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本編
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国を飛び出した直後は手持ちもなく、ユーリオというディルクの友人に頼る形になっていた。けれど、数か月ほど経てば環境にも慣れて、冒険者としての稼ぎも安定させることが出来た。いい機会だったので、ディルクが住みたいと言っていたような小さな家を建てて引っ越したのだ。
物言いたげなユーリオの視線に気付かない振りをしたのは悪いと思うが、流石にディルクに好意を持っている男が、一つ屋根の下に居るのだと思うと落ち着かない。隠れて手を出す様な不誠実な男でないことは、短い期間でも知ることが出来たが、それと心配しないでいられるかは別問題だ。
新しく建てた家は、ディルクのお眼鏡に適ったようだった。今ではすっかり慣れて、好きなように過ごしてくれている。
寝起きのディルクの顔を濡れた布で拭いてやり、自身もまた洗っていたら、いつの間にか隣から消えていた。ディルクは濡れるのが好きではないらしく、これの後は大抵逃げ出してしまう。と言っても行ける場所は限られているので、特に慌てることも無くリビングへと足を向けた。予想通り、窓辺から射し込む陽の光を浴びながら、ディルクは気持ちが良さそうに丸まっていた。満足そうに口許が弛んでいる。むにゃむにゃと不明瞭に動く唇が愛らしく思えて、つられるように俺の頬も緩んだ。
窓の外は清々しい朝の空気が、陽によってキラキラと輝いているように見える。窓枠の中に納まる景色に建物はなく、柔らかな色合いの草花が広がるだけだ。
人がいては息が詰まるだろうと思い、家は森深くに建てた。ギルドが王都にあるため少し不便ではあるが、ディルクが少しでも伸び伸びと過ごせるほうが俺としても嬉しい。
手間は掛ったが家の周囲には結界を張り、内からも外からも自分が認可した者でなければ入れないようにしている。こうすれば、ディルクが人を食べようとすることもなくなるし、外の人間が彼を害することも無い筈だ。これなら、他人の目を必要以上に気にしなくて良い分、ディルクのしたいようにさせてやれる。流石に、家の中だけでは気分も沈んでしまうだろう。
すぐ傍に腰を下ろして、ディルクと向かい合うようにして床に寝転んだ。
「……ディルク」
聞かせるつもりなどなく、ただ呼びたくて呼んだ。ふるりと白い瞼が震えて、ゆっくりと上がっていく。夜に少し無理をさせ過ぎたのだろうか、彼は未だに眠そうだ。開けようと頑張っているのは分かるが、直ぐに瞼が落ちてしまう。それでも重たくて仕方がなさそうな瞼を押し上げて、ディルクは俺を見てくれた。
「んうぅぅぅ」
「悪い、起こしたな」
「ああう、あぅ」
ひどく眠たそうなディルクの頬を撫でていると、彼は不意にカッと目を見開いた。好物を見つけた猫のような瞳に驚いて、指がびくりと跳ねてしまう。ディルクは窓の外に何かを見つけたのか、素早く身を起こすと、庭へと駆け出してしまった。見つけたのは野うさぎのようだ。けれど、野うさぎは身の危険を感じたのか、森に向けて跳んで行ってしまう。ディルクはそれを追いかけようとしたようだが、べちんと結界に衝突して軽く仰け反った。
「あぅう? んうぅ?」
透明な壁の形を確かめるように、ディルクは手を当てて頻りに首を傾げている。ここに越してきてから何度目かの衝突だが、少し経つと忘れてしまうらしい。結界を弾力のあるものに変えられないかと試行錯誤はしているのだが、今のところ硬い壁にしか出来なくて困っている。
