夜明けには程遠い【完結】

米派

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「こんにちは、勇者さん。ご機嫌はいかがです?」

にこやかに声を掛けてきたのは、ジェイクだった。あの日、あっさりと俺を見捨てたくせに、笑って話しかけてくるのが信じられない。

舌がじくりと痛んだ気がして唇を歪める。気のせいだ。あの傷口は既に塞がっている。眉間にぐっと力が籠るのがわかって、顔を背けた。

「……お前の顔を見るまでは、もう少しマシだった」
「あははっ、辛辣ですね」

笑いながら隣に立つものだから、横に飛び退く。慌てて周囲を窺うものの、グレンの姿は見受けられなかった。それでも油断はできないと、目を閉じて他人の息遣いを探る。しかし、ジェイク以外の気配は読み取れなかった。漸くほっと息をついて、ジェイクを見る。

「今日の見張りはお前か」
「そうだよ。だから、よろしくお願いしますね」

ジェイクは態とらしく敬礼すると、へらっと気の抜けたような笑みを浮かべた。相変わらず、とても軽い。

あの時のグレンの様子を見る限り、二度と見張りにはつかないのだと思っていた。使わざる得ないほど信頼できる人間が少ないのか、こう見えて割と有能なのか。そんなことを考えていたら、つい見つめ過ぎてしまっていたらしい。ジェイクは俺を見ると、首を振った。

「あっ、安心してくださいよ。もう誘いなんてかけやしません。あの後、グレン様に怒られちゃいましたもん」

もん、と男が語尾に付けると、普通は痛く思えるものだが、ジェイクは不思議と似合っていた。彼は屈託のない笑みで俺を見る。

「まっ、そんなわけで諦めますよ。あんたの顔、すっげぇ好みなんだけど残念だなあ」
「……あまり近づいてこないでくれ」
「ひっど。俺、ちゃんと身体洗ってますよ。臭くないはずです」

そう言いながらも気になったのか、ジェイクは袖口に鼻を寄せるとすんっと鳴らした。けれど、別に彼が臭いから近寄ってくるなと言っているのではない。グレンを不機嫌にさせたくないだけだ。

結局、何故あんなにも怒られたのか良く分からないままだった。分かっているのは、ジェイクとの会話の中で気に食わないことがあったのだろうと言うことだけ。肩の痛みを思い出して手を置くと、ジェイクは合点がいったように頷いた。

「そいや、噂はほんとだったんですね」
「違う」

筈だ、と続く言葉は何とか飲み込んだ。グレンの唇の感触を思い出して、今すぐ穴を掘って埋まりたくなる。この際、誰でもいいから記憶が飛ぶほど強く殴ってくれないだろうか。

「え、でも首のとこ凄いことになってますよ」
「……出来れば、あまり見ないで欲しい」

グレンは、あれから噛み癖が出来た。時々、思いついたように服の襟を掴んではうなじに歯を立ててくる。せめて隠れる場所にしろと言っても聞きもしない。お陰で、四方八方から寄こされる好奇の視線にはうんざりだ。それに、良く分からないが、あれから素股に付き合わせられるようになった。背後から抱き込まれて揺さぶられると、挿入していないとはいえ複雑な気持ちになる。普通、男にこの体勢はさせないだろう。

余計なことまで思い出してしまい、ここ最近のあまりの酷さに顔を覆っていると、その甲を何かが撫でてこそばゆい。億劫ながらも瞼を上げると、ジェイクの茶髪が視界に飛び込んできて肩が跳ねた。

「うっわ、中も凄いですねー」

服の襟に人差し指を引っ掛けられて、胸を覗き込まれていた。噛み跡だらけの情けない身体を見られる気分は最悪だ。

「……もういいだろ。男の胸を見て楽しいか」

人の不幸を指差して笑うな。睨みつけると、ジェイクは俺の顔と胸を交互に見て首を傾けた。

「うーん、これが意外とたのし」
「何をしているのですか」

冷えた声に肩を跳ねさせて、ぎこちなく顔を後ろに向ける。見るからに不機嫌そうに眉を寄せたグレンがいて、ごくりと唾を飲み込んだ。俺から話しかけた訳ではないのに、何故、非難めいた眼差しを向けられなければならないのか。

