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本編

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ちょうど真上辺りに落ち着いた太陽が、煌々と辺りを照らしている。木々の隙間から突き刺すような陽が射しこみ、肌の表面がジリジリと焼けるようだ。歩いているだけでも額に汗が滲んでいく。けれど、流れ落ちる感覚も気にならないほどに広がった景色に目を奪われる。どこまでも広がる鮮やかな緑が眩しく見えて、そっと目を細めた。

旦那様がタブレットのようなもので様々な写真を見せてくれた時は、なんのことか分からず直感で選んだ。それがどうやら、一緒に過ごす場所を聞いてくれたのだと気付いたのは、家ごと森の真上に連れて来られてからだった。休暇でも取れたのだろうか。思えば、昨夜から何処となくそわそわしているように見えた。もしかして、今日を楽しみにしてくれていたのかもしれない。そう思うと、口の端がむずむずしてくる。

「旦那様」

呼びかけると、大きな掌が頭にそっと置かれた。そして、そのまま前髪を後ろに掻き上げてくれる。濡れた額が涼やかな風に撫でられて、ほっと吐息が漏れた。それを疲労からだと思ったのか。ひょいっと抱き上げられて、一気に地面が遠くなった。咄嗟に首にしがみつくと、ぽんぽんと優しく背を叩かれる。

あれから頻繁に身体を重ねているのに、彼の態度はあまり変わらない。最初に怯え過ぎたのがいけないのか、子ども扱いからなかなか脱却できずにいる。これでも元の世界では大人っぽいと褒められることもあったのに、彼に掛かれば俺など子供とそう変わりはないようだ。けれど、不思議と、それを嫌だとは思わない。むしろ四本の腕で包み込むようにして抱かれていると、滲むような安堵感が全身に行き渡っていく気がする。

このままで良いのかと思わない訳ではないのだが、甘やかされるたびにまた今度考えようと先延ばしにしていた。そして、今日も駄目だと分かりつつ端へと追いやっていく。

腕の中で揺られながら、流れていく景色をぼんやりと眺める。そうしていると、次第に頭上を覆う木々が増えてきた。それは影を生み出し、緑を濃く変えていったが、強く抱き留めてくれる腕が不安を感じさせないでくれる。
そして、そう経たないうちに、さらさらと澄んだ音が聞こえてきた。何だろうと疑問に思いながらも顔を向けると、剥き出しになった木の根の間に川が流れているのが見えた。透き通った川は木漏れ日を反射させて、きらきらと煌めく。倒木や岩肌のそこここが柔らかな緑に覆われ、何処かやさしい雰囲気を醸し出していた。

「下りてもいい?」

問う声が、つい弾んでしまう。彼は穏やかに目を細めると、膝をつくようにして爪先から下ろしてくれた。

岩肌を覆うふわふわとした柔らかそうな見た目に興味を引かれ、恐る恐る手を伸ばしてみる。しっとりとした湿り気と柔らかさを感じることが出来て、その触れたことのない感触が面白い。少し強めに押してみると、たっぷりと蓄えられた水が音を立てて飛ぶ。思わず彼を見上げれば、余ほど楽しそうな顔をしていたのか優しい微笑みが返ってきた。

意味も分からず飛ばされたのも確か森だった。あのときは混乱と痛みで辺りを見ている余裕はなかったが、今は違う。隣に彼がいてくれるなら、そこが何処よりも安全な場所だと分かっている。それに、きっと一緒に楽しもうと思って連れてきてくれたのだろう。確かな言葉はなくても、柔らかく綻んだ赤い瞳を見ているとそんなことを思う。彼といると自分が途轍もなく前向きに思えるのは、その眼差しが何処までも優しく感じられるからかもしれない。