右、左、と交互に首を傾げているディルクの傍に寄る。そして後ろから肩を引くと、彼は顔を上向けた。未だに不思議そうな顔をしているディルクに苦笑いを溢して、薄っすらと赤くなってしまった額を労わるように撫でる。
「いきなり走ったら危ないだろ」
「あぅぅぅ……」
「すぐに用意してやるから、そんなに泣きそうな顔をするな」
ディルクは食事が掛かると、どうしても我慢が効かなくなるらしい。起きたばかりの時は眠気が勝っていたようだが、野うさぎを見たせいで空腹を自覚したのだろうか。
親指の腹を噛み千切って、それで紅を引くように唇を撫でる。彼はとろりと瞳を蕩けさせると、赤い舌を覗かせて俺の指に絡めた。
「んっ、んん」
淡く染まった頬が艶っぽく見えて、ちらちらと覗く舌に劣情が煽られる。それでも、もっともっとと強請るような眼差しを無視することは出来ずに、そっと唇を重ねてからディルクの手を引いて家へと戻った。
防腐魔法を掛けてストックしておいた肉を取り出して、食べやすいように捌いていく。それを、ディルクは爛々と瞳を輝かせて見ていた。
ごくりと喉を嚥下する音がしたかと思えば、視界の端に白く長い指が侵入してくる。それは露見することを恐れるように、慎重な動きでそろそろとしているが、視界に入っている時点で意味がない。名前を呼ぶと、彼はきょときょとと視線を泳がせた。悪戯が見つかった子どものような仕草に、小さく噴き出してしまう。
「もう少し我慢しような」
「んうぅ……」
拗ねたように唇を尖らせながらも、ディルクは俺の方に肩を寄せてきた。その肩を叩こうとして、赤く濡れた手が視界に入ってくる。代わりに「偉いな」と褒めると、それだけで機嫌が上向いたのかディルクは頬を緩ませた。
そうして食事を済ませてから、真っ赤に濡れた口許を拭いてやる。くすぐったいのか逃げを打とうとする体をやんわりと押さえ込んで、頬や鼻の頭にも布を滑らせた。くすくすと喉を震わせるようにして笑うディルクが、どうしようもなく尊いものに見えて、薄桃色の唇に自分のそれを被せる。ディルクは驚いたように目を見張ったが、直ぐに柔らかく細めてくれた。
「んっ」
頬に温もりが触れたかと思えば、そのまま引き寄せられる。頬に添えられていた手が首裏へと回り、ディルクが自分からキスをしてくれているのだと遅れて気付いた。それに、じわりと欲が滲んで、舌先で唇を突いた。けれど、ディルクは意味が分からないのか、不思議そうに目を瞬かせただけだ。だから、一度顔を離してから、べっと舌を出して見せる。
「舌、出せるか?」
「んぅ? あああ?」
「そのままにしておいてくれ」
「んああ!」
俺の真似を出来たことが嬉しいようだ。ディルクは舌を出したまま、ぱたぱたと足を揺らした。褒めるように襟足辺りを撫でながら、頭を持ち上げるようにして唇を触れさせる。深く舌を絡ませて、口の中を隈なく舐め尽くす。足りないとばかりに深く貪り、角度を変えて何度でも繰り返した。僅かに唇が離れる時、喘ぎとも吐息とも付かない甘い声が漏れる。腕の中のディルクは眉を寄せて、薄っすらと頬を染めた。少し、息がし辛いのかもしれない。口を離してやると、彼は大きく胸を喘がせた。けれど、目が合うと、嬉しそうに瞳を細めて手を伸ばしてくれる。
「あああう」
「どうした?」
意識せずに、甘ったるい声が唇から零れ落ちる。上体を屈ませて頬に手を伸ばすが、その前に首裏に腕が回り、肩口に鼻先が埋められた。くるるる、と機嫌の良さを表すように、軽く喉を鳴らす音がする。
「ディルク?」
「あうあう」
名前を呼ぶと、弾んだ声が返ってくる。何時もより、たくさん喋りたい気分なのかもしれない。
昨日、ギルドで依頼を確認したが、目ぼしいものは張り出されていなかった。直接、任されている仕事も既に終えているので、今日のところは休みにしても問題は無いだろう。
