでない限り、何でも構わないが」

そう言われても、急には浮かんでこなかった。望みなんて、そうあるものではない。したいことならあったが、その全ては既に自らの足で踏み躙ってしまった。

……ディルク様が喜ぶものは何だろう。

今の彼が喜んでくれることを考えると、やはり肉の類だろうか。アイザックは腕が立つようで、大型の魔物も容易く狩れるようだった。それでも、ディルク様を置いてはいけないのか、遠方に生息するまでは狩りにいけない。

「それなら――」






木で出来た扉を軽くノックすると、そう経たないうちに音を立てて開いた。意識して両頬を持ち上げる。そうして、友人と接するような笑みを浮かべてみせた。

「こんにちは。庭の整備に参りました」

もう何度目かの来訪なので、特に驚くことも無く、アイザックは僅かに頭を下げた。

「いつも悪いな。何か飲み物を淹れるから入ってくれ」
「いえ、殆ど自分の為ですから気になさらないでください」

礼を言いつつ、家に足を踏み入れる。

アイザックは俺の屋敷に暫く住んでいたが、金を貯めると、今まで世話になったと礼を言って出ていってしまった。今までのことを含めても多過ぎるほどの金を渡されたが、正直な所そんなものよりも屋敷に住み続けてくれた方が余ほど嬉しかった。例え望むように触れられなくても、間近でディルク様の姿を見ていられたからだ。けれど、アイザックからしたら横恋慕している男が、間近に居るのは落ち着かないだろう。はっきりとは言わないまでも、アイザックがディルク様を連れて引っ越したのは恐らくそういう事だ。

連れて行かないでくれ。なんて、俺の立場で言える訳が無い。だからこそ、庭を手入れするという名目は、俺にとって丁度いいものだった。週に一度とはいえ、こうしてディルク様の様子を見に来られるのだから。

「アイザック様。良いものが手に入ったので、宜しければディルク様に差し上げてください」
「ああ、ありがとう」

大きめの袋を取り出して渡すと、アイザックは慣れた様子で受け取った。手ぶらで来るのも失礼かと思い、尋ねる際は手土産を持ってくるようにしているからだろう。

ハンスから渡されたものなので、今一信用が置けない。そんなものをディルク様の口に入れるわけにはいかないので、媚薬や毒の類が入っていないことは確認してある。自分でも少し食べてみたが、今のところ自身に異常は見られないので大丈夫だろう。

ハンスに望んだのは、幻の食材とも称される飛竜の心臓だ。それが欲しいと言ったときハンスは驚いたように目を丸くしたあと、声を上げて笑っていた。訝しんでハンスを見ていると、彼は肩を震わせながらも笑い声を混じらせながら言った。

「いや、健気だと思ってな。手が届かないからこそ美しく見える気持ちはわかるが、お前のそれは少々病的だ」

別に、手が届かないから好きなわけではない。ディルク様に思いのまま触れる事ができたら死んでもいいくらいだが、そもそも彼がそれを許してくれるとは思えない。アイザックに向ける熱の籠もった眼差しが、自分に向けられることはないと既に理解はしている。記憶の殆どを手放して、それでもアイザックの姿を探して行ってしまった。思い知る理由としては、それで充分だろう。

血の臭いを感じ取ったのか、ソファの背からぴょんっと跳ねる様にしてディルク様の姿が覗く。どうやら、今日はそこに居たらしい。彼に耳があれば恐らく立ち上がっていただろうと思える様な仕草に、ふっと笑みが零れてしまう。彼はすんすんと鼻を鳴らしながら、匂いの元を辿るようにして此方に歩いて来てくれた。そうして、アイザックの手にご馳走の気配を察知したのだろう。とろりと瞳が蕩けていく。

「あー」
「ディルク、晩ご飯には未だ早い」
「んぅぅ」

ぐっ、ぐっ、と。ディルク様は強請るようにアイザックの服の裾を引っ張り始めた。爛々と輝く瞳に見つめられる形になったアイザックは、困ったと言わんばかりに眉を下げる。そうして、何度か迷うような素振りを見せたが、最終的には熱い視線に負けたのか頷いた。

「……わかった。用意するよ」
「んっ!」

ディルク様はぱっと表情を明るくすると、本当に嬉しそうに頬を染めた。その笑顔を見つめていたら、不意に名前を呼ばれる。

「まだ昼近くだが、良かったら食べていくか?」
「……宜しいんですか」
「元々、お前が持ってきてくれたものだろ。少し、いや夜には大分早いが、それでも構わないのなら適当なものを作ろう……どうする?」
「それなら、ご馳走になります」
「わかった。大したものは作れないが、いつもの礼だ。ゆっくりしていってくれ」
「ありがとう、ございます」

