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第八章 悪魔共闘激動編

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 撤退先の拠点も構造は前と大差ない。
 つまり、悪魔は黒の領域の内部、その地下にはいくつもの拠点を設けてあるのだ。
 だが、違う点もある。
 それは地上に悪魔軍が集結している点だ。地上に彼らは野営していて、主に下級悪魔だ。彼らは自分で話すことは滅多にない、しゃべれないのかもしれない。でも上級悪魔たちの指示には従う。聞くことはできるのだ。
 連合軍は進軍を続け、数日のうちにこの拠点からそう遠くない地点に到達するはずだった。すでに複数の悪魔が下級悪魔を従えて斥候と同時に牽制を行っている。
 いよいよ悪魔も連合軍の進行を抑える必要に迫られている。
 僕は新しい拠点の図書室に入り浸り、夕方、シリュウの部屋に行って、その日の進展を聞いた。僕自身は会議に出席するようには求められず、シリュウだけが参加している。僕にできることはほとんどないし、仕方ない。
「下級悪魔をどうやって指揮するの?」
 いつかのように図書室へ呼びに来てくれた悪魔に、尋ねてみた。
「指揮というほどのことはありません。彼らは単純な命令しか受け付けません」
「攻撃、防御、撤退、って感じかな」
「おおよそそうですね。その代わり、命令されたことに全てを集中します」
 なるほど、手強いわけだ。
 さて、二人で会議室に入ると、やはり悪魔がずらりと並んでいる。しかし彼らの面持ちは一様に緊張している。
「通訳しますね」
 僕の隣にいる悪魔が囁く。シリュウはどこかな、と視線を巡らせると、椅子の一つに座って、背もたれに寄りかかってる。
「では」レムが話し始める。「現状の報告と、今後の作戦にお伝えします」
 場が静まり、言葉を待つ。
「連合軍はこちらへ向かっていて、依然、侵攻中。防衛部隊は牽制程度に展開し、相手の出方を見ましたが、彼らが止まることはありませんでした。小戦力を投入しても無意味なので、現在は斥候のみ送り、情報収集しています」
 レムが周囲をぐるりと見る。
「つまりこの拠点を中心に部隊を展開し、連合軍の進行を止めるわけですが、大戦力同士の戦いになります。ただ、こちらも今の時点では数の上では劣る。集まったとしても七千でしょう。もちろん、我々は彼らに比べて強靭です。しかし敵を侮るわけには行きません」
 壁に貼られている地図を棒で示し始める。
「防衛線の位置はここ、この拠点にほど近い地点です。正面から当たって勝てる相手ではないと判断し、策を弄します。七千の総数のうち、二千を別働隊として、連合軍の後方、補給線を寸断し、そのまま伏兵となり、機を見て後背を突くことになります」
 地図の上で棒が移動。
「もう一隊、三百人の部隊を編成し、これが連合軍の契約者部隊にぶつかります。相手の契約者部隊の位置はわかりませんが、絶対に現れます。彼らの攻撃が、あるいは防衛の崩壊の要因になる、というのが私たちの推測です」
 悪魔が数人、挙手。
「ここで決戦となるのか? それとも支えるのか?」
「決戦となれば、犠牲も出ましょう。それは望むところではありません。そのために後方撹乱と伏兵を用意しました。彼らが攻めあぐね、やがて撤退するのが理想的です」
「彼らが本気で攻めてきているのなら、こちらも同数の戦力を用意するべきでは?」
 その悪魔の質問に、レムがシリュウの方を見た。
「シリュウが今と同じ考えを示されました。我々は議論の末、この考えを取らないことになりました。我々は人間とは違う。仲間の犠牲を強いてまで、領地に固執する存在ではない。我々には我々の流儀がある」
 僕はやや唖然としてしまった。
