泥中の蓮【完結】

米派

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王宮を出ようと廊下を歩いている時だった。真向かいからテオドールが歩いてくるのが見えて、元の世界の癖で、片手を上げて名前を呼びそうになる。けれど、昨日のことがあるとはいえ彼は王子だ。流石に往来で気安く挨拶するのはどうなのだろうと考えている間に、随分と近くに来てしまっていたらしい。

テオドールは昨日の優しい態度が嘘のように気を張り詰めさせて、アルフォンスを睨むように見た。

「邪魔だ」
「兄上、おはようございます」

テオドールの明らかに不機嫌そうな低い声にも動じず、アルフォンスは笑みさえ浮かべて言った。

「今からユズハに街を案内しようと思っているのです。兄上もご一緒にどうですか?」
「行くわけがないだろ。……それよりも、さっさと退け。これ以上、お前の顔なんて見たくもない」

テオドールは確かに冷たそうな雰囲気の人だが、昨日話した限りここまで酷いことを口にする人だとは思えない。一体、この二人に何があったのだろうか。

緊迫した空気の中、ウルリクが口を開いた。

「アルフォンス様は継承権第一位です。失礼ながら譲るべきは、テオドール様ではありませんか?」
「本当に失礼ですね。あなたのような一介の使用人風情が殿下に口答えすることが許されるとでも思っているのですか」

切るような口調は、オズワルドが発したものだ。おちゃらけた昨日の様子を知っているからか、余計に冷たく響く。

主人の敵対が従者にまで影響を与えてしまうのは分かるが、この場でどちらでもない私は物凄く息が詰まる。思わず肩を狭めて縮こまると、テオドールが片眉を跳ねさせた。そして、額に手をあてると息を吐く。

「……俺は行かない。だが、今回は道を譲ってやるから、さっさと行け」
「殿下」
「構わない。控えろ、オズワルド」

テオドールは端によると腕を組み、壁に背を預けるようして道を譲った。オズワルドも他の部下もテオドールに従って壁際に寄り、直立した状態で待機している。

「兄上、ありがとうございます」
「早くしろ」

テオドールは今にも舌打ちしそうなほど唇を歪めていた。道を譲るというのは、それほどまでに屈辱的なことなのだろうか。

テオドールの前を通って外に出たところで、その疑問を口にするとアルフォンスは頷いた。

「貴族ってのは妙なところにプライドを持っているからね。道を譲った譲らないなんて些細なことだけど、そういった小さな積み重ねが後々に影響することもあるんだよ。……まあ、兄上の場合は単純に、僕が嫌いだからなんだろうけど」

今回は恐らく私のことを気遣ってくれたんだろう。目があったとき、テオドールは少しだけ申し訳なさそうな表情を浮かべていた。

王とも話し合いで何とかしようとしているみたいだし、相談できることなら色々としたいことはある。

「……テオドールとも話せるかな」
「兄上と話したいの?」

意識せず呟いていたらしく、アルフォンスの言葉にハッとする。

「あ、うん……何か知っていることないかなって気になって」
「それなら、いっぱい話し掛けてあげてよ。兄上は女性慣れしてないから、君が話しかけてあげたら多少は和らぐかも」
「私は練習台か」
「ついでで良いからさ。お願いだよ」

目の前で手を合わせられて、右足を引きそうになる。そこまで頼み込むほど、慣れていないようには見えなかった。確かに素っ気無いが別に吃るようなことも無かったし、口数こそ少ないが普通に話せる。あれくらいなら許容範囲内だろう。そう思ったのだが、アルフォンスは肩を落とした。

「まあ、君みたいな逞しい子なら大丈夫かもしれないけどさ」
「さり気なく私を貶すな」
「貴族の御令嬢には冷たく見えるらしくてさ。兄上って媚びを売るのも下手だから夜会でも直ぐにバルコニーに逃げちゃうし」
「いや、だから私の話しも聞いてよ」
「だからさ」

肩を掴まれて、私はどうでも良くなってきてアルフォンスを見上げた。

「空いている時間で構わないから、見つけたら声を掛けてあげてよ」
「その間、アルフォンスは何をしてんの」
「何って……何をするけど、詳細を知りたいの?」
「……結構です」

血みどろの話題は避けたい。アルフォンスの完璧な笑みからは、不穏な気配しかしてこなかった。

見ざる聞かざる知らざる。なんか、そんなことわざがあったような気もするし、私は今日からこれを座右の銘にすると決めた。帰るためなら、どんなことも見なかった振りをしよう。そもそも危険な話題に首を突っ込んで解決しようなんてほどの正義感は、残念ながら備えていない。

「君は物分りが良くて助かるよ」
「……素で喋ると、アルフォンスって性格悪いよね」
「性格が悪くなければ、王子なんてやっていないよ」

あっさりと返されて脱力する。少しだけ夢見ていた王子様像は、アルフォンスのせいでガラガラと音を立てて崩れ落ちた。と言っても、国を守ろうと奔走しているのだから、民にとっては良い王子様なのだろうか。巻き込まれる側からすれば、堪ったものではないが。

