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第四章 即席師弟編

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 予定通り、僕とメリッサは大道芸人が集まっている通りに繰り出した。
 すでに夜で、街灯が灯っているのと、大道芸人の一座が様々な明かりを用意していて、かなり明るい。
 メリッサは仕事からすぐ出てきた、という服装だった。小綺麗で、さっぱりしている。
 その格好の方が、気楽で助かる。
 二人で通りを歩いて、屋台を巡った。
 僕の手元には揚げ物と、焼いた麺の入った容器がある。メリッサは大きなアメを舐めていた。まるで子供だというと、意外に酒と合う、と言い出して、その組み合わせはちょっと怖い。
 トウコが出てくるまで、いろいろな大道芸人を見た。前に見た火を吹く男もいるし、軟体動物のような男もいる。手品も手元で行うものから、大きな道具を使うものもあって、楽しい。
 猛獣が入った檻があり、メリッサは怖そうに覗き込んでいたが、進み出た男が檻の中に入り、その猛獣にべたべた触り始めた時は、彼女は本気で青ざめていた。
 彼女とは話もしたけど、シリュウのことやトウコのことはほとんど話さなかった。
 お互いの家族のことや生い立ちを話した。僕の話はそれほど面白くもない、むしろ暗い話だが、彼女は違う。
 賑やかな家族。賑やかな客。そういうものが彼女の世界の中心だった。
 僕が今年で十九と話すと、彼女は自分は二十歳だといい、悔しがったりした。
「私のことを呼び捨てにするの、失礼じゃない?」
「一つの差なんて、ないも同然だと思うけど」
 そうね、と彼女は笑った。
 僕も最近、こんな華やいだ人が近くにいたことがなかったので、少し浮かれていた。
 友人は何人かいるけど、大抵は探索士で、街の外に出ているか、あるいは、街にいても仕事の話ばかりになる。仕事の話、というのは、血生臭い話、ということ。
 メリッサにはそういうところはない。
 時間が近くなり、僕とメリッサはトウコがいる場所へ向かった。すでに人だかりができている。その中に僕たちも並んで混ざった。
 先に芸を披露していた女性が下がり、入れ替わりにトウコが出てきた。
 前とは違い、二本の剣を持っている。
 そして彼女が動き始めた。
 やはり、惚れ惚れするような、鋭く、優美な動き。
 複雑な曲線を意識させる回転の連続と、激しさを感じさせる縦の動き。
 何より、その身軽さが、まるで鳥のようだ。
 緩急を織り交ぜて、剣舞は続いた。
 最後にぴたりと動きを止め、トウコが頭を下げる。
 拍手が起こり、トウコはもう一度、頭を下げた。
 僕はメリッサの手を引いて、観客の輪を離れた。
「お話ししないの?」
 その場から離れがたい口調でメリッサが言う。
「明日、言えば良いさ。やっぱり、こっそり見るべきじゃなかったかもしれない」
 僕の言葉に、メリッサが体を強張らせた。
「どうして? どうして、見に来たことを後悔しているの?」
 言葉にはならなかった。
 ただ、演武を見ているうちに、それがトウコが本当にやりたいことではない、と感じた。
 本当の彼女、本気の彼女は、まったく別なんじゃないか、と思った。
「あれは、トウコの本当の姿じゃない」
 そういうと、メリッサは不思議そうな顔になり、何かを考え込んだようだった。
 僕たちはゆっくりと歩き出し、自然と、軽食屋の方に足は向いた。
「あんなに美しいのに」
 だいぶ経って、メリッサが言う。さっきの話だろう。
「あんなに美しいのに、本当の姿じゃない、そう言うの?」
「彼女の剣は、見世物じゃない、と思った」
 思わず立ち止まってしまった。
 そうだ。見世物じゃない。
 僕の剣は、僕の戦いは、見世物じゃない。
 シリュウだってそうだ。実際の命を、本物の剣で、やりとりしている。
 人を楽しませるためじゃない。
 人を笑わせるためじゃない。
 きっと、人を幸せにするためでもない。
 ともすればマイナスになろうとするものを、どうにかゼロにしている、そういうものだ。
 トウコが望んでいるのも、そういう場なのかもしれない。
「わからないわ」