 悪魔たちは、戦いを挑まれながら、仲間が死ぬのは忍びないと言って、自分たちの領地を少しくらい奪われても問題ない、と言っているのだ。
 そんな考えでは、連合軍は少しも止まらず、貪欲に、容赦なく悪魔の領地を切り取るだろう。
 僕は手を上げようとした。その時、部屋に悪魔が飛び込んできた。
「連合軍が第一警戒線に到達したようです」
 僕に通訳してくれた悪魔もソワソワしているが、部屋の悪魔たちもそれぞれに仲間と何かを言い交わし始めている。
「予定より早いですが、仕方ありません」レムが言う。「戦闘配置についてください。各指揮官、部下をよく統率するように」
 その言葉で、場が解散になり、悪魔たちは散っていく。僕はシリュウのもとに歩み寄った。彼はまだ椅子に座っている。
「大丈夫? 疲れてない?」
「ん? ああ、まぁ、難しいな」
 シリュウがやっと席を立った。二人を部屋を出る。
「俺とアルスは、ワバの指揮下の契約者部隊に当たる隊だ。嫌だったら他所へ移せるが、どうする?」
「いいよ、シリュウのそばにいる。しかし、連合軍は何を考えているんだろう?」
「単純に好機と見ているんだろう。あるいは政治かもしれない。悪魔に連合首都を奇襲された、それに対する報復を成功させた、こういう実績があれば、政治力は嫌でも高まる」
 通路に出て、二人で歩く。
「今回は悪魔軍とわかっていいから、連中の鎧を借りよう。人間のそれよりも高性能だしな。アルスも剣を借りておいた方がいい。人間のものとは頑丈さが違う」
 二人で打ち合わせをしている間にも、拠点の内部を伝令が走り回り、状況を伝えている。シリュウのところにも報告があり、連合軍が目に見える距離に陣を敷いたところだと伝えられるまで、まだ拠点の内部にいた。
 僕とシリュウは拠点の内部で、ワバの指揮する部隊、鉄槌隊の面々と、打ち合わせをしていたのだった。
 相手になる契約者があまりに超人的で、対処法を考える必要があった。
 シリュウとワバが意見を交わし、作戦は決まった。
 人間が上級悪魔に対するように、複数の組で一体の契約者を押し潰す。
 これしかない、とシリュウが主張し、ワバも最終的には受け入れた。
「外へ出ようぜ、シリュウ」ワバがシリュウの肩を叩く。「連合軍を眺めに行こう」
 良いね、とシリュウもワバと一緒に歩き出す。僕も慌ててついていった。
「一緒に行くよ」
 勝手にしろ、とワバが応じる。好意的な響き。安心して、後を追う。
 地上に出ると、すぐ近くで悪魔たちが陣形を組んでいた。密林の中なので、見通しは悪いが、しかし、悪魔たちは少しも気にしている様子ではない。
 ワバが魔獣を二頭連れてきたので、一頭にワバが、もう一頭に僕とシリュウがまたがった。
 遠回りで、森の中を駆ける。魔物の上はそれほど揺れない。訓練されているのだろうか。
 そのうちに、前方に人工物が見えてきた。ワバが魔獣を止め、シリュウも並んで止まる。
「ふむ、これは本気だな、正規兵も正規兵、東部軍団第一軍団じゃないか」
 木々の間でかすかに揺れている旗を見て、シリュウが呻く。
 確かに、その旗の色は東部軍を示す赤、そして紋章はどうやら第一軍団だった。
「強敵か?」
 どうやらよく知らないらしいワバが問いかけてくる。
「人間の領地の東部境界線を守る部隊だよ。連合軍が担当している範囲の、その中でも北部を担当する。もちろん、お飾りじゃない。実戦も多いし、しかもこの部隊は悪魔だけじゃなく、同盟の領域とも接しているから、最も精強と言っていい」
「油断は禁物、か」
「油断すれば、一気に潰されるだろうな」
 二人は魔獣を操り、元来た道を引き返した。
「連中は同盟軍が怖くないのか? 下手な動きをすれば、側背をつかれる」
 そのワバの問いかけにシリュウが飄々と応じる。
