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第四章 即席師弟編

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「ちょっと良いものを食いすぎたな」
 黒の領域に入って三日目、探索行も折り返しを過ぎた辺りでシリュウが言った。
 ちょうど昼で、休憩の時間に携行糧食を食べていた。
「同じことを思ったよ」
 そう応じつつ、自分たちの状況を確認する。
 ここまで大きなトラブルはない。悪魔はほどほどに現れ、倒せるだけ倒した。首を持って帰ることで小遣い稼ぎできるけど、それはしてない。
 今回の探索行の最大の目的は、クルーゾーに剣の材料になる悪魔の武具を一定量、確保して渡すことになっている。シリュウの剣を手入れしてもらう代金の話になった時、クルーゾーの方からそういう提案があった。
 クルーゾーという男は、決して富裕とは言えないのに、金を求めるような気配がない。
 良い剣を良い使い手に提供する、それが彼の目標のようだった。
 なので、僕たちは悪魔の武具を大量に抱えて、これからそれをリーンに運ばないといけない。
「あの娘と暮らすとなると、部屋が狭いな。そして俺も邪魔だ」
 僕は無言で足元の石を拾って、投げつけた。ひょいとシリュウは避けた。
「そう思わないか? 俺としても、いつまでも厄介になっても、仕方ないと思えてきた」
「もし本当にそう思っているのなら、別の言い方をするんじゃないか?」
「その通り。冗談だ」
 もう一回、石を投げた。今度は少し大きいものを選んだけど、避けられた。
 それにしても、メリッサの料理を毎日、食べていたせいで、携行糧食が味気なく感じる。そもそも持ち運びと少ない量でも力が出るように作られているから、味は二の次だ。そして僕が用意したものは、値段を重視したせいで味が悪い。
 まったく、贅沢になってしまった。
 僕とシリュウはいくつかの展開について打ち合わせ、確認した。そして荷物をまとめて、歩き出した。
 今日の夕方には同盟軍の利用する道路に出て、それからはそこを進む。今回は傭兵部隊と話をつけてあり、その補給部隊に拾ってもらえるようにしていた。今回はとにかく、荷物が多い。準備しておかないと、立ち往生するかもしれなかった。
 全てが予定通りに運んだ。
 悪魔と三回ほど遭遇したが、下級悪魔の少数の集団で、シリュウが飛び出して行って、瞬く間に潰走させた。その度にさらに武具が手に入り、荷物が増えた。
 最終的には荷物がやや限度を超えたけど、道路にたどり着けた。ほとんど間を置かず、荷馬車が近づいてくる音がして、夕日の中にそちらを見ると、黒の領域から赤の領域へ向かう馬車が走ってくるのが見える。
 拾ってもらって、激しく揺れる荷台に寝転がって夜を明かし、明け方にはデリア砦に到着した。嫌な思い出も、徐々に消えつつある。
 眠かったけれど、リーンとの定期便の乗り合い馬車にすぐに乗り換えた。荷物が重い。定期便を運行している交通会社が、荷物が多すぎることを理由に追加料金を求めてきた。渋々、払った。交渉するほどの気力はなかった。
 馬車が走り出す。赤の領域だけあって、しっかりと石畳で舗装されており、揺れもひどくない。椅子に背を預けているうちに、うとうとした。
 目覚めると、シリュウが向かいの席で、窓の外を見ている。
 その視線に、何かを感じた。
 何か、だ。何かは、わからない。悲しみ、切なさ、無力感、悲壮感、そういう言葉が浮かぶけど、当てはまる気がしない。
 虚無、とでも言えばいいのか。
 じっと、外を見ている。でも何も見ていないような。
 僕はその様子を見ていることが、何か悪いことをしているようで、すぐに瞼を閉じた。
 馬車がリーンに到着した。大量の荷物を降ろし、誰かに依頼するのも面倒で僕とシリュウで背負って、直接、クルーゾーの元に向かった。
 彼の工房はリーンの外れにある。しかししっかりとした建物で、そこが彼の変な一途さとはズレを感じさせる。要はクルーゾーの人柄からすると、建物の良し悪しなんて気にしない、と思えるわけだ。
 建物の中に入る、そこが彼の作業場の全てだ。
 仕切る壁はなく、ごちゃごちゃとしている。僕たちが入ると、クルーゾーは何かの帳簿を書いているところだった。こちらを向いた彼と視線がぶつかった。
「アルスとシリュウか。どうなった?」
 怪我はなかったかとか、そういうことを言う人格ではない。
 僕たちは空いているスペースに荷物を全部下ろした。クルーゾーも帳簿を置いて、歩み寄ってくる。そして僕たちが手に入れた悪魔の武具を漁り始めた。