良い人では、あるのだと思う。ディルク様が好きになったのだ、悪い筈はない。多少、胸がチリチリと焦げたようにひりつくのは矮小な自分の嫉妬に因るものだろう。

アイザックが食事を作っている間、ディルク様のことは俺が見ていることになった。初めの頃は顔を合わせる度に不思議そうな目を向けられたものだが、最近になって認識してくれたらしく、首を傾げて見つめられることもなくなった。

屋敷での生活が沁みついているのか、彼は転がるのが好きなようだ。今も絨毯の上に寝そべって、忙しなく動くアイザックの姿を目で追っている。少しくらいは俺の方を見て欲しくて、ディルク様の隣に腰を下ろした。衣擦れの音に気が付いたのか、濡れたように煌めく紫水晶が俺を映す。それだけのことで跳ねる心臓を嗤いながら、意識して口許を緩めてみせた。

「ディルク様、お久し振りですね」

肉とは別に持ってきた花束を差し出すと、彼はきょとんとした。それでも黄色を中心に作った花束は、彼の興味を引くことに成功したようだ。屋敷に居た頃、彼は特別に黄色が好きなわけではなかった。あまり考えたいことではないが、恐らくアイザックの髪色を思わせるものだから彼は好ましく感じるのだろう。

「あぅう?」
「ええ、どうぞ。貴方の物です」

ディルク様は花束の匂いを確かめるように鼻を近づけると、ぼすんと顔を埋めた。匂いが好みにあったのだろうか。ぱっと顔を上げた彼は頬を綻ばせると、嬉しそうに受け取ってくれる。胸に抱きしめたまま、彼は僅かに体を左右に揺らした。

「あああう」
「気に入ってくださって良かったです」

そっと髪の表面をなぞるように頭を撫でる。彼は顔を喜色に染めて花束を抱きしめると、子どものようにあどけない笑みを顔いっぱいに広げた。それを見ていると、強張っていた頬の筋肉が緩んで、自然と口元は笑みを描いていた。

「今度は水晶の花をお持ちします」

あの日に燃やしてしまった薄紫の陶器のような花を、また咲かせることが出来たのだ。今度はそれを持って来よう。きっと、彼によく似合うはずだ。それを髪に飾り、嬉しそうに笑う彼の姿を脳裏に描く。そうして、僅かな痛みに見てみぬ振りを決め込んで、幸福そうに柔らかく笑う彼に微笑みを返した。

こぼれるような笑みを浮かべる彼を見ていると、じんわりと胸が温かくなっていく。やはりディルク様は泣いているより、笑っている顔の方が素敵だと思う。だからこそ、もう二度と失わないようにしなければならない。


この人を守れるだけの力が欲しい。


全てを救いたいとは、もう思わない。人を救うための手で、毒を作った時点で腹は決めている。身勝手な望みであることも、人を殺めて良い理由にはなりえないことも理解している。それでも、ディルク様だけは失えない。

俺にはアイザックのような強さは無い。ジークベルトのように思いのままに人を動かせるほどの力も無い。それでも、せめてディルク様の日常を守りたいと強く思うのだ。他の何を斬り捨てても、彼だけは幸せにしたい。

ディルク様、俺の主人。

例え名を呼んではくれなくても、俺を食い殺すことを躊躇ってくれた。それだけ充分だ。彼はきっと、記憶の奥の奥で俺のことを覚えていてくれている。

優しく、殊更に優しく彼の髪を撫でる。さらさらとした柔らかな髪の感触を忘れないように、何度も何度も同じ動作を繰り返す。次に会える時まで忘れないように指先に意識を集中させる。この感触を、ディルク様の笑い顔を忘れたくない。何処にいても。

これから俺が重ねていく業を、ディルク様が喜ぶ日は来ないだろう。他人を踏みつけにするような行為は、彼が望むものではないのだと知っている。それでも、決めてしまった。今、この瞬間、幸せそうに笑ってくれるのなら。ディルク様が生きていることを、誰にも咎めさせはしない。

頬の輪郭を辿るように、そっと手を滑らせる。柔らかく綻ぶ瞳に陰りが浮かばないのを確認して、つられるように俺も笑った。ディルク様が得た居場所は、誰にも壊させない。

「ディルク様……」

これから、数えきれないほどの罪を重ねていく。そうして、父と同じように家族を殺した王宮で、自分もまた死んでいくのだろう。少しも恐怖が無いわけではない。それでも、きっと此処が一番、彼が穏やかに過ごせる居場所だと思うから守らなければいけない。

彼の柔らかな頬に手を添えて、そっと瞼を下ろす。今だけは何も考えずに触れた熱に浸っていたかった。





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