「人間は身内でいがみ合うことが多いが、取引とか呼ばれる概念を理由に、時にはいがみ合うのをやめて、お互いを静観することがある。おそらく今回もそれだろうよ。何か取引をして、連合軍の動きを、同盟軍は見ているだけかもな」
「それでは同盟軍が損をするだけではないのか? 連合軍がこのまま我々を押し込めば、連合軍の支配域が広がり、有利になれる」
「まず第一に、この密林を手に入れて、すぐに国力が上がるようなことがありえない。第二に、連合の領土が増えたとしても、それでも対等になれる条件で、同盟軍は連合軍を放置しているんだ。悪魔はそういうやりとりをしないのか?」
 しないな、とワバが笑みを見せる。剛毅な笑みだ。
「我々にはそんなまどろっこしいことは必要ない」
 羨ましいよ、とシリュウがやはり笑みを見せて応じる。
 僕たちは悪魔の陣地に戻り、シリュウはそのまま一箇所に集結しているワバが率いる鉄槌隊の方へ行ってしまった。僕は帰って早々、レムに呼び出されたため、そちらへ寄り道する。
「遅くなりました」
 部屋に入ると、レムとネムが待ち構えていた。ソファに導かれるので、そこに腰を下ろす。
「あなたは簒奪者だそうですね?」
 いきなり、本題に入るようだ。長くおしゃべりしている暇はない、ということらしい。
「ええ」どう答えていいのか、即座に考える。「それほど強力ではありませんが、魔界の炎を召喚できます」
「そうですか」
 レムは何かを考えたようだった。
「これからする提案は、もちろん、強制ではありません。あなたの意志を何よりも尊重します」
「はい」
 二人が真剣すぎるほどに真剣なので、僕も気持ちを集中した。
「あなたに、契約者になっていただきたい」
 ……なんだって?
「えっと、僕を、契約者に? なぜ?」
「こちらにも戦力が必要です。簒奪者の身であり契約者になった人間は、抜群の力量を示すと言われています。あまり品のいい表現ではありませんが、溺れる者は藁をも掴む、と人間たちは言うそうですね?」
「それは一部地方の話ですよ」
 思わずそう応じつつ、頭の中は混乱していた。
 僕を契約者にする? 戦力にする?
 そこまで悪魔たちは追い込まれているのだろうか。それとも、敵の契約者や悪魔、例の実験体を恐れている?
 頼られていることを喜ぶべきかもしれない。
 でも、と僕は考えた。
 僕がここにいるのはシリュウがここにいるからであって、僕自身にはここにいる理由は何もない。いつかは人間の中に戻って、生活していくつもりだ。
 それが、契約者になってしまったら、どうなるんだろう?
 もちろん、契約者であることを隠して人間社会で生きていく方法はある。
 それが僕にできるだろうか。その欺瞞を貫けるだろうか。
 僕はじっと目の前のテーブルを見つめて、考えていた。レムもメムも何も言わない。
 どこか遠くで、悪魔の怒号が聞こえている。それが逆に静けさを強調し、沈黙を重くしていた。「もちろん」レムが口を開く。「断っていただいても構いません。あなたの力で戦局が大きく左右される、という事態にはならないはずです。ただ、こうしてお話しした以上、これだけはお伝えしまう。あなたがもし、力を欲するのなら、我々にはそれを与える準備があります。それを、覚えておいてください」
「ええ……」
 僕はなかなか、立ち上がれなかった。
「契約者になると」僕は思わず二人に問いかけていた。「何か、変わりますか?」
「私たちは契約者ではないので、わかりません。しかし、人間には見えない何かが見えるのかもしれませんね」
「それは」
 レムを見た。
「悪魔と同じ視点で世界が見える、ということですか?」
「あるいは」
 そうか。
 恐怖が押し寄せてくるけれども、それはきっと、今まで悪魔と契約した無数の人々が感じたものと同じだろう。その恐怖を塗りつぶす、強い何かがあって、契約者になるのだ。
