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第八章 悪魔共闘激動編

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 作戦会議と言っても、ただの説明のようなものだった。
 集められた悪魔たちは最初こそ僕とシリュウを気にしたけれど、すぐに無関心になり、説明に聞き入り、気になる点を質問した。
 彼らが最も重要視しているのは、自分たちが薬を飲んでどれだけの力を維持できるか、そしていかに撤退するか、だった。
 第一に、彼らは決死隊ではない、とはっきり明言された。つまり、撤退は周到に手段が用意されている。
 彼らが気にしている力の維持、悪魔の力を抑える薬物を摂取した時の能力の低下に関しては、作戦前に実際に薬を飲んで効果を確かめる場が設けられる、という説明があった。
 会議の翌日がその日で、召集された二十四名の悪魔たちは薬を飲み、その効果のほどを確認した。彼らはそれぞれに武器を振っていたけれど、大半の悪魔が武器を持ち替えた。悪魔の剛力で扱える武器を持っていたのが、力の低下で使えなくなったのだ。
 そのさらに二日後に、作戦の決行日が決められて、僕とシリュウも準備をした。研究施設の見取り図を確認し、侵入経路と撤退経路を頭に叩き込む。
 悪魔たちがこれといって特徴のない防具を貸してくれて、これも確かめた。
 見た目は人間が持っていてもおかしくないのに、この防具は非常に軽く、不思議だった。悪魔の技術力の中には人間を超えているものがあるわけだ。
 作戦の決行日、集合した転移のための部屋に二十四名の悪魔、そして僕とシリュウが揃った。
「お客さんとは思わないからな、シリュウ、アルス」
 悪魔たちの指揮官である西方軍鉄槌隊の隊長、ワバが声をかけてくる。
「そちらさんこそ、連合首都を観光している暇はないからな」
「言ってろ」
 バシバシとシリュウとワバはお互いの肩を叩き、離れた。仲がいいのだろう。
 やがて、転移魔法を行使する悪魔が三人ほど入ってきた。整列するように言われ、僕たち総勢二十六人が密集する。
「外は深夜です」
 などと、説明があり、僕は心を落ち着けるために集中した。
「行きます、ご武運を」
 転移魔法のための悪魔が、両手を僕たちに向ける。
 一瞬の浮遊感と、酩酊感、それが押し寄せたかと思うと、一気に晴れた。
 周囲は真っ暗だ。悪魔たちが手に持っていた小型の携帯光源を発動させると、そこは倉庫のようなところだった。
 おそらく予定通りの出現地点。連合首都の中にある軍の研究所、その地下施設の倉庫だろう。
「行くぞ、アルス」
 シリュウが走り出す。他の悪魔たちも散り始めた。
 通路に出て、足音を消して走る。人気はない。進むうちに、やはり予定通りの位置に出現したことがわかった。頭の中の地図通りに、通路と部屋がある。
 予定されていた部屋に入ると、そこは資料室だった。僕の右手が業火を呼び出す。
炎はあっという間に広がった。
 最先端の火災警報が鳴るか、と思ったが、鳴らない。警報を切る役目の悪魔が仕事をした証拠。
「次へ行こう」
 シリュウに従って、部屋を出る。閉めた扉の隙間から煙が漏れ、通路を流れていく。
 もう一箇所、資料室を焼き払い、最終目的地に着いた。
 観察室、とプレートに書いてある。
 躊躇いもせずにシリュウが飛び込み、中で悲鳴が起こる。
 僕が入った時には、すでに五人ほどが叩き伏せられ、残りの四人ほどが壁際で両手をあげていた。
 僕は部屋を見てさすがに驚いた。
「これは……」
 人間が四人ほど、壁に磔にされていた。
 その体にはチューブが突き刺さり、よくわからない液体が流れている。
 四人とも、目を開いているが、こちらを見もしない。
「焼き払え」
 シリュウの指示にハッとして、僕は炎を引っ張り出そうとした。
 瞬間、シリュウが僕に向かって剣を突き出した。
 反応する暇もなかった。
 僕の首をかすめるようにシリュウの剣が走り、背後からの一撃を防いでいる。
 倒れこんだ僕が見た先には、二人の男が立っている。どちらも銀髪で、赤い目をしている。
「くだらぬことを」
 男の一人、いや、悪魔の一人が剣を構えて、シリュウと向かい合う。
 僕はもう一人と向き合い、右手に炎を呼び出した。
「やれ!」
 シリュウの大声に、僕は反応した。
 この場で悪魔を倒すことに意味はない。
 意味があるのは、ここにいる実験体を破壊することだ。
 僕の右手で炎が膨れ上がり、部屋中を制圧した。研究者は取り込まれないようにしたが、悪魔はちゃんと含まれている。
 容赦なく、全火力を吹き荒れさせた。
「無駄だ」
 炎を割って、剣が僕を襲う!
