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第六章 聖都陰謀画策編

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 ギールの執務室は、大聖堂の第四層にあった。この上には第五層があるだけだ。
 夜の聖都が窓の向こうに見えた。きっと、わざとカーテンを閉めていないんだろう。
「人類で最も平和な街です」
 そう言ったギールが窓際に歩み寄る。シリュウもその横にいる。僕は一歩下がっていた。
 シリュウは鼻を鳴らして、窓の外を眺めている。
「前とはだいぶ変わっているよ。この光景には、懐かしさはないな」
「八英雄の一人だとか?」
 淀みないギールの口調に、シリュウは堂々と応じた。
「そうらしいが、俺はそれを誇る気はない。今はただの生き残りだ」
「八英雄が今も当時のままで生きているとすれば、どこも自分の味方になって欲しいと思うでしょう」
 そうだな、とシリュウが応じる。
「俺を味方にしておいたほうが安全なのは、当たり前だ。個人の力は集団には遠く及ばないが、しかし個人の名声は集団を統率することができる」
「自信家ですね、あなたは」
「そういう例が多い、というだけだ。俺には名声はないさ。忘れられた、一人の戦士」
 ギールが窓際を離れて、大きな執務机に歩み寄る。シリュウはまだ窓の外を見ていた。僕はギールを視線で追う。
 今、この部屋にはシリュウと僕、ギール、彼の二人の部下しかいない。
 僕は帯剣していないけど、シリュウとギールの部下は剣を下げている。ギール自身は武器を帯びているようには見えない。
「あなたに太天位の称号を引き継がせる動きは私も知っています」
 椅子に腰掛けながらのギールの声に、シリュウは無反応。
「七人委員会は明日の午前中に議論を重ね、午後には結論を出すでしょう」
「あんたの目から見て」
 やっとシリュウが振り向いた。その瞳には、射抜くような光。
「俺は天位騎士になると思うか?」
「御前試合は残念ながら、観戦できませんでしたが、それでも、噂は十分に聞こえています」
 どんな? とシリュウが短く問うと、ギールは微笑みを浮かべた。
 穏やかな、包み込むような笑み。
「剣聖にもなれる技量」
 シリュウが首を振る。
「噂なんて、その程度か。あんたはそれを信じてはいまい?」
「剣聖殿の剣を、私はよく存じている。いかに八英雄といえども、拮抗できるものではない」
 それはシリュウにとっては正確な観測だったらしい。ゆっくりと歩いて、ギールの前へ進み出る。二人の部下がわずかに立ち位置を変えたのがわかった。
「俺の剣を試してみるか?」
「私はもう戦士ではありません」
 ギールがそう言ったまさにその時、シリュウの両腕は剣を抜き放っていた。
 同時に複数の風が鳴る。
 シリュウの剣は二本とも、ギールの首に触れる寸前で止まっている。
 しかしシリュウにも、二本の剣が突きつけられていた。
 シィルと、もう一人の部下が、シリュウと同等の速度で動いていた。
「剣を持ってこの場にいる」平然と、何事もなかったようにシリュウが言う。「つまり、この二人も天位勲章の受賞者ってわけだ」
「その通り」
 ギールもやはり、動じていない。首元の剣などないように話す。
「二人とも、元は連合軍の兵士だったのを、私が招き、武官としました」
「そういうあんた自身の出身を聞いていないな」
 その質問に、ギールは国名を一つ挙げた。僕は記憶を探り、それが連合の一部とどうにか思い出した。それくらいの小国だ。
「よく知らない国だな」
 正直なシリュウの言葉に、ギールも苦笑いを見せる。
「私も兵士でしたが、生まれた家は商家だった。軍役を終えた後、その家で経済を学び、政治に触れ、ここに来ました。二十年前のことです」
「あんたは兵士より政治家が向いているよ」
 そう言って、シリュウが剣を引いた。シリュウを牽制した二人も剣を引く。
「それで首長閣下は、どうしてここに俺を呼んだのかな?」
 剣を背中に戻したシリュウに、ギールはわずかに身を乗り出した。
「あなたは連合軍によほど恨まれているらしい」
    ギールが静かに言う。
 なるほど、僕にも話が見えてきたぞ。シリュウも当然、察している。
「ここに来る途中、どこかの間抜けが攻撃してきた。そちらさんに被害者が出たはずだが?」
「十人ほどが犠牲になりました」
「その犠牲を出した連中を俺はそちらに引き渡した」
 どうやらシリュウは暗に、確保した連中も犠牲になっただろう、と問うているのだ。
 そのことはギールも承知しているようだった。しかし、詳しくは口にしない。
「取り調べの結果、彼らは連合軍の兵士でした。正確には、元兵士、ですが」
「退役兵か?」
「違います。任意除隊です」