 今の僕には、恐怖しかなかった。
 席を立ち、頭を下げる。
「期待に添えず、すみません」
「気にする必要はありません」
 レムたちも立ち上がった。そして彼らも頭を下げる。
「無理なことをお願いしてしまいしたね。あなたの部署は契約者部隊に当たる鉄槌隊でしたか、シリュウをよく助けてあげてください」
 僕はもう一度、頭を下げて部屋を出た。
 通路を歩きながらも契約者のことを考えていた。
 今の僕にはシリュウを助ける力がどれだけあるのか。今まではシリュウを助ける必要性をそれほど感じなかったのだ。大抵の人間はシリュウより弱いし、シリュウは上級悪魔にさえ対処できるのだ。
 でも今、こうやって連合軍の大軍を前にして、そして契約者部隊を前にしてみると、シリュウの強さは個人の強さであって、集合の強さではないとわかる。
 シリュウだって、揉み潰され、押しつぶされることもある。
 そういえば、シリュウも契約者になることを打診されていた。なんて言って断っていたっけ。
 そう、確か、自分の力だけで戦いたい、というようなことを言っていた。
 シリュウは強いな。剣も体も心もだけど、一番強いのは心だろう。
 たぶん、自分の剣が及ばずに敵に敗れることがあっても、少しも後悔しないんじゃないか。
 後悔するのは生き延びた時、なんだろうな。
 そんなことを思っているうちに僕は地上へ出ていて、鉄槌隊の集団に近づいていった。何をしているかと思うと、大きい石の上でシリュウとキロが腕相撲をしていた。力が拮抗しているらしく、二人の腕は震えるだけでどちらにも偏っていない。
 周囲で悪魔たちが声を上げ、囃し立てているが、二人には余裕がない。
 僕はそっとワバの方へ歩み寄った。
「何か、賭けでもしているんですか?」
「うむ」ワバが頷く。「鉄槌隊を二隊に分けることになってな、一方は俺が指揮するが、もう一方の指揮官をシリュウにしようとした。それにキロが反対して、こうして腕相撲で決めることになった。賭けといえば賭けだが、ただのレクリエーションだ」
 シリュウの肥大に汗が粒になり、こめかみを流れる。キロも必死の形相だ。
「そろそろかな」
 そう呟いたワバが部下に何か指示をすると、二人の悪魔がそっとキロの脇に歩み寄り、突然に彼女の脇をくすぐった。
「ウヒャ」
 変な声をあげて、キロの力が緩み、当然、シリュウが彼女の手を一気に石に叩きつけた。石が割れるんじゃないかと思える勢いだ。
 悲鳴をあげたキロが手を押さえて、呻く。
「ワバ!」キロがワバを強く睨みつけた。「余計な手出しをするな! こんなの無効だ!」
「お前には俺のサポートをしてもらう。俺が倒れた時は、お前が指揮を取るんだ」
「ワバが倒れるわけがない」
「わからんな。シリュウの方の隊は、指揮官の代理をするのはアルスにする」
 悪魔たちが顔を見合わせ、それから僕に視線が集中した。
 僕は何も知らなかったので、ワバ、キロ、シリュウ、悪魔たちを順繰りに見るしかない。
「良いじゃないか、アルス」シリュウが軽い調子でいう。「俺が倒れるわけがないからな、名誉職だ」
「それでも責任が重いよ……」
 と、悪魔たちが僕に歩み寄ってくる。
 何をされるかと思ったら、悪魔たちは僕の肩や頭を叩き、それぞれに何か言っていく。悪魔の言葉が理解できないけど、時折、人語や、片言の人語で声をかけてくる悪魔もいて、僕を励ましているとわかった。
 彼らは、僕を受け入れてくれているらしい。
「よし、決まりだな」
 不服そうなキロをよそに、ワバが全員を見渡す。
「今度こそ、勝ちに行くぞ」
 悪魔が大きな声をあげた。
 猛々しい声を。

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