夜明けには程遠い【完結】

米派

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「何が好きなのですか」
「……は?」

唐突にそんなことを言われたものだから、ついぽかんとしてしまう。グレンは書類から顔を上げると、それを机に置いて、ソファに腰かける俺に向けて笑い掛けた。

「貴方の働きには感謝しているのです。欲しいものがあれば用意しますよ」
「ない」
「……もう少し考えてくれませんか」
「二人を解放してほしいって言うのは駄目なんだろ。だったらいい。話し掛けるな」

間違ってもグレンに頼み事などしたくなかった。見張りを外してほしいと言うのも一度言って断られている。他の望みと言われても、特に出てこなかった。
グレンは溜息を吐くと、椅子を引いて立ち上がった。そのまま脇にある外套を羽織ると、無造作に俺の腕を掴む。なんだ、と胡乱な目を向けるが、力は緩むどころか強くなった気がする。

「わかりました。それなら私が勝手に決めます」
「……俺の話、聞いていたか?」
「ええ、特に無いんでしょう」
「用がない限り話しかけてくるな。それが俺の望みだって言ったんだ」

振り払おうとするが、ぴくりとも動かせなかった。不快感に眉間に皺を寄せると、グレンはにっこりと笑みを返してくる。それが余計に神経を逆なでしてくるのだが、こいつの場合はそれを分かっていて業としているような気がした。

「それなら出掛けたい気分になったので、護衛をお願いします」
「……今日は外向きの用事はなかったはずだが」
「たった今できました」

本当に、よく口が回る男だ。この様子だと断っても無駄だろう。渋々と頷いてから、グレンの腕を振り払った。了承したからか、今度はあっさりと解かれる。
グレンは出掛けたい気分になったと気軽に言うが、一応は王に次ぐ立場なのだ。そう易々と城を抜け出せるわけがないと思っていたのだが。





「……どうなってるんだ」

俺は壁に手をついて、吐き気を堪える羽目になっていた。口許を手で覆って俯く俺の背に、そっと掌が触れる。

「大丈夫ですか?」
「さわ、るな」
「……吐きそうになってまで言う事がそれですか」

呆れを滲ませた声が背を打つ。誰のせいでそうなっているんだ、と文句を言ってやりたいが、言葉と同時に余計なものまで出てきそうで唇をきゅっと引き結ぶ。

出掛けたい気分になった。グレンはそう言ったあと、部屋に置かれていた姿見に指先を当てた。触れた先から波紋が広がり、ずぶずぶと腕が飲み込まれていくのを呆気に取られながら見守ってしまう。お手をどうぞ、と気障ったらしく誘われて、それが無駄に似合うのが腹立たしかった。手を取らずにいると、無理に掴まれて引き寄せられる。うわっ、と漏れた声に、グレンが目を細めた。

「そんなに怖がらなくても大丈夫ですから」
「……怖がってない」
「そうですか。では、そういうことにしておきます」

グレンは震える手をちらりと見下ろしてから、ふっと小馬鹿にしたように笑った。カッと頭に血が昇る感覚がして、気づいたらグレンの横腹を蹴っ飛ばしていた。言っておくが、元の世界でこんなに荒っぽいことをした事はない。
失敗したと思う間もなく、身体が前のめりになる。腕は掴まれたままであったし、心構えをする間もなく二人揃って鏡の中に飲み込まれてしまった。

痛みを覚悟して目を閉じたが、予想とは裏腹に柔らかく受け止められる。ほっとしたのも束の間、心臓が跳ねるような感覚がした。次いでコーヒーカップに乗せられたみたいに、ぐわんぐわんと脳味噌があちこちへと引っ張られる。平衡感覚を失って、気持ち悪さに拍車がかかった。
そんな永遠にも思える時間が終わりを告げ、気づいたら薄暗い路地に立っていた。宥める様に背を撫でられていたのだが、冷静になると情けなくなってきてグレンの手を払う。のろのろと壁から身体を離すと、隣に立つグレンが俺の顔を覗き込んで来た。

「酔ってしまうとは思いませんでした。配慮が足りなかったことは謝りますが、帰りもこれを使うので覚悟だけはしておいてください」
「……なんでお前は平気なんだ」

けろっとした様子のグレンを、恨みがましく睨み付ける。

「私は普段から使っていますから慣れもあると思いますよ。後は適性の問題でしょう」

グレンは魔法が得意らしいが、俺の魔力はそこそこらしい。だから、魔力を使用した移動方法だと、多少なりとも拒絶反応があるのだろうと言われた。そこまで分かっているなら、始めから止めて欲しい。非難めいた目を向けると、グレンは肩を竦めた。

「剣から魔法を放ったりするでしょう。だから、平気だと思ったんです。……剣が貴方の能力を補助しているのでしょうか」
「……どうでもいい。気分が悪い……」

ぶつぶつと考察を始めたグレンを放って、辺りを見渡す。足を動かすと、ぽちゃんと水が跳ねる音がした。音を辿って顔を下向けると、足元に水たまりがある。どうやら、俺たちは此処から出てきたらしい。こんな場所を道に出来るなんて、魔法というのは随分と便利だ。ただ、あんなにも気分が悪くなるくらいなら二度と使いたいとは思えないが。

「勇者様、大通りはあちらです」
「待て」

腕を掴まれて、思わず足に力を込める。ここまで来たら従うつもりだが、問題はグレンの見た目だ。俺は民衆にさほど顔を知られていないが、グレンは違う。大通りにのこのこと歩いて出て行ったら騒ぎになるに決まっている。そういうと、グレンは「ああ」と頷いた。

「ご心配なく。他人からは私が別人に見えるようにしています」
「……始めに言え」

グレンの説明はいつも後からだ。余計な心配をしていた自分が馬鹿々々しく思えて顔を背けると、グレンは口許を緩めた。

「すみません。今までそんな相手は」
「……どうした?」

不自然に止まった言葉の続きが気になって問いかけると、グレンは僅かに肩を震わせた後、緩く首を振った。

「なんでも、ありません」

絶対に何かあると思ったものの、追及することなく頷く。そこに、どんな理由があったとしても俺には関係がないことだ。




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