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第一章 信用度数最低編
六
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最初の予定の一週間、次の二週間が終わり、結果、シリュウは僧房を出た。
行けるところがあるはずなく、僕の部屋にやってきた。
「片付いているな」
最初に言ったのはそれだった。母親か。
少しだけ片付けをしてシリュウが生活できる空間を作った。一部屋しかないし、寝台は僕が使うので、シリュウには床で寝てもらおう。
「床でもいい。戦場ならもっと過酷だ」
どうにもずれているな、こいつは。
三週間の間で、僕たちはだいぶ打ち解けた。時々、食い違うが、それも慣れた。
教会で三週間、瓦礫の除去に従事した、ということで、リッカは工賃を出してくれた。僕も、掃除の分も含めて、お金をもらった。
「長く雇いたかったのですが……」
と、リッカは言っていた。しかし、そうもいかないようだった。
こうして、僕はわずかな金と、英雄一人を手に入れて、教会の仕事を失った。
「これからどうする?」
「紹介所へ行く」
リーンの街を歩きながら、シリュウと今後について打ち合わせた。
「僕の信用度数は少しは回復したはずだ。それに、シリュウを登録する必要もある」
「その件だが」
シリュウが顎を撫でた。
「俺はたぶん、死んでいる。どうやって登録する?」
「偽名を使う」
「その手の登録に個人の身分証はいらないのか?」
「黒の領地でなくした、と言う」
うーむ、とシリュウが唸った。
「うまくいくとも思えないが、大丈夫か?」
「大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるように、僕は言った。
紹介所に着いて、そこで三十分ほど過ごし、僕たちは外に出た。
「大丈夫じゃなかったな」
軽い調子でシリュウが言う。
紹介所では幾つかの悲劇があった。
一つは、シリュウを偽名で登録するのに、失敗した。身分証がないのが大きかったけど、それをやり過ごしたら、今度は来歴を聞かれたのだ。まさかでかい勲章を二つもらっている、とも言えない。教会で働いた、ということでごまかそうとしたが、黒の領域を切り開く探索者が教会で働くのも変な話だ。
係員はシリュウを前にして、
「体格はいいですし、力もありそうですが、その、とても探索者には、見えませんけど……」
僕はシリュウの服装を確認した。
教会でもらった、作業着だった。確かに、探索者ではない。
言い訳したけれど、書類を整えて、再び来てください、とのことだった。しかもその書類の中に、探索者協会の紹介状を含めるように言われた。
それが激痛である。
もう一つの悲劇は、僕の信用度数は、十一だった。協会の仕事で、二、回復した。
回復したけど、十一というのも低さには大差ない。
試しに信用度数十一で受けられる仕事を聞いてみると、人間軍の砦への物資輸送の護衛、という仕事を受けられそうだった。
もうちょっと何かで、信用度数を高めるべきか、考えつつ、僕たちは紹介所を出たわけだ。
「服装と武器を整えれば、うまくいったんじゃないか?」
シリュウが低い声で言う。
「そんな金銭的な余裕がない」
「見聞のために、店を見たいんだが、どこにある?」
この英雄は、素手でも十分に強いのを僕は知っている。それでも武器を欲しがるのは、本能のようなものだろうか。
二人でリーンの街を歩く。シリュウは興味深そうに周囲を見ていた。
「何かあるの?」
「懐かしいような、初めて見るような、不思議な気持ちだ」
「五十年前もこの街があったんだよね」
「そうだ。ルーンという名前だった」
やがて、武器屋に着いた。僕が懇意にしている店だ。ただ、僕はよくいる客の一人、顔を知っている、程度の認識だろう。
中に入ると、初老の男が出迎えた。店内は、壁に無数の剣が展示されている。シリュウはそれを眺め始めた。僕は初老の男、店主の方に近づいた。
「なんだ、アルス、その腰の奴は」
そう言われて、苦笑いしてごまかす。
「前の剣は黒の領地で無くしたんだ。拾う間もなかった」
「しかしそんな安物は、ほとんど飾りだろう」
「良いんだ、すぐに使う予定はない」
店主が呆れた顔になる。僕は視線をシリュウに向けた。彼は一本一本、手を触れないものの、よくよく視線を向けていた。まさに舐めるように見ている。
「あの兄さんは、どこの誰だ?」
名前を言うのも躊躇われる。
「知り合いだよ。機会があれば、探索者のユニットを組む」
探索者の集団は規模によって名称が異なる。十人以下がユニット、五十人以下がグループ、それ以上はレギオンである。
店主が首をかしげて、
「ユニットだって? 前の仲間はどうした?」
「行方不明」
短く応じる僕に、店主は息を吐いた。