 これは、やや悪い方へ話が進んできた。僕とシリュウの緊張は、ギールにも伝わっているだろう。極めて自体は逼迫していると言わざるをえない。
「任意除隊、ということはだ」シリュウが顔をしかめた。「俺たちを襲うという犯罪行為を行わせるために、わざと除隊させたってことだ。任意は任意だが、大きな報酬を約束されての、任意除隊としか思えない」
「私もそう思っています。連合軍は自分の兵士を、自分たちと関係が切れた形にして、送り込んできている。つまり、本気であなたたちをどうにかしたいのでしょう」
 どうにも僕にも解せないところはある。
 連合軍と揉めたことはある。例の地下の一件で、やや複雑な関係になった。あれ以来、リーンでも連合軍とは関わらないようにして、その関係も忘れられてきているはずだった。
 もちろん、連中がそのことを唐突に思い出し、何らかの認識に飛躍があり、僕たちを危険視し、さらなる飛躍によって、即座の暗殺を決意させた、ということもある。
 ただ、どんな飛躍がそれを現実にするだろう。
「心当たりはあるな」
 堂々とシリュウが言った。思わず僕が「え?」と声を漏らすほど、堂々としている。
 呆気にとられた僕に、シリュウが視線を向ける。
「ここに呼ばれたことだ」
「つまり」ギールが頬を手で撫でた。「聖都へ召喚されたことが、引き金だと?」
 そう言われても、僕は納得できなかった。
 別にリーンを離れて聖都に行っても、連合軍には何の不都合もないだろう。
 ……いや、そうか、あるいは。
「天位騎士に就任するのを嫌っている?」
 僕の言葉にギールが頷いている。シリュウは天井を見上げた。
「それでも飛躍がありすぎる気がするけど」僕は考えつつ話した。「何をそこまで警戒する?」
「そもそもだ」
 シリュウが唸るように言う。
「聖都からの使者とここへ向かう途中で襲われた、これがおかしい」
「早すぎるというのですね?」
 そのギールの指摘は、確かに的を射ている。
「使者はゆっくりとリーンに入ってきた。移動の最中に追跡された?」
「追跡は可能でも、使者の意図までは読めないはずだ」
 指摘したシリュウはすでに結論を出しているようだった。
「使者がリーンに向かうこと、俺に会うこと、さらに言えばおそらく聖都に向かう日程まで、読まれていたんだ」
「それは……」
 黙り込んだギールに代わるように、シリュウが可能性をはっきりさせた。
「聖都の内部に、連合軍に情報を漏らしている者がいる。正確に言えば、連合軍に情報を流し、かつ、それを操っているのだろう」
「え? え?」
 僕の理解は追いついていなかった。
「つまり、連合軍は駒にされているってこと?」
「連合軍が本気で俺やアルスのような小物を相手にするわけがないだろう」
 ……小物って、それはそうだけど。
「本当の狙いはもっと別にある。デカイ目的が」
「どうやら、聖都の側があなたに迷惑をかけているようですね」
「ここに来ると決めたのは俺だ。気にする必要はない」
「しかし、放っておくわけにもいきません」
 そりゃそうだ、と軽い調子でシリュウが言う。
    どうも、僕は置き去りである。必死に理解しようとする。
「俺が狙われる理由がわからない。それをそちらさんで、秘密裏に調べて欲しいな。残念ながら、俺もアルスも、聖都には何の地盤もない。情報網もない。全くの無力だ」
「ええ、それは、心得ています。私の方から、密かに動きましょう」
「頼むしかないな。ついでに、こっちのアルスが狙われている可能性も探ってくれ」
 僕はそんな大物じゃないけどな、シリュウがさっき言ったけど。
「このアホヅラでも、もしかしたら何か価値があるのかもしれない」
 言い過ぎじゃないか? さすがに。
 その場でシリュウはギールと短く打ち合わせをした。
「七人委員会の予定を早める権利は私にはありません、首長と言っても、政治的な判断を独断では行えない。議会の議長のようなものです」
「議会と七人委員会、よく併立できるな」
「分野をそれぞれに分けて担当しているだけです。剣聖や天位騎士に関する決定権は、七人委員会です」
 ふむ、とシリュウが頷く。
「それで、予定は変更できないわけか」
「七人委員会は予定通り、明日、議論の末、あなたへの評価を出します。これを私の権限で変えるのは難しいでしょう。もちろん、時間が何よりも欲しいのは事実ですが、下手な動きでは警戒されるかもしれない。とにかく今は、こちらを愚鈍に見せるべきかと」
「確保した襲撃者に対して何もしてないと思うわけがないから、何の報道もないのは、逆に警戒されないかな」
「明日の朝の新聞に記事を載せるように手を打ちましょう。それで、相手もこちらの動きを少しは知ることができる」
「内部にいる何者かが真実を知っていれば無意味だが」
 ふむ、とギールが腕を組む。
「今はそれを考えても、仕方ありません。内部に間諜がいるのは間違いない。ただし誰かはわからない。できることはその何者かを欺くよりも、その何者かを暴くことでしょう。それが最短距離であり、今の私たちには最短距離を選ぶ以外の選択を許される時間的余裕がない」
