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その日は一人で森に向かい、いつもなら数人で捕らえる魔物を狩ることができた。目標に到達した達成感と、村を出る頃が来たことに対する寂寥感を覚えつつ帰路についた。二人にどう切り出したら良いものかと悩みつつ家の前まで来ると、普段なら閑散とした扉の前には村人と甲冑を着た物々しい装いの騎士が立っていた。
胸騒ぎを覚えて、野次馬の中に飛び込む。そうして見知った顔を見つけて、肩を叩いた。
「すみません、何の騒ぎですか?」
「あ、ああっ、お帰りなさい。あたしにも分からなくてねえ。けど、王都の偉い方が来てるみたいなんだよ」
こんな辺鄙なところに用があるとは思えなくて首を傾げる。この村は自然が豊かで気持ちがいいが、逆に言えばそれだけだ。王都の人間が興味を引くような特産品もない。
老夫婦の無事を確かめたくなり、人混みを掻き分けて押し進む。立ち塞がった騎士の肩を押し退けて二人の名を呼ぶと、不意に戸が開いて影が差した。
真上から落ちた影に顔を上げると、赤い瞳と視線がぶつかった。混じり気のない黒髪が印象的の青年だ。彼は俺と目が合うと、眦を和らげた。一見笑っているように見えるが、その瞳の奥の冷たさまでは隠せていない。背に走る怖気を勘違いと切り捨てることもできず、警戒も顕に相手を睨むように見た。
「……この家に、一体何の用ですか」
男は問いかけに答えることなく、俺の後方に目を向けた。
「その魔物は、貴方が一人で狩ったのですか」
突然、話題がずれて反応が遅れてしまう。戸惑いながらも頷くと、彼は満足そうに目を細めた。
「そうですか。中堅程度の力は、既に備えているのですね」
何の話かと訝しむ俺の様子を余所に、男は胸に手を当てて頭を下げた。
「私は王都にて摂政を務めております。グレン=ブラッドリーと申します」
グレンの言葉に、思わずぽかんと口を開けた。何故、そんな大物が態々こんな辺鄙なところまで来たのだろう。
俺が立っている場所は、大きな一つの大陸だと老夫婦から話は聞いていた。大陸は二分されていて、人が支配する東側をシュルテン、魔族が治める西側がウィケッドと呼ばれているらしい。元々は人族だけだったらしいが、大昔に戦争があり、大陸を二分するような事態に陥ったのだという。そのとき立役者を担った男の子孫が、シュルテンの王であり、民の心を纏めるための象徴とされている。けれど実際に国を動かすのは、民によって選ばれた人が行うことになっているらしい。仕組みは日本の政治とよく似ているが、その体制ができたのは数年前とのことだ。まだまだ直すべきことが沢山あるとダンさんが溢していた。その話を聞いた時には年配の方を想像していたせいか、目の前の男の若さに驚いた。俺より、少し上ぐらいに見える。
空気がざわりと震えて、周囲の人が興奮したような声を上げた。一声が伝染し、一気に熱気に包まれる。
「グレン様だと!?」
「えっ、えっ、なんでこんな辺鄙なところにっ?」
「何でもいい。もてなさなければ」
騒がれることに慣れているのか、グレンは黙したまま片手を上げた。そして、にこりと口許を弛ませただけで、周囲は先ほどまでの騒がしさが嘘のように静かになる。
「お気持ちは有難く思いますが、この度は迎えに上がっただけですから結構です」
「迎え……?」
グレンの向こう側に、世話になっている老夫婦の姿が見えた。ダンさんは眉を下げ、不安そうな顔をしている。それにグレンは微笑み返し、俺の方に視線を移した。
「勇者様、お迎えに上がりました」
グレンの赤い瞳の中には、俺だけが映っている。思わず口の端を引き攣らせて、そのまま後退った。
「なんの冗談ですか」
「突然のことで混乱なさるのも無理ありません。けれど、貴方が勇者であることは間違いない。我々と共に来ていただきたいのです」
「……遠くから来ていただいて申し訳ありませんが、帰らなければならない場所があるんです。勇者なんて大層な役目は背負えません」
勇者なんて名前からして、重大な役目を負わされそうだ。そんなものを、帰りたいとしか思っていない俺が安請け合いすること出来ないと突っぱねた。
「勇者としての役目を背負って頂けるのなら、貴方を元の世界に帰すことも可能ですよ」
驚きを隠しもせずグレンを見ると、彼は薄く唇を吊った。
