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第二章 地下探索喧騒編

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 店主の名前を今まで知らなかったけど、エンダー、という名前だった。
 ただ、エンダー三世と名乗った時は、笑いそうになった。
 それはともかく、毀れの剣は何十年も前に見た、とエンダーは話してくれた。はっきり年代はわからないが、エンダーが若かった頃で、彼は存命だった父親のエンダー二世の店の手伝いをしていた頃らしい。
 僕が慎重に尋ねると、博物館で展示されたのを見た、と彼は言った。
 しかし僕に驚きはない。博物館で展示されていた情報は、教会の尼僧のリッカが渡してくれた資料に書いてあった。その資料に年代もあったはずだ。
 つまり、エンダー三世の情報は、すでに知っていたのだ。
「展示されてから」
 僕は肩から力が抜けるのを感じつつ、質問してみた。ほとんど惰性だ。
「どこに移送されたか、知ってますか?」
「どうかな」
 エンダーが首を捻って考えている。僕はシリュウを見た。彼は首を傾げている。やはり期待はしていないらしい。
 長い間、黙っていたエンダーが、小さく唸った。
「聞いていない」
 やっぱり。この線も、ハズレだ。
「聞いていないが」エンダーがカウンターに寄りかかった。「博物館の地下に所蔵物の保管庫があり、何でもある、と聞いたことはある」
 博物館の、地下?
 シリュウが封印されていたのも、地下だった。
 関係がありそうといえば、ありそうだ。僕はリーンの公立博物館の建物を思い浮かべた。それほど古びてはいない。もちろん、教会とは建てられた年代が違う。
 では、シリュウとは関係ないのか……。
「建て直したんだ、二十年くらい前だな」
 僕の考えは顔に浮かんでいたようで、エンダーが説得口調で言う。
「その時、地下空間が発見された。それがあまりに見事で、壊さずに利用していると聞いた。学芸員は出入りできるとも聞いている」
「なるほど」
 なるほど、と言いつつ、僕の考えは少しもまとまっていない。
 しばらく考えて、僕は礼を言って、店を出ることにした。明日、また来ることになっているので、何か思い出せたら教えて欲しい、と念を押しておいた。
 時間は昼食の頃合いになっている。自然と僕たちは馴染みの軽食屋へ向かった。
「博物館の」歩きながらシリュウが疑問を込めた口調で言う。「地下の情報を当たるべきだな」
「これはないと思うけど、もし今も地下に死蔵されているのなら、教会でもらった資料で剣がどこに行ったのかわからないのも、納得できる、とも言えるね。どこにも出て行っていない、今も街にある、ってことだし」
 軽食屋について、テーブルにつく。それぞれに注文して、声をひそめて会話に戻る。
「博物館の地下に関する情報は、図書館で新聞を調べれば出てくるかもしれない。二十年前の資料が残っていれば。ただ、もっと絞らないと、延々と新聞と顔を付き合わせることになる。どこかでもっと情報を集めるよ」
 僕の言葉に、シリュウは顎を撫でて、考えている素振り。
「リッカに聞けばいいんじゃないか?」
「あぁ、その線はあったね。よし、食べたら、僕が行くよ」
「俺も行く。特に出来そうなこともないしな」
 やれやれ、誰の剣を探しているのやら。
 食事が運ばれてきて、僕たちはゆっくりと食事をした。
「毀れの剣、というのは、どういう剣なの?」
「とにかく切れる」
「え?」他に何もないのか?「どういうこと?」
 斜め上に視線を向けつつ、シリュウが言う。
「本当にそれしかない。尋常じゃない切れ味なんだよ。俺が最後に持った時は、悪魔を鎧も剣も巻き込んで、輪切りにできた。本当に胴の一番太い部分でも、綺麗に切れた」
「へぇ……」
 魔剣と呼ばれる武器について、僕はそれほど詳しくない。
 ただ、八英雄の中にはシリュウ以外にも魔剣の持ち主がいた。
 最も有名なのは、天武の剣聖、とも呼ばれた剣士の、タカアキラ。
 彼の持っていた剣は、持ち主に不死を与えた、と言われている。元は悪魔が持っていた剣で、それを彼が奪ったと伝わっている。
 シリュウと同じ時代の人間で、生きていれば高齢だが、もちろん、すでに亡くなっている。
 彼の魔剣は、天武剣、という名前だったはず。それは連合軍が管理していたはずだ。今は持ち主がいないといつか聞いた。
「毀れの剣、っていうのは、どこで手に入れたの?」
「それはもちろん、悪魔から奪った」
 もちろん、と前置きするほど、当然のことらしい。
「どうやって?」
「当然、乱戦の中で」
 今度は、当然、ときた。
「どういう悪魔? 上級悪魔くらい?」
 今度はすぐに返事がなかった。シリュウは食べ物を口に運ぶ手を止めて、それを机まで下げた。そのまま黙ってしまう。
 何か、悪いことを言ってしまったらしい。
「あ、その、悪い。言いたくないなら、言わないでいいよ」
「そんなことはない」
 シリュウの手が動きを再開する。食べ物を口に含んだまま、彼は喋った。それが、誤魔化しているようにも見えた。
「上級悪魔のさらに上だ。呼称はない。その悪魔には上級悪魔が四体、護衛としてついていた」
「上級悪魔が、護衛?」
 飲み込みづらい状況だ。
 人間は悪魔を三段階に区分した。兵卒に過ぎない下級悪魔、小規模な部隊を統制する中級悪魔、大規模な戦術、戦略を練ることができる上級悪魔。
 彼らは知性で分けられている一方、それぞれに武装の程度も違う。下級悪魔の武器は非常に粗末で、大した脅威ではない。上級悪魔になると、桁違いの威力の武器を持つ。
 その上級悪魔が、護衛につく? 四体も?
