上 下
79 / 82
第十章 三者相克前進編

しおりを挟む
 同盟軍側の提案で、連合軍との交渉が始まったのは、大聖堂の崩落から一ヶ月が経った頃だった。
 これは同盟軍が及び腰になったこともあるけど、重要な要素は同盟軍の物資面で、つまり食料が心細いのだ。
 連合軍と同盟軍の協議に、僕は始め、参加することを許されず、会議に参加した聖都の代表であるマーストを話を聞くだけだった。
「傲慢と言ってもいいな」
 初日の交渉が物別れに終わり、帰って来たマーストはそう言うと、乱暴に正装の上着を脱ぎ始めた。
「連合軍が何を要求したと思う? 聖都による、連合に対する人道的に過ちへの告発を取り下げることと、三者の領地を戦いの前の状態に戻し、不戦を約束する、と来た」
「つまり、全部なかったことにしたいのか」
 僕はそう言いいながらも、口調は冷静さを装いつつ、心は揺れていた。
「マーストは何か発言した?」
「まさか。俺は同盟の代表の中でも発言力のない一人だ。もちろん、告発に関する話題になった時は、口を開いたけどね」
「どう応じた?」
 上着を脱ぎ捨てたマーストが、それを椅子の背もたれに放り、用意されていた酒瓶を手に取った。「不可能だと応じた」
「それでいいじゃないか。僕はてっきり、曖昧な返事をしたかと思った」
「さっきも言ったように、俺には発言力はない。それが逆に良かったな。別に何の影響もないだろうと思って、大胆なことが言えた。まったく、奇々怪々さ」
 酒瓶の栓を抜き、用意されていたグラスに注ぐ。グラスは二つあり、中身の入っていない方が僕に放られる。受け止めると、片手に酒瓶、片手にグラスでマーストが歩み寄ってくる。
「それで連合軍の反応は?」
「俺を睨んで、それから同盟軍の代表連中を睨んでいたな。同盟軍の連中も俺を睨んでいた」
 愉快そうに笑いつつ、僕のグラスに酒を注ぎ、マーストがグラスを当ててくる。
「手応えは全くないが、どうしたらいい?」
「どうしようもないよ。とにかく、今は粘って、聖都の主張を通すしかない。マーストが代表なんだ。頑張って」
「その件だけど」
 一口、マーストが酒に口をつける。
「アルスを呼びたいと打診した」
「え?」口に運びかけたグラスを止める。「なんで?」
「お前の屁理屈が必要なのさ」
 屁理屈か。
 どうやら、変な評価が広がっているらしい。
 僕はその三日後、正式に交渉人の一人に選ばれた。七人委員会、天位騎士二人の推薦なので、これには同盟軍も何も言えなかった。
 会談が行われているのは、連合軍と同盟軍の陣地のほぼ中間にある、仮の建物だった。同盟軍に属する騎馬民族が使っている移動式の住居で、かなり大きい。
 中に入ると、すでに連合軍の代表は揃っていた。軍服の者と、背広のもの。軍と政治、それぞれの代表者が出ているのだ。
 同盟側も同じような構成で、つまり、聖都の側から出ている武力の代表がマーストで、政治の代表が僕らしい。ただ、僕には三人ほど、補助する政治家が同行している。彼らとはすでに考えを共有していた。
 話し合いが始まり、お互いが意見をぶつける。
 マーストから聞いていた通りの連合の出した条件を、同盟側が拒絶する、という構図。
 これでは少しも変化はないだろう。
「聖都の方々は」連合軍の男がこちらに話を振ってくる。「同盟軍の一部になったのかね?」
 挑発だけど、僕もマーストも動じなかった。マーストが答える。
「もし、聖都の側に同盟軍ではなく、連合軍が立っていれば、連合軍は我々を吸収したでしょうね」
「それが効率化というものです」
「効率が全てではないですけどね」
 控えめに反論して、マーストはやり取りを切り上げた。
 さらに連合と同盟の議論は続き、この日も物別れに終わる。僕にはこの会談が、聖都、同盟に有利に終わるという未来は見出せなかった。
「連合軍を揺さぶる必要があるね」
 帰りながら、僕はマーストに話しかけた。彼は苦り切った顔で、
「どうやって揺さぶる?」
「戦いを仕掛ける」
 馬を止めて、マーストがこちらを見た。
「戦いだって? 誰が? どこで?」
「ここじゃない」
 馬が再び進み始めた。
「わかったぞ」マーストが渋面を作る。「悪魔軍の本隊と同盟軍の守備隊に、連合を攻めさせるんだな?」
「連合軍は今の所、両面作戦を強いられている。ただ、どちらの戦線も膠着し、動きが弱い。こちらの戦場は仕掛けられるような状況じゃないから、そうなれば悪魔と連合が衝突し、連合を破るしかない」