腕の中で機嫌が良さそうなディルクに笑みを返し、薄く色づいた頬に唇を触れさせる。ひゃあっ、と笑い混じりの声を上げてディルクは楽しそうだ。顔いっぱいに浮かんだ笑みに、俺の頬まで緩むようだった。
「あああう」
「……そうだな。今日は天気も良いから、外でのんびりするか」
ディルクは日向ぼっこをするのが好きだ。仕事から帰ってくると、大抵は窓際で丸まっている。初めはソファを窓際に移動させていたのだが、床に直接寝転がる方が好きなようで、態々押し退けて寝ていたのを見て止めてしまった。硬い床では身体を痛めないか心配で布でも買ってこようかと思っていたが、本人も痛いことは痛かったらしく、何故か俺の服を掻き集めて寝るようになってしまった。見るたびに頬が緩んでしまうほど嬉しいが、厚さを考えると足りない気がして少し悩んでいる。けれど、柔らかい敷物を買ってしまえば、この光景を見ることが出来なくなってしまうのだと思うと中々踏み切れない。
やはり、すぐに答えは出なかった。また考えよう、と後回しにして、首に掴まったままのディルクの背に腕を回して体を起こす。そして、尻を支えるようにして立ち上がった。急に視界が上がったのが面白いのか、彼は笑い声を上げる。
「楽しいな」
「んっ!」
満足そうに、にんまりとするのが可愛い。綻んだ唇に自分のそれを重ねると、ディルクは柔らかく瞳を細めてくれる。そして抱き上げたまま庭に出ると、太陽はもう真上にまで移動していた。少し気温も上がっているような気がして、木陰になっているベンチにディルクを下ろして、その隣に自分も座る。
庭には大きな木が一つ立っており、その周りには草花が咲いている。小振りでありながらも鮮やかな色彩を持つ花々が、風に吹かれて可愛らしく揺れていた。
家の周囲には結界が張ってあるが、その範囲は広めにとってある。家の中だけではディルクもつまらないだろうと思ったし、庭を作るのであればとユーリオが手入れを買って出てくれたからだ。金は要らないとの事だったが、流石に無償で庭を整備してもらうのは偲びなさすぎる。話し合いの末、値段を決めて庭の面倒を見てもらっていた。
ユーリオは王宮に出入りしているようだが、良くこちらにも足を運んだ。どうやら国に蔓延する病を治す薬を作った功績を認められ、士爵の称号を頂いたらしい。凄いな、と溢した俺に、ユーリオは顔を俯けて苦く笑った。とても成功者がするような表情には思えなかったが、次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべていたから気のせいかもしれない。
不意にくいっと服を引かれて、顔を向ける。
「ああう?」
「……少し、ぼんやりしていただけだ。大丈夫だよ」
不安そうに見上げてくるディルクに気づいて、意識を引き戻した。頬を撫でてやると、紫の瞳が気持ち良さそうに細められる。すりっ、と寄せられた頬を両手で包み込んで額を重ねた。じわりと広がる熱に嬉しさが込み上げてきて、瞼を下ろしてディルクの息遣いに耳を澄ませる。その息遣いや心音を聞くだけで、胸には深い安堵が広がっていった。
この小さな家には時々心配してキースが尋ねて来るか、ディルクに会いにユーリオが来るくらいで他の者は殆ど来ない。例え来たとしても不思議そうに結界の外側から視線を向けるくらいで、すぐに立ち去っていく。それで良いのだと思う。もう家に居ても無性に胸が苦しくなることはない、此処にはディルクが居てくれる。
喋り疲れたのか。肩に頭を預けて、ぼんやりとするディルクを見る。膝の上に置かれている手を取り、そっと指先を絡めると、紫の瞳が向けられた。それは俺を映し込むと、柔らかく細められる。