「それを」想像しただけで口の中が乾いた。「どうやって、倒した?」
「奪った剣でだよ。それ以外に手段がなかった。たまたま俺が剣を手にした」
 僕の想像を補強するように、シリュウが淡々と説明した。
「大規模なぶつかり合いだった。どうにか悪魔軍を押し込んだが、その超高位悪魔はどうにもならなかった。人類国家軍の突撃部隊は、ほとんど捨て身で殺到した。数はこちらが上だったが、戦闘力が違う。激戦の中で、上級悪魔一人に瞬間的に二十人がぶつかるような感じだ。あの時のことを思い出すと、今でも背筋が冷える。とんでもない惨状だった」
 言いながらも、シリュウは食事を続けていた。僕は手が動かなかった。
「デタラメな戦死者を出して、結果、俺たちの部隊は超高位悪魔を揉み潰した」
「……なんて言えばいいか、わからないんだけど」
 どこか重苦しくなってしまう僕の声に、シリュウはかすかに笑った。
「気にするな。生き残った奴がいることが、慰めだよ」
 どうにか食事を続けたけど、食欲はなかなか戻らなかった。
 二人で教会へ向かう。シリュウはもう街の様子を確認する素振りをしなくなった。今の時代の街に慣れたのだろう。
 教会の礼拝堂へ入ると、オルガンが鳴っていた。椅子には数人の男女が腰かけて、それぞれに祈っている。
 僕とシリュウは奥へ進んだ。通路へ出て、すぐ脇の事務所に顔を出す。知り合いの僧服の男が顔を上げ、リッカがいる奥の部屋に導いてくれた。
「何かありましたか?」
 部屋に入ると、眼鏡を外しながら、リッカが進み出てくる。そのまま三人で応接室へ、部屋同士をつなぐドアから移動した。通路に出ないでもいいようになっているのだ。
「何のお話ですか?」
 落ち着いた声で、リッカが尋ねてくるのを聞くと、こちらも少し冷静になる。口に出すことを考えるように促す効果があるようだ。
「それほど重要ではないのですが、博物館が建て替えられた時期を知りたいのです」
 僕の質問はそれほど変ではないはずだが、リッカは少し黙った。ちょっと気まずい。
 無言のままリッカは壁際の本棚へ行き、厚い本を引っ張り出した。それを椅子に戻ってきて開いて、ページを繰ってから、こちらに示した。
「ここに記録がありますが、人間暦十年です」
 どうやら彼女が持ってきた本は、街の歴史をまとめたものらしい。
 そのページに公立博物館の建て替えに関する情報が書かれていた。人間暦十年、ということは、二十二年前だった。
 本を受け取り、ページの情報を確認した。確かに、地下空間があった旨が書かれている。
 これで事実確認は一気に進展した。
「他に聞きたいことはありますか?」
 本を受け取ったリッカが質問してくる。僕は、「もうひとつ」と答えた。
「毀れの剣のことなんですが」
 もう一度、リッカがシリュウを見る。シリュウは無言だ。僕はまっすぐにリッカに向けた視線を動かさなかった。やがてリッカは僕を見て、
「彼の持ち物でしたね。見つかったのですか?」
 ちらっと、リッカはシリュウを見るが、シリュウは無反応。おいおい、空気が悪くなるじゃないか。
「見つかってはいません。その剣が、だいぶ前に公立博物館で展示された、と聞いたのですが」
「それは資料にまとめましたね」
「地下空間に死蔵されている、という噂を耳にしました」
 リッカが軽くうつむき、胸の前で両手を握りしめた。
「それは、知りませんでした。また、地下ですか」
 そう言って、彼女は口を閉じた。僕は次の言葉を待った。シリュウも話の続きを待っているようだ。
「教会には」リッカが顔を上げる。「様々な情報があります。調べておきます」
「ありがとうございます」
 と、僕は頭を下げた。リッカがシリュウを見る気配。
「剣が欲しいのですか?」
 シリュウを伺うと、彼は唇を斜めにして見せているだけで、口を開かなかった。リッカの視線が少し鋭くなるが、シリュウの顔の鎧も心の鎧も、破れなかった。
 ため息で諦めを表明し、リッカが本を書棚に戻しに行った。僕は無言で、こっそりシリュウの脇腹に肘を食らわせておくが、硬い手応えが帰ってきて、平然としている。
「恐ろしいこと」
 リッカが呟いたけど、僕もシリュウも、返事ができなかった。
 それから気持ちを切り替えたらしいリッカと、日常に関する雑談をしてから、その日は引き上げた。一旦、家に帰ると、シリュウはすぐに出かけて行った。どうやら体力に不満があるようで、基礎的な運動をしているようだった。
 僕は夕飯の準備をして、それが終わったら、本を読んで、いろいろなことを考えていた。
 確定していることは、博物館に毀れの剣が展示されたこと、博物館には地下空間があること、この二点だ。
 僕たちに辿れる筋は、限られている。はっきりしているのは、博物館の地下を確認する、という方針だけど、別の線がほとんどない。教会で受け取った書類を精査して、辿るしかないけど、時間がかかるのは必定だ。
 博物館を検めるのは、無駄足になるかもしれない、という思いがどうしてもつきまとう。
 それでも、今、見えている道筋では、そこが最も明るいのは確か。
 仕方ない。進んでみるか。
 夕飯に近い時間に、汗まみれでシリュウが帰ってきた。共同住宅の裏手で水を浴びてくるように言って、僕は夕飯を温め直した。
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