「アルスは夢見がちだな」
 マーストはそういうと、しばらく黙り、
「勝ち目があるのか?」
 と、尋ねてくる。
「やってみなくちゃわからない。悪魔たちに戦いの準備をさせる。せめて同数か、相手以上の数を揃えたい」
「連合に嗅ぎつけられないか?」
「嗅ぎつけたところで、どうしようもない。できることがあるとすれば、連合の側から悪魔を叩くだけだ。そして現状、悪魔を叩くことはそのまま、同盟を叩くことになる」
 同盟軍の陣地に入り、そのまま僕たちが生活している剣聖騎士団の宿営地に向かう。
「準備に必要な期間は?」
「わからない。悪魔の指導者、レムというんだが、彼女に打診して、動いてもらうことになる」
「準備が終わるまで、俺たちはここで話し合いを続けて、時間稼ぎか。得意じゃないけどなぁ」
 宿営地に入り、馬を降りる。マーストの従者が僕の馬も厩舎へ連れて行くのを見送る。
 仮設の建物の中に入り、マーストの個人的な空間へ移動。ここのところマーストは酒量が増えているが、特に酔っているようでも、体調が悪いようでもない。どうやら酒には相当、強い。
「アルス、君の考えを採ることにしよう。ただ、聖都は関わることはできない。七人委員会は受け付けないだろうし、連合軍を刺激するのは得策じゃない。悪魔は悪魔だけで、連合軍とぶつかるんだ」
「仕方ないよ。それくらいの覚悟はある」
 僕はその場を離れると、悪魔軍の一部が起居している建物に入った。悪魔軍の大半は聖都で復旧作業に追われている。少数だけが、形だけ見せるという意味で、この陣に加わっていた。
 僕は彼らの中でも体力のある数体に、素早く本隊まで引き返し、僕の書状を渡し、言葉を伝えるように指示した。
 聖都から本隊までは普通速度で三ヶ月、それをここに来る時は半分の一ヶ月半で来ることができた。
「馬に乗っていっていいし、人目も気にしないでいい。一ヶ月で向こうに行ってくれ」
 彼らは最初こそを驚いていたが、すぐに冗談などをして、身支度を始めた。僕も書状を書く。書状が出来上がる頃には、その選ばれた三体の悪魔は準備を完了していた。
 彼らが走り去り、僕は一度、聖都に戻ることにした。マーストには会談に参加できないことを伝えた。
 翌日の明け方に宿営地を出て、昼前には聖都に入ることができた。
 一時よりは復旧も進み、街並みは再建されつつある。ただ。どの建物もまだ仮屋のようなもので、どこか心もとない。それでも瓦礫や廃材は撤去され、綺麗になったとは思う。
 大聖堂の修復も進んでいる。
 その中にある一室に僕は向かった。
 霊安室である。ひんやりとして静かなその部屋で、僕は死者の顔を見て回った。たまに知っている顔に出会うが、ほとんどは面識がない。民間人が多かった。
 女子供、老人もいる。
 これが戦いなのだ、と心に刻むしかない。
 後悔しても、彼らは戻ってはこない。
 できることは、正しい道、正しい行動を自分が選択できるようにするだけだった。
 悪魔たちを戦いに使えば、彼らもまた、この部屋に並ぶ死者と同じようになる。悪魔にも、その死を悲しむ存在が大勢いるのを、僕は知っていた。
 それでも戦いを選ぶか? 死を望むのか?
 僕は決断はつきかねた。しかし、動かないわけにはいかない。
 霊安室には、スターリアの姿はなかった。今度は病室に向かう。まだ大勢のけが人が、元は大広間だった場所に寝かされていた。
 顔見知りの看護師が近づいてくる。医療品の不足を訴えられた。
「七人委員会と剣聖騎士団を通して、同盟軍から融通してもらうようにします」
「助かります」
「それで」僕は少し緊張した。「剣聖は見つかりましたか?」
 看護師は首を振る。
「まだ、見つかっていません。大聖堂の損傷が、思ったよりも広範囲で……。しかし、もう、お命は……」
「わかりました。ありがとうございます」
 頭を下げて、僕は大広間を出た。
 そのまま大聖堂の中を進む。看護師が言った通り、まだ瓦礫の山がそこらじゅうにある。大聖堂を建て直すことになるかもしれないと僕は感じた。
 それから悪魔たちの仕事ぶりを確認し、その日の夕方には交渉のための宿営地の一角に戻っていた。
「悪魔から連絡が来るまで」マーストが酒を口に含む。「どれくらいかな」
「剣聖騎士団に協力している悪魔がいるはずですが?」
「ん? よく知っているな。少数だがその部隊があった」
 あった?