「探索者という奴は、血も涙も無いな。少しは犠牲になった奴らを考えてやれ」
意外に説教くさい男だけど、別に嫌でもない。
たぶん、重要なことなんだろう。
「少し余裕ができたが、花を手向けに行くよ」
「仲間なんだ、それくらい、言われなくてもやりなさい」
僕は頷くだけにする。
しばらく剣を見ていたシリュウが、やっと一本の剣に手をかけた。
「それにするのかい、兄さん?」
「ああ、これがいい」
店主がカウンターから出てきて、シリュウから剣を受け取った。
「三千アースだ」
「三……千?」
一瞬、意識が飛ぶかと思った。
この店の値段設定が高めなのは知っていたが、今、僕の腰にある剣は、三百アースを三回払いで買ったのだ。
桁が違う。まさに、桁が違う。大事なので、二回繰り返してみた。
シリュウは平然と、「研いでもらえるのか?」などと言っている。
「おいおい、シリュウ、さすがに無理な買い物だ」
「三千アースでこの剣とは、格安だ」
「どこが?」
「どこが、とは? 一回の食事で三百アースだから、三千アースは格安、いや、投げ売りだ」
……食事が一回で三百アースなわけがない。彼とは何回か食事をしたが、もちろん、僕が払っていた。
一食が三百アースだったのは、五十年前の感覚。
「良いかな、シリュウ」僕は声をひそめた。「今の時代、一食は相当食べても、一人で十アースくらいだ」
「一食が十アース……?」
さすがのシリュウも訝しげな顔になった。
「賞味期限切れの食品の話か?」
「まともな食事が、十アース。貨幣価値が変わったんだよ」
理解できない、という表情でシリュウは黙り込んでいたが、もう一回、周囲の武器を見た。
「では、ここにある武器の値段は、手が出ないのではないか?」
「月賦がある」
「月賦か。それは知っている」
やっと共通の認識を持つ対象が出てきたな。
僕たちの様子を見ていた店主が、シリュウから受け取った剣を鞘から抜いた。
僕の目から見ても美しい剣だった。
「どうした、二人とも、買うんだろう?」
「三十回払いとか、できる?」
僕が聞くと、店主は不快そうな顔に変化する。
「三十回、つまり、二年半か。お前たちがそれまで生きていると思えないし、剣がそんなに長持ちするとも思えないが?」
一理ある、としか言えない。想定しやすい、ありそうな未来だった。
「これと交換できるか?」
突然に、シリュウがそう言って作業着のポケットから何かを取り出した。
「驚くぜ」
そう言ってカウンターに置かれたものを見ると、僕はまた意識を失うかと思った。
カウンターにあるもの、それは、古びた勲章だった。複雑な細工と、小さな宝石がちりばめられている。
彗星勲章でも天位勲章でもないが、しかし、僕でも知っている十五年従軍するともらえる、鉄人勲章である。それも、現在の連合軍、同盟軍のものではなく、人間軍のもの。
もちろん、僕にも希少価値が高いのはわかる、実際の価格はわからないけど。
店主も勲章を見て、黙り込んでしまった。
「これと交換は無理か?」
唯一、平然としているシリュウの言葉に弾かれたように店主が動いた。
勲章を手に取り、服の裾で拭うと、勲章を確認し始めた。
「これはすごい」店主が呟く。「実物を見るのは三度目だ。手に取るのは初めてだよ」
「それと剣を交換だ。足りないか?」
「まさか!」
店主が慌てたように応じて、鉄人勲章を強く握りしめ、もう手放さない、という姿勢になった。そんなにすごいものなのか。
「良し、わかった、この勲章と交換しよう。剣だけじゃない、他にも手配してやる。あんたは今から、うちの特別な上客だ」
すごい変わりようだな……。僕はもう三年くらい、この店を利用しているけど、今みたいなことを言われたことはなかった。
シリュウはかすかに笑みを浮かべて、いくつかの指示を出した。防具も頼んでいる。店主も提案をして、僕を置き去りに、二人は話し込んでいた。
剣も含めて、注文したものは三日後に手に入ることになった。
店を出て、二人で歩き出す。
「あの勲章はどこで見つけたの?」
「瓦礫の中に落ちていたのを見つけた。俺のものだろう。あの勲章ももらったことがある」
「え? じゃあ、教会の地下にはまだ色々、あるんじゃないの?」
どうだか、という返事。
「しかし、あの勲章があれほど高価とは、知らなかった」
「骨董品だからね、あれは。欲しい人は多い。彗星勲章と天位勲章があれば、それを売ることで、何の苦労もなく生活できる、何十年も」
短くシリュウが笑った。
「それは無理だな。あの勲章は、特別なんだ」
さすがのシリュウでも、売りたくない、ということだろう。
二人で途中で軽食をとった。ここでやっと、シリュウはメニューをじっくりと見つめ、現代の貨幣価値を確認していた。
「飲み物が一アースとは、どういうことだ? 清水か? 沸騰させなくても大丈夫か?」
などと言っていた。どういう時代だ?