「あっ、お疲れ様です」

ジェイクは視線の冷たさにも怖じ気づくことなく、にぱっと明るく笑った。こういうところは本当に凄いなと思う。俺だったら恥を蹴り飛ばしてでも、尻尾を巻いて逃げたい。けれど、逃げたら一層酷い目に合わされるのは知っているので、ぐっと膝に力を込めて堪えた。

「……お疲れ様です。ジェイク、職務はきちんとして頂かなくては困ります。対象と世間話をする者がいますか」
「隣で見張ってましたよ」
「私には会話を楽しんでいるだけに見えましたが」
「あははっ、それは失礼しました。勇者さんと話すの好きなんです。また機会があればお話しましょうね」

気持ちは嬉しいのだが、それは此処で言わなければいけない言葉だっただろうか。グレンから注がれる視線に形があれば、今ごろ俺の身体に突き刺さっている筈だ。だらだらと冷や汗が額を濡らしていくのを感じながら、必死でグレンと目を合わせないように顔を横に向ける。

「それじゃあ勇者さん。また今度」

パッと笑う顔は、何だか人懐こい犬みたいだ。笑顔で大きく振りかぶるように手を振られて、つい返してしまい、ハッとした頃には遅かった。

「あの男が気に入りましたか」
「……そういう訳じゃない」

恋人の不貞を糾弾するような強さで言われて、顔を俯かせる。俺とお前はそんな関係じゃない筈だ。何だってチクチクと刺すようなことを言われなければならないのか。

「伝えておきますが、あの者が貴方に接触するのは見張りだからです。……まさか友人になれる等とは思っていませんよね」
「うるさい。言われなくたって分かってる」

どれほど親しく接してくれても、結局はグレンの配下だ。そんなこと改めて言われなくたって充分に理解している。

俺が逃げようとして見張りを殺す可能性もあるから、それを任されるジェイクは見た目ほど可愛らしい者ではないのだろう。人懐こい顔が全てだとは思わないが、ぽんぽんと交わされる言葉は気軽で楽だった。そう思うことくらい好きにさせてほしい。まさか目覚めている間、ずっと自分のことだけ考えてろなんて馬鹿なことは言わないだろう。

「……もういいだろ。放っておいてくれ」

視線を手で払うようにして、グレンに背を向ける。けれど、それを許してくれるはずもなく、手首を掴まれた。掴まれた腕が痛い。振り払いたいが、赤い瞳と視線が混じると駄目だった。俺は、多分、ずっとこいつが怖い。優しくしたかと思えば、平気でねじ伏せるような真似をするグレンのことが理解できない。

近づいてくる唇を拒むこともできず、ぎゅっと瞼を閉じた。後頭部に回された手が、頭皮に食い込んで痛い。

「……蓮」

舌先を食まれて、ぞくりと腰が震える。噛まれるかもしれないと、不安と期待が胸のうちを過ぎって眉を寄せた。緩く反応を示す自身のものが酷く疎ましい。

布の上から擦られて、吐息が漏れた。拒むべきだと思うのに、与えられる刺激に足が震えてしまう。他人の手が、こんなにも気持ちがいいものだなんて知らなかった。知らずに、屈辱に唇を噛む。自分の身体すら思い通りにならなくて嫌になる。グレンの肩に額を押し付けると、熱い掌がうなじを滑っていった。痣になっているであろう場所を強めに押されて、腰を震わせる快感に身体が熱くなる。

「……部屋、行きましょうか」

鼓膜を揺らした熱に、脳がどろどろに溶けた。

元々ねじ曲がっていた関係が、坂を転がるようにぐちゃぐちゃに拗れていく。行き着く先は、未だに見えないままだ。




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