「そもそも貴方を此方に呼んだのは私です。一度、繋げた道を使えば帰還させるのは然程難しいことではない」
「それなら」
「但し我々に協力してくださるならば、です。探せば他に方法がないとは言い切れませんが、確実にわかっているものを使ったほうが効率的だとは思いませんか?」
グレンはそう言うが、勇者の役目と言うのが数日や数カ月で終わるようなものだとは思えない。けれど、数か月ほど此処で暮らしていて帰還する手がかりを掴めていないのも事実だ。グレンの申し出を跳ねのけたところで、他に当てがあるわけではなかった。
どうするべきか、その考えを巡らせるよりも先に、目の前に小さな影が現れた。
「駄目だ! お前さんはそんな危ないことしたら駄目だっ!」
俺が口を開くより先に、ダンは俺を庇うようにグレンの前に立った。俺がグレンの手を取らないように、両腕をがしりと掴まれる。
「わしの息子は戦火に巻き込まれて死んでしまった。この子まで亡くしたくはない」
「……そうですか。それは、彼が立たないことで、貴方と同じような犠牲者が増えると知っていて言っていると思っていいのですか?」
「そ、それは」
「彼らの活動は活発化しています。早く奴らを滅ぼさなければ、この村もいつ戦火に巻き込まれるか分からない」
グレンはダンから目を外し、俺を真っ直ぐ射抜くように見た。
「決めるのは貴方だ」
静かな声が、俺に選択を迫っている。けれど、急速に変わる展開に、俺の頭は混乱していた。
世話になった村の人々が危険に晒されているなら助けたいが、勇者なんて言われても全く実感が湧かない。そもそも平和な日本で育ってきた身からすると、戦いという言葉自体が漠然としていた。何をすれば勇者なのか、どうして戦うのか。何も分からないまま、返事など出来るはずもなかった。
「……時間を、くれませんか。すぐには決められません」
グレンは暫く此方を見ていたが、それ以上なにも言わないと分かると瞼を下ろした。
「……わかりました。明日の朝に、また伺います」
グレンは踵を返し立ち去ろうとしたが、不意にこちらを振り返る。
「勇者様、これだけは言っておきます。貴方でなくては、我々を救うことはできない」
驚きに目を見開いた俺に、グレンは薄っすらと微笑んだ。そうして優雅に礼をすると、そのまま村の外へと立ち去ってしまう。
貴方でなくては、その言葉に胸の奥が熱くなった。
胸騒ぎを覚えて、野次馬の中に飛び込む。そうして見知った顔を見つけて、肩を叩いた。
「すみません、何の騒ぎですか?」
「あ、ああっ、お帰りなさい。あたしにも分からなくてねえ。けど、王都の偉い方が来てるみたいなんだよ」
こんな辺鄙なところに用があるとは思えなくて首を傾げる。この村は自然が豊かで気持ちがいいが、逆に言えばそれだけだ。王都の人間が興味を引くような特産品もない。
老夫婦の無事を確かめたくなり、人混みを掻き分けて押し進む。立ち塞がった騎士の肩を押し退けて二人の名を呼ぶと、不意に戸が開いて影が差した。
真上から落ちた影に顔を上げると、赤い瞳と視線がぶつかった。混じり気のない黒髪が印象的の青年だ。彼は俺と目が合うと、眦を和らげた。一見笑っているように見えるが、その瞳の奥の冷たさまでは隠せていない。背に走る怖気を勘違いと切り捨てることもできず、警戒も顕に相手を睨むように見た。
「……この家に、一体何の用ですか」
男は問いかけに答えることなく、俺の後方に目を向けた。
「その魔物は、貴方が一人で狩ったのですか」
突然、話題がずれて反応が遅れてしまう。戸惑いながらも頷くと、彼は満足そうに目を細めた。
「そうですか。中堅程度の力は、既に備えているのですね」
何の話かと訝しむ俺の様子を余所に、男は胸に手を当てて頭を下げた。
「私は王都にて摂政を務めております。グレン=ブラッドリーと申します」
グレンの言葉に、思わずぽかんと口を開けた。何故、そんな大物が態々こんな辺鄙なところまで来たのだろう。
俺が立っている場所は、大きな一つの大陸だと老夫婦から話は聞いていた。大陸は二分されていて、人が支配する東側をシュルテン、魔族が治める西側がウィケッドと呼ばれているらしい。元々は人族だけだったらしいが、大昔に戦争があり、大陸を二分するような事態に陥ったのだという。そのとき立役者を担った男の子孫が、シュルテンの王であり、民の心を纏めるための象徴とされている。けれど実際に国を動かすのは、民によって選ばれた人が行うことになっているらしい。仕組みは日本の政治とよく似ているが、その体制ができたのは数年前とのことだ。まだまだ直すべきことが沢山あるとダンさんが溢していた。その話を聞いた時には年配の方を想像していたせいか、目の前の男の若さに驚いた。俺より、少し上ぐらいに見える。