軽食屋で今後について、相談した。
「武器は手に入る。あとは移動手段と、物資だね」
「どこかのユニットとやらに参加すれば、それで解決するんじゃないか?」
「裏ワザがないわけじゃない」
ほう、とシリュウの片方の眉が上がる。
「どういうやり口だ?」
「黒の領域に僕たちで入り込んで、仲間が減っているユニットなりに近づいて、合流する」
シリュウが腕を組む。
「偶然を装って、ついでに困っているふりをして、か?」
「この手を使えば、紹介所の手続きなしで、探索者の集団に合流できるだろ?」
「やったことのあるような口ぶりだな。うまくいったのか?」
肩をすくめる。
「三回やって、二回はうまくいった」
「失敗した一回の詳細は?」
「やたら人数が少ない、気迫がない、と思ったら、悪魔の群れがすぐに来て、押し潰してきた。挽回不能な危機だったんだよね。だから、すぐに逃げた」
シリュウが鼻で笑う。
「だから信用度数も下がる」
「僕は英雄じゃない」
確かに、と言われてしまった。何も言い返せない。
少し食事に集中して、それからシリュウが軽い調子で言った。
「良いだろう、さっきの手でやってみよう」
「紛れ込む作戦?」
「そうだ。実績ができれば、自然と仕事も増える」
はてさて、どうなるのか、僕には想像もできなかった。
店を出ると、シリュウが「街を確認しておく」と言って離れていった。僕は特に行くべき場所もなかったけど、思い立って、教会へ向かった。
リーン中央教会の建物はかなり古い。詳しく知らないが、百年近いだろう。
礼拝堂に入ると、やはり誰かがオルガンを弾いている。並ぶ椅子の一つに押しを下ろした。
ここに来たのは、これからシリュウとやることを、リッカに伝えておくべきではないかと思ったからだ。本当に短い期間だけど、お世話になったわけだし、と考えていた。
オルガンは今日はゆっくりとしたメロディを奏でている。
僕はステンドグラスを眺めていた。聖人が悪魔を退ける様子らしかった。
「お祈りですか」
声の方を見ると、リッカがゆっくりと近づいてきた。僕は立ち上がって礼をする。彼女も軽く頭を下げ、僕の横に座った。僕も腰を下ろす。
「どこかへ行かれるのですか?」
リッカの方から話し出した。
「少し、黒の領地へ行ってきます。そのことをお伝えしに来ました」
「他にも伝えるべき方がいるのではないですか?」
困って、笑ってしまった。
「残念ながら、いないようですね」
僕の言葉に返事はなかった。リッカは先ほどまで僕が見ていたステングラスを見上げていた。
「あの方は、どこかで見かけたはずなのですが、思い出せません」
突然に彼女が言った。
「あの方? シリュウのことですか?」
「ええ。写真でも、絵画でもなく」
どう答えていいのか、わからなかった。
彼が五十年前の人間だということをリッカには話していない。僕は自然と信じるようになったけど、いきなり、そんなことを言われて信じる人間は少ないはずだ。
リッカが出会ったのは、五十年前、当時のシリュウじゃないだろうか。
「何か特別な思い出がありますか?」
「いえ……」
なにか言いかけたが、リッカは耐えたようだった。沈黙を、オルガンの音色が和らげる。
「それでは」
僕は立ち上がった。
「これで、失礼します。僕たちが死んでも、葬儀は不要です」
リッカは何も言わないまま微笑んで、首から下げていたシンボルを掴み、頭を下げた。
行けるところがあるはずなく、僕の部屋にやってきた。
「片付いているな」
最初に言ったのはそれだった。母親か。
少しだけ片付けをしてシリュウが生活できる空間を作った。一部屋しかないし、寝台は僕が使うので、シリュウには床で寝てもらおう。
「床でもいい。戦場ならもっと過酷だ」
どうにもずれているな、こいつは。
三週間の間で、僕たちはだいぶ打ち解けた。時々、食い違うが、それも慣れた。
教会で三週間、瓦礫の除去に従事した、ということで、リッカは工賃を出してくれた。僕も、掃除の分も含めて、お金をもらった。
「長く雇いたかったのですが……」
と、リッカは言っていた。しかし、そうもいかないようだった。
こうして、僕はわずかな金と、英雄一人を手に入れて、教会の仕事を失った。
「これからどうする?」
