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第九章 人間奮戦激闘編

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 聖都の悪魔との交信が頻繁になり、僕はレムたちの会議に参加する一方、今後の流れを方々で打ち合わせた。
 スターリアと一回だけ、話すこともできた。例の幻像でである。
「今回の連合軍の動きは、悪魔に対する侵略はともかく、同盟軍への攻撃に関しては、聖都としても不快感を示す必要があります」
 スターリアは仮面をつけていて、表情はよく読めない。
「そのための使節を連合首都に送る計画です」
「それを隠れ蓑にする、ということかな」
「そうすれば、自然な形で連合首都へ潜入できます。その後の行動は、もちろん、聖都の一員として、無際限な行動は許せませんが、人道に則るかぎり、許されます」
 同席しているレムが質問を向ける。
「剣聖殿は悪魔を狂犬か何かと勘違いしているのですか?」
「失礼しました。では、詳しく言いましょう」
 スターリアは僕たちを見回す。
「あなた方が、連合首都で、シリュウを奪還するために行動を起こすことは、止めはしません。しかしそのために民間人を巻き込んだり、過剰に相手の兵士を殺すことは禁じます。後に、正当性をはっきりさせる必要があります。その時、我々が不利になる状況、正当性に疑問を持たれる場面があるというのは、歓迎できません」
「その点でお願いがあります」
 僕が割って入ると、スターリアがこちらを見る。
「なんでしょう?」
「聖都から、連合軍の研究施設が人道に反する、残虐な実験を行っている、ということをはっきりさせ、それを批難する声明を出して欲しいんです」
 少しスターリアは考えたようだった。
「それで何が変わりますか?」
「何も変わらないかもしれません。とにかく、連合軍を揺さぶりたい。聖都の主張が広まれば、多くの人間が連合軍に視線を集中する。そうなれば、彼らも好き勝手には動けない」
「シリュウを奪還すれば、シリュウの存在は連合にとって、非道の証拠が流出したことになる。そこへ下手に揺さぶりをかければ、より危険なことになるのではないですか?」
 それは想定できる可能性だ。
「追撃や追跡は厳しくなると僕も思います。でもここで聖都が連合を揺さぶれば、連合は挽回に必死になる。その焦りが欲しい」
「必死の追撃をするような事態の方が、アルスには好ましい?」
 僕はその先のことを、スターリアに話すことにした。
「できれば、聖都さえも巻き込まれればいい、と思っていますよ」
「へぇ」
 その一言にスターリアは少しも口調を変えず、すぐに応じた。
「つまり、聖都もまた連合と戦えということ?」
「連合を包囲するのが、最も効果的で、そして勝ち目がある」
「聖都には大きな戦力はありませんよ。連合と正面を切って戦うのは不可能です」
 僕は肩をすくめる。
「その時は悪魔たちと同盟軍が助けますよ」
「すごい時代になってきましたね。そんな状況、誰も想像していない」
「想像できない事態が、絶対に起こらないわけではないのです」
 頷いてスターリアは、すぐにいくつかの打ち合わせをして通信を切った。
 休む間もなく悪魔の選抜が行われ、それが数日のうちに、三組に別れて転移魔法で聖都へ移動した。僕も最後の部隊と一緒に転移した。
 悪魔軍の最精鋭三十名が聖都で短い期間だが、日常を過ごした。
 彼らは薬で赤い瞳を黒に変えているので、銀髪であることを除けば、人間とそう変わらない。人間と体格がかけ離れていないのが選抜の基準の一つだったので、当然である。
 聖都で生活している中で、彼らは人間同士のコミュニケーション、自然な所作を必死に観察していた。彼らも一日の終わりに報告し合い、お互いの情報をやり取りしているが、楽しそうなのが、僕にも嬉しかった。
 これから戦いに行くとはいえ、彼らにも日常があり、興味深いことも、愉快なこともある。