 転がって回避。再び炎が断ち割られる。再びの回避。
 僕は炎を弱めた。
 やっと状況が飲み込めた。二体の悪魔は炎を拒絶して無傷、実験体も周囲が焼き払われているだけで、本体は無傷。悪魔の力だろう。
「下がっていろ」
 シリュウが僕の前に立つ。視線が送られ意思疎通。隙があれば実験体を焼くように、という指示。
 僕は身を引いて、戦いを見守る。シリュウが二本の剣を構えた。
「双剣を使う騎士か」
 悪魔がニヤニヤと笑う。
「シリュウだな、お前は。逃げたと聞いたが、ここに来るとは、殊勝なことだ」
 話している方に、シリュウが一瞬で飛びかかった。左手の剣が降り抜かれるのを、悪魔の剣が受ける。
 右手の剣が無慈悲に悪魔の首を狙うが、これはもう一体の方の剣が受け止めた。
 シリュウの剣が翻り、複雑な軌跡の連撃が繰り出される。
 悪魔たちがそれを完璧に受け止める。シリュウは踏み込めない。悪魔は、一歩も引かない。
 そしてついに攻撃の連なりが途切れ、シリュウが後退する。
「ふむ」悪魔たちが自分の剣を確認する。「人間の剣は脆くてかなわないな」
 実際、二人の剣はボロボロに刃こぼれしている。
 その二本の剣が、捨てられる。シリュウが驚く気配。
「来ないのか? 八英雄」悪魔たちが拳法の構えを取る。「なら、こちらから行くぞ」
 二体の悪魔の姿が搔き消える。シリュウもまた、高速機動を開始。
 部屋中の壁、床、天井に切り傷がつき、粉砕される。風を切る音、何かが踏みしめられる音、様々な音が渾然一体となる。
 唐突に、三人が動きを止めて、像を結ぶ。
 シリュウの両手の剣が、それぞれの悪魔に受け止められていた。白刃取りだった。
 悪魔二人の呼吸を合わせた蹴りがシリュウの胴を捉える。
 シリュウが壁に衝突し、崩れる。それでもすぐに立ち上がり、悪魔を睨みつけた。その唇の端から血が流れる。
 一方の悪魔たちは自分の手を不思議そうに見ていた。
「剣を放すつもりはなかった。何かしたな? 八英雄」
「ちょっとした手品さ」
 シリュウが剣を構える。
「剣よりも拳が得意な悪魔とやるのは初めてだ。しかも二人同時ときた。やる気が出るよ」
 その言葉に、悪魔たちも構えを取り、いつでも動ける姿勢。
 そう、彼らはシリュウに集中していた。
 彼らが反射的に後ろを振り返り、突き出された剣を弾き飛ばした。
 忍こむように部屋に入っていた、僕たちの味方の悪魔が二体、そこにいた。
 彼らは得物を失い、それでも格闘の構えを取る。だけど、見るからに頼りない。
 シリュウの相手をしていた悪魔二人は、乱入者を無視して、即座にシリュウに注意を戻そうとした。
 この一瞬、彼らはシリュウしか見ていなかったのだ。
 だから、僕の炎が彼らの目を焼くことができた。
 魔法を拒絶する障壁がこの一瞬、緩んでいた。
 二体の悪魔が絶叫し、目を抑える。指の隙間から煙が細く揺れた。
 怒号を上げつつ、視力を奪われた悪魔がデタラメに片手を降り、その手の先から放射される見えない力が、観察室の全てを破壊し始める。
「よし!」
 シリュウが味方の二体の悪魔に駆け寄りつつ、こちらを見る。
「やれ!」
 僕は炎で実験体を焼き払う。シリュウは、二体の悪魔の魔法を、魔剣の一振りで無効化し、瞬く間にこの二体を切り捨てた。胴を輪切りにされては、彼らも生きてはいられない。
 僕の炎が実験体を焦がし、やがて、火がついた。
 ふと、研究者の一人が、実験体の一つに駆け寄り、何かをしたのが見えた。僕は駆け寄り、研究者を引き剥がす。
「逃げろ! 死にたいのか!」
 研究者は明らかに正気を失っていて、何かを喚いている。
 何を言っているのか、さっぱりわからなかった。
 諦めて、僕はシリュウの方へ戻ろうとした。その時、背後で何かが動いたのに気づいた。
 振り向くと、実験体のうちの一体が、床に倒れこんでいる。
 磔になっていたのに? 反射的に壁を確認した。
 実験隊の手足を拘束していた金属が、引きちぎられていた。
 でも、なぜ?