「今は把握できていない。先の戦いで、指揮系統が乱れたんだ。俺も存在は剣聖から聞いてたが、ほとんどは知らないんだ」
「そうですか、書状でこちらに通信するように打診しましたから、それで通信はほとんどタイムラグでできます」
 これにはマーストは表情を変えた。
「どういうことだ? 魔法か? 通信のための?」
「同時に通信できます。すぐにでもその目で確認できますよ」
 その場面は意外に早く訪れた。
 使者を送り出してから一ヶ月と二週間後、僕たちのそばに控えていた悪魔が、通信魔法を受け取った。
 僕とマーストの目の前に、立体映像が浮かび上がる。レムだった。
「剛天位のマースト殿ですね?」
 レムの言葉に、マーストはまだ状況を理解できないようで、無言で頷く。
 自己紹介をしてからレムは状況を説明し始めた。
「まず連合軍の戦力です。一個軍団が陣地を構築し、こちらに向かい合っています。その背後に、二個大隊が控えています。こちらの戦力ですが、悪魔はおおよそ八千です。陣地を作り、守備は万全です。同盟軍の守備隊は、三千ほどです」
「悪くないな」
 マーストがこちらを見る。僕も頷き返した。
「アルスの指示の件ですが」レムが話す。「悪魔の増援は、今、募っているところです。一ヶ月あれば、三千は増強できます」
「それ以上が欲しい」
 僕がそういうとレムはもとより、マーストも驚いたようだ。
「連合軍を圧倒する戦力が欲しいんです」
「なら同盟軍にも協力を要請してください」
 レムの方からそれを口にするのは意外だった。意外だったけど、僕が望んでいる変化の一つではある。
「レムの方からも、書状を書いてもらえますか?」
 即座に僕が言うと、レムにはどうやら意図が理解できないようだった。
「悪魔から書状を出して、どうなるのです? あなたならともかく」
「悪魔が同盟軍を頼っている、という状況が必要なのです」
 しばらく場に沈黙が降りた。
「悪魔を信用するとは」レムが呟く。「思えません」
「そんなことはない」
 答えたのはマーストだった。穏やかな笑みを口元に浮かべている。
「俺はそう思うね」
「剛天位さま」
 レムが居住まいを正す。
「あなたの言葉を信用します。アルス、書状の内容はどうしたらいいのですか?」
 僕は事細かに指示を出し、マーストも助言した。書状は人間の言語で書く必要がある。それは僕の副官を務めた悪魔たいがやることになった。今も、彼らは映像にこそ浮かばないが、レムと同席しているらしい。
「部隊の編成が済み、数が揃い次第、攻撃を開始してください」
「あなたの力が必要です、アルス」
「可能な限り早く、そちらへ移動します」
 転移魔法を使います、とレムが言ったのを僕は断った。
「連合軍に察知されたくない。この通信も危ういほどです。馬でそちらへ行きますよ。僕の使者は一ヶ月半を切っていた。僕もそれに近い速度で移動できるはずです」
 僕はもう一つ、重要なことを伝えた。
「この段階になれば、僕を待つ必要はありません。状況が整えば、躊躇なく、行動を開始してください。あなたたちの役目で最も大きいのは、連合軍を破る、あるいは後退させることです。こちらでの交渉を有利に進めるのが、第一目的ですから」
「もし我々が破られれば?」
 レムの質問に、僕は首を振る。
「それは想定しても仕方ありません。悪魔が敗れれば、こちらでは連合に何も言えずに、彼らの言い分を認めるしかない。多くの犠牲が、無駄になります」
「あなたは無茶ばかりする」レムが首を捻る。「自暴自棄になっているのですか?」
「成功すればいいんです」
 僕は勝った時の展開を予想した。
「悪魔が連合軍に勝てば、こちらでも連合軍はのんびりしていられない。しかも同盟軍が悪魔軍と協力の度合いを深めれば、連合軍はさらに追い詰められる。この二つの要素を最大限に利用して、全面的な休戦を実現させたい。それが僕の考えなんです」
「細部は誰が受け持つのかな?」
 からかうようにマーストが言う。僕は肩をすくめて、
「僕以上に賢明な人間が、大勢いるさ」
 どうかね、というのがマーストの返事だった。
 レムとの通信が終わり、僕たちはそれぞれの役目に戻った。
 僕は連合軍に不審がられないように、今後の協議の場、会談の場に頻繁に顔を出した。僕がいなくなっても誰も気にしないと思ったけど、マーストがそれを止めた。
 結局、一ヶ月ほど、僕は退屈な会談の一角で時間を過ごした。
 そしてついに、悪魔たちが連合軍にぶつかり始めたという情報が入ってきた。
 通信は書状。速達だが、聖都に届くまで、三週間が過ぎている。
 僕は悪魔の部隊をまとめて、聖都を立った。






しおりを挟む

処理中です...