「紹介所へ行く」
リーンの街を歩きながら、シリュウと今後について打ち合わせた。
「僕の信用度数は少しは回復したはずだ。それに、シリュウを登録する必要もある」
「その件だが」
シリュウが顎を撫でた。
「俺はたぶん、死んでいる。どうやって登録する?」
「偽名を使う」
「その手の登録に個人の身分証はいらないのか?」
「黒の領地でなくした、と言う」
うーむ、とシリュウが唸った。
「うまくいくとも思えないが、大丈夫か?」
「大丈夫」
まるで自分に言い聞かせるように、僕は言った。
紹介所に着いて、そこで三十分ほど過ごし、僕たちは外に出た。
「大丈夫じゃなかったな」
軽い調子でシリュウが言う。
紹介所では幾つかの悲劇があった。
一つは、シリュウを偽名で登録するのに、失敗した。身分証がないのが大きかったけど、それをやり過ごしたら、今度は来歴を聞かれたのだ。まさかでかい勲章を二つもらっている、とも言えない。教会で働いた、ということでごまかそうとしたが、黒の領域を切り開く探索者が教会で働くのも変な話だ。
係員はシリュウを前にして、
「体格はいいですし、力もありそうですが、その、とても探索者には、見えませんけど……」
僕はシリュウの服装を確認した。
教会でもらった、作業着だった。確かに、探索者ではない。
言い訳したけれど、書類を整えて、再び来てください、とのことだった。しかもその書類の中に、探索者協会の紹介状を含めるように言われた。
それが激痛である。
もう一つの悲劇は、僕の信用度数は、十一だった。協会の仕事で、二、回復した。
回復したけど、十一というのも低さには大差ない。
試しに信用度数十一で受けられる仕事を聞いてみると、人間軍の砦への物資輸送の護衛、という仕事を受けられそうだった。
もうちょっと何かで、信用度数を高めるべきか、考えつつ、僕たちは紹介所を出たわけだ。
「服装と武器を整えれば、うまくいったんじゃないか?」
シリュウが低い声で言う。
「そんな金銭的な余裕がない」
「見聞のために、店を見たいんだが、どこにある?」
この英雄は、素手でも十分に強いのを僕は知っている。それでも武器を欲しがるのは、本能のようなものだろうか。
二人でリーンの街を歩く。シリュウは興味深そうに周囲を見ていた。
「何かあるの?」
「懐かしいような、初めて見るような、不思議な気持ちだ」
「五十年前もこの街があったんだよね」
「そうだ。ルーンという名前だった」
やがて、武器屋に着いた。僕が懇意にしている店だ。ただ、僕はよくいる客の一人、顔を知っている、程度の認識だろう。
中に入ると、初老の男が出迎えた。店内は、壁に無数の剣が展示されている。シリュウはそれを眺め始めた。僕は初老の男、店主の方に近づいた。
「なんだ、アルス、その腰の奴は」
そう言われて、苦笑いしてごまかす。
「前の剣は黒の領地で無くしたんだ。拾う間もなかった」
「しかしそんな安物は、ほとんど飾りだろう」
「良いんだ、すぐに使う予定はない」
店主が呆れた顔になる。僕は視線をシリュウに向けた。彼は一本一本、手を触れないものの、よくよく視線を向けていた。まさに舐めるように見ている。
「あの兄さんは、どこの誰だ?」
名前を言うのも躊躇われる。
「知り合いだよ。機会があれば、探索者のユニットを組む」
探索者の集団は規模によって名称が異なる。十人以下がユニット、五十人以下がグループ、それ以上はレギオンである。
店主が首をかしげて、
「ユニットだって? 前の仲間はどうした?」
「行方不明」
短く応じる僕に、店主は息を吐いた。
「探索者という奴は、血も涙も無いな。少しは犠牲になった奴らを考えてやれ」
意外に説教くさい男だけど、別に嫌でもない。
たぶん、重要なことなんだろう。
「少し余裕ができたが、花を手向けに行くよ」
「仲間なんだ、それくらい、言われなくてもやりなさい」
僕は頷くだけにする。
しばらく剣を見ていたシリュウが、やっと一本の剣に手をかけた。
「それにするのかい、兄さん?」
「ああ、これがいい」
店主がカウンターから出てきて、シリュウから剣を受け取った。
「三千アースだ」
「三……千?」
一瞬、意識が飛ぶかと思った。