「ユズハはどうしたい? 単に観光するか、それとも図書館でこの世界についての話をするか」
「図書館で」

即座に切り返すと、アルフォンスはおどけるように肩を竦めた。

「即決だと少し切ないけれど……分かったよ。大陸について詳しい説明をしよう。街の様子は歩きながら見てもらえるといいかな」

アルフォンスと並んで歩き始めると、ウルリクはその後ろに続くようにして着いてきた。横に来ないのかと誘うが、護衛だからと断られてしまえば無理は言えない。
護衛なんて言われても今一ピンとこないが、王子という立場なら、殺してでも成り代わりたいと思う人も絶えないのだろうか。そう思うと緊張するが、街の賑やかさに誤魔化され長くは持たなかった。

賑やかな喧騒が、道のあちこちから聞こえてくる。花売りの籠車や、道の脇に立つパン屋からは芳しい香りが漂い鼻先をくすぐった。何処からも笑みが溢れ落ち、幸福に満たされているように見える。

「わぷっ!?」

突然、悲鳴にしては可愛らしい声がして顔を向けると、まだ幼さの残る少年が私の目の前で立ち止まり鼻を押さえていた。どうやら、ウルリクが張った防壁にぶつかったらしい。

「何これ、ふにゃふにゃしてる」

どうやら痛いわけではないようだが、奇妙な感触に困惑しているようだ。頻りに首を傾げる少年の肩を叩き、ウルリクは通りの向こうを指差した。

「通りで走るのは危ないので止めたほうがいいですよ。遊ぶなら、広場の方にしなさい」
「ご、ごめんなさい」

ウルリクが嗜める口調で言うと、少年は素直に頭を下げてから駆け足で去っていった。少し先にいた友達と笑い合いながら、軽やかな足音を響かせて行ってしまう。

「……楽しそうだね」
「そうだね。君が石の力を使ってくれたおかげで、魔物も落ち着いたからね。今は特に、そのことで国全体が明るくなっているんだ」

私がしたという実感は未だに無いが、それでも笑顔の人を見れば嬉しく思う。自然と頬が緩み、ふわりと胸が温かくなった。
何となしに隣を見ると、アルフォンスも眩しいものを見るように目を細めて通りを眺めている。そういった顔をされると毒気を抜かれてしまうので私としては複雑だ。
アルフォンスは通りに向けていた視線を私に戻すと、僅かに迷いを滲ませた声で言った。

「……実は君に見せたい場所があるんだ。少し気分が悪くなるかもしれないけど、どちらにせよ暫くはここで暮らしていくのだから知っておいて欲しい」

嫌な予感しかしないので出来れば行きたくないが、懇願するような眼差しを向けられたら嫌だと突き放す事もできない。自分の意志の弱さに呆れながらも、アルフォンスに連れられるまま裏路地へと足を向けた。

薄暗い路地を進んでいくと、鼻を突くような嫌な匂いがした。ドブ臭いと形容するのが一番近いかもしれない。この世の嫌なものを煮詰めたような悪臭が路地全体には漂っている。思わず鼻を摘むと、アルフォンスは苦笑いを零した。

「ここも生活区域の一つだよ」
「……し、信じられない」

こんな場所で人が暮らせるとは思えない。建物に遮られて陽の光は入らず、また常にこんな悪臭に支配されていたら頭痛を催しそうだ。体にだって良くないだろう。それでも、ここ以外に行き場がないから仕方なく暮らしているとだと言われなくても分かった。こんな場所、選択の余地があるのなら絶対に選ばない。

「ここが僕たち貴族が見てみぬ振りを続けてきた結果だ。犯罪率は上昇を辿る一方だけど、そもそも人々をそこまで追い詰めてしまった責任は僕らにある」
「そんなこと私に言ってどうするの……」

路地の奥には、濃く黒い影が蹲っていた。それは、見間違いでなければ人のようにも見えて、咄嗟に視線を逸す。ドクドクと心臓が妙な音を立てて、冷たい汗が背を濡らしていくのが分かった。思わず、胸元をぎゅっと握り締める。アルフォンスは僅かに目を伏せたが、すぐに振り払うようにして口を開いた。

「近々、国民に聖女をお披露目するのを兼ねた式典が行われる。そこで、君には絶対に僕の側に居てほしい」

訝しむように眉を寄せてアルフォンスを見ると、彼は頬に笑みを刻んだ。そして、舞台で朗々と語りだす役者のように手を広げる。

「予言しよう。愚王は勇敢なる若者の手によって、その人生に幕を下ろすだろう」

唖然とする私を見て、彼は変わらない笑みで応えた。

「巻き込まれたくなかったら、僕の側から離れないことを勧めるよ」
「……やっぱり性格最悪ね」
「貴族にそれは褒め言葉かな。性格がいい貴族なんて損しかしない。実際、兄上は損しかしてないしね」

アルフォンスは、本当にどこまで言っても国のことばかりだ。けれど、それを愛国精神と取るには、何故か違和感が残る。彼は一体どこを見ているのだろう。探ろうとしてみるが、青い瞳からは感情が読み取れなかった。

「僕は、必ず良い王様になるよ」

それは私に言っているというよりは、別の誰かに向けた言葉のような気がした。




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