「あいざっく」
辿々しくも呼ぶ声が、じわりと胸に染みていく。
明日は、何をしようか。
そんな風に明日を容易く描ける、それだけの事に胸は温かな幸せに満ちていくのだ。
物言いたげなユーリオの視線に気付かない振りをしたのは悪いと思うが、流石にディルクに好意を持っている男が、一つ屋根の下に居るのだと思うと落ち着かない。隠れて手を出す様な不誠実な男でないことは、短い期間でも知ることが出来たが、それと心配しないでいられるかは別問題だ。
新しく建てた家は、ディルクのお眼鏡に適ったようだった。今ではすっかり慣れて、好きなように過ごしてくれている。
寝起きのディルクの顔を濡れた布で拭いてやり、自身もまた洗っていたら、いつの間にか隣から消えていた。ディルクは濡れるのが好きではないらしく、これの後は大抵逃げ出してしまう。と言っても行ける場所は限られているので、特に慌てることも無くリビングへと足を向けた。予想通り、窓辺から射し込む陽の光を浴びながら、ディルクは気持ちが良さそうに丸まっていた。満足そうに口許が弛んでいる。むにゃむにゃと不明瞭に動く唇が愛らしく思えて、つられるように俺の頬も緩んだ。
窓の外は清々しい朝の空気が、陽によってキラキラと輝いているように見える。窓枠の中に納まる景色に建物はなく、柔らかな色合いの草花が広がるだけだ。
人がいては息が詰まるだろうと思い、家は森深くに建てた。ギルドが王都にあるため少し不便ではあるが、ディルクが少しでも伸び伸びと過ごせるほうが俺としても嬉しい。
手間は掛ったが家の周囲には結界を張り、内からも外からも自分が認可した者でなければ入れないようにしている。こうすれば、ディルクが人を食べようとすることもなくなるし、外の人間が彼を害することも無い筈だ。これなら、他人の目を必要以上に気にしなくて良い分、ディルクのしたいようにさせてやれる。流石に、家の中だけでは気分も沈んでしまうだろう。
すぐ傍に腰を下ろして、ディルクと向かい合うようにして床に寝転んだ。
「……ディルク」
聞かせるつもりなどなく、ただ呼びたくて呼んだ。ふるりと白い瞼が震えて、ゆっくりと上がっていく。夜に少し無理をさせ過ぎたのだろうか、彼は未だに眠そうだ。開けようと頑張っているのは分かるが、直ぐに瞼が落ちてしまう。それでも重たくて仕方がなさそうな瞼を押し上げて、ディルクは俺を見てくれた。
「んうぅぅぅ」
「悪い、起こしたな」
「ああう、あぅ」
ひどく眠たそうなディルクの頬を撫でていると、彼は不意にカッと目を見開いた。好物を見つけた猫のような瞳に驚いて、指がびくりと跳ねてしまう。ディルクは窓の外に何かを見つけたのか、素早く身を起こすと、庭へと駆け出してしまった。見つけたのは野うさぎのようだ。けれど、野うさぎは身の危険を感じたのか、森に向けて跳んで行ってしまう。ディルクはそれを追いかけようとしたようだが、べちんと結界に衝突して軽く仰け反った。
「あぅう? んうぅ?」
透明な壁の形を確かめるように、ディルクは手を当てて頻りに首を傾げている。ここに越してきてから何度目かの衝突だが、少し経つと忘れてしまうらしい。結界を弾力のあるものに変えられないかと試行錯誤はしているのだが、今のところ硬い壁にしか出来なくて困っている。
右、左、と交互に首を傾げているディルクの傍に寄る。そして後ろから肩を引くと、彼は顔を上向けた。未だに不思議そうな顔をしているディルクに苦笑いを溢して、薄っすらと赤くなってしまった額を労わるように撫でる。
「いきなり走ったら危ないだろ」
「あぅぅぅ……」
「すぐに用意してやるから、そんなに泣きそうな顔をするな」