 メリッサが呟くように言った。そしてこちらを覗き込んでくる。
 その瞳は、少しの汚れもない。
 誰かに守られている、瞳。
 美しい。
「わからない。どういうこと?」
「僕たちの手は、血で汚れて、初めて何かを得ることができる」
 自分でも、いい加減なことを言っていると思った。まるで物語の受け売りだ。
「でも、悪魔の血でしょう?」
「同じだよ。命を奪って、やっと生きていることを証明できる。僕もシリュウも、そういう人間なんだ。剣術を極めたいわけじゃない、戦闘術を高めたいわけでもない、強い部下を持ちたいわけでもない。遊びじゃないんだ」
「遊びじゃないのは、わかるわ」
 僕はまだ、メリッサの瞳を見ていた。
「遊びじゃない。何も、遊びじゃないんだ」
 やっと僕は引きずり込もうとする思考の渦から、身を引くことができた。
一歩、前に踏み出す。その僕の体が大きく揺れた。
 メリッサが、まるでしがみつくように僕に寄りかかっていた。
「あまり怖いことを言わないで」
「怖くないさ」
 無意識に、優しい口調になっていた。
「もしかしたら、僕は元から怖い人間かもしれないけど」
「そんな人間は、いないわ」
 顎のすぐ下に、メリッサの頭がある。首をひねって、彼女がこちらを見上げた。
 また、瞳だ。
 澄んだ瞳。
「もしかして、酔っている?」
 トウコの演武を見る前に、彼女は一杯だけ、酒を口にしていた。
 その程度で酔うわけもない。
「本気で言っているの。あまり、怖いことを言わないで。約束して」
「探索士と仲良くしたこと、ある? 僕たちは、怖い仕事をしているんだけど」
「それでもこの街は戦場じゃないわ」
 なるほど、一理あると言える。
「トウコを、シリュウの弟子にしたいと、今も思っている?」
 考えずに、その質問が口をついて出た。
 我ながら、鋭い、鋭すぎる質問だった。
 言葉が夜の闇に消えて、完全に消え去った後、メリッサがこちらを見上げたまま、言う。
「そうね、どうしてか、思えない」
 いつの間にか、メリッサの目には涙がたまっていた。
「あの子を、戦いの場には送れないわ。私、何を考えていたのかしら」
「自分のことを自分でもわからなくなる時、っていうのは、僕もあるよ。そういう状態だったことに気づくのは、いつも、かなり時間が経ってからだ。メリッサは早い方さ」
 彼女が顔を僕の胸元に埋めた。僕は抵抗せず、そこに突っ立っていた。
「シリュウさんにも、謝らなくちゃ」
 顔を上げた彼女がそう言った。
 そしてこちらにすうぅっ背筋を伸ばすと、軽く唇と唇を触れ合わせてきた。
 僕はただじっと見ていた。
 彼女が笑っているのが、不思議だった。その顔をやっぱり見ていると、彼女は頬を膨らませて、強めに僕の胸を叩く。
「何か言ってよ」
「いや、特に感想はないね」
「もしかして、遊び人だった?」
 思わず笑い声が漏れてしまった。
「帰ろうか。明日、来るんでしょ?」
「もちろんです」
 僕たちは並んで歩き出した。
 途中でメリッサの手が僕の手を取ったが、黙っていた。彼女も何も言わない。
 そのまま、軽食屋の前まで行って、そこで別れた。メリッサは明るい声で別れを告げて、家の中に入っていく。
 僕が集合住宅に戻ると、シリュウはいなかった。と、思っていると、背後でドアが開いてシリュウが入ってきた。
「わ、びっくりした」
「水を浴びてきた。今、帰りか? どうだった?」
「どうもこうもない。前と同じ」
 ふむ、と頷いたシリュウが僕の横を抜けようとして、足を止めて、じっとこちらを見た。
「唇が赤いな」
 そう言われて、反射的に手の甲で唇を拭ってしまった。失敗に気付いたけど、やっぱり無意識に手の甲を見ていた。手の甲に口紅があるわけもない。
 メリッサは口紅をつけてない。
「色々あったようだが」シリュウがニヤニヤしている。「仕事の手を抜くなよ」
「大丈夫だよ。まだそれほど色々はない」
 シリュウが床に座り込み、横になる。真下から僕を見上げてくる。
「臆病風に吹かれなければ、女もいいだろう」
「これでも何年も今の仕事をやっている」
 シリュウは何も言わずに目を閉じた。
 軽く彼を蹴飛ばしてから、僕は寝る支度を始めた。