この店の値段設定が高めなのは知っていたが、今、僕の腰にある剣は、三百アースを三回払いで買ったのだ。
桁が違う。まさに、桁が違う。大事なので、二回繰り返してみた。
シリュウは平然と、「研いでもらえるのか?」などと言っている。
「おいおい、シリュウ、さすがに無理な買い物だ」
「三千アースでこの剣とは、格安だ」
「どこが?」
「どこが、とは? 一回の食事で三百アースだから、三千アースは格安、いや、投げ売りだ」
……食事が一回で三百アースなわけがない。彼とは何回か食事をしたが、もちろん、僕が払っていた。
一食が三百アースだったのは、五十年前の感覚。
「良いかな、シリュウ」僕は声をひそめた。「今の時代、一食は相当食べても、一人で十アースくらいだ」
「一食が十アース……?」
さすがのシリュウも訝しげな顔になった。
「賞味期限切れの食品の話か?」
「まともな食事が、十アース。貨幣価値が変わったんだよ」
理解できない、という表情でシリュウは黙り込んでいたが、もう一回、周囲の武器を見た。
「では、ここにある武器の値段は、手が出ないのではないか?」
「月賦がある」
「月賦か。それは知っている」
やっと共通の認識を持つ対象が出てきたな。
僕たちの様子を見ていた店主が、シリュウから受け取った剣を鞘から抜いた。
僕の目から見ても美しい剣だった。
「どうした、二人とも、買うんだろう?」
「三十回払いとか、できる?」
僕が聞くと、店主は不快そうな顔に変化する。
「三十回、つまり、二年半か。お前たちがそれまで生きていると思えないし、剣がそんなに長持ちするとも思えないが?」
一理ある、としか言えない。想定しやすい、ありそうな未来だった。
「これと交換できるか?」
突然に、シリュウがそう言って作業着のポケットから何かを取り出した。
「驚くぜ」
そう言ってカウンターに置かれたものを見ると、僕はまた意識を失うかと思った。
カウンターにあるもの、それは、古びた勲章だった。複雑な細工と、小さな宝石がちりばめられている。
彗星勲章でも天位勲章でもないが、しかし、僕でも知っている十五年従軍するともらえる、鉄人勲章である。それも、現在の連合軍、同盟軍のものではなく、人間軍のもの。
もちろん、僕にも希少価値が高いのはわかる、実際の価格はわからないけど。
店主も勲章を見て、黙り込んでしまった。
「これと交換は無理か?」
唯一、平然としているシリュウの言葉に弾かれたように店主が動いた。
勲章を手に取り、服の裾で拭うと、勲章を確認し始めた。
「これはすごい」店主が呟く。「実物を見るのは三度目だ。手に取るのは初めてだよ」
「それと剣を交換だ。足りないか?」
「まさか!」
店主が慌てたように応じて、鉄人勲章を強く握りしめ、もう手放さない、という姿勢になった。そんなにすごいものなのか。
「良し、わかった、この勲章と交換しよう。剣だけじゃない、他にも手配してやる。あんたは今から、うちの特別な上客だ」
すごい変わりようだな……。僕はもう三年くらい、この店を利用しているけど、今みたいなことを言われたことはなかった。
シリュウはかすかに笑みを浮かべて、いくつかの指示を出した。防具も頼んでいる。店主も提案をして、僕を置き去りに、二人は話し込んでいた。
剣も含めて、注文したものは三日後に手に入ることになった。
店を出て、二人で歩き出す。
「あの勲章はどこで見つけたの?」
「瓦礫の中に落ちていたのを見つけた。俺のものだろう。あの勲章ももらったことがある」
「え? じゃあ、教会の地下にはまだ色々、あるんじゃないの?」
どうだか、という返事。
「しかし、あの勲章があれほど高価とは、知らなかった」
「骨董品だからね、あれは。欲しい人は多い。彗星勲章と天位勲章があれば、それを売ることで、何の苦労もなく生活できる、何十年も」
短くシリュウが笑った。
「それは無理だな。あの勲章は、特別なんだ」
さすがのシリュウでも、売りたくない、ということだろう。
二人で途中で軽食をとった。ここでやっと、シリュウはメニューをじっくりと見つめ、現代の貨幣価値を確認していた。
「飲み物が一アースとは、どういうことだ? 清水か? 沸騰させなくても大丈夫か?」
などと言っていた。どういう時代だ?