 三十名の悪魔が人間に慣れたところで、剣聖騎士団との顔合わせがあった。剣聖騎士団の連中も、悪魔を悪魔とは思っていない。新設の新規部隊という触れ込みだ。
 僕は久しぶりにマーストと対面し、彼は前と変わらない明るい様子で、
「アルス、痩せたんじゃないか? 顔がやつれているぜ」
「ここのところ苦労続きでね。身の丈に合わない仕事ばかりさ」
 悪魔三十名に剣聖騎士団二十名が加わり、五十名の隊が出来上がった。これは聖都から連合首都へ向かい、連合へ談判する使節を護衛する。
 使者の一人がマーストで、他に文官が二人がその役目を負う。もちろん補佐の文官武官もついていくから、兵士も含めると六十名を超える。
 七人委員会の意見集約の間、剣聖騎士団の連中は、悪魔たちに乗馬の訓練を施してくれた。悪魔たちは馬には慣れていない。しかし魔獣に乗っていたこともあり、すぐにコツを掴むので、兵士たちも、彼らの力量を自然と認め始めた。
 そのうちに七人委員会の決定が下り、正式な書状が作成され、使者が進発した。
 連合首都まで三十日はかかる。ただ、この移動には、攻撃を受けるような理由はない。聖都の管理下にある土地を抜け、連合の領域に入る。関所があったが、まさか聖都の使者を長くは足止めできない。連合側には使者が行く旨を伝えてあるので、関所はすぐに通過できた。
 あとは緊張こそすれ、平和な土地を行くだけだ。
「シリュウは生きているのかな」
 馬上のマーストが、僕の横に並んできてそう言った。
「死んでいたら、仕方ないですよ」
「確信はないわけだ」
「シリュウはしぶとい、ということと、連合軍の連中がシリュウを確保したがっていた、という二点を理由に、僕は彼が生きていると考えています」
 しぶといのはわかるよ、とマーストが笑みを見せる。その顔がすぐに引き締まる。
「ただ、連合軍の実験動物にされていたら、どうする? すでにシリュウがシリュウでなくなっていたら?」
「どうかな、それは……」
 僕はただ笑みを返した。マーストは納得できないようだった。
「あまり周りを巻き込むなよ」
「それは大丈夫」
「連中はお前に相当、思いを寄せている。お前のために死ぬほどにな」
 僕たちは背後の悪魔たちを振り返った。騎乗で、あるいは徒歩で悪魔たちが進んでいる。
「お前が指揮者なんだ、兵士を無駄に死なせるな」
「肝に銘じておく」
 僕たちは長い旅の末に、連合首都に到着した。連合政府が用意した宿舎に入り、旅装を解いたけど、それもつかの間、僕と悪魔三十名は用意してきた地図を確認し、二度目の、連合軍研究施設襲撃計画の算段を始めた。
 連合首都で密かに接触してきた悪魔の諜報員から詳しい情報も入ってくる。
 計画は煮詰まり、マーストたち使者も、連合政府と連合軍の上層部と面会する日程がはっきりした。
 研究施設の攻撃は、マーストたちの会談と同時に行うことになっている。
 施設の非人道的な実験を暴いた時、即座にマーストたちを通して、抗議するためである。
 マーストたちは会談のあとに晩餐会をするという予定で、つまり、僕たちは午後に動き必要がある。夜闇にまぎれるのは不可能だ。
 その点で作戦を再検討し、すぐに再確認された。
 決行まで、一日しかない。

 作戦の前段階として、悪魔たちが研究所の周囲に展開した。市民の格好をしている。
 マーストからはあまり派手にやるなと言われていたけど、実際に、研究所を前にすると、それは難しい。
 今回、襲撃する研究所は、以前に襲撃した研究所とは違う。規模が大きく、周囲を金網が囲み、見張りも多い。
 つまり、派手な行動で陽動しない限り隙がない。
 スターリアが激怒しそうだが、仕方ない。
 時間になり、僕は開始を告げた。
 僕も市民のふりをして、研究所の近くにいた。その僕の元にも、その爆発音ははっきり聞こえた。一緒に行動している二体の悪魔と一緒に、座っていたカフェのテーブルを離れた。
 煙が上がっているが、もう一度、爆発が起こる。