 次の日は仕事の準備で家を空けた。黒の領域への討伐に必要な携行糧食を買い集め、小型の浄水器も買ってみた。医療用品も必要なものを買い換えた。医療用品は、前に買ったものを使っていなくても、仕事の度に新しくするのが常識である。
 帰ってきたのは正午になる前で、僕は一人で料理を始めた。シリュウは外に出ていて、何をしているのやら。
 料理が一段落して、僕は外にテーブルと椅子を運んだ。
 珍しいことに、すぐ近くにシリュウがいた。こちらに背を向けて座っている。ただ座っているわけじゃないようだ。前にどこかで聞いた、座禅、とか呼ばれる東方の宗教の何かだ。あれで瞑想するはずだけど、どういう意味かは不明。
 邪魔するのも悪いので、僕は一人で準備をした。
 やがてメリッサがやってきて、持ってきてくれた料理を皿に盛り付けるのを一緒にやった。
 彼女がどこか楽しそうで、それは僕にもありがたかった。シリュウにも軽やかに話しかけている。シリュウの方がどこか苦さを感じさせる表情だ。
 いいざまである。
 料理が全て整い、そこにトウコがやってきた。
「昨日、二人で見に来ていましたね」
 テーブルにつきながら、トウコがいきなりそう言った。僕もメリッサも、慌てなかった。
「応援のつもりで、見に行ったの」
 堂々とメリッサが応じると、トウコも追求せずに、そうですか、と一言でその話題は終わってしまった。
「私がシリュウさんの弟子になる件ですが」
 早速、本題だった。しかし彼女の言葉をメリッサが遮った。
「それは、私の間違いだった、ごめん、勝手なことを言って」
 目を丸くしたトウコにメリッサが拝むような仕草をした。疑う視線をトウコが僕を見るが、僕は笑ってみせるのみ。何かあったとトウコも感じたようだが、しかし、やはり彼女はその話題をそこで終わりにした。
「明後日には、この街を出ます。もう、みなさんともお別れです」
 トウコの言葉に、ちょっとだけ場が静まる。
「なら」僕は三人を見回した。「明日は少し豪華な食事でもして、トウコを送り出そうか」
 メリッサが積極的に賛成を示し、シリュウも頷いた。
「稽古の方も派手にやってやろうか?」 
 そう言ったシリュウを僕とメリッサが同時に叩いた。それが面白かったようで、メリッサが笑い、トウコも笑った。僕も笑顔だっただろう。シリュウだけが、理解できない、という顔だった。分からなくて結構、結構。
 食事は和やかに進み、お茶を飲んで、僕とメリッサは片付け、シリュウとトウコは稽古を始めた。少しの雑談の後、メリッサが切り出してきた。
「二人も、近いうちに仕事に出るんだよね、黒の領域へ」
「そうだよ。それが仕事だ」
 少しだけ深刻な様子になる。
「心配ないよ。いつものことだし。シリュウもいる」
「どれくらいの期間?」
「とりあえず、一週間。前後するけど」
 突然にメリッサの手が僕の手を掴んだ。水で洗い物をしているから、という理由では説明できない、冷たい手だった。
「大丈夫さ」
 僕がそう繰り返すと、彼女は手を離して、洗い物を再開した。
 片付けが全部終わって、僕とメリッサも外に出た。
 シリュウとトウコが向かい合っている。そういえば、今日はシリュウの声が聞こえてきていない。稽古していたはずだけど……。
 見学を始めても、シリュウもトウコも動かない。二人で木刀を構えて、向かい合っているだけだ。しんと静まり返っていて、それが集合住宅を囲む家々や通りの人の気配や些細な音を際立たせていた。
 僕は二人をしばらく観察して、状況がわかった。
 シリュウの奴、弟子にしないようなことを言っておいて、きっちり一週間で仕上げるつもりじゃないか。やれやれ。
「何しているの?」
 メリッサが囁いた。僕も囁き返す。
「向かい合っているだけ。相手の呼吸を読んで、隙があると思えば、そこを打つ。そういう訓練。僕もやったことがある」
「ただ向かい合っているだけじゃないの?」
「あれでなかなか、疲れる」
 結局、二人はさらに三十分ほど向かい合っていて、どちらからともなく、姿勢を解いた。
 その日のトウコの去り際、シリュウが声をかけた。
「明日は全力が出る装備で来い。絶対だ、いいな」
 トウコは頭を下げて、去って行った。
 僕とメリッサには、よくわからなかった。


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