軽食屋で今後について、相談した。
「武器は手に入る。あとは移動手段と、物資だね」
「どこかのユニットとやらに参加すれば、それで解決するんじゃないか?」
「裏ワザがないわけじゃない」
ほう、とシリュウの片方の眉が上がる。
「どういうやり口だ?」
「黒の領域に僕たちで入り込んで、仲間が減っているユニットなりに近づいて、合流する」
シリュウが腕を組む。
「偶然を装って、ついでに困っているふりをして、か?」
「この手を使えば、紹介所の手続きなしで、探索者の集団に合流できるだろ?」
「やったことのあるような口ぶりだな。うまくいったのか?」
肩をすくめる。
「三回やって、二回はうまくいった」
「失敗した一回の詳細は?」
「やたら人数が少ない、気迫がない、と思ったら、悪魔の群れがすぐに来て、押し潰してきた。挽回不能な危機だったんだよね。だから、すぐに逃げた」
シリュウが鼻で笑う。
「だから信用度数も下がる」
「僕は英雄じゃない」
確かに、と言われてしまった。何も言い返せない。
少し食事に集中して、それからシリュウが軽い調子で言った。
「良いだろう、さっきの手でやってみよう」
「紛れ込む作戦?」
「そうだ。実績ができれば、自然と仕事も増える」
はてさて、どうなるのか、僕には想像もできなかった。
店を出ると、シリュウが「街を確認しておく」と言って離れていった。僕は特に行くべき場所もなかったけど、思い立って、教会へ向かった。
リーン中央教会の建物はかなり古い。詳しく知らないが、百年近いだろう。
礼拝堂に入ると、やはり誰かがオルガンを弾いている。並ぶ椅子の一つに押しを下ろした。
ここに来たのは、これからシリュウとやることを、リッカに伝えておくべきではないかと思ったからだ。本当に短い期間だけど、お世話になったわけだし、と考えていた。
オルガンは今日はゆっくりとしたメロディを奏でている。
僕はステンドグラスを眺めていた。聖人が悪魔を退ける様子らしかった。
「お祈りですか」
声の方を見ると、リッカがゆっくりと近づいてきた。僕は立ち上がって礼をする。彼女も軽く頭を下げ、僕の横に座った。僕も腰を下ろす。
「どこかへ行かれるのですか?」
リッカの方から話し出した。
「少し、黒の領地へ行ってきます。そのことをお伝えしに来ました」
「他にも伝えるべき方がいるのではないですか?」
困って、笑ってしまった。
「残念ながら、いないようですね」
僕の言葉に返事はなかった。リッカは先ほどまで僕が見ていたステングラスを見上げていた。
「あの方は、どこかで見かけたはずなのですが、思い出せません」
突然に彼女が言った。
「あの方? シリュウのことですか?」
「ええ。写真でも、絵画でもなく」
どう答えていいのか、わからなかった。
彼が五十年前の人間だということをリッカには話していない。僕は自然と信じるようになったけど、いきなり、そんなことを言われて信じる人間は少ないはずだ。
リッカが出会ったのは、五十年前、当時のシリュウじゃないだろうか。
「何か特別な思い出がありますか?」
「いえ……」
なにか言いかけたが、リッカは耐えたようだった。沈黙を、オルガンの音色が和らげる。
「それでは」
僕は立ち上がった。
「これで、失礼します。僕たちが死んでも、葬儀は不要です」
リッカは何も言わないまま微笑んで、首から下げていたシンボルを掴み、頭を下げた。
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