 僕たちは着ていた上着を脱いで、研究所の出入り口の横の守衛小屋に駆け寄った。
 僕たちの服装は、連合軍の兵士の制服に似ているものだ。
 守衛がそれが兵士のそれではないと気づけば強行突破、気付かなければそのまま入る。
「ここは攻撃を受けている!」
 僕は守衛に怒鳴った。
「これから本隊が来る! その前に状況を確認するぞ、中に入れろ! 早く!」
 動転した守衛は僕たちを通した。
 これで一歩、前進だ。
 敷地内を走り、建物に突入。頭の中の地図を確認しつつ、建物の中を疾走する。
 逃げ出そうとする研究者の中の一人を引き止める。腕を掴まれ、混乱する研究者は、仲間に置き去りにされた。
 不運だが、仕方がない。
 僕は腰から短剣を引き抜くと彼の首筋に突きつけた。
「契約者の研究はどこで行われている?」
「あ、あんた、兵士じゃないのか? どういうことだ?」
 僕は刃を押し込んだ。首筋に食い込む。研究者がやっと事実を理解した。
「さ、三階だ。隔離室」
 僕の頭の中で見取り図が展開され、位置はわかった。
「どうしたら入れる?」
「守衛がいる。彼が鍵を持っている」
 僕は研究者を解放し、二人を伴って階段へ向かった。
 一息に駆け上がり、三階へ。隔離室のドアが見えた。守衛は、いない。
 ドアの前に立つが、もちろん、開かない。守衛も避難したようだ。鍵が置き去りにされているわけもない。
「離れていろ」
 僕は白い炎を呼び出す。周囲の力をことごとく、炎に変える。
 片腕に力を集め、収束させ、一本の槍にする。
 それを僕は力を込めてドアに投げつけた。
 何かが蒸発する音と、それが風となって吹き寄せてきた。
 煙が一気に充満し、僕はそれを炎で吹き飛ばす。
 隔離室のドアは、吹き飛んでいた。
「行くぞ」
 中に踏み込む。
 動物の檻が並ぶ部屋、手術室、薬品庫、会議室、資料室。
 しかしシリュウはいない。
 実験室に入る。数人の男女が、壁に埋め込まれた鎖を足輪に繋がれ、倒れていた。しかしシリュウではない。
 彼らには申し訳ないが、助けている暇はない。
 次は、観察室。
 以前も、観察室に異常な契約者がいた。
 この部屋に入れば、僕はシリュウを失うかもしれない。
 そう思ったけれど、手はドアを開け、中に入っていた。
 明かりが灯った部屋の中に、シリュウがいた。
 裸で、壁に磔にされている。器具で固定されているわけではない。金属の杭で両手首と両足首が壁に刺し貫かれている。
 それでも、そこにはシリュウがいた。
「シリュウ!」
 駆け寄って、頬を叩く。
 意識はない。いや、まぶたが震えた。
「シリュウ! 助けに来た!」
 やっと彼が目を開けた。ぼんやりとした視線を睨みつけるように見返す。
「今、解放する」
「やめろ……アルス……」
 シリュウがそういった時、それは起こった。
 シリュウの胸が盛り上がった。跳び離れた僕をかすめて、その隆起が蛇のようになり伸びていた。その先の口腔には牙が並び、それが僕を噛もうとして、再び動く。
 その間にもシリュウから次々と触手が伸び、僕や、同行した悪魔を捉えようとする。
 三人で壁際まで後退した。
 シリュウが唸った。その体が膨張する。人間の形を失い、巨大な肉の塊になった。四肢だけがそのままで磔になっている。
「どうするんですか? アルスさん!」
 僕たちはそれぞれに剣を抜き、しかし動けなかった。
 どうしたらいいのか、わからない。
「行き当たりばったりだな」
 突然の声に、僕は真横に出現した存在に反射的に視線を向けた。
 ローブを着ている長身の存在。手には剣を持っている。
「サザ?」
 それは、かつてシリュウと手合わせした悪魔の剣士だった。
 六花騎士団の生き残り、サザ。
「師匠の命令でね」彼が剣を構える。「君を助ける」
「どうしたらいい? 教えてくれ」
「シリュウはすでに契約者になっている。そして、すでに無数の存在を取り込んで、自我を失いつつある。できることは一つ、シリュウの中のシリュウ以外を殺し尽くすことだ」
 殺し尽くす? どうやって?