ディルクは食事が掛かると、どうしても我慢が効かなくなるらしい。起きたばかりの時は眠気が勝っていたようだが、野うさぎを見たせいで空腹を自覚したのだろうか。
親指の腹を噛み千切って、それで紅を引くように唇を撫でる。彼はとろりと瞳を蕩けさせると、赤い舌を覗かせて俺の指に絡めた。
「んっ、んん」
淡く染まった頬が艶っぽく見えて、ちらちらと覗く舌に劣情が煽られる。それでも、もっともっとと強請るような眼差しを無視することは出来ずに、そっと唇を重ねてからディルクの手を引いて家へと戻った。
防腐魔法を掛けてストックしておいた肉を取り出して、食べやすいように捌いていく。それを、ディルクは爛々と瞳を輝かせて見ていた。
ごくりと喉を嚥下する音がしたかと思えば、視界の端に白く長い指が侵入してくる。それは露見することを恐れるように、慎重な動きでそろそろとしているが、視界に入っている時点で意味がない。名前を呼ぶと、彼はきょときょとと視線を泳がせた。悪戯が見つかった子どものような仕草に、小さく噴き出してしまう。
「もう少し我慢しような」
「んうぅ……」
拗ねたように唇を尖らせながらも、ディルクは俺の方に肩を寄せてきた。その肩を叩こうとして、赤く濡れた手が視界に入ってくる。代わりに「偉いな」と褒めると、それだけで機嫌が上向いたのかディルクは頬を緩ませた。
そうして食事を済ませてから、真っ赤に濡れた口許を拭いてやる。くすぐったいのか逃げを打とうとする体をやんわりと押さえ込んで、頬や鼻の頭にも布を滑らせた。くすくすと喉を震わせるようにして笑うディルクが、どうしようもなく尊いものに見えて、薄桃色の唇に自分のそれを被せる。ディルクは驚いたように目を見張ったが、直ぐに柔らかく細めてくれた。
「んっ」
頬に温もりが触れたかと思えば、そのまま引き寄せられる。頬に添えられていた手が首裏へと回り、ディルクが自分からキスをしてくれているのだと遅れて気付いた。それに、じわりと欲が滲んで、舌先で唇を突いた。けれど、ディルクは意味が分からないのか、不思議そうに目を瞬かせただけだ。だから、一度顔を離してから、べっと舌を出して見せる。
「舌、出せるか?」
「んぅ? あああ?」
「そのままにしておいてくれ」
「んああ!」
俺の真似を出来たことが嬉しいようだ。ディルクは舌を出したまま、ぱたぱたと足を揺らした。褒めるように襟足辺りを撫でながら、頭を持ち上げるようにして唇を触れさせる。深く舌を絡ませて、口の中を隈なく舐め尽くす。足りないとばかりに深く貪り、角度を変えて何度でも繰り返した。僅かに唇が離れる時、喘ぎとも吐息とも付かない甘い声が漏れる。腕の中のディルクは眉を寄せて、薄っすらと頬を染めた。少し、息がし辛いのかもしれない。口を離してやると、彼は大きく胸を喘がせた。けれど、目が合うと、嬉しそうに瞳を細めて手を伸ばしてくれる。
「あああう」
「どうした?」
意識せずに、甘ったるい声が唇から零れ落ちる。上体を屈ませて頬に手を伸ばすが、その前に首裏に腕が回り、肩口に鼻先が埋められた。くるるる、と機嫌の良さを表すように、軽く喉を鳴らす音がする。
「ディルク?」
「あうあう」
名前を呼ぶと、弾んだ声が返ってくる。何時もより、たくさん喋りたい気分なのかもしれない。
昨日、ギルドで依頼を確認したが、目ぼしいものは張り出されていなかった。直接、任されている仕事も既に終えているので、今日のところは休みにしても問題は無いだろう。
腕の中で機嫌が良さそうなディルクに笑みを返し、薄く色づいた頬に唇を触れさせる。ひゃあっ、と笑い混じりの声を上げてディルクは楽しそうだ。顔いっぱいに浮かんだ笑みに、俺の頬まで緩むようだった。