 難儀なことだな、とシリュウがまた天を仰ぐ。
「こういうの性に合わない」
 苦笑いしたギールが「そのようです」とさらりと受け流した。
「明日の朝、連絡を入れさせます」
 ギールの言葉に、僕は時計を確認した。今、二十二時に近い。明日の朝まで八時間ほどか。実際、それだけの時間でどれだけの調査が進むか、僕には想像できなかった。シリュウも同じようで、彼に至っては時計を見もしなかった。
「任せる。宿舎の場所と部屋番号を伝えておく」
 シリュウの言葉を受けて、ギールは自らメモにペンを走らせた。
「では、明日、吉報を祈って」
 その言葉で、ギールの部下が執務室のドアを開けに向かう。シリュウは頷いて、ゆっくりとそちらへ歩み寄った。
「そちらさんの名前は?」
 ドアを開けているギールの部下にシリュウが尋ねた。シィルではない、名前を知らない方だ。僕はシリュウの後ろから、彼を伺った。
 冷静な表情、目元を細めて、控えめに笑みを見せる。
「デモスと申します」
 うん、と頷いてシリュウが廊下に出た。背後でドアが閉まる。
     彼らも転位勲章を持っているのだな、と僕は考えていた。聖都には良い人材が揃っている。
 ドアの外には、ファルカが待ち構えていた。
「剣聖様が心配しておられました」
 その言葉に、シリュウは頷いてから「帰ろう。眠い」と言った。帰ろうにも大聖堂の中さえもはっきりわからないので、ファルカが先導する。何せ大聖堂は本当に巨大な建築で、その上、侵入者を混乱させるためだろう、複雑な構造になっている。
「何か召し上がりますか?」
 大聖堂を出て、ファルカが尋ねてきた。
「早く眠りたい」
「では、少しは酒を?」
「昔から酒無しでもよく眠れる」
 そんなことを言いつつ、大聖堂の前の通りに来たので、ファルカが馬車を止めようとした。それをシリュウが断る。
「少し歩く。昔の聖都の夜を思い出したい」
 ファルカは頭を下げて、「では、明日、お迎えに参ります」と言った。
「昼間に来てくれればいい、午前中は暇なんだろう?」
 あくまで軽い調子のシリュウ。ファルカはどこか恐縮したようだった。
「午後には、七人委員会から通達があります、はい」
「その時、一緒にいてくれればいい。大聖堂の中は迷路だ」
 短く挨拶を交わして、ファルカは去って行った。大聖堂へ戻るらしい。何か仕事が残っているんだろう。
 僕とシリュウは夜の聖都に踏み出した。
「来るべきじゃなかったな、これは」
 僕だけに聞こえるようにシリュウが言う。周囲には夜を楽しんでいる住民が溢れている。本当に賑やかな街だ。リーンとは比べ物にならない。
「まぁ、悪くもないよ」
「どこがだ?」
 訝しげなシリュウに僕は笑みを返していた。
「シリュウの凄さがわかったし、この街を見れたのも、いい経験だと思う」
「アルスは意外に能天気だ」
 苦々しげなシリュウの言葉。
 本当のことを言ったけど、さて、伝わったか、どうか。
「昔の聖都の夜とどこが違うの?」
 僕はわざと話題を変えた。シリュウは周囲を見て、すぐ答えた。
「灯りが増えたな。今はちょっと眩しく感じる。昔はもっと薄暗くて、秘密めいていた」
 秘密めいていたとは、また、詩的である。
「どっちが好き? シリュウは」
「そうだな」
 彼もこちらに笑みを見せる。
「どちらも悪くないな。ここにいると、平和とやらを錯覚できる」
「錯覚じゃないと思うけど」
「錯覚さ。世界から争いが消えたことは有史以来、一度もないだろう? その平和と呼ばれるものを自分が生み出し、維持して、ここが作られている、と感じるのは錯覚だろう」
 そう言われても、やっぱり錯覚とは思えなかった。
「シリュウが戦った意味が、ここにあるんじゃないの?」
「確かに俺は戦った。だけど、そんなの微々たるものだ。もっと大勢が戦って、命を落として、絶望を経験し、悲劇に見舞われ、それでもどうにか、立ち直って、また戦い、最後には自己を犠牲にして、ここがある」
「難しく考えすぎだと思うけど」
 シリュウはもう僕を見ないで、前を見ていた。
 まるで聖都を見透かすように。
 その影にあるものを、探るように。
「もしかしたら、お前みたいな考えが普通になるために、俺たちは戦ったのかもな」
 そう言われても、どう返せばいいか、わからないんじゃないか。
 結局、僕は何も言えずに、シリュウの横に並んで、夜の聖都を歩いた。
 信じられないほどの人が、生きている。
 少しも脅かされることなく。
 それが誰の功績か、考えたけど、やっぱりはっきりとはしなかった。
 ただ、シリュウだって、大きく貢献したはずだ。
 それだけは間違いない。




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