「今はただ、シリュウが意識を取り戻すまで、徹底的に叩くしかない。やるぞ」
 サザが間合いを詰め、肉の塊に切りつける。刃が肉を引き裂き、血が噴き出すが、その傷口から太すぎる腕が伸びた。それをサザが切り飛ばす。その断面から三本の触手がさらに伸び、サザは容赦なくそれも叩き切った。
 僕と動き出している。
 白い炎で肉塊を焼き、消し飛ばしていく。
 二体の悪魔も加わった。
 いつまでこれを続ければいいのか、そんなことは考えなかった。
 シリュウだったものが動きを止めるまで、僕たちはひたすらその肉を断ち、割り、焼き、削り続けた。
 動きがなくなった時、シリュウだったものは、ボロボロの肉の塊だった。
「シリュウ!」
 僕が声をかけると、肉が蠢き、シリュウの形を取り始めた。だけど、その姿はまだ異質だ。シリュウの姿を取る一方、その肩、腹部、脇から一体ずつ別の人間の上半身が生えていた。
「くそ……」
 シリュウが顔を歪める。その片腕が崩れるようになりながら、杭から引き抜かれた。
「アルス」シリュウがこちらを見る。苦悶の表情。「俺を、殺せ」
 なんだって?
「殺し、て、くれ」
「できない!」
 僕は怒鳴った。シリュウは表情を変えず、
「殺せ」
 と、繰り返した。
 もう、何も言い返せなかった。
 シリュウはもうシリュウではなくなりつつある。そのシリュウを生かしておくことが、シリュウのためになるのか、わからなかった。
 シリュウは死にたくて死を望んでいるようではない。
 自分の存在が、害しかないと判断しているんだ。
 それでも、僕はシリュウを殺せない。
 シリュウを、殺すなんてできるわけない。
 シリュウの自由になった腕がこちらに向けられる。
 腕が一瞬で伸びた。僕は身を躱そうとしたけど遅かった。
 僕の短剣をシリュウの手が奪っている。伸びた腕が霞むほどの速さで翻り、切っ先が一閃した。サザも、悪魔たちも、防ぐことはできなかった。
 シリュウの首筋に深い切り傷ができる。血が噴き出し、その血がまた触手の群れに変わり、シリュウの体、自身の体を包み込み始める。
「くそ!」
 サザが剣を振るい、シリュウの体から生えているシリュウ以外を切り離す。ただ、完全には切り離せない。切り取った部位が床に落ちるだけで、傷口はすぐに塞がり、形状も変わる。
「アルス!」サザがこちらを振り向く。「決断しろ! シリュウをどうする!」
 どうするって……。
 僕には、決められない。
 僕には……。
「アルス!」
 僕は決断した。
「聖都に連れていく! 諦められない!」
 頬を涙が伝っているのがわかった。サザが頷き、即座にシリュウの四肢を切断した。シリュウ自身の頭部は力を失い、うな垂れたままだ。
 どうして、こんなことに。
 サザが、自分が聖都へシリュウを転移させる、と話している。そして僕には、マーストと合流して、連合軍への非難を行え、と告げている。
 ほとんど無意識に頷いて、僕は悪魔二体を連れて、観察室を出て、隔離室も出た。
 すでにそこには連合軍の兵士が列を作り、僕たちを待ち構えていた。
「我々は聖都の剣聖騎士団の一員である!」
 僕は叫んでいた。
「連合軍による非人道的な実験行為の密告を受け、この場を強襲した! 事実は密告の通りだった! これを聖都、そして剣聖騎士団は、断固として非難する!」
 連合軍の部隊の兵士はわずかに混乱したが、指揮官にはそんな弱さはない。
 兵士たちに攻撃を命じる。
 兵士たちは、三十名を超える。十倍の敵。
 どう戦ったのかは、わからなかった。連合軍の兵士が引いて、僕たちはやっと事態が展開したことに気づいた。
 兵士たちの奥にいる指揮官が何か、怒号を発し、喚いている。
 その兵士の群れが今度こそ、後退し、去っていく。
 周囲には何人もの人間が倒れていた。
「どうなったんですか?」
 赤い血にまみれている悪魔が、僕に尋ねてくる。
 僕には何も言えなかった。
 何も考えられなかった。
 全てが、理解できず、何も受け付けられなかった。
 シリュウは、どうなってしまうのか。
 もっと大きいものが関係しているはずなのに、僕が考えているのは、彼一人のことだけだ。
 どうしてそんなにシリュウの存在が大きいのかも、わからない。
 ただ僕は、目を閉じ、冷静になろうとした。
 冷静にならないと。




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