「下がれ!」
 シリュウが僕の襟首を引っ張り、僕の鼻先を何かが走り抜けた。
 倒れこんだ僕の目の前で、シリュウの剣が何かを受け止めた。
 実験体の片手だった。長さが倍以上に伸びている上に、その指が硬質化し、鋭角に変化している。
 あの研究者か。
 実験体を、解放したのだ。
 炎に包まれる観察室で、僕たちは実験体と向かい合った。
 実験体が顔を上げ、こちらを見る。灰色の肌、こけた頬、赤い瞳は爛々と輝き、瞬間、その体がぶるりと震える。
 そして背中から、肩から触手のようなものが伸びる。
 触手かと思ったが、その先が割れると、近くの研究者に食いつき、そのまま飲み込む。
 僕は触手を炎で焼き捨て、シリュウは切って、後退。
 僕たちの援護に来た二体の悪魔も触手から逃れようとしたが、回避が不完全。一体が肩に食いつかれ、もう一体は腕を噛まれている。
 肩を噛まれた方が引っ張られ、そのまま足が地を離れてしまう。 
 シリュウの剣が一閃、その触手を切断。もう一撃で、もう一体の悪魔に食いついていた触手も断ち切る。
 だが、これで終わらなかった。
 二体の悪魔の体に残った触手が形状を変え、悪魔を飲み込む。
「くそ、なんだ、これは!」 
 二つの灰色の有機質の塊を前に、さすがのシリュウも怒声をあげる。
 目の前で灰色の塊が人の形になっていく。
 それをシリュウが二本の剣で細切れにした。二体ともだ。
 もう助からない、と判断したのだ。僕も同じ判断だった。おぞましさに引きづられるように、僕はそのシリュウが切った残骸を炎で焼いた。
 一方、実験体の本体は無数の研究者を飲み込み、床に転がっている、シリュウが切った二体の悪魔の死骸さえも飲み込もうとしている。
「これは手がつけられないぞ」
 僕と一緒に部屋の出口ににじり寄りつつ、シリュウがこちらを見る。
「ここは撤退するべきだと思うが、どうかな」
「賛成に一票」
「俺も賛成に一票だ。満場一致で撤退だ」
 僕とシリュウは通路に飛び出し、ドアを閉めた。そして通路を駆ける。通路はもう煙が充満していて、見通しが悪い。僕たち以外にも、方々で仲間の悪魔たちが火をつけたんだろう。
 連合軍の兵士、研究者が混乱をきたし、それはこちらに有利だった。
 撤退経路を走って、集合地点へ向かう。途中で五人ほどの悪魔と合流できた。
 集合地点には、十五名ほどが集まっている。隊長のワバもいる。悪魔たちが戦死者の報告をする。シリュウも二人分を報告した。
「これで全部だな。撤退する」
 僕たちは密集し、ワバと数人の悪魔が転移魔法を発動させた。
 激しい感覚の混乱。それも一瞬だ。
 周囲の景色が突然に変わり、水平感覚が喪失。片膝をついて、僕は周囲を意識した。
 そこはもう悪魔の拠点だった。
「やれやれ」
 僕の横に立つシリュウが、座り込む。
「とんでもないものを見たな」
「まったくだよ。あれが、例の契約者かな」
 ワバが歩み寄ってくる。
「作戦は失敗したんだな?」険しい目元で問いかけてくる。「お前たちが本命だったが、どうだ?」
「失敗した。報告書を後で書くよ」
 シリュウが応じると、ワバも片膝をついて、視線を合わせた。
「何を見た?」
「気分が悪くなるような奴だ」シリュウが応じる。「あれは生物ではないな」
 生物ではない? ワバが顔をしかめる。
「そうだ、あれは生物を元にはしているが、全く別の存在だろう」
「悪魔でもないのか? 魔獣とも違うのか?」
「あの実験体には常識が通じないな、どうも」
 そこまで言って、シリュウがニヤリと笑った。
「ただ、いい話もある」
「なんだ? ぜひ聞きたいな」