川辺に手をついて、空いた方をそっと浸してみる。ひやりとした冷たさが指先から全身に広がっていくような気がして心地いい。

川は浅く、底にはさまざまな色の小石がきらきらと輝いていた。ここに辿り着くまでに削られたのか、どれ一つとして同じ形はない。更に手を伸ばして川底に触れる。硬く、さらりとした感触に目を細めつつ、手にしたそれを陽に翳した。濡れた表面がきらりと光って、宝物を見つけたような高揚感が湧き上がってくる。

思わず身を乗り出すと、旦那様が手を握ってくれた。苔のぬめりで転ばないように気を遣ってくれたのだろうか。それに礼を言いつつも、ゆっくりと爪先を差しこんだ。澄みきった水に素足を浸すと、すぅっと暑さが遠ざかっていく。

「旦那様もほら、気持ちいいよ」

誘うように繋いだ手を揺らすと、彼は眦を和らげてくれた。鋭く尖った視線が優しく細められるたび、意味もなく胸が弾む。この顔を、もっと見ていられたらと思ってしまう。

分厚い掌は重ねられるというよりは、俺の手をすっぽりと上から覆っている。やんわりと握り返されるのが少しくすぐったく感じて、ころころと喉が震えた。そうして手を繋いだまま、足を取られて転ばないように気を付けて歩いていく。軽く水面を蹴り上げると、小さな水飛沫が光に反射して煌めいた。
橋のように架かった倒木を使って向かい側に行ってみたり、選んだ石に飛び乗って進んでいくのがちょっとした冒険みたいでわくわくする。バランスを取りながら歩く俺の後ろで、四本の腕を彷徨わせて着いてくる彼の気配を感じて両頬がむず痒くなった。たとえ転んだとしても擦り傷程度だろうに、どうやら心配してくれているらしい。

時に抱えられて岩を上り、浅瀬を渡っていけば、先の方に少し開けた空間が見えてきた。高揚感に煽られるまま小走りで向かえば、明るい陽射しの下、岩肌から噴きだすようにして広く大きな滝があった。弾けた雫がきらきらと輝いて、辺りを覆う緑をいっそう鮮やかに見せている。

「旦那様っ、旦那様っ、すっごいよ!」

木々までもが苔に覆われ、そこかしこに生き生きとした新緑が溢れている。まぶしいほどの緑と澄みきった川が美しく、子どものようにはしゃいだ声を上げながら、少し後方にいる彼に向かって大きく手を振った。

そこは滝から流れ出る水を溜めるためか広く深くなっていて、どうやら天然のダムになっているようだった。滝下に近づくほどに深くなり、透明感のあるブルーに輝く水面が眩しい。うずうずと好奇心を擽られ、思わず旦那様を見上げる。外で過ごすのはどれくらい振りだろうか。ここなら見咎める者もいないし、せっかく彼と二人きりなのだからなにも気にせず全力で楽しみたい。

旦那様は大きく頷くと、先に飛び込んでいった。彼の体重を受け止めたせいか大きな水柱が立ち、大雨のように雫が降り注ぐ。それが何だが妙におかしくて、彼を追うようにして勢いよく地面を蹴りあげた。

澄みきった水の中、自分が立てた泡が水面に上がっていくのが綺麗で。思わず手を伸ばすと、すかさず握り返される。ぐっと引き上げられて、いつものように強く抱き留められた。そのまま、彼の広い胸の上に寝そべるような体勢になる。どうやら尾を使って水面を移動しているようだ。屈強な身体は俺を乗せているにも関わらず沈むことはなく、四本の腕に支えられていると驚くほど安定感がある。水に触れていられるから涼しいし、重なった葉を通して適度に和らいだ陽射しが降り注いでくるので居心地が良い。分厚い胸に懐くようにして頬を寄せると、背をあたたかい掌が撫でてくれた。

