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第四章 即席師弟編

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 黒の領域で一仕事して、砦で休んで、リーンの街へ戻った。
 紹介所へ報告に行き、そこで自分の信用度を尋ねると、四十一だった。
 やっと、平均値に近づいてきた、と思うと感慨深い。
「さっさと飯にしよう。腹が減った」
 シリュウが催促するのに応じつつ、馴染みの軽食屋へ行った。店員が僕たちの姿を見て、驚きの後、満面の笑みに変わった。
 料理が運ばれてくると注文していない品があった。
「お仕事、お疲れ様です」
 店員がそう言って頬を赤らめると、戻って行った。
「モテるな、アルスは」
 シリュウがそんなことを言う。店員はまだ若い女性だけど、あれはどうも、僕ではなくシリュウに興味があるのではないか、といつも思う。
 なんにしろ、まずは食事だ。最初こそ黙って食べていたが、すぐに反省会のようになった。
 シリュウの基準からすると、僕はまだまだ未熟で、全てにおいていたらない、となるらしい。
 このことは前にも話し合っていて、一つずつ課題を設定してクリアすることにした。前は長距離の行軍に耐えられる体力をつけることになり、散々、黒の領域の森の中を歩いたりした。
 今の課題は、戦闘において、よりシリュウと連携することだった。
 僕は簒奪者の力で行使する業火で中距離からの牽制と、撹乱を担当するつもりだったけど、シリュウはどうやら僕にもっと間合いを詰めて、直接的に援護して欲しいらしい。
 僕は剣技をしっかり習ったことはないし、そもそも非力だと思っている。普段、腰にある剣もやや短く、軽いものを選んでいる。
 簒奪者の力を行使できるようになるまでは苦労したけど、それ以降は業火で戦っていた。剣技は余計に不要になり、全く稽古をしなかった。
 そんな僕に、シリュウはここのところ、一日に三十分ほど、剣術を教えてくれる。その三十分の後にもう三十分、自分で稽古するようにも言われて、実際、続けている。
 今回の仕事でその稽古の影響を見よう、とシリュウは最初から言っていた。
 結果としては、下級悪魔を二体、倒した。
 ただ、シリュウは一人で十七体倒しているわけで、つまり、僕はほとんど役に立っていない。
「体がないからな」
 そんなことをシリュウは言っている。
 僕はすでに成長期を終えつつあるけど、背は低い。体の線も細い。
「生まれつきだから仕方がない」
 僕はそんな風に応じた。
 剣術以外にも、戦術について色々と話した。シリュウが何を考えているかわからないけど、僕がレギオンを率いでもしない限り、役に立ちそうもない戦略や戦術も伝えてくる。
 うーん、そんなことが役立つとは、思えないけど。
 食事が終わって、僕たちは教会へちょっと顔を出した。礼拝堂ではハルカがオルガンを弾いているようで、それが応接室まで聞こえていた。
「どうやら落ち着いたようですね、あなた方も」
 そんなことをリッカが口にした。
 出会った直後に、次々と面倒ごとを持ち込んだのを、まだ根に持っているのだ。
「すみませんでした」
 と、謝りつつ、
「何かの時は、手を貸してください」
 と、図々しく付け加えておく。リッカは苦笑いしている。
「あなたたちといると若返りますね。ただ、面倒ごとだけは勘弁してください。もう体力も気力もありませんから」
 長話をしてので、教会を出ると夕方になっていた。薄暗く、街灯が灯っている。
「夕飯もどこかで食べようか? ちょうど懐も潤っている」
「どこかの屋台で何か食おうぜ」
 二人の足は自然とリーンの中央通りに向かった。広い通りには相応の人通りがある。武装しているものがほとんどだ。この光景を見ると、リーンは戦場に近いんだな、と遅れて気づく。
 自分が黒の領域にいる時は、あまり、戦場だとか、そういうことを感じない。
 なんでだろう? 黒の領域は全てが非日常で、この街は日常と非日常が混ざっているからか。
 通りのそこここで大道芸人がいるのに気づいた。火を噴いた男がいて、シリュウがこちらをニヤニヤとみる。
「あれはお前にもできるな」
 ふざけたことを。
 大道芸人は旅の一座のようだった。それに合わせているのか、見たことのない屋台がいくつかある。正直、リーンの屋台はおおよそ制覇していたのだ。シリュウは軽食屋を好むように、堅苦しいのは好まない。
 羊の肉を焼いたものを削いで出してくれる屋台に決めて、注文する。
 近くでは剣を持った少女が、観客に囲まれている。肉を食べつつ、僕はそれを眺めていた。シリュウは店主に酒を頼んでいた。
 僕が見ている前で、少女が剣舞を始めた。なかなか機敏で、四肢が躍動する様は、見応えがある。
「あの娘が気になるか?」
 シリュウが酒の入ったグラスに口をつけつつ、言う。
「いや、シリュウは僕があれくらい動けるようになるのを想定しているのかな、と思った」
「あれは演武であって、実戦ではないさ。身体能力を見せるだけだ」
 身体能力を見せる?