「あの実験体は、コントロールすることができなければ、連合軍は勝手に滅びる」
 そんなことか、とワバが呆れた顔になった。
「それくらい、用意されているさ。報告書を待つよ」
「面白い報告書になると思う」
 ワバが離れて行ってから、シリュウはやっと立ち上がった。僕も立ち上がる。
「あの実験体は」僕はシリュウに囁く。「契約者というだけじゃ説明できないよ」
「魔法や法印、科学技術、全てが注ぎ込まれているんだろうさ。少なくとも、さっき見た感じでは自律している感じでもない。まだ未完成なんだ。これも報告書に書くが。あとは悪魔の連中が考えるさ」
 シリュウが僕の肩を叩く。
「腹が空かないか? 飯にしようぜ」
 シリュウはとにかく、食事が好きだ。
「さっきの今じゃ、さすがに食欲が出ないよ」
「それでも食べれるときに食べておけよ。探索士の基本だろう?」
 相当、シリュウの肝は太いらしい。
 食堂に行って、シリュウと僕は食べ物を前にして報告書のための打ち合わせをした。僕は飲み物だけだけど、シリュウはガツガツと様々な料理を食べていく。
「悪魔の料理も悪くないな」フォークを口に運ぶ。「どこかに店を出せば、客も来るだろう」
「人間の領域に悪魔が出店する? それはすごい無茶だな」
 そうかな、とシリュウは食事を続ける。
「人間と悪魔がいつまでもいがみ合ってるのは、利がないとも言えないか? こうして俺たちがここにいるってことは、人間と悪魔は分かり合えることの証明でもある。そうじゃないか?」
「人間全部がそうは思えないと思うけど。悪魔に身内を殺された人もいるわけだし」
 ふむ、とシリュウが頷く。
「それは向こうも同じだ。だから、身内を殺された、というのは、耐えるしかない。そもそも殺された人間も悪魔も、二度と蘇ることはない。もちろん、特大の悲劇であることは変わらないが、それでも、前を見る必要はある。どこかで割り切る必要が」
「そこまでドライになれる人は珍しいよ」
 僕は今まで、黒の領域で死んでいった仲間を思い出した。姿や声が曖昧な奴もいれば、はっきりしている奴もいる。
 そういう連中が、今、こうしている僕を見たらどう思うか、想像しようとした。
 でもそれはうまくいかなかった。それもそうだろう。想像の中にしか、彼らはもういないんだから。
 僕は飲み物を飲み干し、席を立った。
「早く休むよ。報告書は任せていい?」
「そうか」シリュウが食事をしながら言う。「ゆっくり休めよ。まだ始まったばかりだ」
 僕は食堂を出て、ぶらぶらとその悪魔の拠点を歩いた。
 自然光に近い照明、綺麗に処理された床、壁、天井、綺麗な空気、静けさ。
 悪魔のイメージとはかけ離れている。そもそも人間界における悪魔の印象づけが、何者かに操作されているのだろう。
 そうでなければ、人間は悪魔をそこまで憎めないのかもしれない。
 自分たちと同じように愛情や友情、正義や悪を理解し、同じように喋り、同じように食べ、同じように眠る。
 そんな存在を、徹底的に憎むことは、果たして人間にできるだろうか。
 相手にも人間と近いものがあることを知ったら、人間は戦えないのではないか。
 僕は戦いのない世界を考えてみた。
 悪魔と人間が共存する。
 不可能だろうか?
 不可能ではないのではないか。
 僕は考えながら通路を歩き、こちらを見る悪魔に会釈してみた。誰もが穏やかに笑みを返してくれる。
 僕たちはこんな存在を、憎んでいたのか。
 その日は自分の部屋の寝台で、ぐっすり寝た。
夢の中で、戦友の姿を見た気がした。







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