絵の中にいるような幻想的な景色を眺めていると、時間の流れさえも緩やかに感じられる。時が止まったような空間を二人占めなんて凄く贅沢だ。

まったりと過ごしたり、時には魚捕りにも挑戦したり。深くまで潜りながら追いかけ回すが、ぬるりと滑って流石に手では取れない。けれど、旦那様は自由自在に動き回って、手の中は大漁となっていた。川辺で食事を取るのも、キャンプのようでわくわくした。気の向くままにしたいことをして、隣を見れば同じように楽しそうにしてくれる人がいて。気付けば笑っていない時がないくらい大きな口を開けて笑っていた。

最後の方はくたくたになって全身が脱力したような感じで、瞼が重たいほどだった。けれど、これで寝てしまってはまるっきり遊び疲れた子どもそのものだ。それが何だか恥ずかしくて、後は帰り道だけなのだからと自分を鼓舞して足を踏み出す。けれど、それが地面に触れるよりも先に、軽々と抱き上げられてしまった。驚きに声を上げるが、そのまますっぽりと四本の腕に収められる。大きな掌が背に添えられ、力強く支えてくれるのを感じると何故か眠気が増す気がした。

「歩けるから大丈夫だよ」

軽く胸を押し返すが、宥めるように頭を撫でられる。彼が歩くたびに伝わってくる振動が心地よくて、瞼が余計に重たくなってきた。寝ては駄目だと思うのに、腕のあたたかさに身体から力が抜けていく。瞼を擦って眠気を堪えようとするが、咎めるように手を握られた。そのまま分厚い掌が頬を撫でてくれて、その心地よさに意識は徐々にぼやけていった。




目覚める頃には辺りは真っ暗で、そこには火の温もりだけがあった。これがなければ、自分の指先すら見られたかどうか。それほど暗く、壁のように感じられるほどの闇だ。心細く思えて視線を走らせると、すぐ傍に見慣れた背中があった。旦那様、と声を掛けると膝に抱き上げてくれる。分厚い大胸筋が頬に触れて、ほっと息が漏れる。大きく逞しい腕の中にいると何だか守られているように感じられて自然と肩の力も抜けた。

ここには張り出した木々もなく、透けるような夜空が何処までも広がって見える。大きいも小さいも関係なく、細かく散りばめられた星々の輝きが埋め尽くそうとしているようだ。夜空そのものが青白い光を纏わせて、世界の全てを包み込んでしまえそうな。夢のような美しさが其処にはあった。

この夜空を抜けた先に、俺の世界は在るのだろうか。どういう因果で飛ばされてきたのか分からないままだが、宇宙の遥か彼方にはあるのかもしれない。

……両親は、今頃どうしているだろう?

そう思うと同時に、案外いつも通り仕事をしている二人が浮かんで笑ってしまった。俺がいなくなって嘆く姿をうまく想像できない。学校も季節行事も、家族ですることなど何もなかった。俺の為に働いているのだからと誤魔化してきたが、もしかしたら今までも寂しいと感じていたのだろうか。特に自覚はなかったけれど、彼と過ごしているとそんなことを思う。

来たのが突然ならば、帰るときは何時なのだろう。目覚めたら、一人きりの部屋で寝ている可能性も否定はできない。……嫌だな、と思ってしまった。別に、元の世界が嫌いなわけではない。友達と遊ぶのは楽しいし、親の顔だって見たいと思う。けれど、彼と離れてしまうことを寂しいと感じている自分も確かにいるのだ。

頭を撫でてくれる手が、抱きしめてくれる腕の強さが心地いい。彼といると、子どもでいることを許されているような気になる。無理に頑張らなくても良いような気がしてしまう。ただの甘えだ。そうと分かっていても、このままで居たいと思うほどそれは甘美に思えた。

彼の分厚い胸に、頬を擦り寄せる。姿形は違っても、鼓動の音は変わらない。トクトクと穏やかに脈打つ心音を聞いていると、彼が確かに傍にいるのだと思えて安心する。複雑な気持ちを持て余したまま、今はただはぐれないようにと大きな手を握った。




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