「ガラクタのように見えるな。そうは見えないか?」
 そんなことをクルーゾーが言うが、僕もシリュウも無視する。この男の人格は一筋縄ではいかない。
 そのうちにクルーゾーは大雑把に武具を分類し、立ち上がった。そして壁際の戸棚へ行くと、瓶の中に入っていた金貨を一枚、取り出してこちらへ放った。
「それが謝礼だ。シリュウ、剣を見せろ。見てやる」
 僕は金貨を受け止めた。シリュウは剣をクルーゾーに渡す。クルーゾーは剣を凝視して、そこらに転がっていた道具を手に取ると、ちょっと剣を叩く。何回か頷きつつ、叩いていた。
 何がわかるのかは、僕は想像もつかない。
 やがて道具を放り出すと、工房の奥にある砥石に向かい、そこで剣を少し研いだ。悪魔の剣を研げるというのが、この男の売りの一つである。
 そのうちに剣が磨かれて、シリュウの手元に戻った。
「良い剣だな、やっぱり。俺もこういうのを作りたいよ」
 そんなことを言って、クルーゾーはまた帳簿に戻った。僕たちが礼を言って去ろうとする時も彼は顔を上げなかった。ただ手を持ち上げた。素晴らしい意思疎通。
 二人で一旦、部屋に帰った。それから風呂屋へ行き、垢を落とした。
 メリッサの軽食屋へ行こうかと思ったけど、とにかく、疲れていた。シリュウも何も言わないので、その日の夕飯はあるもので済ませ、早めに休んだ。
 翌朝、僕が起きた時には高い位置に太陽があった。外に出るとシリュウは剣の稽古をしている。もちろん、一人だ。真面目というか、努力家だ。
 朝食を済ませると、僕は仕事の完遂の報告書を書きに紹介所へ行った。手続きはすぐ終わる。僕の信用度数は少しはまた上向くはずだ。
 シリュウとはメリッサのいる軽食屋で落ち合う予定になっている。僕は予定より早かった。でも店が閉まっているわけじゃないし、待たせて貰えばいい。
 そんなわけで僕は一人で店に入った。いらっしゃいませ、と言いつつ、メリッサがこちらを振り向いた。その顔に驚きが広がる。そして身を翻して、厨房の方へ行ってしまった。
 逃げられた?    ちょっと傷つく。
 少しすると、メリッサが水の入ったグラスを持って、戻ってきた。
 注文しようとして、彼女の顔に何か、不吉なものを感じた。なにがあったか、聞こうとする前に、彼女が囁いた。
「トウコちゃんが……」
 小さな声だ。聞き取るのが難しい。だから僕は続きを待った。
「行方不明で……」
 トウコが、行方不明?
 メリッサは立ったまま、ポツポツと話した。
 トウコが加わっていた一座は、リーンを出てから、赤と黒の境界線に近い砦へ興行に行ったらしい。そこから傭兵団に誘われ、黒の領域にある前線基地の慰問をすることになったが、その基地が悪魔の襲撃を受けた。それがメリッサの説明だった。
 傭兵の前線基地は、砦などとは違い、それほど防御力はない。攻めのための拠点であり、支配地域の確保や防御は連合軍か同盟軍が行うのが普通だ。
「生き残りがいるんだね?」
 僕の問いに、彼女は一回、頷いた。
 それ以上は何も言えないまま、僕は考えを巡らせていた。
 そこへシリュウがやってきて、同じテーブルを囲んだ。雰囲気に何かを感じたらしいシリュウが、メリッサの方を見る。メリッサはさっきと同じ説明を繰り返す。
 シリュウの表情は、まるで仮面のように変わらなかった。
 メリッサは他の客に応対するため、離れていった。僕はシリュウを見た。
「どうする?」
「俺はどちらでもいい」そっけない返事。「アルスはどうしたい?」
「現場を見たい、そもそも、詳細がわからないな。ただ、生き残りがいるということは、その誰かしらが帰ってくるだけの時間が過ぎている。それを考えれば、助けに行く、というのは現実的じゃない。助かっているとは、思えない」
 その通り、とシリュウが応じた。
「黒の領域に放り出されて、生き抜けるわけはない。普通はな。ただ、重要なのは、基地が落ちたのかどうかだ」
 それは確かに、大きい要素だ。
「シリュウは、誰かが基地に残って、生き延びている、と言いたいの?」
「俺の考えでは、八割方、全滅だ」
「二割の可能性で、生存者がいる、か」
 僕は口を閉ざして、考えをまとめることにした。詳細な情報が必要だけど、それは手に入るはずだ。その情報を精査して、やっと実際に動ける。
 でも、それでは遅い。
 無理をしてでも、動くしかない。
 メリッサがやってきたので、僕は彼女に、傭兵部隊の生き残りのことを聞いた。
 まずは、そこからだ。急がないと。


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