「あああう」
「……そうだな。今日は天気も良いから、外でのんびりするか」
ディルクは日向ぼっこをするのが好きだ。仕事から帰ってくると、大抵は窓際で丸まっている。初めはソファを窓際に移動させていたのだが、床に直接寝転がる方が好きなようで、態々押し退けて寝ていたのを見て止めてしまった。硬い床では身体を痛めないか心配で布でも買ってこようかと思っていたが、本人も痛いことは痛かったらしく、何故か俺の服を掻き集めて寝るようになってしまった。見るたびに頬が緩んでしまうほど嬉しいが、厚さを考えると足りない気がして少し悩んでいる。けれど、柔らかい敷物を買ってしまえば、この光景を見ることが出来なくなってしまうのだと思うと中々踏み切れない。
やはり、すぐに答えは出なかった。また考えよう、と後回しにして、首に掴まったままのディルクの背に腕を回して体を起こす。そして、尻を支えるようにして立ち上がった。急に視界が上がったのが面白いのか、彼は笑い声を上げる。
「楽しいな」
「んっ!」
満足そうに、にんまりとするのが可愛い。綻んだ唇に自分のそれを重ねると、ディルクは柔らかく瞳を細めてくれる。そして抱き上げたまま庭に出ると、太陽はもう真上にまで移動していた。少し気温も上がっているような気がして、木陰になっているベンチにディルクを下ろして、その隣に自分も座る。
庭には大きな木が一つ立っており、その周りには草花が咲いている。小振りでありながらも鮮やかな色彩を持つ花々が、風に吹かれて可愛らしく揺れていた。
家の周囲には結界が張ってあるが、その範囲は広めにとってある。家の中だけではディルクもつまらないだろうと思ったし、庭を作るのであればとユーリオが手入れを買って出てくれたからだ。金は要らないとの事だったが、流石に無償で庭を整備してもらうのは偲びなさすぎる。話し合いの末、値段を決めて庭の面倒を見てもらっていた。
ユーリオは王宮に出入りしているようだが、良くこちらにも足を運んだ。どうやら国に蔓延する病を治す薬を作った功績を認められ、士爵の称号を頂いたらしい。凄いな、と溢した俺に、ユーリオは顔を俯けて苦く笑った。とても成功者がするような表情には思えなかったが、次の瞬間には穏やかな笑みを浮かべていたから気のせいかもしれない。
不意にくいっと服を引かれて、顔を向ける。
「ああう?」
「……少し、ぼんやりしていただけだ。大丈夫だよ」
不安そうに見上げてくるディルクに気づいて、意識を引き戻した。頬を撫でてやると、紫の瞳が気持ち良さそうに細められる。すりっ、と寄せられた頬を両手で包み込んで額を重ねた。じわりと広がる熱に嬉しさが込み上げてきて、瞼を下ろしてディルクの息遣いに耳を澄ませる。その息遣いや心音を聞くだけで、胸には深い安堵が広がっていった。
この小さな家には時々心配してキースが尋ねて来るか、ディルクに会いにユーリオが来るくらいで他の者は殆ど来ない。例え来たとしても不思議そうに結界の外側から視線を向けるくらいで、すぐに立ち去っていく。それで良いのだと思う。もう家に居ても無性に胸が苦しくなることはない、此処にはディルクが居てくれる。
喋り疲れたのか。肩に頭を預けて、ぼんやりとするディルクを見る。膝の上に置かれている手を取り、そっと指先を絡めると、紫の瞳が向けられた。それは俺を映し込むと、柔らかく細められる。
「あいざっく」
辿々しくも呼ぶ声が、じわりと胸に染みていく。
明日は、何をしようか。
そんな風に明日を容易く描ける、それだけの事に胸は温かな幸せに満ちていくのだ。
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