「実際の戦いで重要なのは、間合いと呼吸だ。いかに早く動けても、いかに強い力を持っていても、当たらなければ意味がない。逆に、相手の攻撃の間合いに容易に取り込まれていると、相手のペースになる。だから間合いが重要になるわけだ」
 シリュウが肉を齧る。
「呼吸もそこに関係する。相手の呼吸を読めば攻めやすい。相手に呼吸を読まれると防ぎにくい。お前にはまだ早い話だが」
「僕にあとどれくらい稽古をつけるつもり?」
「俺が諦めるまで」
 ……いつ終わるのやら。
  一杯目の酒を飲み終わったシリュウが、二杯目を買いに行った。
 演武は終わり、少女は剣をピタリと止めると、一礼した。周囲からまばらな拍手が起こる。
 と、その少女の視線が僕の視線とぶつかった。
 なんとなく会釈してみると、彼女はプイッと顔を背け、周囲に頭を下げていく。入れ違いに別の大道芸人がやってきて、倒立して、輪を両足で回し始めた。あまり興味はないな。
「なんだ、終わったのか」
 戻ってきたシリュウがそう言って、肉を全部口に入れると、即座に酒を煽って飲み込んだ。
「俺たちも撤退だ。今日は眠い。帰ろう」
 僕も肉を食べて、皿を返し、帰路に着いた。
 翌朝、シリュウが剣の稽古をつけてくれた。集合住宅の裏手で汗を流し、部屋で軽く朝食を済ませる。
 シリュウはまた運動着に着替えると、出て行った。走り込みだろう。
 僕も家を出て、図書館へ向かった。未だに調べごとを続けている。
 今、シリュウはドザから譲り受けた剣を使っている。武器屋のエンダーはその剣を初めて見た時、険しい表情で、これは整備できない、と口にした。よく聞くと、あまりに高位の魔剣で、整備する技術が追いつかない、というのだ。
 エンダーは僕たちにリーンで最も腕が利くという刀鍛冶を教えてくれた。今はそこで世話になることが多い。
 シリュウは何も言わないけど、やはり毀れの剣が欲しいようだった。だから僕が調べているのだが、前進しているかは、微妙なところだ。
 五十年前の様々な記録を当たっている。シリュウは戦死か行方不明か、どちらかで人生を終えたことになっている。その時に率いていた部隊も全員が似たような最後と記録されていた。
 その時に、毀れの剣は失われた、と書いている書類もあるが、しかしそれは間違いだと分かっていた。リーンの街の博物館に展示されたことがあるからだ。
 つまり、毀れの剣は人間の管理下に置かれたのは間違いないのだ。
 しかし所在も、どこへ流れたのか、筋が見えない。
 それでも調べ事を続けるのは、少しずつシリュウのことがわかるのが、興味深いからでもある。
 彼の戦歴は凄まじいとしか表現できない。エンダーに勲章を渡していたが、シリュウが受けた勲章の数は、将官クラスの量なのだ。
 彼が前線に立ち続けたのは、本人の戦闘力もあるが、シリュウの率いる部隊は精強ということもあった。兵を育てる手法の巧みさが表れている。
 シリュウが率いた部隊は、ある程度の戦功を上げると、シリュウの手を離れて、別の指揮官が率いている例が多い。
 部隊指揮官であるのと同時に、教官でもあったわけだ。
 そんなことが少しずつわかってくるけれど、シリュウ本人にはそういう話はしない。それが礼儀というか、尋ねられても不愉快だろう、と思えた。
 そんなわけで、僕は図書館で半日を過ごし、昼間に一度、部屋に戻った。すでにシリュウは戻ってきていた。鎧の手入れをしている。
「クルーゾーの奴、鎧は自分でやれってよ」
 エンダーが紹介した刀鍛冶がクルーゾーという男だった。若いが、しっかりしている印象だった。シリュウとはどこかぶつかり合うようなところがあるけど、たまにものすごく気が合っているような場面も見る。
 昼食を食べてから、シリュウはまた鎧を整備し始めた。僕は買い出しに出ることにする。すぐに仕事をするつもりはなかった。今は十分に余裕がある。
 買い出しに行った先で、意外な出会いがあった。
 例の大道芸人の女の子と顔を合わせたのだ。僕は気づいたけど、向こうは気づかなかった。
 彼女は剣を帯びていた。あの演武の時に使っていた剣とは違う。東方の剣士が使う剣の形状だ。珍しい。実際の使い手を見たことはない。
 その日の夕方、僕は一人で剣の稽古をした。なんとなく、する気になったのだ。
 自分の剣を何度も振って、動きを確かめる。
 シリュウが僕に何度も指摘したのは、実際の戦いで、稽古と同じ場面は絶対に現れない、ということだ。
 こう受けてこう斬り返す、という動きをいくら反復しても、役には立たないのだ。
 だから、動きを繰り返す時も、自分の体のどこに力が入り、姿勢がどうなっているのか、それを考える。
 汗を掻くまで繰り返し、汗を流してから、部屋に戻った。
 その翌日、昼間に図書館から戻ると、シリュウが集合住宅の前で誰かに剣を教えていた。
 教えている相手を見て、さすがに僕は目を見張った。
 例の、大道芸の女の子なのだ。


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