空気がざわりと震えて、周囲の人が興奮したような声を上げた。一声が伝染し、一気に熱気に包まれる。
「グレン様だと!?」
「えっ、えっ、なんでこんな辺鄙なところにっ?」
「何でもいい。もてなさなければ」
騒がれることに慣れているのか、グレンは黙したまま片手を上げた。そして、にこりと口許を弛ませただけで、周囲は先ほどまでの騒がしさが嘘のように静かになる。
「お気持ちは有難く思いますが、この度は迎えに上がっただけですから結構です」
「迎え……?」
グレンの向こう側に、世話になっている老夫婦の姿が見えた。ダンさんは眉を下げ、不安そうな顔をしている。それにグレンは微笑み返し、俺の方に視線を移した。
「勇者様、お迎えに上がりました」
グレンの赤い瞳の中には、俺だけが映っている。思わず口の端を引き攣らせて、そのまま後退った。
「なんの冗談ですか」
「突然のことで混乱なさるのも無理ありません。けれど、貴方が勇者であることは間違いない。我々と共に来ていただきたいのです」
「……遠くから来ていただいて申し訳ありませんが、帰らなければならない場所があるんです。勇者なんて大層な役目は背負えません」
勇者なんて名前からして、重大な役目を負わされそうだ。そんなものを、帰りたいとしか思っていない俺が安請け合いすること出来ないと突っぱねた。
「勇者としての役目を背負って頂けるのなら、貴方を元の世界に帰すことも可能ですよ」
驚きを隠しもせずグレンを見ると、彼は薄く唇を吊った。
「そもそも貴方を此方に呼んだのは私です。一度、繋げた道を使えば帰還させるのは然程難しいことではない」
「それなら」
「但し我々に協力してくださるならば、です。探せば他に方法がないとは言い切れませんが、確実にわかっているものを使ったほうが効率的だとは思いませんか?」
グレンはそう言うが、勇者の役目と言うのが数日や数カ月で終わるようなものだとは思えない。けれど、数か月ほど此処で暮らしていて帰還する手がかりを掴めていないのも事実だ。グレンの申し出を跳ねのけたところで、他に当てがあるわけではなかった。
どうするべきか、その考えを巡らせるよりも先に、目の前に小さな影が現れた。
「駄目だ! お前さんはそんな危ないことしたら駄目だっ!」
俺が口を開くより先に、ダンは俺を庇うようにグレンの前に立った。俺がグレンの手を取らないように、両腕をがしりと掴まれる。
「わしの息子は戦火に巻き込まれて死んでしまった。この子まで亡くしたくはない」
「……そうですか。それは、彼が立たないことで、貴方と同じような犠牲者が増えると知っていて言っていると思っていいのですか?」
「そ、それは」
「彼らの活動は活発化しています。早く奴らを滅ぼさなければ、この村もいつ戦火に巻き込まれるか分からない」
グレンはダンから目を外し、俺を真っ直ぐ射抜くように見た。
「決めるのは貴方だ」
静かな声が、俺に選択を迫っている。けれど、急速に変わる展開に、俺の頭は混乱していた。
世話になった村の人々が危険に晒されているなら助けたいが、勇者なんて言われても全く実感が湧かない。そもそも平和な日本で育ってきた身からすると、戦いという言葉自体が漠然としていた。何をすれば勇者なのか、どうして戦うのか。何も分からないまま、返事など出来るはずもなかった。
「……時間を、くれませんか。すぐには決められません」
グレンは暫く此方を見ていたが、それ以上なにも言わないと分かると瞼を下ろした。
「……わかりました。明日の朝に、また伺います」
グレンは踵を返し立ち去ろうとしたが、不意にこちらを振り返る。
「勇者様、これだけは言っておきます。貴方でなくては、我々を救うことはできない」
驚きに目を見開いた俺に、グレンは薄っすらと微笑んだ。そうして優雅に礼をすると、そのまま村の外へと立ち去ってしまう。
貴方でなくては、その言葉に胸の奥が熱くなった。
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